「白鯨 Moby-Dick 」

- ハーマン・メルヴィル Herman Melville -

<読まれざる大作小説>
 「白鯨」のストーリー自体を知る人は多いはずで、その「あらすじ」を用いた小説や映画も数多く存在します。しかし、そのわりにオリジナルの小説を読んだことのある人は意外に少ないのではないでしょうか。文庫版で上下2冊1000ページ近い厚さ。翻訳も古く読みづらく聖書(旧約のヨナ書)などさらに古い書物からの引用も多くて、日本人にはとっつきにくいかもしれません。なにより物語の進みが遅く、主役の「モビー・ディック」が実際に登場するのは、残り100ページを切ってからのことなのです。この小説を読み始めたものの「白鯨」が登場する前にギブアップしてしまった人も多いはずです。
 では、「白鯨」が登場するまでの900ページには何が書かれているのでしょう?実は、この小説が時代を越えた傑作として語り継がれることになったのは、クライマックスの100ページの面白さによるものではなく、その前に広がる大海原のような900ページのおかげなのように思います。
 となれば、「白鯨」の物語は知っていても、それだけでは文学作品としての「白鯨」を知ったことにはならないわけです。そこで、ここではその900ページについて先ずはその構成から調べてみ対と思います。
 それともうひとつ、なぜ1851年に書かれた小説をこのサイト(このサイトは20世紀以降の作品を取り上げています)で取り上げたのか?ですが、それはこの小説が書かれた当時、ほとんど評価されることなく忘れられてしまい、初めて世界的な評価を受けることになったのは、書かれて70年後の20世紀に入ってからのことだったからです。そのことについても、後で書きたいと思いますが、先ずはこの作品を構成している135章とエピローグを内容別に分類するところから始めたいと思います。
(1)「白鯨とエイハブ船長の戦いの物語」
 この作品の本筋ともいえる部分。語り手のイシュメールがピーコッド号に乗るところから、モビーディック(白鯨)によってその船が沈没させられるまで。多くの人が知っているのは、この部分で、それが370ページほど、全体の43%にあたります。
(2)「ピーコッド号乗組員と彼らの仕事の紹介」
 個性的な乗組員たちの紹介やそれぞれの担当する仕事内容の解説。船内設備や鯨の油をとるための作業工程、台風との闘いなど。本筋とは関係のない部分ですが、これが「捕鯨」というこの小説の中心を描いているともいえます。この部分が275ページほどあり、全体の31%に及びます。
(3)「番外編ともいえる別の船(タンホウ号の物語」
 これはまったくおまけともいえる番外編で、これが32ページで4%。
(4)「鯨と海に関するウンチク」
 鯨の生態学、解剖学。鯨の料理。捕鯨の歴史。鯨の絵、彫刻。サメや巨大イカなど海の生命について・・・これが195ページほどあり、なんと22%にあたります。

 ということで、この作品は本筋から離れた部分だけで57%もある不思議な本なのです。そのせいでしょうか。「白鯨」の著者のハーマン・メルヴィルは1891年に亡くなりましたが、この本は19世紀中ほとんど評価されることがありませんでした。彼がこの世を去った後、1921年にレイモンド・ウィーバーが「ハーマン・メルヴィル - 航海者・神秘家」という伝記を発表。それがきっかけとなり、やっと彼の作品は理解されるようになりました。

「・・・何よりもその語彙の豊かさ、大海のうねりのような文体において傑出していなかったら、『モービィ・ディック』は長い忘却の海底から拾い上げられなかったであろう。だが同時にリアリズムの勃興以後、小説は現実世界の忠実な写生の上に成り立つという俗説が生じ、少なくとも現実に『ありそうな』ことでなければならぬと考えられるようになった。本書やエミリ・ブロンテの『嵐が丘』はこうした常識からはずれている点で十九世紀の一般読者にはとりつきにくいものであったことは否めない。・・・」
訳者による「あとがき」より

