破壊創造を繰り返す天才監督


「ノア 約束の舟」「マザー!」

- ダーレン・アロノフスキー Darren Aronofsky -
<神への問いかけ>
 2016年、トランプ大統領誕生の年、かつてカトリックの神父を目指したマーティン・スコセッシ監督が長年温めていた企画「沈黙 サイレンス」を映画化。さらに翌2017年にはスコセッシ監督の盟友とも言える存在であるポール・シュレイダーが、50年間温めていた企画プロテスタントの牧師を主人公にした「魂のゆくえ」を映画化しました。そして、もうひとりユダヤ教の厳格な家庭で育てられた巨匠ダーレン・アロノフスキー監督が撮った神への問いかけの作品が「マザー!」です。こうして「神への問いかけ」とも言える映画が3本続けて世に出ました。
 前作品に比べ「マザー!」が多くの評論家から批判され、意味が分からないとして日本でも映画館での公開が取りやめになったのは有名な話です。でも、そう思って観たからか、この映画は予想に反して、なかなか楽しめるサスペンス映画だったし、分析しがいのある充分に見ごたえのある作品でした。
 確かにあまりに主人公が理不尽な扱いを受け続けるので、ウンザリしてしまうかもしれませんが、後半は逆に笑えるぐらい面白くなってきます。
 そして「聖書」についての知識が多少でもあれば、この作品が「聖書」をベースにした物語であることがわかるはずです。同じダーレン・アロノフスキー監督の「ノア 約束の舟」(2014年)を見ていれば、よりわかりやすくなるでしょう。
 あの有名な「ノアの箱舟」の映画化?面白いわけ?そうお思いの方は多いと思います。僕もそうでしたが、実はこちらはなかなかの世界終末SFもしくはファンタジー映画でエンターテイメントとして十分楽しめます。改めて見ると「マザー!」の予告編を見ているようです。
 ということで、ここではダーレン・アロノフスキー監督の「ノア 約束の舟」と「マザー!」の2作品をご紹介します。

<ダーレン・アロノフスキー>
 ダーレン・アロノフスキー Darren Aronofsky は、1969年2月12日ニューヨークのブルックリンに生まれたロシア系ユダヤ人です。両親は熱心なユダヤ教の信者で、彼はユダヤ教の教えに従って厳格に育てられました。少年時代の彼は映画も見せてもらえなかったそうですが、そのぶん学業は優秀だったようです。
 1986年アラスカで生物学のフィールドワークをした後、翌年にはハーバード大学で人類学を専攻。彼が環境問題に詳しく関心があるのは、十分な知識に基づくものなようです。その後、彼は映画やアニメーションにも興味を持つようになり、AFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)で映画の制作について学びました。
 1997年には初の長編映画「Π」を完成させ、サンダンス映画祭でいきなり最優秀監督賞に選出されます。
 2000年の「レクイエム・フォー・ドリーム」では麻薬によって崩壊する人々を描き、カルト的な人気を獲得。
 2006年の「ファウンテン 永遠につづく愛」では、主演女優レイチェル・ワイズと恋愛関係となり、子供ももうけますが、2010年には破局。
 「レスラー」(2008年)では、中年レスラーの悲哀を描き、主演のミッキー・ロークを復活させました。
 「ブラック・スワン」(2010年)はバレー界の黒い裏側を描いたサイコ・スリラーで、ナタリー・ポートマンがアカデミー主演女優賞を獲得。そして、次なる監督作品が旧約聖書を題材にした「ノア 約束の舟」でした。
 基本的にユダヤ教においては、旧約聖書のみが聖典でキリスト誕生以降の新約聖書があくまでも異端の書です。
 <ユダヤ教、プロテスタント、カトリックの違い>

「ノア 約束の舟 NOAH」 2014年
(監)(製)(脚)ダーレン・アロノフスキー(米)
(製)スコット・フランクリンメアリ―・ペアレント他(製総)アリ・ハンデル、クリス・ブリガム(脚)アリ・ハンデル(撮)マシュー・リバティーク
(PD)マーク・フリードバーグ(編)アンドリュー・ワイスブラム(衣)マイケル・ウィルキンソン(音)クリント・マンセル
(エンドテーマ)「Mercy Is」(演奏)パティ・スミス、クロノス・カルテット(作)パティ・スミス、レニー・ケイ
(出)ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー、レイ・ウィンストン、エマ・ワトソン、アンソニー・ホプキンス、ローガン・ラーマン 
 この作品は旧約聖書の物語の中、「天地創造」の部分から始まります。

