昭和の音背景、冗談音楽の生みの親


- 三木鶏郎(トリロー) Torirou Miki -
<冗談音楽からCM・アニメ音楽へ>
 戦後の混沌の中、エンターテイメントが消え去った世界でいち早くラジオ娯楽番組「日曜娯楽版」を立ち上げ、国民に笑顔をもたらした三木トリローという人物をご存知ですか?
 正直、僕の世代ではもう彼の存在は忘れられていました。
 しかし、彼の様々な仕事はその後の音楽・広告・エンターテイメント業界に多大な影響を残しました。彼が生み出した「冗談音楽」はその後様々な分野に応用され、昭和の音の背景として無くてはない存在になったと言えます。ここではそんな彼の重要作品を少しだけ選び出してみました。あなたが知っている曲も絶対にあるはずです。
 彼が生み出した音楽は、良くも悪くも日本の昭和を象徴する作品として、人々の心に深く刻まれていると思います。

<日曜娯楽版>
 1947年10月5日にスタートしたNHKラジオ「日曜娯楽版」。そのヒントになったのは、進駐軍の極東放送(のちのFEN)の番組でした。
「このアメリカ的明快さとスピードは、私の幼児体験ともいうべきマック・セネットのスラップスティック喜劇にその源を発し、チャップリン、ロイド、キートンの流れを継いだマルクス兄弟のおしゃべりとスピードを、日本のラジオに持ってくることができないかと考えた」
 1950年3月「日曜娯楽版」でサザエさんのラジオ劇を放送。出演者の中にはサザエさん役として長谷川町子自身も出演!
 番組中、長谷川町子を訪ねてきた人物が「長谷川町子さんは、あなたですか?」と尋ねると・・・
 「私、サザエでございます」と答えました。
 この台詞、現在もなお使われているアニメ版の台詞の原点のようです。

<「僕は特急の機関士」>
 1950年11月、NHKラジオ「日曜娯楽版」のための曲。大ヒットして様々なバージョンができた。
 作曲・作詞は三木トリロー。歌は番組のメンバーですが、その後様々なバージョンやカバーが生まれました。
 鹿児島本線、山陰本線、東北本線、奥羽本線、信越本線、中央本線、北海道巡りなども誕生しました。トータルすると148番まである。
 オリジナルの歌は、三木トリロー、丹下キヨ子、河井坊茶、小野田勇、千葉信男、羽山和男らの出演陣。
 カバーは、榎本健一(エノケン)、青山ミチなどがあります。

「僕は特急の機関士」
 僕は特急の機関士で
 可愛い娘が駅ごとにいるけど
 三分停車では
 キスするヒマさえありません
 東京 京都 大阪 ウウウウ ポポ

<日本初のCMソング>
 1951年(昭和26年)9月1日、民放ラジオ局の第一号となった中部日本放送(CBCラジオ)が開局。その開局に合わせて制作された小西六写真工学(コニカミノルタ)のCMソングは、日本初のCMソングとなりました。

 僕はアマチュア・カメラマン
 素敵なカメラをぶら下げて
 可愛い娘を 日向に立たせ
 前から 横から 斜めから
 あっち向いて こっち向いて
 ハイ パチリは いいけれど
 写真が出来たら みんなピンボケだ
 アラ ピンボケだ オヤ ピンボケだ
 ああ、みんな ピンボケだ
(作詞・作曲)三木トリロー(歌)灰田勝彦

 9月7日にスタートした小西六提供の番組「冗談ウエスタン」(夜8時半~9時)で放送された曲。
 どれもピンボケになっては、カメラは売れないのでは?営業妨害としか思えないこの歌詞でオーケーなんて、なんて自由だったのでしょう!

