舞い上がれ!想像力の翼で

小説&映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud & Incredibly Close」

- ジョナサン・サフラン・フォア Jonathan Safran Foer -

<想像力のもたらす不幸>
 想像の世界で人は空を飛ぶことも、憧れのアイドルと愛し合うこと、香川真司からのパスを受けてシュートを決めることも可能です。「想像力」こそ人類が身に着けた最高の能力なのかもしれません。多くの人は想像の世界で遊んだり、芸術作品や発明品を生み出したり、その能力を生かすことで人生を歩んでいます。しかし、「想像力」がすべてにおいてプラスに作用するとは限りません。「想像力」が「妄想」を生み出し、その歯止めが効かなくなると「カルト集団の暴走」や「ストーカー殺人」などへと発展することもあります。
 それ以上に悲劇的なのは、本人にはなんの責任もない事件によって、心に傷を負いPTSDといわれる状況におちいる場合でしょう。家庭内暴力(DV)や犯罪による被害者はその典型的な例です。しかし、自然災害による突然の悲劇は、その被害者の数で他を圧倒しています。中でも日本においては、3・11の東日本大震災で、その被害者が大量に生み出されることになりました。

<あらすじ>
 この小説の主人公の少年は、アメリカにおける21世紀最大の悲劇となった9・11同時多発テロ事件で父親を失いました。しかし、事件後も父親の死体は発見されないままで、留守番電話に残された父親からのメッセージは彼の死の瞬間を封印したままとなりました。そのうえ少年はその留守番電話のメッセージを母親から隠してしまい、同時に自分の心の中に父親の死を封印してしまいます。そのため彼の中で、父親の死は様々な形で永遠に繰り返されることになります。このままでは、いけないとわかっていた少年は、父親の死をはっきりさせようと考えます。
 ある時、彼は父親の遺品の花瓶の中から謎めいた鍵を見つけます。そこには「ブラック」というメッセージがありました。もしかすると、その鍵がどこの鍵かがわかり、そこを開けることができれば、父親の居場所もわかるのではないか?そう考えるようになります。彼はニューヨークに住む「ブラック」という名前の人を訪ねては、鍵を見せ心当たりがないかを聞き始めます。そしてそんな少年の前に行方不明になっていた祖父が現れます。
 なぜ祖父は、長い間行方不明になっていたのか?彼のドイツでの恋の物語、そしてドレスデンでの空爆の悲劇もまた明らかになってゆきます。
 ニューヨークを巡る少年は鍵の真相を解き明かせるのか?そして、それは父親の居場所を教えてくれるのか?

<創造的な構造の本>
 「想像力」がテーマとも言えるこの小説は、構造物である「本」としての作りにも「想像力」をたっぷりと注ぎ込んでいます。スティーブン・ダルドリー監督による映画化作品を見たという方も多いと思いますが、是非「本」の方も手に取って見て欲しいと思います。そうすれば、たぶんパラパラと本をめくっただけで、「あれ?これ何?」という部分が何か所もあるはずです。その意味では、この小説は「お話」だかでなく「本」としても十分に楽しめる最近では珍しい作品といえます。
 「写真」や「赤ペン」だけでなく、「手動のパラパラ動画」までも使ったこの本は、「遊び心」から生まれたのでも「奇をてらった本」というわけでもありません。それは読者がそれぞれの文章を読んだり、写真を見たりしながら、ごく自然に小説の登場人物と同じ目線に立てるようにと工夫された必然的な手法と考えるべきでしょう。
 読者は、小説を読みながら「少年」になれるし、「祖父」になれるし、「祖母」にもなれるのです。この手法は文章によって世界を構築するという文学の王道からは逸脱しているのかもしれません。しかし、主人公がそんな「小説の作法」からは自由であるはずの少年なのですから、そんな常識は忘れましょう。

