村上春樹が愛した曲とアーティストたち


「村上ソングス」より

- 村上春樹 Haruki Murakami -
<「村上ラジオ」放送記念企画>
 2018年6月、8月5日にFM東京から7「村上ラジオ」という番組が放送されると発表されました。村上春樹がラジオに出る!それもDJをやる?
 村上春樹の動く姿は、海外の文学賞受賞式で公式の挨拶として公開されていますが、それ以外の映像や声は過去公開されていません。(雑誌のインタビューぐらいはありますが・・・)
 彼が挨拶以外、それもファンに対し直接語りかけるなんて・・・!
 どうやら様々な業界にこの番組の企画は衝撃的だったようです。
 だって、もしこの企画がテレビでも可能なら、どれだけの視聴率を稼げるか?
 なぜ、今まで誰もその企画に挑戦、成功しなかったのか?と話題になっているようです。
 いったい誰が、どうやってこの企画を提案、交渉、実現させることに成功したのか?
 そのことも、かなり気になります。
 ということで、この「村上ラジオ」の放送を記念して、ここで彼の音楽本「村上ソングス」について特集してみようと思います。

<「村上ソングス」>
 「村上ソングス」は、2007年に発表された和田誠さんとのコラボになる著作。村上春樹氏が思い出深い曲を取り上げ、それに和田誠がイラストを描いています。
 当然、それぞれの曲についての解説も書かれているので、ここではそうした曲についての解説ではなく、作曲者やアーティストについてのさらなる解説を書き加えようと思います。すでにこのサイトの中で取り上げている人物も多いので、その場合はリンクを張っていますが、さらに新たに調べて何人かの作曲家、アーティストについて書き加えてあります。
 このサイトを参考に、もう一度「村上ソングス」をお読みいただければと思います。もしかすると、この中から「村上ラジオ」で取り上げられる曲もあるかもしれません。

「村上ソングス」 2007年
(著)村上春樹
(絵)和田誠
中央公論社
「神様しか知らない God Only Knows」 1965年 
(演)ビーチ・ボーイズ The Beach Boys
(曲、詞)ブライアン・ウィルソン Brian Willson、トニー・アッシャー Tony Asher 
 村上さんによると、映画「死ぬまでにしたい10のこと」の中でヒロインのサラ・ポーリーが口ずさむシーンが印象的とのこと
 この曲が収まられたアルバム「ペット・サウンズ」については、村上春樹訳の本もあります。(J・フジ―リ著「ペット・サウンズ」)
 ブライアンの苦悩の人生を描いた映画「ラブ&マーシー」では、俳優のポール・ダーノが自らこの曲を歌っています。 
「幸福とはジョーという名の男 Happiness Is A Thing Called Joe」 1969年 
(演)ナンシー・ウィルソン Nancy Wilson
(曲、詞)ハロルド・アーレン Harold Arlen、エドガー・イップ・ハーバーグ E.Y.Harburg
 オリジナルは、1945年フランシス・ウェインの歌でヒットした曲。
 ナンシー・ウィルソンの代表作であるアルバム「バット・ビューティフル But Beautiful」収録
 その録音のバックはハンク・ジョーンズのカルテット(ベースはロン・カーター) 
ハロルド・アーレン Harold Arlen 
 ハロルド・アーレン Harold Arlen は1905年2月15日ニューヨーク州バッファロー生まれの作曲家。父親はユダヤ教会の合唱の指揮者で母親はその教会でピアノを弾いていました。
 早くから「歌」に親しんでいた彼は歌手になることを志し、15歳の時、ザ・スナッピーというトリオを結成。
 1927年、彼はニューヨークに出て、そこでバンドを率いていたアーノルド・ジョンソンに認められ、ピアニスト兼編曲者として雇われます。
 ブロードウェイのショー「ジョージ・ホワイトのスキャンダルズ(1928年版)」や「グレイトデイ」などに参加。
