人と会い、歴史を知る長く果てしない旅の記録

- 小野和子 Kazuko Ono -

「あいたくて ききたくて 旅にでる」
<古きを知って新しきを知る>
 実は、この本を読んだのは、表紙のシンプルなデザインにひかれたからでした。
 そもそもこの本は、日本各地に伝わる民話を自ら出かけて行って、家にあがり込んで聞かせてもらう民話収集家の記録という地味な本です。
 現代史とそれに関わるサブカルチャーの歴史を記録する「ポップの世紀」とは、ある意味対極に位置するかもしれません。
 ところが、読み出してみてビックリ。
 興味津々で民話を聞き出す著者の好奇心。聴き取った民話と歴史的事実との関り。民話に秘められた歴史的な事実の数々。
 まるで歴史を掘り起こすように民話からは過去の日本人の姿が見えてきます。
 目から鱗の落ちる本でした。正直、ここまで心を打たれるとは思いませんでした。
 「あいたくて ききたくて 旅にでる」という小野さんの本のタイトルに込められた意味がわかりました。
 1960年代から2022年まで、日本各地(東北中心)を巡って民話を聴き取り、記録してきた小野和子さん。彼女の体験を振り返り、そこから日本における民話の意味やそこにこめられた歴史をも覗き見ようとした奥の深いエッセイ集です。
 彼女のような民話の採集をする人々の団体「日本民話の会」では以下のような思いで民話の聴き取りを行っています。

・・・わたしたちは、語り継ぎの場を手離してはならない。現代の喧噪の中で、わたしたちは聴く耳を失い、語る力を失ってはいないか。山を越えて語り手をたずね、村の語りを聴こう。街へ出て、街の語り手とも膝をまじえよう。その中でわたしたちはまず、聴く耳と、語る力を取り戻そうではないか。
「明日の民話のために」より

 そうした民話の聴き取り調査が全国規模で行われるようになる前から小野さんは、たった一人自己流で東北の村々を巡っていました。そして、それらしい家を見つけては飛び込みで訪問し「何か民話を聴かせてもらえませんか?」と話しかけていたのです。
 その後、彼女の作業は単なる民話の記録作業だけではなくなって行きます。そのことについては、映画「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督が語っています。彼は以前、ドキュメンタリー映画「うたうひと」で小野さんの作業を記録し、その素晴らしさを実感し理解しているのです。

 いくら強調しても足らないのは、とても単純な事実です。語り手たちは、聞き手がなければ、そもそも民話を語り出すことができない。語り手の方たちはほとんどすべて、幼少期に両親や祖父母、もしくは他の大人から、何度も繰り返し、繰り返し、夢中になって民話を聞いた記憶を持っています。そうして語り手のからだに堆積した何十何百という民話たちは、語り手たちにとってただの「お話」ではありません。多くの語り手にとって民話は、厳しい暮らしの中で、肉親にからだごと耳を寄せて聞いた記憶そのものであり、自身の存在の基底を成すものです。
 しかし、今や彼らの孫たちは彼らの話をききたがりません。だからこそ小野さんの存在意義は大きかった。”ask”も”visit”も日本語ではともに「たずねる」ですが、小野さんはずっと自らの足で語り手のところにからだを運び、全身でたずねていたのではないか、小野さんが自分自身を相手に捧げるように「聞く」ことによって、語り手の底に眠っていた民話はあんなにも生命力を持って語り-聞きの場にあらわれたのではないか、と想像します。

濱口竜介

<民話を聴き取る>
 当初、小野さんは村を巡りながら、老人たちから民話を記録・保存できればそれで良いと考えていましたが、作業を長年続けて行くうちに、自分自身も成長し変化していることに気づいたようです。彼女は「聴き取る」という行為に、より深い意味を見出すようになりました。

 小野さんに「聞く」とはなにか、と漠然と問いを投げかけたことがあります。小野さんは、田中正造の言葉を引かれました。田中は「学ぶ」ことを指して「自己を新たにすること、すなわち旧情旧我を誠実に自己の内に滅ぼし尽くす事業」と言ったのだと。・・・
「いまの自分のままじゃ聞けないんですよ。語り手に見合う自分を作り出さなくちゃいけない」と小野さんは言われました。