 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇は深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
 こうして、光があった。

「創世記」1章1節

 この後、天地創造の第五日目になって人類が登場します。

 神は言われた。
 「地は、それぞれの生き物を産み出せ、家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
 そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものを造られた。
 神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 神はご自分にかたどって創造された。
 神にかたどって創造された。
 男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。
 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

「創世記」1章24節~28節

 こうして。地球、生命、人類が誕生し、人類の歴史が始まることになりました。
 地上は初め楽園でした。それは人間が罪というものを知らずにいたからです。しかし、そこに蛇という邪悪な存在が現れます。
 蛇の誘惑により、楽園に住む女は禁断の実を食べてしまい、それを男にもすすめます。
 こうして二人の男女アダムとエバは罪と恥を知り、楽園を追い出されることになりました。「原罪」が生まれました。
 
 主なる神は言われた。
 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」
 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

「創世記」第2章22、23節

 さらに聖書に書かれた人類の抱える罪として、アダムとエバの子、「カインとアベルの物語」があります。
 神からの愛情が自分よりも弟のアベルに注がれていると感じた兄のカインが、弟を殺してしまうという家庭内暴力の原点です。
 神はカインに呪いをかけ、いよいよ人類の罪は重くなり、拡散することになります。

 「・・・今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
 カインは主に言った。
 「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
 今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、
 わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
 主はカインに言われた。
 「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
 主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。
 カインは主の前を去り、エデンの東、ノドの地に住んだ。

「創世記」第4章11節~16節

 こうして、地上に「罪」が拡散することになります。神はその状況を見て自分が人間を造ったことを後悔。人間を一度絶滅させようと考えました。

 「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。
 あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて七つがいずつ取りなさい。
 空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。
 七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」

「創世記」第7章1節~4節

 こうして、「ノアの箱舟」の物語は始まります。
 神は地上に雨を降らせ続け、ついに地面は消滅し、すべての生物は滅亡することになりました。
 1500ページある旧約聖書の中、わずか10ページでこの地球滅亡の物語は終わります。
 しかし、映画ではこの物語に岩の怪物を登場させたり、聖書にはない母親の問題を描いたり、家族間の対立を描くなどして、たっぷりと膨らませています。 
 なぜ人間は絶滅させられることになったのか?
 人類の歴史が始まってわずか数世代で神様はもう人間に世界は任せられない、と判断してしまったのです。
 ところが、人間はそこでノアによりギリギリ救われ、再スタートを切ることになります。ところが、人間たちはその後も変わらず失敗を続けるわけです。
 「アメリカ第一主義」を掲げ、地球温暖化など無視し、環境破壊を経済優先で認めてしまう自分本位の生き方はいよいよ終末的レベルです。
 「ノアの箱舟」の続編はもうすでに終りが近いのかもしれません。

「マザー! Mother !」 2017年
(監)(製)(脚)ダーレン・アロノフスキー(米)
(製)スコット・フランクリン、アリ・ハンデル(製総)マーク・ヘイマン、ジェフ・G・ワックスマン(撮)マシュー・リバティイーク
(PD)フィリップ・メッシーナ(編)アンドリュー・ワイスブラム(衣)ダニー・グリッカー
(出)ジェニファー・ローレンス、ハビエル・バルデム、エド・ハリス、ミシェル・ファイファー、ドーナル・グリーソン、ブライアン・グリーソン 
「創造の女神」と詩人、そして詩人を称える大衆たちの愚行をリアリズムで描いた作品。表面的にはそんな内容の映画です。
しかし、少しづつドラマは、スラップスティック・コメディへと変化し、さらにはファンタジーへと・・・
とにかく居心地の悪い映画で、日本公開が中止になったのも納得です。
でもそのつもりで改めて見ると十分に面白いサスペンス映画であり、コメディー映画としても見られるはずです。
この物語はいじめられ役の妻から視点で常に描かれます。被害を及ぼす側の理由や心理はまったく無視されています。
そのためにほとんどがアップになっているジェニファー・ローレンスは監督に恋していたとはいえ、大変な仕事を受けたものです。
ジェニファー以上に一方的にいじめられ続けるもう一人の主役が不思議な間取りの家です。
8角形の家は、部屋と部屋がすべて2方向で別の部屋につながっている構造になっています。
撮影用に、内側の部屋だけ家のや野原に立つ外側の家、燃やすための家など、何パターンも作られていました。(DVDにメイキング映像があります)