 作曲家デヴィッド・ケーラーとのコンビで1930年に「ゲット・ハッピー」をヒットさせます。(歌はルース・エッティング)
 1935年以降は独立し、様々な作詞家とコンビを組み数多くのミュージカル映画の曲を作りました。その中にはスタンダードになった曲も数多くあります。
<ミュージカルのため曲>
 「ブルマー・ガール Bloodmer Girl」(1944年)から、「イブリン Eveline」、「The Eagle And Me」
 「サントルイスの女 St.Louis Woman」(1946年)から、名曲「降っても晴れても Come Rain Or Come Shine」
 「花いっぱいの家 Home of Flowers」(1954年)から、「眠っている蜂 A Sleepin' Bee」(作詞はトルーマン・カポーティ
<映画から生まれたヒット曲>
 「Take A Chance」(1933年)から、「ペーパー・ムーン It's Only A Paper Moon」(ピーター・ボグダノビッチ監督の映画「ペーパー・ムーン」の方が有名でしょう)
 「恋に落ちよう Let's Fall In Love」(1934年)から、「Let's Fall In Love」
 「オズの魔法使 The Wizard of Oz」(1939年)から、名曲中の名曲「虹の彼方に Over The Rainbow」はアカデミー主題歌賞を受賞しています。
 「ブルース・イン・ザ・ナイト Blues In The Night」(1941年)から、「夜のブルース Blues In The Night」
 「Star Spangled Rhythm」(1942年)から、「恋の黒魔術 That Old Black Magic」(作詞はジョニー・マーサー)
 「青空に踊る The Sky's Limit」(1943年)から、「あの娘のために One For My Body」
 「Cavin In The Sky」(1943年)から、「幸福とはジョーという名の男 Happiness Is Just A Thing Called Joe」
 「アウト・オブ・ザ・ワールド Out Of The World」(1945年)から、「浮世をはなれて Out Of The World」
 「スター誕生 A Star Is Born」(1945年)から、「行ってしまった彼 The Man That Got Away」(作詞は、アイラ・ガーシュイン)
 「喝采 The Country Girl」(1954年)から、「Live and Learn」(作詞は、アイラ・ガーシュイン)
<その他>
 「I Got Right To Sing The Blues」(1932年)
 「ストーミー・ウェザー Stormy Weather」(1933年)(オリジナルはエセル・ウォーターズ)
 この曲は、1943年に「ストーミー・ウェザー」として映画化。監督はアンドリュー・L・スドンで、ダンサーとして活躍してた主演のビル・ロビンソンの伝記的作品でした。
 この作品は、レナ・ホーンやキャブ・キャロウェイ、ファッツ・ウォーラーなど黒人アーティストたちが出演したブラック・ミュージカル・エンターテイメントの先駆作として高い評価を得ています。
エドガー・イップ・ハーバーグ E.Y.Harburg 
 1898年4月8日ニューヨーク生まれの作詞家。(1981年3月5日没)貧しい家庭に生まれたため、新聞売りをしながら学費を稼ぎながら高校に入学。
 そこでアイラ・ガーシュインと学生新聞の編集を担当。卒業後、3年がかりで南米を旅し、1920年代はじめに帰国。
 電気店を経営しながら詞を書き始め、1929年に作詞家としてデビューします。
 ハロルド・ア-レンとは「ブルマー・ガール」、「ジャマイカ」、「ペーパー・ムーン」、「オズの魔法使」などで共作しています。 
「人生のイミテーション Imitation of Life」 2001年 
(演)R.E.M. 