濱口竜介

 だからこそ、彼女は聞く側の覚悟の重要性を求めて同じ作業をする人々の教師のような存在にもなりました。
 「戦争体験」についての聴き取りを始める前に彼女はこう語っているそうです。

「戦争のことは、何十年経っても簡単に思い出したり、語ったりできないのです。だから、話を聞くあなたたちの心のうちの覚悟を聞かせてほしい。知っている者が、知らない者にその経験を語って当然という暗黙の了解だけでは語れません。その互いの覚悟が通じ合わなければ、つらすぎるのです」
小野和子

<民話に隠された真実>
 民話にはエンターテイメントとしての物語の中に歴史的な事実が隠されていると言われます。ただし、そうした歴史の多くは権力側の都合によって変えられたと思われるものも多いようです。例えば、東北地方におけるアイヌ民族排除のための和人による侵略戦争の歴史。
 日本人の多くは坂上田村麻呂に対して、東北地方をひとつにまとめた英雄というイメージを持っています。しかし、実際に彼が行ったことは、東北地方の先住民であるアイヌ民族を武力によって滅ぼすホロコーストだったと言えます。
 こうした蝦夷征伐についても、民話の中には征服者の側に立たない民話も存在しています。

 祖父から聞いた話だと言って、父が語ってくれた話によりますと、むかし、坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の名の下に土地の城主を攻めにきたとき、数限りない沢山の鳥が空を舞い、太陽の光を遮ったため、空は暗くなり、鳥は高く低く飛び回りながら、その暗闇の中で田村麻呂の軍勢の頭を蹴飛ばし、糞をまき散らして軍勢を悩ましたといいます。そこを「鳥崎」と呼びます。また、城主に味方した狐たちが、田村麻呂の軍勢をたぶらかして散々苦しめたところを「狐崎」、弓矢の藁人形を立たせておいたところを「的場」、盾を立てて防いだところを「盾の崎」と言ったとのことです。・・・
 かつて、わたしが聞いた話では、カラスも狐も田村麻呂を助けた側のものとして語られていたのに、この手紙ではそれがまったくの逆であった。


 たぶんこの話が真実に近く、それが時代と共に田村麻呂を英雄とする物語へと改変されていった。もしくは時代の変化、権力者の変化が自ずと民話の主人公を変えていったというべきでしょう。

<なぜおじんさんとおばあさん?>
 この本を読んで、今更ながら気づかされたのが、「昔、昔、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」と始まる昔話がなぜ「昔、昔、あるところにおとうさんとおかあさんがいました」ではないのか?ということ。 それにはどうやら理由があるようです。
 民話の主人公はなぜ「おじいさんとおばあさん」そして「子供」なのか?
 民話の主人公は、普通のおとうさんでもおかあさんでまりません。主人公は普通とは逆の境界線上の人なのです。
 人生の境界を越えつつある人々。(高齢者のおじいさん、おばあさん)
 社会の境界を越えた所に住む人々。(アイヌ民族、平家の落ち武者のような人々、姥捨て山に住むおじいさん、おばあさん)
 職種の境界を越えた仕事をする人々。(山の民として生きる人々、狩猟民族など。農作業ができないおじいさんとおばあさん)
 家族の境界を越えた人々。(嫁として家族の一員となったおばあさん)
 普通の家族として生きられず、そこからこぼれ落ちそうなギリギリの人生を歩む人々こそが民話の主人公なのです。
 「口減らし」としての「神隠し」や「姥捨て」はその象徴的な例。
 「桃太郎」「カチカチ山」「一寸法師」「花咲か爺さん」「舌切り雀」「こぶとり爺さん」「笠地蔵」「力太郎」・・・
 これらはどれも子供のいない老夫婦から始まる物語なのは偶然ではないのです。

 共同体という縛りの中で、良きにつけ悪しきにつけ、そこで生き抜くことが唯一の方法であった時代において、そこからはみ出すことは、それ自体大きな破綻であったろう。それは跡継ぎの子を持つとか持たないとかいうことではなくて、人が生きる姿として、その悲しみと弱い立場は、人々によって共有される感情であったに違いない。だから、老夫婦の悲しみを自身の悲しみとして、また老夫婦の喜びとして、繰り返し語り続けてきたのではなかろうかと思う。

