- ラインホルト・メスナー Reinhold Messner -

<時代の象徴でもあったメスナー>
 ラインホルト・メスナー、その名前は登山に興味がない人でも聞いたことがあるかもしれません。
 世界最高峰のエベレストを無酸素、単独で制覇した最初のクライマー。確かに最初にエベレストの頂上を極めた登山家たちも偉大ですし、エドマンド・ヒラリーテンジン・ノルゲイの名も世界中に知られています。しかし、近年、登山家たちが持ち込んだ山頂付近のゴミの山が問題になってきてからは、何も使わず限りなく自分の肉体の力だけで山頂に立つことの価値が、より高く評価されるようになりました。
 フリー・ダイビングの世界で人間の能力の限界に挑んだジャック・マイヨールのように、20世紀の後半、冒険はそれまでの物量作戦から肉体追求の方向へと移り変わり、人間本来の力をいかに引き出すかが求められるようになってゆきました。ラインホルト・メスナーの存在はそんな時代の象徴だったように思えます。(特に1960年代以降、世界は「自然回帰」、「環境保護」へとかわりつつありましたが、それは音楽、映画、文学などあらゆる分野にわたっていました)

<メスナーの生い立ち>
 ラインホルト・メスナー Reinhold Messner は、1944年9月17日イタリア領南チロルの町、ブリクセンに生まれました。父親とともに子供の頃から山に登っていた彼は弟とともに登山に熱中。もともと孤独を愛するメスナーは一人でアルプスの山々を制覇してゆきました。
 1974年、彼はアイガーの北壁をわず10時間で登りきるという偉業を達成。25歳までにヨーロッパの高峰をほとんど登りつくしました。次なる目標として彼はヒマラヤへと向かいます。ところが1970年、彼はナンガ・パルバットでのルパール壁の登頂に成功した後、下山中に雪崩に巻き込まれ弟のギュンターを失ってしまいました。この事故により大きな心の傷を受けた彼は、さらに凍傷によって足の指を6本も失っていました。しかし、彼はクライマーとしての人生を捨てる気にはなれませんでした。
 1972年、彼はマナスル南西壁を登る登山隊に参加し、ただ一人頂上に到達しました。ところが、この登山でも彼は悲劇に見舞われてしまいます。登頂後、下山の途中に彼らは強烈なブリザードに襲われ、隊のメンバー2名が行方不明になってしまったのです。そのうえ、彼にはその事故についての責任はまったくなかったにも関わらず、マスコミは彼になんらかの責任があったという報道をしました。このことで、彼は大きなショックを受け、その後、大編成の登山チームへの参加はいっさいしないようになり、いよいよ単独での登頂のみにこだわるようになります。
 1974年、南アメリカの最高峰アコンカグアの南壁を単独で登った彼は、1978年にエベレスト、1979年にはK2と不可能とも言われていた世界最高の山々を次々に無酸素で征服。さらに1979年、再びエベレストに挑んだ彼は、最難関と言われていたエベレスト北面での単独無酸素登頂にも成功し、登山界に衝撃を与えました。この時、すでに彼は行きながら伝説の存在になtっていたともいえます。

<メスナーの名言の数々>
 登山を単なるスポーツではなく、冒険でもなく、より精神的な修行の場にまで高めた彼の考え方は、その素晴らしい言葉の数々にも表れています。ここからは、そんな彼の名言を集めてみました。さすがに超一流ともなると、語る一言一言の重さが違います。


「・・・死の危険がなかったら、クライミングは、もはやクライミングではありません。山に登っているとき、私は死を求めているのではなく、それとは正反対に、なんとか生き延びようとしています。・・・・・」
 「危険なくして冒険なし」同じような言葉は、他の多くの冒険家も語っています。そして、これは同時に「危険なくして人生なし」とも言い換えられるかもしれません。

「・・・死ぬ本人にとっては、死は悲劇ではありません。本人が生きていて悲劇を味わうわけではないからです。悲劇は後に残された者だけのものです。・・・・・」
 だからこそ、残される者はつらいのですが、冒険者たちの多くはそんなこと気にしちゃいません。でなきゃ冒険なんて最初からできないのですが、・・・。

「今は、『私はボルトを使わずに登っている。これは私自身のルールだ。でも、あなたがボルトを使いたければ、どうぞ』と言っています。酸素についても同様です」
 メスナーも若い頃は、かなり過激な教条主義者だったようですが、大人になって人間的な幅も広くなったようです。

「ルールは重要ではありません。クライミングは初めから自然に従うアナーキーな生き方でした。クライマーたちは自分たちでルールを作っていました。でも、もし私たちがてんでに『そこにボルトを打てる、あそこには固定ロープを残しておける』と言っていたら、私たちの遊び場はだんだん破壊されていきます。だから一つぐらいはルールがあるべきです。・・・・・」
 大人になったとはいえ、やはり最後の一線というものはあるのです。

「私はこれまでに一本もボルトを使っていません。酸素ボンベも同様です。これはいまだに私の哲学になっています。酸素ボンベなしで登れないのなら、その山には登りません。・・・・・」
 人間としての尊厳を重視し、その能力の範囲で行なってこそ、初めて価値がある。これぞ、メスナーの真髄です。

「・・・私はクライミングを通じて瞑想のめざすところに達することができると思います。そういう意味でクライミングは私にとって祈りです。登っているときは非常に集中しているので、私は空になり、新しい体験に向かって開放されています」
 多くの達人がそうであるように、空の状態になって初めて人間はその能力を最大限に発揮できるということです。まさに「禅」の教えです。

「もしあなたに『なぜ生きているのですか』と訊ねたら、何と答えますか。私にとって山に生きることとの間に違いはありません。・・・・・」
 クライマーにとって、「登山」は「生きること」と同義。では、あなたにとって、何が「生きる」と同義ですか?

「・・・私はクライミングをスポーツという面ではなく、創造的活動という面で見ています。私のクライミングに自分の能力も恐れも表現したいのです。私のクライミングは実際に芸術活動です。ルートは残り、だれかがそこへ行って、同じ体験をすることができます。・・・・・良い岩壁の良いルートは芸術作品です。人生のようなものです。私たちは人生を送り、やがてその人生は消え失せますが、何かが残ります。残るのはルートです。・・・・・」
 登山は「禅」である。だからこそ、それは最高の芸術となりうるのです。

「クライミングの真の技術とは生き延びることだ。それが最も難しくなるのは、従来行動の限度と考えられていたところまで到達してしまい、さらにもう一歩踏み出そうとするときである。・・・・・そういった未知の領域では、感覚と経験は『踏みならされた』世界で得られるよりもはるかに強烈である」
 世界最高峰エベレストのように未知の存在に挑むときこそ、「生き延びる」ことの価値が高くなるときはありません。しかし、それは個人のレベルにおいても当てはまります。それはごく普通の山でもその人にとって未知の山ならば十分に「冒険」となりうるということです。

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