 19世紀に書かれた作品でありながら、この本が実際に読まれるようになったのは1920年代。ということは、実質的にこの作品は20世紀の作品と言ってもいいわけなのです。海洋冒険小説でありながら、ピカレスク・ロマンであり、海を舞台にした放浪物語であり、鯨に関する博物学、解剖学の書でもある、19世紀文学の枠を超えた新たな文学は発表から70年の時を経てやった文学史の中にその位置を得ることになったのです。たぶんこの本が書かれた当時、この本はSFもしくはファンタジー文学としか考えられなかったのだと思います。それほど「海」は一般の読者にとっては未知の領域だったということです。
 でもなぜ、それほど時代の先を行く作品が生まれ得たのでしょうか?その謎を解く鍵はやはり著者であるハーマン・メルヴィルにあるようです。

<ハーマン・メルヴィル>
 著者ハーマン・メルヴィル Herman Melville は、1819年8月1日ニューヨークに生まれています。メルヴィル家は、スコットランド、アイルランド系で海洋民族として有名なケルトの血を受け継いでいます。一族は彼の曽祖父の代にアメリカに渡り、ボストンで商売を始めました。彼の祖父トマスは、1773年あの有名なボストン茶会事件に参加し、メルヴィル少佐としてその名を知られる存在になりました。その後、彼の父親アランは、ニューヨークに出て貿易商として成功。オランダの名門ガンスヴォート家の娘マライアと結婚。ハーマン・メルヴィルはこうして、その家の次男としてこの世に生を受けることになりました。
 ところが、その父親はフランスからの輸入品販売業に失敗。祖父からの遺産も使い果たした後、1832年にこの世を去ってしまいます。その後、かろうじて兄が父の店を継ぐものの、1837年に起きた全米規模の経済恐慌でその店も倒産してしまいます。しかたなく、ハーマンは学校を退学して働き出し、18歳の時に小学校の教員資格を取得すると教師として働き始めますが長くは続きませんでした。彼には冒険への憧れがあり、その思いを忘れることができなかったのです。そこで彼が選んだのは、貿易船の乗組員となってイギリスへの旅に出発することでした。

「・・・天下第一のうっかり者が、深い深い夢想に落込んだと仮定し、その男を二本の脚で立たせ、両足を前のほうへ進ませたとしたまえ、否応なしに、もしその土地に水があるなら、その男は諸君を水のほとりにつれて行くだろう。・・・まったく、瞑想と水とは、いつの世になっても付き物だということは、誰でも知っているとおりだ。」
イシュメール記

 イギリスからの帰国後、彼は再び教師として働き始めますが、やはり陸での生活になじめず、1841年今度は捕鯨船アクーシュネット号の乗組員となって太平洋への長旅へと出発します。1842年、彼は南太平洋のマルケサス諸島(タヒチ島の北東)で船を降りると、タヒヴァ島に上陸します。しかし、そこで彼は人食い人種として恐れられていたタイピー族に捕らえられ、4週間彼らとともに生活することになります。幸い彼はオーストラリアの捕鯨船によって助けられ、その後、旅を再開するとタヒチからハワイそして南米へと放浪した後、最後にアメリカの軍艦ユナイテッド・ステイツ号に拾ろわれて、1844年無事にボストンに帰りつくことができました。
 ここまでの彼の半生からは、「白鯨」の語り手イシュメールがピーコッド号に乗るまでの人生が見えてきます。そうした彼の放浪癖からは、この小説が評価された1920年代にアメリカ全土を旅し続けていた「ホーボー」たちの生き方も見えてきます。そしてその生き方は、その後のビートニク(1950年代)やヒッピーたちそしてあの「イージーライダー」(1960年代)にも受け継がれることになり、ある意味アメリカの伝統ともいえる「放浪の文化」を生み出すことになります。