<あらすじ>を聖書と比べながら見ると、それは明らかに「聖書」(旧約聖書から新約聖書)全体1500ページを総集編にまとめたものだとわかるはず。
前作の「ノア 約束の舟」に続き、この作品は旧約聖書も含めた聖書全体の超短縮版になっているわけです。
海外の映画祭でこの作品を見た観客の多くが映画の途中で席を立ったのは、理解できないからではない気がします。
それは、この作品が聖書のパロディであることに反発したせいなのかもしれません。
<あらすじ>
この物語は人類絶滅後を暗示するような焼け焦げた家の残骸から始まります。
そこに置かれたクリスタルから「光」が発せられると、家は復活し、妻も生き返ります。こうして物語が始まります。
詩人の妻は、壁に漆喰を塗るなど一生懸命家の修復を行っています。そこへ詩人に憧れる男とその妻が訪ねてきます。「天地創造」
「恥知らずな二人」は無礼な行動を続け、妻をイラつかせます。「アダムとエバ」
その後、「恥知らずな二人」の息子たちが現れ、遺産問題についてケンカを始め、ついに兄が弟を殺してしまいます「カインとアベル」
殺害された弟のための葬儀の後、再び家では大騒ぎが起き、台所の水道が破裂し家は水浸しになります。「ノアの箱舟」
人々が去り平和になったある朝、妻は自分が妊娠していることに気がつきます。「処女懐胎」
赤ん坊が無事に生まれますが、そこに大挙して様々な人が訪れます。「イエス・キリストの誕生」
人々は子供を祝福しようと大騒ぎをしますが、その中で赤ん坊は殺されてしまいます「イエス・キリストの磔」
殺された赤ん坊は、血も肉も無残に人々に食べられてしまいます。「聖餐式」(教会の聖餐式では血の代わりに葡萄酒、肉体の代わりにパンを食べます)
家中が混乱状態となり、警察も突入。家を戦場とする最終戦争が始まります。「ヨハネの黙示録に書かれている最終戦争(アルマゲドン)」
混乱の中、妻は自らの手で家に火を点け、すべてを燃やし尽くします。
再び、家の残骸の中にクリスタルが現れ、「光」を発し始めます。

<解答?>
 様々な批判を受けたこの作品について、監督自身は地球温暖化が危機的状態に向かうことへの警鐘として撮ったと説明しています。
自らの手で環境を破壊し、地球を住めない環境に変えつつある人類の行動を描いた作品と見ることも確かに可能かもしれません。
 ただし、主人公の詩人を監督自身と見ることも可能です。
新たな作品を産み出せず、苦悩する彼の前に現れた創作の女神がジェニファー・ローレンスでした。
実際、二人は撮影前から恋人同士で、ジェニファーは志願して妻役を演じています。
しかし、撮影後、映画祭などでの公開が始まる頃には、二人の関係は終わりを迎えていたとのこと。
次の作品を撮るためには、彼には新たな女神が必要なのかもしれません。
「ノア 約束の舟」が水による人類絶滅の物語だったのに対し、「マザー!」は火による人類絶滅の物語でした。
とにかくこの監督は、登場人物も女優も恋人も映画も人類も地球も、すべてを駄目にしないと気が済まないようです。
「破壊と再生」このテーマを延々と何度も何度も描き続けるに違いありません。
もちろん、それは愛情の裏返しなのだと思うのですが・・・

<最後に>
「ノア 約束の舟」は、「ノアの箱舟」を監督の想像力によって壮大なお話に拡張した作品。
「マザー!」は、旧約聖書から新約聖書まで超短縮版としてまとめ上げた作品。
原作があっても、その映画化にはいろいろなやり方があるものです。
しかし、この監督にとって、手段はいろいろでもテーマはある意味共通しています。
「天才は多作である」というのは、こうして多彩な手法、多彩な切り口で同じテーマを何度でも描けるからなのかもしれません。
そうやって、「天才は何度でも同じテーマに挑み続ける」のです。
次回作も楽しみです。

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