(曲・詞)マイケル・スタイプ Michael Stipe、マイケル・E・ミルズ Michael E.Mills、ピーター・ロウエンスバック Peter Lawencebuck
 R.E.M.は、1990年代から2000年代にかけてアメリカン・ロックにおける孤高の存在として活躍したロックバンド
 アルバム「Reveal」収録 
 R.E.M.は村上春樹が本当に愛したロック・バンドだと思います。アメリカン・ロックの中でも孤高の存在として1990年代をリードし続けた偉大なバンドです。
「ニューヨークの秋 Autumn In New York」 1955年 
(演)テッド・ストレイター Ted Staeter
(曲、詞)ヴァーノン・デューク Vernon Duke
 オリジナルは、1934年レヴュー「Thumbs Up」のために作詞・作曲された曲。
 映画「勝利なき戦い Pork Chop Hill」で使用された曲。ヴァーノン・デュークには、他に「言い出しかねて」、「パリの4月」などの名曲もあります。
 フランク・シナトラのカバーにより、1950年代に数多くのカバーが登場し、スタンダード曲となりました。
 このテッド・ストレイナーのヴァージョンは、1955年のアルバム「Ted Staeter's New York」収録。
ヴァ―ノン・デューク Vernon Duke 
 ヴァ―ノン・デューク Vernon Duke は、1903年10月10日ロシアのパラフィノーヴォ生まれの作曲家で、本名はウラジミール・デュケルスキー。(1969年1月16日没)
 ロシア貴族のお坊ちゃまだった彼は13歳でキエフの音楽院に入学しますが、ロシア革命が起きたために1920年に家族と共にアメリカに亡命します。
 1923年、彼は一人家族と分けれてヨーロッパに移り住み、ロンドンでミュージカルなどの作曲家として活動。
 1929年、彼はアメリカにもどり、ジョージ・ガーシュインに才能を認められたことをきっかけにブロードウェイ・ミュージカルで活躍し始めます。
 さらに彼は本名のウラジミール・デュケルスキー名義でクラシックの世界でも活躍し、ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のための音楽も作っています。
<ミュージカルのための曲>
 「ジーグフェルド・フォーリーズ1934年版 Ziegfeld Follies of 1934」から、「言葉はいらない What Is There To Say」(作詞は、E・Y・ハーバーグ)
 「ジーグフェルド・フォーリーズ1936年版 Ziegfeld Follies of 1936」から、「言い出しかねて I Can't Get Started」(作詞は、アイラ・ガーシュウィン)
 「Cabin In The Sky」(1940年)から、「恋のチャンス Taking A Chance On Love」
「ムーンライト・ドライブ Moonlight Drive」 1966年 
(演)ザ・ドアーズ The Doors
(曲・詞)John Paul Densmore,Robert A.Krieger,Raymond Manzarek,Jim Morrison 
 ザ・ドアーズのデビュー・アルバム「ストレンジ・デイズ Strange Days」(1966年)
 デヴュー曲というよりも、バンドの中心となった二人、ジム・モリソンとレイ・マンザレクが出会うきっかけとなった曲です。
「ブルーに生まれついて Born To Be Blue」 1955年
(演)ヘレン・メリル Helen Merrill
(曲・詞)ロバート・ウェルズ Robert Wells、メル・トーメ Mel Torme 
 オリジナルは、1947年メル・トーメ、ロバート・ウェルズがまだ19歳という若者だった頃の曲。
 ヘレン・メリルによるこのヴァージョンは、1955年の初リーダー・アルバム「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン Helen Merrill with Clifford Brown」収録
 クリフォード・ブラウンは、1956年若くしてこの世を去ることになります。
 チェット・ベイカーのヴォーカルによるカバーも有名で、同名タイトルで彼の伝記映画が製作されています。監督はロバート・パドローで2016年公開。
「ジーン Jean」 1968年 
(演・曲・詞)ロッド・マッキューン Rod McKuen 
 映画「ミス・ブロディの青春 The Prime of Miss Jean Brodie」の主題歌 
 名門女子高のオールドミス教師の主人公を演じたのは、マギー・スミス。
 彼女は「天使ラブ・ソングを・・・」では修道院長。「ハリー・ポッター」シリーズでは、マクゴナガル校長と保守的な学校の指導者を生涯演じ続けることになります。
「中国行きのスロー・ボート On The Slow Boat To China」 1948年 
(演)ビング・クロスビー Bing Crosby(&ローズマリー・クルーニー)
(曲・詞)フランク・レッサー Frank Loesser 
 ビング・クロスビーのアルバム「Fancy Meeting Here Crosby-Clooney」 収録。
 ケイ・カイザー楽団がミリオン・ヒットさせてスタンダードになった曲。
 1951年にはソニー・ロリンズも録音しています。
フランク・レッサー Frank Loesser 
 フランク・レッサー Frank Loesser は、1910年6月29日ニューヨーク生まれの作詞・作曲家。(1969年7月28日没)
 父親はピアノ教師で兄のアーサーはコンサート・ピアニスト兼音楽評論家という音楽一家に育ちました。
 6歳の時、早くも自作の曲「The May Party」を発表する天才少年でした。