<親子三代の悲劇>
 この小説は、9・11同時多発テロ事件で父親を失った少年の冒険と成長と回復の物語といえますが、もうひとつ別の柱があります。それは彼の祖父と祖母の悲しいラブ・ストーリーとその背景となったドレスデン空爆の悲劇です。
 第二次世界大戦前、東ドイツを代表する美しい街並みをもつドレスデン市はドイツ内陸部の中心都市として栄えていました。しかし、大戦末期、街は連合軍による大規模な爆撃を受けて、街並みのすべてを失ってしまいました。その規模は、太平洋戦争における東京大空襲に匹敵する規模といわれています。(東京は木造の建造物がほとんどでしたが、ドレスデンは石造りの堅牢な建造物がほとんどなのでその爆撃はより大規模なものとなりました)
 このドレスデン爆撃については、かつてカート・ヴォネガットが自らの体験をもとに「スローターハウス5」として発表しています。主人公の祖父はドイツ系の移民だったことから、この爆撃に巻き込まれることになり、それをきっかけに彼の人生は大きく変わることになりました。この小説の中では、学校の授業中に「ヒロシマ」の原爆被害者のインタビューを主人公が見せる場面があります。
 日本にとっての「ヒロシマ」、「ナガサキ」、ドイツにとっての「ドレスデン」、そしてアメリカにとっての「同時多発テロ事件」が描かれているわけです。しかし、これらの事件を同列に並べるのはいかがなものかとも思います。
 確かにアメリカにとっての「同時多発テロ事件」は、アメリカ国民にとって初めての本土直接攻撃であり大きな衝撃だったのは確かです。しかし、ドイツと日本にとっての「ヒロシマ」、「ドレスデン」は敗戦によって国土全体が焦土と化した歴史の中の象徴であり、ほぼすべての国民が似たような体験をしていたともいえます。それに対して、アメリカにとっての「同時多発テロ事件」は戦争における敗戦と結びついているわけではなく、逆にアメリカはその後、あやふやな証拠をもとにイラクに報復攻撃を行い勝利を得ています。そう考えると、アメリカにとっての「同時多発テロ事件」の意味は、国家の崩壊と結びついているわけではないといえます。
 ただし、そうした世界史的な見方は、この小説の主人公にとっては関係ないこと。彼にとっては、「父親の死」こそ彼の属する世界の崩壊の象徴なのですから・・・。
 僕の祖母が100歳まで生きてこの世を去った時、まわりの家族はみな「ご苦労様・・・」という気分で静かに見送りました。しかし、当時中学生になったばかりだった長男は、祖母の葬式の間、周囲が驚くほど泣き続けました。普段、泣き顔を見せる子供ではなかっただけに、みんな驚きましたが、彼にとって祖母の死は初めて自分が体験する身近な人のリアルな死であり、衝撃的な体験だったのだと思います。子供にとって、のうした身近な人の死の重みは、大人になるともう思い出せないのかもしれません。

<さまよえる少年の物語>
 あとがきで訳者は、「主人公の名前がオスカルで、ドラム好き、さらにドイツ人ということは、ギュンター・グラスの小説『ブリキの太鼓』を思わせる・・」と書いています。さらに少年がニューヨークの街を放浪する場面からは「ライ麦畑でつかまえて」も思い出すはずとも書いています。もしかすると、村上春樹の「海辺のカフカ」も影響があるのかもしれません。
 映画でも「ホームアローン」、「ET」など頭がよすぎる少年のお話は数多くあります。この小説もまたそうしたさまよえる少年小説の歴史に残る作品になるのでしょう。
 少年の物語だからこその自由な作りの本なのだと考えれば、この本の逸脱ぶりも十分納得できます。「想像力の翼」は、自分を閉じ込めるのではなく、空を舞うためにこそ使われるべきものなのです。


小説「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud & Incredibly Close」 2005年
(著)ジョナサン・サフラン・フォア Jonathan Safran Foer
(訳)近藤隆文
NHK出版

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud & Incredibly Close」 2011年
(監)スティーブン・ダルドリー Staphen Dardlry
(脚)エリック・ロス Eric Roth
(原)ジョナサン・サフラン・フォア Jonathan Safran Foer
(撮)クリス・メンゲス
(編)クレア・シンプソン
(音)アレクサンドル・デプラ
(出)トーマス・ホーン、トム・ハンクス、サンドラ・ブロック、マックス・フォン・シドー、ヴァイオラ・デイヴィス、ジョン・グッドマン、ジェフリー・ライト

 映画版では、小説の中の祖父のドイツでの物語はカットされていて、少年の現在の物語に焦点を絞っています。それでも十分なヴォリュームの作品になっていました。それとビルから人が落下する映像を、映画では少年手作りの絵本に変えています。物語をリアルに映像化するのは、文字でできた小説と違って重くなりすぎる可能性もあるので、それもありかもしれません。
 主演のトーマス・ホーンの演技は素晴らしいですが、トム・ハンクス、サンドラ・ブロック、マックス・フォン・シドーらの脇役陣もさすがです。でも、ラスト近くに登場するジェフリー・ライトが最高だったかな?
 監督はスティーブン・ダルドリー、駄作のない監督だけのことはあります。(「リトル・ダンサー」、「めぐりあう時間たち」、「愛を読む人」など)
 脚色もエリック・ロス(「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、「グッドシェパード」、「ミュンヘン」、「ALI アリ」、「インサイダー」、「モンタナの風に吹かれて」、「アポロ13」、「フォレスト・ガンプ/一期一会」)ですから、そりゃあいいに決まってます。

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