「ミッドナイト・エクスプレス Midnight Express」

- アラン・パーカー、オリバー・ストーン -

<「映画版インチキ・ジャーナリズム」>
 この映画は、数ある脱獄映画の歴史の中でも傑作のひとつに数えられる作品であると同時に犯罪者の人権問題を取上げた政治的な作品として高い評価を受けています。しかし、そうした評価には疑問符もつけられていて、そこには大きな問題点が存在します。今さら古い映画を批判しても仕方がないかもしれませんが、政治的主張をもつ映画は、その主張に責任をもつ必要があると思います。しかし、残念ながらそうした作品がみな正しい判断基準に基づいて作られているとは限りません。確信犯的に世論を誘導するプロパガンダ映画ではなくても、視点を誤ることで世論に間違ったイメージを植えつけてしまった映画は数多く存在します。特に世界の映画に影響を与える可能性が高いハリウッド映画の場合は、その影響は大きいので責任は重大です。
 この映画は、脚色のオリバー・ストーンがアカデミー脚色賞を受賞するなどハリウッドでも高く評価され、世界的に大ヒットしています。その評価のとうり、確かに娯楽映画、サスペンス映画、脱獄映画としては傑作といえるかもしれませんし、現在でもDVDを見た若い映画ファンの多くが高い評価を与えています。なにせ、オリバー・ストーンとアラン・パーカー、それにデヴィッド・パットナムが組んだ豪華な布陣による作品なのですから。
 しかし、どんなに傑作だとしても、間違いは間違いであると、指摘しておかないといけないと思います。
 この作品の一般公開が始まる際、エンドロールには以下のような文章は加えられていました。

「この映画は1978年5月18日、カンヌ映画祭において世界中の報道関係者を前に上映された。その43日後、アメリカ合衆国とトルコは、囚人の交換を目的とする正式交渉を開始した」

 この文章の影響もあり、この映画はスリルとサスペンス満載の娯楽映画でありながら、人権を守ることの重要性を訴え政治的な役割を果たした歴史的な作品として高い評価を得ることになりました。
 しかし、それは明らかにデッチ上げでした。さもさも、この映画の公開によって、アメリカとトルコの間の交渉が始まったかのように書かれていますが、実際は何年も前からその交渉は行われていて、映画の公開はなんの影響も与えてはいなかったのです。
 もちろん、そうした事実に気づいた人も少数ながらいました。当然、この映画に対する批判も一部にはあり、中でも辛口の評論家として有名な映画評論家のポーリン・ケイルは、この映画を批判し、素晴らしいキャッチ・コピーをつけました。
「映画版インチキ・ジャーナリズム」
 では、この映画のどこがインチキなのか?先ずは、この映画の「あらすじ」から見てみましょう。

<あらすじ>
 主人公は実在の人物で原作者でもあるビル・ヘイズ。彼はトルコから麻薬を持ち出そうとしたところを警察に逮捕されます。この時、アメリカとトルコの間には犯罪者に関する引渡しの条約がなかったため、彼はトルコ国内の法律に従って裁かれることになりました。しかし、その刑はアメリカでは考えられない厳しいもので、留置所の環境も劣悪なものでした。(当初の刑期は4年)その上、彼はアメリカ人であることもあり刑務所内で虐待を受けることになり、ついには看守によって犯されてしまいます。このままでは殺されてしまう。そう考えた彼は命がけの脱獄を決行します。

 この映画の主人公ビル・ヘイズは、この映画の大ヒットで一躍英雄となりました。しかし、彼は刑務所内でいかに虐待を受けたとはいえ、間違いなく麻薬密輸犯です。もし、彼の密輸が成功していたら、どれだけの少年少女が麻薬中毒者への道を歩み出すことになっていたか。もしかすると、その麻薬が原因の犯罪事件が起きた可能性もあります。そう考えるちょっとした想像力があれば、彼のことを間違っても英雄視などできないはずです。
 この映画の根本的な間違いのひとつは、そんな犯罪者を英雄扱いしていることです。

<麻薬危機の1970年代>
 この映画が公開された1970年代は、1960年代末にアメリカの若者たちの間に広がったマリファナなどの麻薬が、より広い範囲へと広がり、より安価で効果の高いヘロインなどの麻薬が若者たちだけでなく学生や少年少女、主婦層にまで蔓延しつつありました。ある意味では、この映画はそうした麻薬の使用、密輸に対し警鐘を鳴らす作品だったのかもしれませんが、主人公が英雄扱いされてはその逆の効果になってしまいます。
 前述のポーリン・ケイルはこの映画についてこうも書いています。

「・・・原作を読んだ人なら、映画で最も煽情的な場面は、原作にはないデッチ上げだということがわかる。だがデッチ上げだとわかっても、人々が感情的に強く反応するのはまさにこうした場面なのだ。起こり得る最悪の出来事、墜ちるところまで墜ちていく感覚、それこそが彼らの求めているものなのである。麻薬持ち出しから生じる恐ろしい結果を、酔える悪夢として見ること - 学生や麻薬常用者にとってこれ以上の快感があり得ようか?要するにこの映画は、極限的かつロマンティックなスリラー映画なのだ。・・・」