<作家生活の始まり>
 1846年、彼は処女作となる小説「タイピー Typee」を発表。タイピー族の人々と暮らした4週間を描いたこの作品は、原始の生活を楽しく描き高い評価を受けることになり、その続編「オムー Omoo」もヒットしたことで、彼は専業作家として暮らせるようになりました。
 3作目の「マーディ Mardi」は空想の島々が点在する海域を舞台にした哲学的な小説で、それまでの冒険ドキュメンタリーとは異なる内容でした。残念ながら一般受けすることがなく不評に終わりました。このままでは生活が危ないと考えた彼は、再び船員時代の経験を生かした海洋小説を書き始めると、「レッドバーン Redburn」(1849年)、「ホワイト・ジャケット White Jacket」(1850年)の2編を発表。どちらも高評価を得た彼はいよいよ万を辞して、自らが体験した捕鯨船での体験をもとに「白鯨」の執筆を開始します。もしかすると、「白鯨」は不評に終わった「マーディ」と海洋ドキュメント作品の融合だったのかもしれません。

「かの海の野獣レヴィアタン、神の創造りたまひし
 最も魁偉なるもの、大海の潮に遊ぶ」

ジョン・ミルトン「失楽園」より

<「白鯨」のオリジナル>
 「白鯨」には、そのもとになった事件があります。1819年(彼が生まれた年)にナンタケット島の捕鯨船エセックス号が大きな抹香鯨を捕らえようとして逆に船首に穴をあけられ沈没してしまうという事件がありました。そして、この時に生き残った一等航海士オーウェン・チェイスという人物はその後、メルヴィルが乗船していた捕鯨船アクーシュネット号と出会うことになりました。チェイスの手記を読んでいたメルヴィルは、その本人との出会いに運命を感じたかもしれません。
 もうひとつ、1839年に太平洋で巨大な白い鯨が捕らえられ大きな話題になったことがあったそうです。その鯨には「モカ・ディック Mocha - Dick」という名前がつけられましたが、背中にはまるで森のように銛が刺さっていたといいます。「白い生き物」には、魔術的なイメージがありますが、そうした様々な「白い生き物」について書かれた章もこの本にはあります。

<伝説の生き物、鯨>
 当時まだ鯨に関する知識はわずかしかなく、生きた状態での観察も行われておらず、それが魚か動物かすら明らかではありませんでした。

「もしその体躯の大きさに関し、陸地の動物を以ってこれらの深海を棲家とする者どもと比較するならば、かれらの卑小さはまったくわらうに堪えたものに見えるであろう。まさしく鯨こそは、あらゆる被造物中の最大動物なのである」
ゴールドスミス「博物学」より

「鯨は後足のない哺乳動物である」
ジョルジュ・キュビエ(博物学者)

 そんな状況の中、著者は鯨に関するあらゆる知識を集めました。それは小説を書くためのネタ集めの枠を越えたものでした。彼にとって鯨を知ることは、鯨の棲む海について知ることであり、その海が存在する地球について知ることでもありました。それはある意味、宇宙の神秘を追い求める宗教的な探求だったともいえます。文字どおり、彼にとって「鯨」は「神」だったのです。

「・・・だが、わが偉大なる抹香鯨にあっては、額に備わる高く雄々しく神々しき威厳は、げにも闊達に示されているから、これを真正面から見つめる者は、他のいかなる生物を見るよりも圧倒的にその「神性」と畏怖すべき力とを感ずるだろう。・・・」
イシュメール記

「これ以上に含蓄ふかい意匠がありえようか? - なぜならば、説教壇こそはこの地上の船首であり、その他のあらゆるものはそのあとに従うべきものだからだ。説教壇は世界をみちびく。神の気短な怒りの嵐がまっさきに発見されるのもそこであり、舳はその衝撃をまっさきに受けねばならぬ。・・・」
イシュメール記(ナンタケット島の教会にて)

