「ミルコのひかり ROSSO COME IL CIELO」 2005年

- クリスティアーノ・ボルトーネCristiano Bortone、ミルコ・メンカッチ Mirco Mencacci-

<音へのこだわり>
 僕は普段、映画や音楽を楽しむ時、音質や音響にはほとんど無頓着です。音楽は聴ければいいし、映画は見れればいいといった感じです。確かに良い音響設備の映画館で見ると効果音が立体的で臨場感があって驚かされることはあります。スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」では、四方から飛んでくる銃弾の音に驚かされました。とはいえ、そうした優れた音質が作品の評価を左右するほどの影響をも持ちうるとまでは思いません。しかし、この作品を見て生まれて初めて、このDVDを持って友人のU君の家に行って、もう一度彼の豪華な音響設備で見てみたい、そう思いました。
 もちろん、そう思ったのはこの映画が実際にこの作品のサウンド・デザインも担当している人物、ミコル・メンカッチの伝記映画だからです。そして、この映画の音による映像表現はこれまでの作品とは比較にならない素晴らしさなのです。ある意味この映画は、今までの映画とは異なるジャンルの作品でした。この映画は見るのではなく体験するための作品と考えるべきなのかもしれません。主人公のミルコとともに目が見えない世界を体験し、それでもなお世界は素晴らしいのだ、ということを感じられる。これこそ映画でなければできない究極のヴァーチャル体験です。そして、それだけの作品を作り上げようとする製作者の熱いこだわりがわかるだけに、観客としてもそれに応えなければならないと感じさせられる作品です。公開時に映画館で見なかったことを申し訳なく思います。(残念ながら、地元小樽の映画館ではやってくれなかったので・・・)
 ちなみに、この作品はDVD版にも製作者のこだわりが感じられます。目が不自由な方への数々の配慮が感じられます。作品には画面が見られなくてもわかるように言葉による映像の説明がついています。DVDメニューもそれぞれのバナーに音声ガイドがついているので画面を見る必要がありません。(もちろん各チャプターにも音声でタイトルがついています)そうした、こだわった作りだけでも、ちょっと感動です。

<ミルコと仲間たち>
 もし自分の目が突然見えなくなったとしたら世界はどう感じられるのだろう?そのことを限りなくリアルに感じさせてくれる映画の前半部は、ミルコが事故によって失明してしまいカトリックの厳格な全寮制盲学校に入学させられるというちょっと暗い展開から始まります。彼に手を振りながら去ってゆく両親のぼやけた映像は別れの悲しさと心細さを倍化させ、観客の目と心はともにミルコと感覚と心を共有することになります。この場面はほんとうにぐっときてしまいます。しかし、彼がテープ・レコーダーを見つけたことで、暗かった彼の生活に文字通り光がさすことになります。
 ここで登場する盲学校の生徒たちは、本当の盲目の少年(ミルコの友人のフェリーチェなど)とそうでない健常者の少年(ミルコ役のルカ・カブリオッティ)が混じっています。当然、全員が盲目の少年としての演技を要求されるため、子供たちは合宿生活をしながら盲目の子たちから歩き方や生活の仕方の細かな点を学びました。実際、誰が本当の盲人なのか、健常者の僕には区別がつきません。そこまで盲人になりきれるというのは、もしかすると子供だからこそできたことなのかもしれません。だって、今から君は盲人になりなさい、といわれて見えない振りをしながら生活するなんてことができますか?大人になればなるほど、それは困難になるはずです。子供たちならそれができるのです。

