- マイティー・スパロウ Mighty Spallow -

<カリプソの島>
 カリブ海の島々は、その島をかつて支配していた国の文化によって、まったく異なる文化圏を形成しています。その中でイギリスの支配下にあったジャマイカは、スカやレゲエを生み出しましたが、同じイギリス領のトリニダード・トバゴではカリプソというまったく異なる音楽文化が育ちました。
 カリブの島々の中でも最も南米(ベネズエラ)に近いところに位置するこの国が生んだカリプソは、他のカリブの音楽とはちょっと異なる魅力をもっています。そして、そのカリプソの世界における文句なしに最大のヒーローが、マイティー・スパロウ「偉大なるスズメ」という奇妙な名前のアーティストです。考えてみると、この不思議な名前は、カリプソという音楽の不思議さを象徴しているのかもしれません。

<カリプソの歴史>
 意外なことにカリプソという音楽は、ジャズと同じぐらいの長い歴史をもっています。1910年代にはSPレコードのための録音が行われていますが、19世紀初めには奴隷たちが行っていた格闘技「カーヌブリュレ」の応援のための音楽「カリンダ」が元になったのではないかと言われています。その後、カーニヴァルのための伴奏音楽として発展し、「カイソ」という名前で呼ばれるようになって行きました。しかし、カーニヴァルの行進用音楽として生まれた音楽は、しだいにその音楽自体を楽しむエンターテイメント性をもつものへと成長し始めました。
 そして、その中でカリプソは他のカリブ音楽とは大きく異なる特徴をもつようになります。それは歌詞を重視し、そこに時事問題や自らの体験、政治への批判などを盛り込んで行く「音楽かわら版」としての発展でした。これは、もしかすると西アフリカにおける語り部的音楽師「グリオ」の流れをくんでいるのではないか、という説があります。さらにその反体制的な音楽性は、植民地として長い間搾取され続けた歴史とも無関係ではないのでしょう。

<カリプソ海外へ>
 こうして誕生したカリプソは、以外に早く海外へと広がって行きました。それは、貧しい植民地から豊かな支配国へと流れて行く移民の流れとともに始まったのです。その移民先の多くは、英語圏のアメリカ、それもニューヨークが多く、そのために1920年代から1940年代のカリプソはジャズに近い音楽を基本にしていました。(楽器の編成もほとんどジャズと同じでした)
 さらにトリニダードから数多くのミュージシャンたちが、移民たちのためのレコードを製作するためニューヨークを訪れ、カリプソを録音し始めます。
 そして、この流れは第二次世界大戦が終わるとさらに強まります。それは、トリニダードに進駐軍としてアメリカ軍がやってきたからです。いよいよトリニダードは、アメリカの文化圏になってきたのでした。

<カリプソ黄金期のヒーローたち>
 こうして迎えたカリプソ黄金期のヒーローたちの名をあげてみましょう。
 ウィルモス・フーディニ(当時のアメリカを代表する魔術師の名)、アッティラ・ザ・フン(古代フン族の王の名)、ザ・ライオン、マクベス・ザ・グレート(当然シェークスピアのマクベスでしょう)、ザ・タイガー、キング・レイディオ、ロード・インベイダー、マイティ・デストロイヤーなどなど。まるでかつてミル・マスカラスが活躍していた時期のメキシコ系プロレスラーのリング・ネームのようなB級っぽい派手な名前の大行進です。
 しかし、こんなとぼけた名前でありながら、彼らの歌はいたって真面目なものが多かったのです。イギリスによる植民地政策に対する批判や厳しすぎる労働条件の改善を求める労働争議についての歌、それにニューヨークやアメリカでの出来事を歌ったものなど、その内容は自に真剣なものだったのです。

<カリプソ世界へ>
 そんなカリプソが世界的にブレイクした時期がありました。そして、そのきっかけを作ったのは意外なことにトリニダードの人間ではなくジャマイカ系のアメリカ人でした。その人物こそ、アメリカのエンターテイメント界を代表する人物ハリー・ベラフォンテでした。彼は1957年に、かつてトリニダードのバナナ農園で歌われていたワーク・ソング「ディー・ダ・ライト」をカリプソ風にアレンジし、「デイ・オー(バナナ・ボート・ソング)」として発表、それがアメリカで大ヒットを記録したのです。彼はその勢いに乗って、カリプソ・ナンバーの「マチルダ」、「メリー・アン」などをヒットさせ、カリプソの世界的なブームを巻き起こしたのでした。