 なるほど、この映画は政治的な映画として見るのではなく、異国の地を舞台にした麻薬から生まれた異常な出来事を描いた恐怖映画と考えるべきなのかもしれません。
 それはちょうど同じ頃に作られた暗く閉ざされた宇宙船を舞台とした恐怖映画「エイリアン」のイスラム・バージョンとして見るべきと言っていいかもしれません。ならば、主人公をいじめ抜く看守たち、エイリアン(外国人)の考えていることは理解不能と描かれているのは当然のことです。(偶然ですが、どちらの映画でも犠牲者として強烈な印象を残して一躍有名になったジョン・ハートは、この後「エレファントマン」で自ら究極のエイリアンともいえる「ゾウ男」を演じることになります。)

<オリバー・ストーンの罪>
 アメリカ側からの一方的な視点で描かれたこの映画の脚本を書いたのが当時まだ無名だったオリバー・ストーンだったというのも、なるほどとうなずけるところです。この映画では、トルコ人の登場人物に人格が与えられていませんが、それはこの監督の代表作、「プラトゥーン」でも同じでした。
 彼はこの作品でいきなりアカデミー脚色賞を受賞した後、自らの脚本でヴェトナム戦争ものの映画を企画します。こうして完成した映画「プラトゥーン」はアメリカ国民に絶賛され今度はアカデミー賞の作品賞など様々な賞を総なめにすることになります。しかし、その映画もまたアメリカ兵というヴェトナム人にとってはエイリアンである人々の視点だけで描かれた戦争映画でした。当然、その映画の中でも当事者であるはずのヴェトナム人には人格が与えられていません。
 そんなオリバー・ストーンという人物の考え方は、ある意味アメリカという強い国家、悩める国家を象徴するものだったといえます。その独りよがりの姿勢が、その後、多くの人々を敵にまわす原因になるのです。

<イスラム世界に対する差別意識>
  ビル・ヘイズが書いた原作に書かれていた事実とこの映画ではかなり異なる部分があり、映画が実際にあった出来事をかなり誇張して描いていることは、著者自身インタビューなどで認めており、後に彼はトルコ政府に正式に謝罪したという話もあります。
 今、改めて考えると、この映画は現在にまでつながるアメリカ社会におけるイスラム系の人々に対する差別意識を煽ることになった作品の一つだったのかもしれません。当然、この映画を見たトルコの人々やイスラム系の人々がどれだけ腹立たしい思いをしたか。残虐で異常な人格の看守と人権意識の欠如した法律しかもたない後進国として描かれたトルコの国民にとって、そうでなくてもアメリカは嫌いな国の代表でした。
 トルコという国は、日本と同じようにソ連に相対していただけに、対共産圏の防波堤として利用されてきました。トルコ国内には数多くのアメリカ軍の基地がありました。(現在では、対イスラム圏の防波堤として利用されています)ある意味、日本における沖縄のような存在といえるだけに反米感情は根強い状況が続いています。それに対して、EUへの加盟を果たすことで先進国への仲間入りをしたいという願いもあるため、アメリカとの友好関係を維持する必要があるという捩れた位置にいます。アメリカに対するトルコ国民の感情は非常に複雑なわけです。逆にいうと、アメリカに味方してくれる数少ないイスラム国家がトルコでもあるわけです。それだけに、この映画の反響によりトルコ国内における反米感情の高まりは問題となり、ビル・ヘイズが謝罪するということにもなったのでしょう。
 アメリカの自己中心主義の象徴ともいえるこの映画の成功は、アメリカ、ハリウッドの成功であると同時に、イスラム圏を敵にまわすアメリカの象徴ともなりました。
 物事を見るときには、様々な角度から見なければ真実は見えてこない。もちろん娯楽映画として見るなら、それは許される部分もあります。しかし、映画の終わりに自ら政治的主張を書き加えた瞬間から、もうその言い訳は通用しなくなるのです。
 アメリカが大量破壊兵器の存在を理由にイラクに戦争を仕掛けましたが、それは後に「大嘘」であったことがわかりました。そんな巨大な嘘ほどではないにしても、この映画の小さな嘘はそうした巨大な嘘につながる大きな危険性をはらんでいたと考えるべきなのです。
「一字が万事」とは良くいったものです。

「ミッドナイト・エクスプレス」は、「脱獄映画」としては名作です。しかし、「映画版インチキ・ジャーナリズム」の代表作であることもまた事実であることを忘れてはいけないと思います。

「ミッドナイト・エクスプレス Midnight Express」 1978年
(監)アラン・パーカー
(製)ジョン・パットナム、アラン・マーシャル
(脚)オリバー・ストーン
(原)ビル・ヘイズ、ウィリアム・ホッファー
(撮)マイケル・セレシン
(音)ジョルジオ・モロダー
(出)ブラッド・デイヴィス、アイリーン・ミラクル、ランディ・クウェイド、ジョン・ハート、ポール・スミス、ボー・ホプキンス

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