- ミシェル・ペトルチアーニ Michel Petrucciani -

<硝子の骨をもつピアニスト>
 グラス・ボーン(先天性骨形成不全症)という難病のため、身長が90cmほどしかないだけでなく、骨があまりに脆いために演奏する席までも誰かに運んでもらわなければならないという、あまりにも大きなハンデを背負いながら、フランスが生んだ史上最高のジャズ・ピアニストと言われるまでになった小さな巨人。それがミシェル・ペトルチアーニ Michel Petruccianiです。彼はフランス人として初めてジャズの名門レーベル「ブルーノート」と契約したアーティストであり、フランスにおける最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章も受章した国民的英雄でもあります。
 彼は、1962年12月28日フランスのオーランジェで音楽家一家の元に生まれました。生まれてすぐに医師から20歳まで生きられないだろうと宣告された彼は、短いであろう人生における選択肢として、小さな身体でも挑戦できる楽器ピアノ弾きとなる道を選びます。そのきっかけは、ある日テレビで見たデューク・エリントンの演奏に魅了されたことでした。そのため彼は先ずクラシック・ピアノを学び、誰よりも熱心にピアノの技術を身につける練習に励んだ後、弱冠13歳でピアニストとしてデビューしました。当初は肉体的なハンデを乗り越えたアーティストとして話題となりますが、しだいにその実力を正当に評価されるようになり、18歳の時、パリで初アルバム「フラッシュ Frash」を録音します。そして、1981年、ついに彼はジャズの聖地アメリカへと向かうことになります。

<ビル・エヴァンスを目標に>
 幸いにして、ピアノのペダルに足が届かないことは、専用の踏み台を用いることでカバーでき、手の大きさも人よりは小さかったものの指の長さと柔らかさによって十分カバーすることが可能でした。しかし、手を振り上げることもできず、手の長さも短い彼にとって、人並み以上に手を動かし、力強く鍵盤を叩くためには、練習だけではなく様々な技術的アイデアや発想の転換などの工夫もあったはずです。そのあたりは、僕には到底その苦労を推し量ることはできません。しかし、その道のプロたちには、彼の努力と才能の偉大さが理解できたのでしょう。彼の名はすぐにジャズ界でも有名になり、その知名度は多くの有名ジャズ・ミュージシャンたちとの共演を可能にしてくれました。こうして、彼は様々なアーティストたちから多くのことを学ぶことができました。
 デビュー当時、彼は同じ白人ジャズ・ピアニストとして最高峰と言われていたビル・エヴァンスを目標としていました。渡米後、先ずはテナー・サックス&フルート奏者でもあるチャールズ・ロイドの楽団と共演。翌年にかけて、アルト・サックス奏者のリー・コニッツとのヨーロッパ公演を行います。
 1985年、彼はニューヨークに住に始めると同時にフランス人として初めてジャズ・レーベルの最高峰「ブルー・ノート」と契約します。そして、同年、彼は自らが率いるトリオでの代表作となったアルバム「Pianism」を発表しました。

<新たなジャズへの挑戦>
 1980年代の後半になると、彼の音楽はよりリズムを強調したものへと変化し始めます。そんな中で生み出されたのが、後にパワー・オブ・スリーと呼ばれることになるサックスのウェイン・ショーター、ギターのジム・ホールと組んだトリオでの活動を開始。その後、彼は新たなバンドでの活動を模索。アコースティック・ベースをエレキ・ベースに変更し、さらに新たにパーカッショニストとキーボード奏者を加えることで、よりファンキーな音を出せるバンドへと変身させてゆきました。1991年発表のライブ・アルバム「ミシェル・ペトルチアーニ・ライブ」は、こうした変化の後に生まれた代表作です。
 1994年、彼は故国フランスに戻り、同年レジオン・ドヌール勲章を授与され、故郷で活動を再開。ジャズ・バイオリニストのステファン・グラッペリと共演したりしながら、さらに楽しい音楽を生み出すようになって行きました。1998年録音のライブ・アルバム「Live In Concert」では、最後に彼が到達したエンターテイメント性にあふれた音楽を聴くことができます。しかし、このアルバムを発表した翌年、1999年1月6日、彼はニューヨークで急性肺炎にかかり、この世を去ってしまいました。

<生きる喜びが生み出した音楽>
 医師に20歳まで生きられないだろうと宣告されていたことは、彼の音楽性にも影響を与えていたのでしょう。元々彼がジャズを始めたきっかけとなったのは
デューク・エリントンのビッグバンド・ジャズでしたが、彼が当初選んだスタイルはより内省的で静かなピアノ奏者ビル・エヴァンスのそれでした。しかし、20歳という区切りの年齢を無事に越えた彼は、医師にかけられた呪縛から解かれたかのように、よりファンキーでユーモアにあふれた喜びに満ちた音楽スタイルへと自らのスタイルを変えて行くことになりました。彼にとって、人生は病との闘いの日々から、人生を謳歌する日々へと変わっていったのかもしれません。36年というあまりに短い人生ではありましたが、それは充実感に満ちた幸福なものだったに違いありません。そして、そんな彼の生き様がそのまま表現されているからこそ、彼の音楽は人の心を強く打つのです。

<代表作>
「ピアニズムPianism」 1985年(ブルーノート)
 ビル・エヴァンスの影響を強く受けていた初期の集大成的アルバム。ベースはポール・ダニエルソン、ドラムスはエリオット・ジグモンドというトリオ編成での録音。

「パワー・オブ・スリー - ライブ・アット・モントルー・ジャズ・フェスティバル 1986」 1986年
 1986年7月14日モントルー・ジャズ・フェスティバルで行われたライブ映像作品。メンバーは、ペトルチアーニに加えて、ジャズ・ギターの第一人者ジム・ホール Jim Hallとサックス奏者でありウェザー・リポートの中心メンバーだったウェイン・ショーター。ライブ前半、ビル・エヴァンスとの共演でも知られるジム・ホールとの演奏はビル・エヴァンス風に聞こえます。しかし、後半フュージョン系のサックス奏者ウェイン・ショーターが登場してからは、よりポジティブでファンキーなその後の彼のスタイルを見せてくれます。

「ミシェル・ペトルチアーニ・ライブ」 1991年(ブルーノート)
 それまでのトリオ編成にキーボードのアダム・ホルツマン、パーカッションのアブドゥーウブープを加えた新たなバンド編成によるフランス録音アルバム。それまでの叙情的なスタイルからリズムを重視したファンキーなスタイルへと移行した時期の代表作。

「ソロ・ライブ SoloLive」 1997年(ブルーノート)
 バンド編成で演奏していたリズム重視のスタイルをソロ・ピアノで再現した原点に戻りながらも、新たな音楽の創造に挑んだ名作。ジャズ・ピアニストとしての到達点となった最晩年の作品。

「ライブ・イン・コンサート」(DVD) 1998年(ヴィデオ・アーツ)
 6弦ベースで有名なファンク・ベースの名手、アンソニー・ジャクソンとフュージョン、ロック界の大御所ドラマー、スティーブ・ガッドという最強のリズム・セクションとともに生み出された最晩年のファンキーで楽しいライブ映像作品。ドイツでのライブを収録しています。

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