<盲学校内の対立>
 しかし、それだけ適応力、吸収力がある子供時代だからこそ、もっと自由にのびのびと生きさせてやらなければならない。そう考える盲学校のジュリオ神父(健常者)とそれを認めようとしない異常なまでに厳格な盲目の校長。この対立についてもまた、非常にリアリティーがあります。まじめで厳格な上師ほど、職場でパワーハラスメントに走りやすいといわれますが、この学校の校長はまさにそんなタイプです。自分の盲目であるがゆえに数多くの苦い経験を積んできた彼は、子供たちにはそんな体験をさせたくない。そのためには、彼らが決められたレールの上だけを歩むことで、外の世界から受ける心の傷を最小限に収めなければならない。そうした彼の考えは、間違いではなかったのかもしれません。しかし、それは彼が生きてきた人生における体験であり、彼が盲学校に閉じこもって以降、社会は着実に変わっていました。そのことを知らない彼の考えを変えることはもう無理だったのかもしれません。映画の中でも、校長が子供たちの劇を聞いて感動のあまり考えを改める、という場面はありません。それでよかったと思います。
 この作品は史実に元づいているだけに、こうした現実を甘く見ない描き方は好感がもてます。実際には校長は悪人ではなく同情に値する人物なのだと思いますが、彼にはもう社会の変化に適応する能力は残されていなかったのかもしれません。ただ彼は消え去るしかなかったのでしょう。しかし、僕としてはそんな校長のその後がやけに気になりました。それは僕が年をとってきたせいなのかもしれません。

<クリスティアーノ・ボルトーネ>
 この映画の監督クリスティアーノ・ボルトーネ Cristiano Bortoneは、1968年イタリアのローマに生まれています。青春時代アメリカに留学し、ロスの南カリフォルニア大学に入学後、ニューヨーク大学を1991年に卒業。翌年には、自らの制作会社オリサ・プロダクションを立ち上げ自ら作品を撮り始めます。
 1994年「Oasis」、2000年「Sono Postivo」(HIV患者を抱える家族を描いたコメディー映画)、2002年「禁じられた草 L'erba Proibita」(マリファナの治療薬としての使用や合法化運動を描いたドキュメンタリー映画)を発表。この作品は4作目にあたります。ただし、この映画の撮影中に、出演している子供たちの一年間を追ったドキュメンタリー映画「もうひとつの眼 Altri Occhi」を製作しています。(監督は彼ではなくグイド・ヴォター、きっとこの映画も感動ものでしょう!)
 マリファナを題材としたり、この作品のデモのシーンなどからも、彼が反体制色の強い監督だということがわかりますが、この映画においては1970年代初めという左翼的な時代が背景だったのですから、それほど不自然さは感じられませんでした。いきなりデモ隊が盲学校に押し寄せるという設定は、無理があるようにも思えますが、この時代なら違和感はないかもしれません。(どちらにしても、イタリアでは共産党の力は未だにけっこう強いのですが)

<俳優たち>
 オーディションで選ばれた主役のミルコを演じたルカ・カブリオッティLuca Capriotti は映画初出演とは思えない名演技です。なにせ彼はミルコを演じる以前に盲人を演じてもいるのですから。小さいけれど負けん気が強そうな性格が顔によく出ていてぴったりでした。でも彼の将来の目標はセリエAの選手だということです。
 それともう一人注目はこの作品に共同脚本でも参加しているジュリオ神父役の俳優パオロ・サッサネッリPaolo Sassanelli でしょう。すでに舞台では20年のキャリアがあるという彼は、映画界ではインデペンデント系の出演作が多く、これまであまり日本では知られていませんでした。1998年にはボルトーネ監督のコメディ作品「Sono Postivo」にも出演していて、その後、監督との交流が続いてこの映画での出演、共同脚本につながったようです。ウィリアム・ハートのような雰囲気の大人の俳優として今後活躍するかもしれません。