<鯨捕りたちへの愛>
 そして、彼にとって鯨捕りという仕事は、そんな神への挑戦という意味で宗教儀式でありました。だからこそ、彼が知る鯨捕りたちはまた「神」にもっとも近い「人間」の代表のようにも思えたのでしょう。

「ペルセウス、聖ジョージ、ヘラクレス、ヨナ、そしてヴィシュヌ!ああこれぞわれら同族の名簿だ!鯨捕りを除いて、どんなクラブがこれだけの顔ぶれを揃えているか?」
イシュメール記

 彼はそうした鯨捕りたちの聖地ともいえるナンタケット島への敬意と愛情もたっぷりとこの本に記しています。

ウェブスタ氏曰く
「ナンタケットこそは、わが国益の点よりみて、まことに顕著にして特異なる地域であります。8千ないし9千の人々が、この海中の孤島に住み、最も大胆不敵、最も堅忍不技なる産業によって、年々、わが国富に多大の貢献をなくしつつあるのであります」
1828年アメリカ上院におけるナンタケットの防波堤建設に関する請願願について、ダニエル・ウェブスタァの演説より

「・・・アメリカがそのテキサス州にメキシコを加え、またカナダにキューバを積み重ねようと、イギリス人がインド全国を食い物にし、またその炎と燃える国旗を太陽から突き出してはためかそうと、勝手にするがいい - この陸地と海と併せた球体の三分の二はナンタケットびとのものなのだ。然り、海はかれらのものだ。・・・」
イシュメール記

 さらに彼は「捕鯨」がもたらした様々な二次的効果についても書いています。

「わたしは敢えて主張する - 最近六十年間を通じ、わが高貴なる強大なる捕鯨業以上に、この広い全世界に平和を推し及ぼすに与って力あったものが一つでもあるか、いわゆる世界主義、四海同胞主義の思想家がいくら力んでもその例を挙げることはできぬ、と。・・・」
イシュメール記
現在でも南極が南極条約によって、平和的に利用されていますが、その先駆け的存在だったということでしょうか。

「地球の向こう側の大アメリカともいうべきオーストラリアもまた、捕鯨船によって文明世界に与えられた。最初のオランダ船が怪我の功名で発見されてから、ずっと後まで、あらゆる船はその沿岸をがしょうれいの蛮域として顧みなかったが、捕鯨船だけは立ち寄っていた。捕鯨船こそは、今日のあの偉大な植民地の生みの親である。・・・」
イシュメール記
 ということは、現在地球上に存在する南北経済問題の原点もまた「捕鯨船」にあるということかもしれません。なんとも象徴的なことです。

<「捕鯨」からすべてを学ぶ>
 かつて、ヘミングウェイが「闘牛」や「狩り」に夢中になった以上に、著者にとって「捕鯨」は大きな存在でした。

「・・・わたしの机のなかに何か貴重な草稿を見出すようなことがあるとすれば、わたしはいまここであらかじめ、その光栄はすべて捕鯨に負うものであることを明らかにしておきたい。捕鯨船はわたしのイエール大学であり、わたしのハーヴァード大学であったからである。」
イシュメール記

 そこまで多くのことを学び、大きな影響を受けた「捕鯨」についての本を書くとなれば、それはある意味自分の人生のすべてを書き写すようなものです。書きたいけれども書くとなれば半端な内容ではすまされない。彼の熱い思いは、この作品の中でイシュメールが代弁しています。これはまさにメルヴィルがこの作品の執筆に挑んでいた当時の思いそのままなのでしょう。

「・・・コンドルの羽根ペンが欲しい!インク壺にはヴェスヴィオの噴火口が欲しい!友よ、わたしの腕を支えてくれ!この巨鯨に関するわたしの思想は、それを筆に書き記すだけのことでも、そのあまりに広大無辺の包括性のために、気が遠くなってしまうのだ。・・・」
イシュメール記