 ニューヨーク市立大学在学中、学生向けのミュージカルのために作曲を担当。卒業後、ヴォ―ドビルのピアニスト兼作曲家として働きながら台本や作詞もするようになります。
 1931年の「In Love With A Memory of You」(曲はウィリアム・シューマン)がデビュー曲となりました。
 ハリウッドに移った彼は、1937年に映画「ハリケーン The Hurrycane」の主題歌「Moon of Mamakoora マナクーラの月」(曲はアルフレッド・ニューマン)がヒットして有名になります。
<映画のための曲>
 映画「Sing You Simons」(1938年)から、「Small Fly」(作詞は、ホーギ―・カーマイケル)
 映画「Sweater Girl」(1942年)から、「君とでなければ I Don't Want To Walk With You」の作詞(曲は、ジュール・スタイン)
 映画「水着の女王 Neptune's Daughter」(1949年)から、「Baby, It's Coled Outside」(アカデミー主題歌賞受賞)
<ミュージカルのための曲>
 「Where's Charley?」(1948年)から、「エイミーに一度恋したら Once In Love With Amy」
 「Guy's And Dolls」(1950年)から、「If I Were A Bell」と「初めての恋心 I've Never Been In Love Before」
 「野郎どもと女たち」(1955年には映画化されています)から、「Standing On The Corner」「Joy Joy Joy」
 「努力しないで出世する方法」(1966年には映画化)から、「I Believe In You」「Coffee Break」
「イングリッド・バーグマンの歌 Ingrid Bergman」 1998年 
(演・詞)ビリー・グラッグ Billy Bragg
(曲)ウディ・ガスリー Woody Guthrie 
 ビリー・ブラッグとウィルコ The Wilcoの共演アルバム「マーメイド・アヴェニュー Mermaid Avenue」収録
 イングリッド・バーグマンの不倫相手ロベルト・ロッセリーニが監督した映画「ストロンボリ」(1949年)を見たウディ・ガスリーが書いた曲(1950年)にビリー・ブラッグが詞をつけて録音。
 20世紀を代表する美人女優イングリッド・バーグマンに捧げられた曲
「ブルー・モンク (修業はつらい) Blue Monk(Monkery's The Blues)」 1961年
(演・詞)アビー・リンカーン Abbey Lincoln
(曲)セロニアス・モンク Thelonius Monk 
 セロニアス・モンクの名曲にアビー・リンカーンが自ら詞を書き歌った作品。
 アルバム「Straight Ahead」収録で、テナーサックスはコールマン・ホーキンス。
 他のカバーとしては、カーリン・クローグの「Some Other Spring」(1970年)、カーメン・マクレエの「Carmen Sings Monk」(1988年)などがあります。
 この曲に関しては、モンク自身にも様々な録音があります。
「この家は今は空っぽだ This House Is Empty Now」 1988年 
(演)エルヴィス・コステロ Elvis Costello、アン・ソフィー・フォン・オッター Anne Sofie Von Otter
(曲・詞)バート・バカラック Burt Bacharach、エルヴィス・コステロ Elvis Costello 
 1970年代に一世を風靡したポピュラー音楽界の天才ヒット・メイカーと1980年代に大活躍したパンク、パブ・ロック界の天才シンガー・ソングライターの共演作
 名曲ぞろいの1998年の名盤「ペインテッド・フロム・メモリー Painted From Memory」収録曲
 それをコステロが、アン・ソフィー・フォン・オッターと共にカバーした録音です。
「パッチズ Patches」 1970年 
(演)クラレンス・カーター Clarence Carter
(曲・詞)ロナルド・ダンバー Ronald Dunbar、ジェネラル・ジョンソン General Johnson 
 デトロイトのソウル・グループ、チェアメン・オブ・ザ・ボード Chairmen Of The Boadがオリジナル。 
 モータウンから独立し、自分たちのレーベルを立ち上げたホランド-ドジャー-ホランドが育てたソウル・グループによる1970年の曲でした。
 その曲を、盲目のR&Bヴォーカリスト、クラレンス・カーターがカバーして大ヒットさせました。(ビルボード全米4位)
 その大ヒットのおかげで、この曲はアメリカ南部アトランタが生んだアトランティック・ソウルを代表する名曲の仲間入りをすることになりました。 
「眠る蜂 A Sleepin' Bee」 1954年 
(演)トニー・ベネット Tonny Bennett
(曲・詞)ハロルド・アーレン Harold Arlen 
(詞)トルーマン・カポーティ Truman Capote
 オリジナルは、ミュージカル「我が家は花盛り House of Flowers」のための曲で、作詞は物語の原作者であるトルーマン・カポーティです。
 この曲は、トニー・ベネットによる1954年のアルバム「Tonny Bennett Sings For Two」収録 
「オキナワに戻るよ Going Back To Okinawa」 1987年 
(演・曲・詞)ライ・クーダー Ry Cooder 
 ライ・クーダーの名盤「ゲット・リズム Get Rhythm」収録
 喜納昌吉とのコラボもある琉球音楽好きのライ・クーダーならではの曲 
「自活する子供を神は祝福する God Bless The Child」 1941年
(演・曲・詞)ビリー・ホリディ Billie Holiday
(曲・詞)アーサー・ハーツォグJr. Arthur Herzog Jr.