<この映画の見方>
 この作品はできれば音響の良い環境で見ることをお奨めします。それと2回もしくは3回見てはどうでしょう?
 1度目は普通に吹き替え版もしくは字幕版で見てください。(この作品の場合は字幕版よりも吹き替え版の方が基本のような気がします)
 2度目は音声ガイド付きで見てください。
 どうやって目が不自由な人への解説が行われているのかということがわかります。画面の動きに合わせるため時間が短いせいか、実に簡潔な説明なので頭の中で想像力を働かせないと映像は見えてこないことに気づかされます。目が見えないということは、必然的に想像力を発達させることにつながるのです。そうでなくても、テレビや携帯電話、インターネットなどによって嫌と言うほど映像情報を詰め込まれてしまい想像力を必要となりつつある現代人との違いは明白です。「想像力」という点においては、目が見えないということは、けっして不利ではないのです。(もちろん、生まれつき目が見えない人と途中から見えなくなった人ではまた大きく違うと思いますが・・・・・)
 3度目は音声ガイド付きで目隠しをして鑑賞してはどうでしょう。全部は無理でも最後の学芸会のシーンだけでも、是非映画の中の観客たちと同じように目隠しをして聞いてみてください。よく考えてみると、このシーンは映像がなくてもよかったのかもしれません。画面は真っ暗でもよかたのかも?もしかすると、どこか粋な映画館ではこのシーンのために観客に目隠しを配ったのではないか?そんなことも思いました。
 映画を見るという「体験」を、こんなにも考えさせてくれた作品は、今までなかったかもしれません。ただし、映画を「体験」するよりも、人生を「体験」する方がさらに奥が深く五感すべてを使った感動を得られるのも確かです。優れた作品は、そこまで感じさせてくれるものです。
 映画とは見るものではなく「体験」するものなのだということを改めて教えてくれたミルコに感謝です!

「ミルコのひかり ROSSO COME IL CIELO」 2005年公開
(監)(製)(脚)クリスティアーノ・ボルトーネ
(製)ダニエレ・マッツォッカ
(脚)パオロ・サッサネッリ、モニカ・ザペッリ
(撮)ブラダン・ラドヴィッチ
(美)ダビデ・ヴァッサン
(音)エツィオ・ボッソ
(編)カルラ・シモンチェリ
(音響)ミルコ・メンカッチ
(出)ルカ・カブリオッティ、パオロ・サッサネッリ、フランチェスカ・マトゥランツァ、シモーネ・グッリー

<あらすじ>
 両親に愛されイタリアのトスカーナ地方で育った男の子ミルコ・メンカッチ(ルカ・カブリオッティ)は、ある日家にあった猟銃をいじっていて暴発させてしまいます。幸い命は助かったものの彼は両目の視力を失ってしまいました。1971年当時、盲目の子供は一般の子供と一緒に学校に通うことは許されてはいませんでした。そのため、ミルコは故郷を離れ全寮制の盲学校に入学することになります。カトリック系のその盲学校は盲人の校長が昔ながらの厳しい躾けを行っていて、子供たちは将来の道筋まで定められていました。そんな息苦しい環境に馴染めないでいたミルコは、ある日古いテープ・レコーダーを見つけます。それを使って、いろいろな音を録音し始めた彼は、寮の管理人の娘フランチェスカ(フランチェスカ・マトゥランツァ)と仲良くなり、彼女の話すおとぎ話を音によって劇にすることを思いつきます。さっそく彼は仲良しフェリーチェ(シモーネ・グッリー)を誘い、劇に使うためのいろいろな音を集め始めます。そのうちにクラスメートの中から他にも協力者が現れ、みんなで寮を抜け出して映画館にも行くようになります。しかし、ある日彼らは校舎を抜け出して録音を行っているところを校長に見つかってしまいます。校長に目をつけられていたミルコはついに首謀者と退学処分を言い渡されます。ところが、フランチェスカが助けを求めたことから、彼の退学に反対する学外の友人たちが学校へデモ行進を開始し、それが大きな話題となり、校長が市民から強い批判を浴びることになりました。
 ミルコの才能を信じ彼にテープ・レコーダーを与えたジュリオ神父は急遽学芸会の出し物を変更し、ミルコが製作した「音の劇」を上演することにします。

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