- 佐野元春 Motoharu Sano -

<1980年の日本のポップス>
 彼がデビューした1980年頃、僕の四畳半の下宿にはオーディオと呼べるようなものはなく、ラジカセが一台あるだけでした。当然、ラジオはよく聴いていましたが、その頃音楽番組でかかっていた曲は、ほとんどがアイドル系の歌謡曲でした。
 この年大ヒットした曲、クリスタル・キングの「大都会」ともんた&ブラザースの「ダンシング・オールナイト」は、ロック・バンドのスタイルで演奏されていましたが、曲自体は明らかに歌謡曲の延長線上に位置しています。すでに、1978年にはサザン・オールスターズがデビューし、新しい和製ロック・サウンドを生み出してはいましたが、そこに載せられた歌詞は、まだまだ語呂合わせ的なものの域を出ていませんでした。

<アンジェリーナ>
 そんな音楽状況だったラジオ・プログラムから、ある日突然佐野元春のデビュー曲「アンジェリーナ」が流れてきたのです。その曲は、ボブ・ディランの後継者と言われ全米で人気が爆発していたブルース・スプリングスティーンの曲調とそっくりではありましたが、そんなこととは関係なくとにかく格好良いサウンドでした。そのうえ、その曲に乗せられた歌詞は、曲に乗せるために無理矢理書かれたと言うより、曲とともに生まれ出たかのように自然でリズミカルな日本語になっていました。
 かつて、はっぴいえんどがロックに日本語をのせるという挑戦を文学的な手法を用いながら始めて以来、多くのアーティストたちがその挑戦を続けていました。しかし、その曲では、それまでの苦労など無かったかのように、ごく普通に達成されていました。それはあまりに自然に成し遂げられていたため、多くの人は「アンジェリーナ」の意義を理解することができなかったかもしれません。実際、この曲は、ロングラン・ヒットはしたものの、けっして大ヒットはしませんでした。
 しかし、この後すぐに山下達郎の「ライド・オン・タイム」が、CMタイアップ曲という利点を活かして大ヒットを記録。いっきに日本の音楽界は、歌謡曲からロック、J−ポップの時代へと変わり始めることになります。
 佐野元春は、正統派ロックン・ローラーであると同時に、ポップでキャッチーなソングライターだっただけでなく、街角の吟遊詩人であり、新しい流れを常に求め続けるという点で本当の意味の革新的ロック・アーティストでした。
 彼のデビュー曲「アンジェリーナ」には、そんな彼のすべてが収められていると言えるのかもしれません。今聴いても、この曲はまったく古さを感じさせない日本のロック史に残る名曲です。

<衝撃的なデビュー>
 佐野元春は、1956年東京・神田に生まれたちゃきちゃきの江戸っ子です。(江戸っ子のロック・ミュージシャンは、以外と珍しいのかも?彼のカリスマ的とも言える独特の言葉を選ぶようなしゃべり方からは想像もつかないのなのですが・・・)
 彼は、ボブ・ディランやビートルズを聴いてロックに魅せられ、中学時代にバンド活動を開始、平行してソング・ライティングも行うようになって行きました。18歳の時にホーン・セクション入りの大編成バンドを率いて、ヤマハのポピュラー・ソング・コンテストに出場し注目を集め、1977年には、佐藤奈々子のデビュー・アルバム「ファニー・ウォーキン Fanny Walkin'」にソング・ライターとして参加、一時はサラリーマンになりますが、ミュージシャンになる夢が捨てきれず、1980年念願のソロ・デビューを果たしました。ファースト・アルバム「Back To The Street」は、あきらかにブルース・スプリングスティーンを意識した作りでしたが、ソング・ライティングの素晴らしさは、それまでの日本のロックの常識を覆すものでした。

<ブレイク、そしてそこからの離脱>
 セカンド・アルバム「Heart Beat」(1981年)では、さらに歌詞のストーリー性が高まり「彼女」「君をさがしている」などの名曲が生まれ、彼の詩人としての才能がいよいよ明らかになってきました。
 1982年、大滝詠一、杉真理とトリオを組んだアルバム「ナイアガラ・トライアングルVol.2」に続き、自らのソロ・アルバム「Someday」を発表。同名のアルバム・タイトル曲は、大ヒットし、彼は一躍メジャー・アーティストの仲間入りを果たします。
 しかし、大ヒットを飛ばした彼は、なぜかここで戦線を離脱してしまいます。彼は1983年に日本を発つと、その後一年半にわたりニューヨークに滞在し続けました。そして、そのことは、彼のアーティストとしての活動にとって、後に大きな意味を持つことになります。

<新しいスタイルの誕生>
 1984年、彼が発表したアルバム「VISITORS」は、多くのファンや評論家たちを驚かせます。それは、「Someday」までのロックン・ローラーとしての彼のイメージを完全に覆し、彼がヒップ・ホップの世界をも切り開いたことを示していました。(「コンプリケイション・シェイクダウン」は、そんな彼の代表曲でした)
 当時の日本におけるヒップ・ホップの知名度が、ほとんど零に近かったことを考えると彼のこの新しい試みは、一年間の空白と同じくらい危険な挑戦だったかもしれません。(グランドマスター・フラッシュらのヒップ・ホップ・プレイが紹介された映画「ワイルド・スタイル」の日本公開が1983年。ほとんどの日本人にとって「ヒップ・ホップ」は、ほとんど未知の存在でした)
 もちろん、彼にとってのヒップ・ホップは、ロックに代わる新たな存在というわけではけっしてありませんでした。彼は、ロックという音楽を「新しい血を入れ続ける行為」そのものであると認識していたからこそ、ヒップ・ホップやファンク・ナンバーを自らの新しいアルバムに取り込んでみせたのです。