 ビリー・ホリディ Billie Holiday のアルバム「The Golden Years」収録 
「さよならを言うたびに Ev'rytime We Say Goodbye」 1944年 
(演)ジューン・クリスティー June Christy、スタン・ケントン Stan Kenton
(曲・詞)コール・ポーター Cole Porter 
 ジューン・クリスティーとスタン・ケントンの共演アルバム「Duet」収録
 偉大なるソング・ライター、コール・ポーターによる文句なしの名曲です。
「ガルヴェストン Galveston」 1968年
(演)グレン・キャンベル Glen Campbell
(曲・詞)ジミー・ウェッブ Jimmy Webb 
 ビルボードのポップ・チャートでも4位まで上がる大ヒットとなったグレン・キャンベルのシングル曲(カントリー・チャートでは1位)
 グレン・キャンベルは、カントリー・ポップ系の歌手であり、俳優としてこの時代に大活躍した大スター
 この曲は、時代の空気を反映し、ベトナム戦争に従軍した若者が故郷の街ガルヴェストンを懐かしむ内容 
ジミー・ウェッブ Jimmy Webb 
 ジミー・レイン・ウェッブは、1946年8月15日、オクラホマ州エルクシティのバプティスト派の牧師の家に生まれました。
 母親から教会のピアニストになってほしいと言われたことから、ピアノを学び始めます。
 彼のピアノ教師は、讃美歌の伴奏のためのピアノだけではなく、様々なピアノの奏法、コードワーク、作曲、インプロヴィゼイションの技術を教えてくれました。
 母親の死後、彼が大学をドロップアウトし、ロサンゼルスに移住。プロのソングライターを目指し始めます。
 安アパートに住み、スタジオの雑用をしながら曲作りをしていた彼は、1965年、コンテッサズという4人組女性コーラス・グループを任され、作曲・編曲をすることになります。
 この頃、彼はスタジオでのセッションでその後彼の録音に欠かせない存在となるドラマーのハル・ブレインと出会います。
 しだいに人脈を獲得していった彼は、LAに移転してきたモータウンの大物シュープリームスのクリスマス・ソング「My Christmas Tree」に曲を提供し、初の印税(350ドル)を得ました。
 1970年、グレン・キャンベルのために書いた曲「Honey Come Back」が全米19位のヒットとなります。
 その後、メイドロン音楽出版社と契約し、ジョニー・リバースのアルバム「Change」の録音に参加。
 ジョニーが自分のレーベルから売り出そうとしていた黒人ヴォーカル・グループ、フィフスディメンションのアルバムにも楽曲を提供。
 1967年、その中の1曲「Up , Up And Away」が全米7位の大ヒットとなり、グラミー賞で5部門の受賞に輝きます。
 さらにグレン・キャンベルの「By The Time I Get To Phoenix」も大ヒットし、全米26位ながらロングセラーとなり、翌年グラミー賞のソング・オブ・ジ・イヤーを獲得します。
 1968年、イギリスの俳優リチャード・ハリスのために書いた「マッカーサー・パーク MacArthur Park」が全米2位の大ヒットとなり、ヒットメーカーとして引っぱりダコの存在となります。
<その他のヒット曲>
 グレン・キャンベルの「Wichita Lineman」(全米3位)、「ガルヴェストン」(全米4位)、「Where's The Playground,Susie?」(全米26位)
 ブルックリン・ブリッジの「The Worst That Couid Happen」(全米3位)
 1967年には、自らがメンバーとなったトリオ、ストロベリー・チルドレン名義のアルバム「Love Years Coming」を発表。
 1968年には、ソロ名義のシングル「One of The Nicer Things」。1970年には、アルバム「Words And Music」を発表。その後、9枚のアルバムを発表しています。 
「自殺をすれば痛みは消える Suicide Is Painless」 1970年
(曲・詞)ジョニー・マンデル Johnny Mandel、マイク・アルトマン Mike Altman
 映画「M★A★S★H」サントラより 
 「ペインレス・ポラック(無痛のポラック)」という綽名のポーランド系歯科医は不能になったことから自殺を決意。