<偉大なるスズメの登場>
 そして、ちょうど同じ頃、1956年に「ジーンとダイナ」という曲でデビューし、いきなりカリプソ・キングを決めるコンテストで優勝「カリプソ・モナーク」の称号を得た天才アーティストがいました。
 それが「偉大なるスズメ Mighty Spallow」という不思議な名前のアーティストでした。(1935年生まれ)彼の本名は、スリンガー・フランシスコといい、後にアメリカ軍の侵攻により世界にその名を知られることになるグレナダ島の出身でした。(トリニダード島の近くに位置する小さな島)
 世に恐もての名前を競い合うアーティストが氾濫しているなか、あえてスズメという小さな鳥の名を用いたところに、すでに彼の非凡さが現れていたと言えそうです。

<カリプソの革新者>
 すぐに彼はカリプソ界最大の人気者となりました。しかし、彼は単なる人気アイドルではありませんでした。彼は、自らカリプソのスタイルを大きく変えた革新者であり、ソカという新しい時代のカリプソへの道を切り開いた先導者であったとも言えるでしょう。
 彼以前のカリプソは、カーニヴァルの行進の伴奏であり、新聞と並ぶ報道機関として歌詞を聴かせることに重きを置く音楽でした。したがって、他のラテン音楽に比べるとダンス的な要素は弱いものでした。そんなカリプソに、ウキウキするような元気なリズムを持ち込みダンス音楽としても他のラテン音楽に対抗できる音楽へと変身させたのです。

<時代の革者>
 彼の存在は、当時まだ植民地の地位に甘んじていたトリニダードが、長年の夢である独立を達成しようとしていた時期の高揚する国民感情の象徴としても重要な役目を果たしたようです。(1962年に独立を達成しました)だからこそ、彼の存在は他のアーティストたちとは、別格扱いとなったのです。
<カリプソ魂の継承者>
こうして、彼はカリプソ・キングとしてダントツの活躍を続け、1977年のアルバム「Boogie Beat 77」や「NYCブラック・アウト」など70年代カリプソを代表する傑作を発表し続けます。
 しかし、彼の偉大さは、こうしてカリプソをダンサブルで現代的なサウンドへと変身させただけでなく、アメリカのグレナダ侵攻に対して、しっかりと批判する曲を歌うなど、社会問題を積極的に歌詞に盛り込み、カリプソの魂である批判精神を失ってはいないからです。

<ソカの時代へ>
 その後、1980年代に彼の弟子でもあったアロー Arrowなどによって、よりダンス性を重視したカリプソ「ソカ」(ソウル・カリプソの略)が一大ブームとなりますが、そんな時代になっても彼は勢いを失わず"King of the World"(1984年)、"Doctor Bird"(1988年)などのアルバムを発表しています。元々ソカの基礎となったダンサブルなカリプソは彼が生み出したものだったのですから、それは当然のことだったのかもしれません。彼はこうして50年代から90年代までカリプソ界最大のヒーローとして活躍を続けました。

<凄く良い人だという噂です>
 彼は「カリプソ界のドン」と言われていますが、実際は大物ぶることのない素晴らしい人物だということです。やっぱりどんな社会でも本当に優れた人物は違うものなのでしょう。それに、カリプソという音楽の性質上、歌い手たちは、必然的に社会的な意識が高いのかもしれません?
 もしかすると、長い年月に渡って西欧の植民地として搾取され続けた国であることは、必然的に反体制的姿勢と皮肉を盛り込む冷静さを身につけさせたのかもしれません。

<追記>
 そうそう、ライ・クーダーがカバーした「FDR・イン・トリニダード」やヴァン・ダイク・パークスのほとんどカリプソ・アルバムとも言える「ディスカバー・アメリカ」など、ロック系アーティストによるカリプソも、一度御一聴を!

<締めのお言葉>
「知恵がとくに重要だというのは、善を実行するには現実をよく知ることが先決だということである。・・・知恵がとくに重要だということは、いわゆる「良い意図」とか「善意」では不十分だということである」

E・F・シューマッハー著「スモール・イズ・ビューティフル」より

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