- 宮沢和史 Kazuhumi Miyazawa -

<世界のポップスが混じり合うJ−ポップ>
 60年代から70年代にかけて、日本の若者が憧れる洋楽といえば、フォークかロックかソウルに、ほとんど限られていました。しかし、バブルの時代を経た20世紀末の日本では、状況は大きく変わっています。今やJ−ポップというジャンルほど、世界のあらゆるサウンドが入り乱れている存在は世界中探してもないでしょう。(しいて言うなら、ブラジルのMPBがそれに近い状況でしょうか?)ロックやR&Bは、今やJ−ポップの主流になっていますが、それ以外にも数多くのジャンルがJ−ポップの枠の中に存在しています。

<例えば>
 レゲエやスカなら、スカパラダイス・オーケストラを筆頭に数多くのバンドが活躍しています。サルサだって、オルケスタ・デラ・ルスチカ・ブーンの活躍でしっかりとその地位を築きました。琉球サウンドにいたっては、喜納昌吉知名定男りんけんバンドネーネーズらの活躍で今や日本を代表するサウンドになってしまいました。あの小さな島のハワイアンも、山内雄喜高木ブーのおかげで、夏だけの音楽のイメージを脱却しています。タンゴにおける小松亮太、ボサ・ノヴァの小野リサ、ニューオーリンズ・サウンドの今はなきボ・ガンボス、MG’sをバックにR&Bの故郷メンフィスでライブまで行ったRCサクセション、スライ系ファンクが大好きなスガ・シカオやブルース系の山崎まさよし、テクノ系もオーディオ・アクティブ電気グルーブなど世界でも指折りのアーテイストたちがそろっています。そして、今やそれらを総合したコーネリアス小沢健一中村一義のようなハイブッリッドなサウンドも生まれており、それらは世界をリードするほどのレベルに達していると言えるでしょう。

<豊かな国、日本>
 少なくとも音楽に関しては、日本は実に豊かな国になったと言えるでしょう。巨大外資系CDショップの出現、海外旅行ブーム、海外アーティストの来日ラッシュ、インターネットの発達など、その情報量は、かつての何倍にもなっているのですから、それも当然のことなのかもしれません。バブルがはじけたとは言え、こと音楽に限っては、日本ほど豊かな状況はないはずです。
<異国の歌に憧れて>
 しかし、さきほどあげた日本のアーティストたちは、ちまたに溢れる豊かな情報のおかげで、一流のアーティストに成長したわけではないのです。みんなそれぞれがこだわりを持ちながら、異国の地に出向いたり、武者修行ツアーを行ったりしながら、本場の音楽を体得しており、単なるものマネではない自分たち独自のサウンドを生み出すことに成功しているのです。今や異国の音楽に憧れ、その地に住み着くことは、それほど大切なことではなくなったようです。そして、そんな異国のサウンドに憧れ旅を続ける日本人の代表格が、ザ・ブームのヴォーカリスト、宮沢和史なのです。

<ザ・ブームの活躍から、ソロへ>
 彼がヴォーカルをつとめるザ・ブームは、もともとホコ天(歩行者天国でのライブ)出身のバンドで、レゲエ系のビートバンド、スティング率いるポリスに近いスタイルが売りでした。しかし、レゲエを演奏することで、すでに現れていた彼らの南方指向は、彼らを沖縄へと向かわせ、あの大ヒット曲「島唄」を生み出します。そして、その勢いに乗って彼らは、さらに沖縄の南へと向かい、アルバム「極東サンバ」ではインドネシアなど南アジアへ、そして遠くブラジルへと向かって行きました。そんなアグレッシブな動きの中、ヴォーカルの宮沢和史は、ソロ活動を開始、より自由に世界中を駆け回り始めます。そしてそのひとつの到達点となったのが、ブラジルで録音を行ったアルバム「アフロシック」でした。(このタイトルは、日本語でいうと「アフリカ系音楽マニア」とでもなるのでしょうか)

<ブラジルでブラジルの音楽をブラジル式に>
 ついに、彼は憧れの異国の地でアルバムを制作します。それもブラジルを飛び越えて今や世界で注目を集めるMPBのニュー・ヒーローたちとの共同制作でした。パンデイロというタンバリンの一種で魔法のようなリズムを叩き出すマルコス・スザーノ、サンプリングなど最新の手法を用いて未来型MPBサウンドを生み出すレニーニ、パーカッション集団チンバラーダを率いるパーカッションの呪術師カルリーニョス・ブラウン、ブラジルならではの複雑なリズムで新しいストリート・サウンドを創造するペドロ・ルイス、この豪華なメンバーの協力を得て、彼は日本語だけでなく、なんとブラジル発売向けの全曲ポルトガル語のヴァージョンまで作り上げました。
 なんという幸福な男でしょう!

<宮沢和史とライ・クーダー>
 彼は、時代の先を行くように世界各地の音楽とのコラボレーションを行っています。それは一歩間違うと自分のスタイルを持たない日和見主義的なイージリスニング・サウンドになりかねないのですが、彼の場合はけっしてそうはなっていません。それは、同じように世界を股に掛けて活躍するライ・クーダーと相通ずる点があるかもしれません。
 ギターという世界共通の言語を用いることにより、世界中のアーティストたちと見事なコラボレーション作品を作り続けてきたライ・クーダー。それに対して、宮沢はギターではなく、彼の見事なヴォーカルをその共通の言語として用いながら、コラボレーションを行っているのです。その上、彼は「島唄」では、あえてウチナーグチ・ヴァージョンを制作し、「アフロシック」では、ポルトガル語ヴァージョンを制作するなど、言葉の扱い方についても、他の追随を許さないこだわりをみせています。そのこだわりがあるからこそ、彼の歌う姿は見る人、聞く人を魅了してやまないのでしょう。今や彼の歌う姿からは、オーラすら漂って見えます。彼の次なる目標は、いったい何だろうか?

<締めのお言葉>
「むこうみずな喜びは、常に翼を持つ」 ミルトン

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