「家族ゲーム」

-  森田芳光 Yoshimitu Morita -

<挑戦し続けてきた監督>
 1981年の「の・ようなもの」以来、そのクールでありながらユーモラスなタッチが好きで長くお付き合いさせてもらっている監督です。1978年に「ライブ・イン・茅ヶ崎」で監督デビューして以来、2008年の「わたし出すわ」までの30年間で監督作品は23本。その間、新人監督発掘のため自ら製作総指揮と脚本を担当した「バカヤロー」シリーズもあるだけに、彼はほぼ休みなしに映画を撮り続けてきたことになります。彼と同世代か、それ以降の監督で彼ほど多くの作品を撮った監督は他にいないかもしれません。映画監督にとってけっして恵まれた時代ではなかった1980年代から21世紀にかけて、時代の変化によりヒットする映画のタイプも変わってきました。そんな状況の変化の中、多少のスランプはあったものの、21世紀まで活躍を続けられたのは、彼がデビュー以来一つのスタイルに固執することなく、常にチャレンジ精神をもって、新たなスタイルの開拓を続けてきたからだと思います。

<いきなり監督人生>
 森田芳光は、1950年1月25日東京で生まれています。ラジオのディスクジョッキーを目指して、日本大学芸術学部の放送学科に入学。しかし、時代は70年安保の真っ只中、日大はその闘争における中心の一つでした。学生運動に参加するものの、サークル活動はほとんどなく、落語研究会に入るものの、暇つぶし的に映画を撮り始めていたといいます。どうやら、実家が都内の料亭だったので、お金はあったようです。その後は早稲田大学のシネマ研究会にも参加するようになり、本格的に8ミリ映画を撮り始めました。
 1972年に日大を卒業するものの、就職はしないまま映画の自主制作を続け、その中で生まれた作品「ライブ・イン・茅ヶ崎」(1978年)が評判となり、学生時代に落語研究会にいた経験をもとに自ら企画した「の・ようなもの」を監督するチャンスを得ます。こうして彼は、日本の映画界としては、初かもしれない助監督の経験がない監督としてデビューすることになったのでした。
「森田には助監督体験はまったくなく、8ミリ映画少年から16ミリを飛び越えて、35ミリの劇場映画の監督という日本映画にまったく新種の映画監督の登場であった」
「日本映画テレビ監督全集」より

「の・ようなもの」 1981年
(監)(企)(脚)森田芳光
(撮)渡部眞
(編)川島章正
(音)塩村宰
(出)伊藤克信、秋吉久美子、尾藤イサオ、麻生えりか、でんでん
 落語家を目指す若者(伊藤)とストリッパー(秋吉)、それに女子高生(麻生)の三角関係を描いた青春コメディー映画。
 栃木弁丸出しの伊藤克信のセリフは見事なほど棒読みだが、それが味になってしまうのは彼のキャラクターにぴったりの物語だったから。この後も彼は森田作品の常連として出演することになります。彼独特のギャグの間の取り方は、森田監督のセンスと一致しているのでしょう。この映画のもつ独特のノリと間は、この後の彼の作品すべてに共通する部分かもしれません。ドタバタもなくごく普通の出来事が淡々と続くだけでも、絶妙の編集によってクスッと笑わせる。このタイプのコメディー作品の先駆的なものだった気がします。当時、映画評論家にはまったく評価されなかったのですが、ファン投票で決まる横浜映画祭では作品賞を受賞。これにより森田監督は自信を得ることができたのかもしれません。マイナーなオタク的ジャンル「落語」にスポットを当てた青春ドラマの先駆作でもあります。(「シコふんじゃった」、「ウォーター・ボーイズ」、「スウィング・ガールズ」などは、まだまだ先のことです)

 その後、彼は日活のロマンポルノ作品の「(本)噂のストリッパー」(なんと「ケーキ屋ケンちゃん」こと宮脇康之主演です!1982年作品)、「ピンクカット 太く愛して深く愛して」(主演は伊藤克信、1983年)などを監督した後、彼の代表作となる「家族ゲーム」を監督します。