 そのための儀式のバックにかかった曲で、内容のブラックさに反比例した非常に美しい曲です。
ジョニー・マンデル Johnny Mandel
 ジョニー・マンデル Johnny Mandelは、1935年1月23日ニューヨーク生まれのミュージシャン、作曲家。
 子供時代から音楽的才能を発揮し、マンハッタン音楽学校、名門ジュリアード音楽院で作曲とトランペットを学びました。
 第二次世界大戦中からジャズ・バンドの所属し、トランペットやトロンボーンを演奏。
 戦後は、ヘンリー・ジェローム、アーティー・ショー、ジミー・ドーシー、バディ・リッチ、カウント・ベイシーなどの楽団でトロンボーンを担当。
 1954年に活動拠点をサンフランシスコに移し、ウエストコースト・ジャズの中心的アーティストとして活躍し始め、作曲・編曲も任されるようになります。
 1958年の映画「私は死にたくない I Want To Live!」で、モダン・ジャズを使った映画音楽を作曲し、高い評価を得ました。
 1965年の映画「いそしぎ The Sandpipen」ではアカデミー主題歌賞を受賞し、映画音楽の作曲家として一流の仲間入りを果たします。
 しかし、ジャズ・ミュージシャンとしての活動は続けていたので、映画音楽の作曲家としての仕事はそう多くはありません。
<代表的な映画>
 「アメリカ上陸作戦」(1966年)、「動く標的 Harper」(1966年)、「ポイントブランク」(1967年)、「夕陽の対決」(1969年)、「雨にぬれた舗道」(1969年)
 「マッシュ M★A★S★H」(1970年)、「午後の曳航」(1976年)、「アガサ愛の失踪事件」(1979年)
「孤独は井戸 Loneliness Is A Well」 1958年
(演)アニタ・オデイ Anita O'Day
(曲・詞)アイリーン・オルバニー Aileen Albany、ジョセフ・オルバニー Joseph Albany 
 アルバム「Anita O'Day At Mister Kelly's」(1958年)収録
「生きているうちにしたいこと All I Wanna Do」 1993年 
(演)シェリル・クロウ Sheryl Crow
(曲・詞)シェリル・クロウ Sheryl Crow、David Baerwald、Bill Bottrellm、Wyn Cooper、Kevin Gilbert 
 無名の大学講師ウィン・クーパーという人物が書いた詩集からシェリル・クロウが見つけた詩に曲をつけたもの。
 彼女がブレイクを果たすことになった大ヒットしたアルバム「Tuesday Night Music Club」収録 
「ミス・オーティスは残念ながら Miss Otis Regrets」 1934年 
(演)エラ・フィッツジェラルド Ella Fitzgerald
(曲・詞)コール・ポーター Cole Porter 
 ミスター・アメリカン・メロディともいえる偉大な作曲家コール・ポーターの作品
 ジャズ界を代表する女性ヴォーカリストであるエラがポーターの名曲をカバーしたアルバム「Ella Fitzgerald Sings Cole Poter」収録 
 その他、カーメン・マクレエもアルバム「グレート・アメリカン・ミュージック・ホール」でカバーしています。
「酒とバラの日々 The Days Of Wine And Roses」 1962年 
(曲)ヘンリー・マンシーニ Henry Mancini
(詞)ジョニー・マーサー Johnny Mercer 
 アニタ・カー・カルテット The Anita Kerr Quartet のアルバム「We Dig Mancini」収録
 オリジナルは、映画「酒とバラの日々」の主題曲でアカデミー主題歌賞受賞曲
ヘンリー・マンシーニ Henry Mancini
 ヘンリー・マンシーニ Henry Mancini は、1924年4月16日オハイオ州クリーブランド生まれの作曲家、編曲家。(1994年6月14日没)
 5歳の時、家族と共にペンシルヴェニア州アリクイッパに移住。両親はイタリアからの移民で、父親は製鉄工場で働いていました。
 フルートを演奏する音楽好きの父親から、彼はピッコロとフルートを習い12歳からはピッツバーグのスタンリー劇場の指揮者マックス・アドキンスからピアノを学びました。