 なぜかくも膨大な鯨に関する情報が、この作品に収められることになったのか?彼が捕鯨に対して抱いていた熱い思いを知れば、すべての情報をこめたかった彼の思いが理解できる気もします。この本を書いていた時期、ハーマン・メルヴィルという作家は、「小説家」という仕事を放棄していたのかもしれません。しかし、文学者としての彼は間違いなく最高に幸せだったでしょう。その充実感は、エイハブの次の言葉にも表されている気がします。

「人間にも干潮で死ぬ者もあれば、湖の低いうちに死ぬ者もあり、最高潮のときに死ぬ者もある - しておれはいまわが身を、たった一つの波がしらとなってそそり立つ大波のような気がするのだ、スターバック。・・・」
エイハブの言葉

 一歩間違うと「鯨」に関する単なる「オタク本」になりかねなかったこの作品ですが、そこに「鯨への愛情」があり、「小さな宇宙」を描こうというこだわりがあったからこそ、「人間の本質」までもが、そこに描きこまれることになりました。これこそが文学のできる最高の仕事です。そしてそれは、優れた文学作品の多くにも共通することです。
「猫」によって「人間」を描いた夏目漱石の「我輩は猫である」
「虫」によって「人間」を描いたカフカの「変身
「異性人の少年」によって「人間」を描いたサン・テグジュペリの「星の王子様」
「人造人間」によって「人間」を描いたメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン

「・・・してみれば、まさに紙一重で生命にかかわるところだったこの格闘以来、エイハブが白鯨に対して、狂おしい復讐心を抱きつづけたということを、疑う理由は毛頭もないが、そればかりではすまず、さらに進んで、もはや病的にまで激昂したエイハブは、あらゆる肉体的苦悩ばかりでなく、おのれのあらゆる思想上精神上の憤怒までも、すべてモービィ・ディックそのものと同一視するところまで行ってしまった。深刻な人物には間々あることだが、おのれの身中に感ずる邪悪な魔の使いども、それにわが身を蝕まれ、ついには心臓も肺も半分だけで生きてゆかねばならなくなる、そうした魔性の悪念が凝って、眼前を遊よくする「白鯨」の姿と化したものと、エイハブの眼には映った。この捉えがたい悪こそは、世の始まりから存在していたのだ。・・・」
イシュメール記

 この作品は、モビー・ディックという白い鯨の物語であると同時に、人間の深層心理の奥底に潜む「ダークサイド」を描いた小説でもあります。優れた文学作品は、文章の長さに関わりなく「人間の本質」を描き出しているものですが、膨大な文章によっていつの間にかそれが浮かび上がってくることもあります。
 実は、このサイトもそんな作品にできればと密かに思ってはいるのですが・・・

<強烈なキャラクターのぶつかり合い>
 この小説の魅力として忘れてはいけないのは、登場するキャラクターの多彩さとその「キャラクターの濃さ」です。著者の分身ともいえるイシュメールは、しっかりとメルヴィルの生い立ちまでもが書き込まれています。彼の友人となった南の島から来た酋長の息子クィークェグ。乗組員の中で唯一冷静に物事を見る一等航海士のスターバックと情熱家で対照的な性格の二等航海士スタブ。

「・・・おのれら二人は同じものの両極じゃ。スターバックは裏返したスタブ、スタブは裏返したスターバック、しておのれら二人は全人類の代表じゃ、ところがエイハブは何百万の人間のいる地上にただ一人で立っておる。神々にも人間にも仲間はないわ!・・・」
エイハブの言葉

 それと三等航海士のフラスク以外に、もうひとりターバンを巻いた謎の呪術士フェダラア。それに船大工のスマットじいさん、老鍛冶匠のパース。黒人料理人のフリースおやじ・・・。そして、船長のエイハブ。

