「メモリー・キーパーの娘 The Memory Keeper's Daughter」

- キム・エドワーズ Kim Edwards -

<西川美和さん推薦の本>
 僕が大好きな邦画「ゆれる」(2006年)の監督西川美和さんが、以前ラジオ番組の中で最近最も感動した本としてあげていた小説です。そんなわけで、西川さんのファンである僕としては、気になっていた作品でした。(だって美人だし、感じいいし・・・・おまけに才能はあるし・・・)「ゆれる」「蛇イチゴ」(2003年)そして2009年の「ディア・ドクター」と人と人のつながりの「揺れ具合」を描き続ける彼女が好きなのもうなずける内容になっています。西川作品がお好きな方にはお奨めの本です。

<「ディビザデロ通り」との違い>
 偶然ですが、マイケル・オンダーチェの傑作小説「ディビザデロ通り」(2007年)を読んだ後、この本を読んだので、その類似性についてちょっと。
 「ディビザデロ通り」は、アメリカの貧しい農家からドラマが始まり、ある事件によって家族がバラバラになりなるものの、それぞれの物語が運命の糸につながっているかのように類似性を帯びながら展開してゆくというお話でした。さらに、このお話は主人公のひとりがフランスへ渡り、その舞台をヨーロッパへと広げてゆきます。
 「メモリー・キーパーの娘」では、アメリカの貧しい農家で育った主人公が、ある選択によって娘を失い、そこから家族がバラバラになってゆくお話です。さらに、このお話もまた、家族のひとりがヨーロッパへ渡ってゆきます。
「一つの事件をきっかけとした家族の崩壊と、その再生の物語」
 2作品をそう括ることができるでしょう。しかし、2作品の間には大きな色合いの違いがあります。その違いがそれぞれの大きな魅力となっているのです。

 「ディビザデロ通り」は、アメリカよりもフランスが舞台の中心となっており、まるでフランス映画を見ているような雰囲気をもっています。それは、モノトーンの画面で繰り広げられるノスタルジックでゆったりとした展開の短篇小説集であり、極上のワインのような味わいをもつ小説です。
 それに対して、「メモリー・キーパーの娘」は、よりアメリカ的でハリウッド的な展開の小説です。それは、次々に起きる事件によって読者を先へ先へと読み進ませるファミリー・ドラマのエンタテイメント作品です。この小説が口コミで大ベストセラーになったのもわかります。この小説の作者が女性であることも重要なポイントかもしれません。

<ソープ・オペラ?>
 一歩間違えるとアメリカ人が大好きなソープ・オペラになってしまいそうな夫婦間の浮気騒動のくだりは、正直ちょっとウザイ気もしましたが、それは僕が既婚の男性読者だからかもしれません。考えてみると、僕と主人公はほぼ同年代、結婚生活も同じぐらいです。いつの間にか、こうした家族のドラマがすっかり身近なものに感じられるようになっていました。幸いにして、我が家の夫婦間にはこの小説ほどの秘密はないので、どちらかといえば、子供との問題の方が気になります。
 25年にわたる家族の大河ドラマは、ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」などに匹敵するテンポの良さで展開し、ドラマの筋を追ううちにあっという間に時は過ぎてゆきました。そして、読者が男性か女性か既婚か未婚か青年か中年か子供はいるのかいないのか・・・それぞれの人生体験により、どの登場人物に感情移入するかによってまったく異なる感想をもつことになりそうです。あとは、それぞれの人生を見直す機会になれば、それで十分に作者の意図は伝えられたということになるのでしょう。

<あらすじ>
 ある雪の夜、優秀な若手医師デイヴィッドと彼の妻ノラの間に男女の双子が生まれました。しかし、女の子フィービはダウン症であることがわかりました。かつて同じダウン症の妹がいたデイヴィッドは、両親が貧しい生活の中で苦労して育てた後に結局は妹を救えずに苦しんだことを知っていたため、妻に知らせずにその子を施設に預けようとします。1960年代のアメリカではダウン症の子を手放し、施設に預けてしまうことはごく普通のことだったのです。ところが、彼に頼まれて施設に向かった看護師のキャロラインは、施設の悲惨な状況を眼にして子供を預ける気にはなれずに、そのまま帰って来てしまいます。そして、途中で猛吹雪に巻き込まれて立ち往生する間に、彼女はフィービを自分ひとりで育てる決心をします。それは、デイヴィッドに密かに恋していたキャロラインだからこそ、できたことでした。
 フィービは死んだことにされていたため、キャロラインは一人街を出て暮らすことになりましたが、すぐに彼女は働きながら子供を育てることの困難さに直面します。そうでなくとも、仕事を見つけずらいシングル・マザーがダウン症の子供を育てるというのは、一人では到底不可能なことだったのです。幸い、彼女は理解のある家族と出会い、そこで介護師として働きながらフィービを育てることができ、なんとか危機を乗り越えることができました。
 もう一人の子ポールを育てるノラは、何不自由ない生活をしていましたが、顔を見ることもなく失ってしまったフィービのことが忘れられずにいました。フィービが生きていることを隠すディヴィッドもまた秘密を抱えて苦しむことになり、そこから二人の間にはしだいに大きな心のずれが生まれてゆくことになります。そして、その影響はポールにも及ぶことになり、しだいに家族はバラバラになってゆくのでした。
 その後、ポールは父親の反対を押し切って音楽家の道を歩みだそうとしますが、そこ頃、彼の父親デイヴィッドが行方不明になり、数日後、見ず知らずの女の子を連れて家に帰ってきました。いったい彼女は何者なのでしょうか?そして、バラバラになった家族の再生は可能なのでしょうか?

「メモリー・キーパーの娘 The Memory Keeper's Daughter」 2005年
キム・エドワーズ Kim Edwards(著)
宮崎真紀(訳)

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