「家族ゲーム」 1983年
(監)脚)森田芳光
(原)本間洋平
(撮)前田米造
(助監)金子修介
(編)川島章正
(出)松田優作、宮川一朗太、伊丹十三、由紀さおり、岡本かおり、戸川純、白川和子、伊藤克信、阿木耀子
 アクション俳優から演技派俳優への脱皮を図ろうとしていた松田優作の思いと森田のセンスが見事に融合し、80年代を代表する傑作となりました。松田優作の囁くようなしゃべりと突然のビンタ。一見すると普通の平和な家族にしか見えない家庭の裏側に潜む暴力性。当時の社会は、それまでの単純な暴力ではなく陰湿で隠れた暴力によって支配されつつありました。この映画は、そうした時代の変化をいち早く表現していたともいえます。
 家族が全員同じ方向を向いて食事をするという不思議な演出。これもまた新たなホームドラマの時代が来たことを感じさせるものでした。それは家庭内において会話が減るだけでなくお互いの目を見ることすらなくなりつつある日本の異常な家庭像をそのまま映し出した鏡のような作品だったともいえます。それでもまだ、彼らはいっしょに食事をしていたのですから幸せなのかもしれません。
 日本のホームドラマにとっての基本でもある食事の場面に、新たな新風を吹き込んだというだけでも、この映画の価値は普遍だといえそうです。ここまでクールかつシニカルに家族を描いた映画は、もしかすると小津安二郎「東京物語」以来だったかもしれません。

<時代を象徴するヒットを連発>
 一躍映画界の寵児となった彼は次々と時代を象徴する作品を発表してゆきます。
 当時、大人気アイドルだった薬師丸ひろ子主演の「メインテーマ」(1984年)は、アイドル路線映画の王道作品で、主題歌も大ヒットしました。
 再び松田優作とコンビを組んで挑んだのは、文豪夏目漱石の代表作「それから」(1985年)の映画化でした。
 バブルの時代を象徴する作品となったは、広告代理店を舞台に人気絶頂のお笑いコンビ、とんねるず主演の「そろばんずく」(1986年)。シュールな笑いは彼の得意とするところでした。そして、そうしたシュールなお笑い路線をより前面に押し出したのが、「バカヤロー!」シリーズでした。
 彼は、第一作「バカヤロー!」のヒットを受けて、そのシリーズ化にプロデューサーとして参加。そこから新しい才能が育つことになりました。(中島哲也、堤幸彦、岩松了・・・)

<時代との食い違いから復活>
 1989年、彼は吉本ばななの原作をもとに「キッチン」を監督します。この作品は、吉本ばななが好きな僕も見ましたが、なかなか良い作品でした。しかし、内容の良さにも関わらずこの映画は大コケしてしまいます。さらに1992年のSFファンタジー映画「未来の想い出 Last Christmas」もまたヒットせず、そこから彼にとって唯一の空白期間が生じています。
 1996年、4年ぶりの新作となった「(ハル)」は作品中パソコン画面の文字が物語を展開させてゆくという異色の作品でした。彼はあくまでも挑戦する姿勢を崩さなかったといえます。しかし、翌1997年には大ベストセラー小説「失楽園」を映画化し大ヒットさせ、儲かる映画も撮れることを証明。その後は、サスペンス系のヒット小説の映画化が続き、それぞれヒットに結びつき再び彼は勢いを取り戻します。
「39・刑法第三十九条」(1999年)は永井泰宇の原作。「黒い家」(1999年)は貴志祐介の原作。「模倣犯」(2002年)は宮部みゆきの大ヒット小説が原作です。

<リメイクという流行>
 2003年、彼は向田邦子の代表作であり、和田勉の演出で大きいな話題となったテレビ・スペシャル作品「阿修羅のごとく」のリメイクに挑戦します。ごく普通の家庭の裏側で展開する不倫や嫉妬を俳優たちの名演技で迫力満点に描き出したテレビ・ドラマ史に残る名作に挑んだ彼はその後もリメイクに挑戦。
 2007年には、黒澤明の傑作娯楽時代劇「椿三十郎」をオリジナル脚本を変えずにのぞんでいます。今後も、こうした過去の名作のリメイクはどんどん行われ、ひとつのトレンドとなるのは当然のことかもしれません。

<トレンドに乗って>
 草食系オタク青年の生活を切り取ったさわやかな作品「間宮兄弟」は、我が家の子供たちに大受け。彼らの生き方が21世紀のトレンドになることは間違いないでしょう。トレンドといえば、彼は一大ブームを巻き起こした映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」(2004年)には映画監督役で出演しています。「海猫」(2004年)では当時最も旬だった女優伊藤美咲の濃厚なラブシーンを演出し大きな話題となりました。「サウスバウンド」(2007年)では、リタイアしつつある全共闘世代のその後のハチャメチャな生き様を追いましたが、こうした全共闘世代の再考は、今後も続くでしょう。「マイ・バック・ページ」「パッチギ!」「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「1969」・・・
 常に時代をとらえ、その流れに乗ることは映画のひとつの理想であり、娯楽映画としての宿命でもあります。しかし、それをしなやかにしたたかにし続けることは、そう簡単にできることではありません。実際、それを1980年代からやり続けてきた監督は彼一人だけかもしれません。彼の映画ならどれを見てもはずれはない。そんな監督は他にいない。僕はそう思うのですが・・・。そんな映画監督がもっといていいはず。

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