「彼の生きているほうの片脚は活き活きとした響きを甲板上にたてたが、死んだほうの脚は歩くたびに棺桶を打ちつけるような音をたてていた。生と死の二つの世界を、老人は歩いていた。」
イシュメール記

 そして最後に忘れてはいけないのが史上最強の悪役モビー・ディックです。ただし、この鯨の悪役キャラに関しては、環境保護団体の人々にとっては腹立たしいものかもしれません。

<最後に>
 僕自身、昔はダイビング・インストラクターの助手をやったり、アラスカでシーカヤックに乗ってザトウクジラに接近したりした、「海男」だったのでイシュメールには思い入れを感じてしまいます。「海」が好きな人、旅が好きは人にはお勧めです。
 たとえ、この本に書かれているクジラに関する情報が過去のものであったとしても、それは我々が知っている「クジラ」とは別の伝説の生物のことだと思えます。「白鯨」は、海洋性哺乳類のクジラという生物ではないかもしれません。
 ゆったりと海で波に揺られるように、じっくりと時間をかけて、時にはウトウトしながらページをめくる。そんな感じで読めばいいのではないか?そんな気がします。

<あらすじ>
 生まれつきの放浪者イシュメールは、すべてを捨てて旅に出ようと捕鯨船の基地ナンタケット島を訪れます。宿で知り合った南洋からやって来た銛打ちのクィークェグと親友になった彼は二人で捕鯨船ピーコッド号に乗ることにします。ところがそれを知った謎の男イライジャは、二人に乗船を止めるように迫ります。
 二人が乗ったピーコッド号の船長エイハブは変わり者として有名で船が出帆してもなかなか船員たちの前に姿を見せませんでした。そして、自分の足を食いちぎった白い鯨モビーディックに復讐することに命をかけようとしていました。
 一等航海士のスターバックはそんな船長の気持ちを知りながら、生きて帰ることを考えエイハブを抑える役割り、それに対し二等航海士のスタブを含めほとんどの船員たちはエイハブのカリスマ的な迫力に圧倒され白鯨を追う決意を固めてゆきます。
 他の捕鯨船から白い鯨の情報を得たエイハブは、自分が連れてきた謎の呪術師フェダラアとともに自ら白鯨を仕留めようと銛打ち船に乗り込みます。ところが、彼らの前に現れた白鯨はそんな彼らをあざ笑うかのように船に襲いかかってくるのでした。

<おまけに>
 「白鯨」を僕が最初に知ったのは、アメリカ製TVアニメ「マグーの大冒険」の中ででした。確かそのアニメの主人公マグーがイシュメールとなった短縮版の「白鯨」を見たのです。「マグーの大冒険」では他にも聖書のエピソードや三銃士など、いろいろなお話がアニメ化されていたのですが、僕にとって最も衝撃的だったのがこの「白鯨」でした。
 その後、グレゴリー・ペックがエイハブ船長を演じた映画版の「白鯨」も見ましたが、名作と呼ばれているのになぜか「マグーの大冒険」の印象の方が強いのです。
 CGの技術が発達した今なら「白鯨」は物凄い迫力の映画になりそうなるはずです。絶対にリメイクするべきです。エイハブ船長役には、ハーヴェイ・カイテルかダニエル・デイ・ルイスもしくはジョン・トラボルタもいいかも。そしてイシュメールは、興行的に考えてもやはりディカプリオがいいのではないでしょうか。今回は、彼は溺れずに生き残る役をやってもらいましょう!

小説「白鯨 Moby-Dick」 1851年
ハーマン・メルヴィル Herman Melville (著)
田中西二郎(訳)
新潮文庫

映画「白鯨 Moby Dick」 1956年
(監)(製)(脚)ジョン・ヒューストン
(脚)レイ・ブイラッドベリ
(撮)オズワルド・モリス
(音)フィリップ・セイントン
(出)グレゴリー・ペック、レオ・ゲン、リチャード・ベースハート、オーソン・ウェルズ

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