<中村メイコ>
 1954年10月NHKでテレビ初の冠番組「今晩わメイコです」が放送開始。
 中村メイコは戦前から活躍していた子役出身の女優。この年、三木トリローの曲「田舎のバス」を大ヒットさせていました。
「田舎のバス」
 田舎のバスはおんぼろ車
 タイヤはつぎだらけ 窓はしまらない
 それでもお客さん ガマンをしてるよ
 それは私が美人だから
 田舎のバスはおんぼろ車
 デコボコ道をガタゴト走る

「あえて、そういう高慢な表現をしますけど、3歳からスターだったものですから、普通の男の子の友達っていなかったんですね。まわりにいるのはずっと年上のスターさんばかりでね、上原謙さんとか池部良さんとか。なににせ私のオンブ係が黒澤監督だったんですか。ファースト、黒澤明、セカンド、谷口千吉、サード、市川崑っていうくらいに東宝の撮影所には未来の名監督がいっぱいいたんですけど、なかでも黒澤さんは一番背が高かった。『黒澤のお兄ちゃまが一番景色はいいから』って、名指しで呼びつけてオンブしてもらってたのよ」

<浅沼稲次郎を説得!>
 1956年、ディズニー映画「わんわん物語」の吹き替えの声優をだれにするか?声優という職業がまだなかったこともあり、デイズニーの担当者が来日し。それぞれの声を決めることになりました。担当者はラジをつけっぱなしにして、そこから聞える声から担当者を決めたと言います。その中でブルドッグの声に選ばれたのは、なんと後の社会党書記長で右翼の青年に刺殺されることになる浅沼稲次郎でした。偶然、ラジオから聞えた国会中継を聞いた担当者がその声に惚れ込んだようです。もちろん普通ならそんな大物の議員が受けるわけはないと思いますが、三木トリローはダメもとで交渉におもむきます。スケジュールもあり、映画の吹き替えはNGとなりましたが、プロモーションも兼ねたラジオ・ドラマ版への出演は実現しました。


<仁丹の歌>
 1957年4月8日に発表された「仁丹一粒エチケット」は、今でも多くの人が忘れられない曲です。
 作曲・作詞はもちろん三木トリローで、歌はダークダックスでした。

「仁丹の歌」
 ジンジンジンタン ジンタカタッタッター
 みんなそろって ジンタンタン

<くしゃみ三回ルル三錠!>
 1957年、三共製薬の風邪薬「ルル」のCMソング。21世紀まで続く世紀の定番ソング。
 作曲・作詞は三木トリロー。歌は伴久美子(童謡歌手)。

 ルル ルル かわいいルル
 ルルとうたえば楽しいね
 寒い真冬の空だって
 ルルとひびけば楽しいね
 ハックション ハックション ハックション
 そらかぜだ クシャミ三回 ルル三錠

<モーレツ日本の象徴となったドリンクの歌>
 1962年、高度経済成長期に入った日本を象徴するようなイケイケの強壮ドリンクCMソング。
 作曲・作詞は三木トリロー、歌は弘田三枝子。

「アスパラでやりぬこう」
 チクタク、時がたってゆく
 毎年、夏がやってくる
 ひかる若葉のそのかげに
 若い体が伸びてゆく
 今日のつかれもアスパラ
 アスパラ アスパラ アスパラ
 アスパラでやるぬこう。

<巨大ロボットアニメ・ブームの先駆>
 1963年10月「鉄腕アトム」の大ヒットの中、巨大ロボットアニメの原点となった「鉄人28号」の放送開始。主題歌もまた大ヒットしました。
 作曲・作詞は三木トリローで、歌はデューク・エイセスでした。

「鉄人28号」
 ビルのまちにガオ!
 夜のハイウェイにガオ!
 ダダダダダーンとたまが来る
 バババババーンとはれつする
 ビューンと飛んでく鉄人28号
 あるときは正義の味方
 あるときは悪魔のてさき
 いいもわるいもリモコンしだい
 手をにぎれ 正義の味方
 たたきつぶせ 悪魔のてさき
 敵にわたすな 大事なリモコン

<トムとジェリー>
 1964年5月、今も再放送が行われている超ロング・ヒットアニメ「トムとジェリー」の放送開始。
 日本版のテーマ曲の作曲・作詞を作担当したのは、三木トリローでした。忘れられないこの曲です!

 トムとジェリー 仲良くケンカしな
 トム トム トム ニャーゴ
 ジェリー ジェリー ジェリー チュウ


「冗談音楽の怪人・三木鶏郎 ラジオとCMソングの戦後史」 2019年
(著)泉麻人 Izumi Asato
新潮選書

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