 子を持たないまま老いて山へ山へと向かっていく - この姿に象徴されるのは、現実に子を持つか持たないかということを超えて、人間の存在としての終焉と、そしてその命の再生を「山で暮らす」という姿の中に象徴的に表現してるのではないかと思う。「生」と「死」の境目に立つことを発端として、わたしたちの祖先は「物語」を始めているのではないかと思う。
 そして、老夫婦にもたらされる至上の祝福は、慈悲とも言うべきメッセージを含んで、生きてこの世にあるすべての者への大きな救いともなっていたのではないだろうか。・・・


 「神隠し」という世界をつくり上げることによって、生き抜いていた先祖たちの数は決して少なくないのではなかろうかと思う。そして、その底深くには必ず現実の「根」があったのではなかろうかと思う。
 語り継がれる民話に満ちている「ふしぎ」は、いまを生きるわたしたちに対して、「ふしぎの根を探せ」と問いかける先祖からのメッセージなのかもしれない。

<民話と語りとは?>
 語りとは個人ではなく、背後に一種共同体のような、いや、人と人が集まった複声のようなものが、語る<私>を差し出しているのである。語りとは単声ではない。
中上健次

 ここで注意しておきたいのは、民話の題材となる境界に生きる人々は、その地域を統治する権力者にとっては、あやふやな存在であると同時に、危険な存在とも見なされていたということで、迫害の対象にもなっていたということです。
 そのことは、日本における異民族とも言える山の民の歴史にも明らかです。
<山の民>
 わたしたちの歴史は、山地を中心に放浪する狩猟時代に始まって、平地に定住する稲作時代へと推移した。ただ、稲作中心の定住文化が発展する中で、なおも山に居を置き続けた人たちがいたことを忘れてはならないだろう。
 山中の木を倒して、ろくろをまわして椀や盆などをつくることを生業とした木地師の集団、製鉄に必要な燃料として材木を得るために、山から山へとわたり歩いてふいごを踏んだタタラと呼ばれた人々。そして、鉄砲によって獲物を得て生計を立てた猟師など、一群の「山人」たちの暮らしは、かつての狩猟時代の名残りをとどめつつ独自に営まれてきた。
 ただ、木地師とタタラは集団を組んで、山から山へと移動して定住の地を持たなかったが、猟師だけは熊狩りなどの共同作業による猟を除いては、日常的には単独行動で、里近くに定住し、村人との交流もあった。

 先祖からわたしたちが受け継いでいる民話の一つだって、もしかしたら、のっぴきならない現実に追い込まれたときに、そこを切り抜けていくために生み出された「あり得ない」物語の群れなのではないかと、わたしは考えてきた。夢でおばんつぁんに一週間も大福餅を食べさせてもらったという出来事は、戦友同士が殺し合うむごい地獄を見た人だけの「もうひとつの世界」なのではないか。
 そこから生き延びて帰還した人が、くぐってきた地獄から抜け出すための、さらにこれからこの浜で生きるための、描かずにはいられなかった「もうひとつの世界」の真実なのかもしれない。自分たちが生きるために必要であった物語の構築が、そこにこそあるのだと言ってよいのかもしれない。
 老漁師さんが語るその姿に、わたしは民話というものが生まれた瞬間に立ち会っているのではないかという気持ちになった。
(漁師が戦時中、兵隊としてガダルカナル島で飢餓で死のそうになった時、夢の中でばあちゃんが登場し大福餅を喰わしてくれ、目覚めたら腹いっぱいになっていたという逸話から)

 小野さんは、歌をうたって聴かせて、と何度もせがむ子のようなのだ。失ったからだの一部を探し続ける亡霊のようなのだ。民話を求め歩く道すがら、山道でたった一人、ここで消えてもいいとすら思う小野さんにとっては、その山奥にある闇はただの闇ではなく、言葉以前の静けさに満ちた、もしかすると自由とも言い換えられるような場所なのかもしれない。
志賀理江子

 この本に綴られた小野さんの言葉には、もうこの世にはいない者の声が無数に重なっている。「死者の思いがあるから、言葉は命を持つ」という実感が、こんなにも現実味を帯びてわたしの手元に届けられたことが、あまりにも尊い。
志賀理江子

「あいたくて ききたくて 旅にでる」 2019年
(著)小野和子
(編)清水チナツ
PUMPQUAKES

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