<新たなスタイルの追求>
 「カフェ・ボヘミア Cafe Bohemia」(1986年)、「ハートランド Heartland」(1988年)に次ぐ1989年の「ナポレオン・フィッシュと泳ぐ日」は、再び彼にとって重要な作品となりました。このアルバムの録音は、ロンドンで行われ、セッション・ミュージシャンには、ブリンズレー・シュワルツをはじめとするパブ・ロック系のミュージシャンたちが起用されていました。(もちろん、だからといってこのアルバムがパブ・ロックのアルバムになっているわけではありません。それは、あくまでも佐野元春の音楽世界でした。トータル・アルバムとして、不思議な魅力をもつこのアルバムは、彼のもうひとつの代表作となり、彼の才能の引き出しにまた新たなジャンルを加えることになりました。
 この後3枚のアルバム「Time Out!」(1990年)、「Sweet 16」(1992年)、「Circle」(1993年)を発表すると、彼はまた新たなチャレンジを行います。それは、デビュー以来ほとんどの期間をともに歩んできたバック・バンド、Heartlandとの決別です。これもまた彼の代表作と呼ばれるアルバム「Fruits」(1996年)は、そんな状況の中、新たなセッション・ミュージシャンたちとともに生み出された作品集でした。そして、この時のバンドのメンバーたちによって、新しい彼のバック・バンド、ザ・ホーボーキング・バンドが結成され、次作はその本格的なデビュー作となりました。その作品「The Burn」(1997年)もまた彼にとって新たなチャレンジ作品でした。(結局、どのアルバムも彼にとっては新たなチャレンジだったのかもしれませんが・・・)
 このアルバムの録音は、アメリカ、ウッドストックにあるベアズヴィル・スタジオで行われました。ウッドストックと言えば、60年代、70年代のロックを聴いて育った世代にとって、まさに聖地のひとつです。そして、ベアズヴィル・スタジオと言えば、ボブ・ディランジャニス・ジョップリンザ・バンドのマネージャーだったアルバート・グロスマンが設立した伝説のスタジオです。そこで、彼はプロデューサーに、ザ・バンドのプロデュースで知られるジョン・サイモン、ゲスト・ミュージシャンには、元ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャン、元ザ・バンドのガース・ハドソンらを迎え、彼が愛するロックの原点を新しいバック・バンドとともに再現してみせました。

<デビュー20周年>
 1999年、彼は20年間の活動に一区切りつけるためデビュー20周年記念アルバム「The 20th Anniversary Edition」を発表しました。多くのアーティストが、ネタ切れをごまかすための手段として発表しがちなベスト・アルバムですが、このアルバムはライオン佐野にとって、あくまでも「佐野元春ベスト・アルバム20世紀編」ということであり、この先21世紀編も生まれるに違いないでしょう。

<ロックがロックであり続けるために>
 ロックがロックであり続けるために、ローリング・ストーン(転がる石)であり続けること。それは、精神を常に自由に解き放ちながら、英知をもって作品をひとつの形にまとめ上げるという、ある種相反する行為を休むことなく繰り返して行くことです。これは、彼がかつて「Young Blood」の中で歌っていた「鋼鉄のようなWisdom」と「輝き続けるFreedom」に通じることでしょう。これこそ佐野元春のテーマなのです。さらに言うなら、この二つは人類が地球上で今後も生き続けて行くためになくてはならない条件でもあるはずです。
 「地球と生命を維持して行くための英知(Wisdom、間違ってもTechnologyではない!)」と「精神そして人間の解放(Freedom)」、これこそ21世紀を人類が生き抜いて行くために最も必要としている概念ではないでしょうか?
 彼がインターネットの分野にいち早く関心をもち、自らのホーム・ページを開いたことは、けっして彼が単なるパソコン・オタクだったからではないでしょう。彼は、インターネットが構築する巨大な国際的ネット・ワークに人類のもちうる英知と国境のない自由の生まれる可能性を感じていたに違いないのです。もちろん、それもまた現実には生まれることのないユートピアなのかもしれないのですが・・・
 それでも、そうして挑戦を続ける強い意志こそが、彼の力強く魅力的な音楽の源なのです。
「奴はただ俺の後をつけてきた男。そして、俺を捕まえる放課後の教師のように「どうしたんだい?」と、優しいじゃないか。奴は友達でもなければ、先生でもない。判事でもないし、そして俺の天使でもない。俺は君からはみだしている」
「ブルーの見解」(アルバム「ナポレオン・フィッシュと泳ぐ日」より)

そう、佐野元春は常にはみ出し続ける男なのです。それも鋼のようなWisdom(英知)をもって!

<「ソングライターズ」>(追記)
 NHK教育テレビで放映している佐野元春の「ソングライターズ」は必見です。ゲストも豪華ですが、やはり佐野さんの英知にあふれた質問がゲストの魅力を見事に引き出しています。アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤君の回のほとんどアドリブに近い生演奏などは背中がゾクッとするほど魅力的でした!
 2017年4月彼はニューヨークでバンドをバックに詩の朗読を行う「スポークン・ワーズ」のライブを開催。その模様のドキュメンタリーがNHKBSで放送されました。相変わらずカッコイイ!トランプがトップに立ってしまったアメリカで静かに反旗をひるがえし、ステージ上で「吠えた」姿にまた惚れ直しました。素敵です。

<締めのお言葉>
「人は利口になりすぎてしまい、英知なしでは生きのびられないのである。経済の観点からすると、英知の中心概念は永続性である。われわれは永続性の経済学を学ばなければならない」
E.F.シューマッハー著「スモール・イズ・ビューティフル」より

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