 高校を卒業した後、彼はニューヨークのジュリアード音楽院でマリオ・カスルルヌオーヴォ=テデスコ、エルンスト・クシェネクに学びながら音楽家を目指しました。
 第二次世界大戦中、彼は陸軍に入隊し、ヨーロッパに渡りますが、無事に帰国し、1945年に除隊するとポピュラー音楽の世界で働き始めます。
 彼にとって憧れの存在だったテックス・ベネキ率いるグレン・ミラー楽団でピアノと編曲を任された後、1951年活動拠点をハリウッドに移し、ユニヴァーサルに入社します。
 映画の黄金時代だったこともあり、彼は1957年までに作曲・編曲者として100本近い作品を担当します。
 友人でもあったブレイク・エドワーズ監督とのコンビ作は特に多く、テレビ・シリーズの「ピーター・ガン Peter Gunn」(1958年)以降、多くのヒット作を生み出しました。
<映画のための主題曲>
 「ティファニーで朝食を Breakfast At Tiffany's」(1961年)から、「ムーン・リバー Moon River」(詞)ジョニー・マーサー(アカデミー主題歌賞)
 「酒とバラの日々 The Days of Wine And Roses」(1962年)から、同名タイトル曲(詞)ジョニー・マーサー(アカデミー主題歌賞)
 「シャレード Charade」(1963年)(詞)ジョニー・マーサー
 「ピンクの豹 The Pink Panther」(1963年)から、「今宵を楽しく It Had Better Be Tonight」(詞)ジョニー・マーサー
 「グレート・レース The Great Race」(1965年)から、「Sweeetheart Tree」
 「暗くなるまで待って Wait Until Dark」(1967年)から、同名タイトル曲(詞)レスリー・ブリッカス
 「ナタリーの朝 Me,Natalie」(1969年)から、「ナタリー」(詞)ロッド・マッケン
 「ひまわり Sunflower」(1970年)から、「ひまわり Lsot of Love」(詞)ボブ・メリル
 「暁の出撃 Darling Lili」(1970年)から、「暗闇にさよなら」(詞)ジョニー・マーサー
 「ビクター・ビクトリア Vivtor Victria」(1982年)から、「You And Me」(詞)レスリー・ブリッカス
<その他の映画音楽>
 「グレン・ミラー物語 The Glenn Miller Story」(1953年)、「黒い罠 Touch of Evil」(1958年)、「わが緑の大地」(1971年)、「フレンジー」(1971年)、「オクラホマ巨人」(1972年)
 「時よとまれ君は美しい Vision of Eight」(1972年)、「華麗なるヒコーキ野郎 The Great World Pepper」(1974年)、「大陸横断超特急」(1976年)
 「料理長殿、ご用心」(1978年)、「テン 10」(1979年)、「スペース・バンパイア」(1985年)
 コメディ映画、それもちょっとお洒落な作品に美しいメロディーを提供する職人的な作曲家でした。
「羊くん(ミスター・シープ) Mr.Sheep」 1979年
(演・曲・詞)ランディ・ニューマン Randy Newman 
 アルバム「ボーン・アゲイン Born Again」収録
 日本人のパロディとも言われた小人の歌「Short People」も印象的です。 
「1957年のディズニー・ガールズ Disney Girls(1957)」 1977年
(演・曲・詞)ブルース・ジョンストン Bruce Johnston
 オリジナルはザ・ビーチ・ボーイズのアルバム「サーフズ・アップ」(1968年)収録
 この曲はブルース・ジョンストンがビーチボーイズ脱退後に発表したアルバム「Going Public」(1977年)収録 
ブルース・ジョンストン Bruce Johnston 
 1942年6月27日イリノイ州ピオリア生まれのミュージシャン・作曲家であり、ビーチボーイズの元メンバー。
 高校時代からレコード制作に関わっていた彼は、1960年にロン・ホールデンの「Love You So」を全米7位のヒット曲を書いたことで注目されます。
 同じ年のテリー・メルチャー Terry Melcher とコンビを組んでソングライター・チームとして活躍を始めます。
 (テリーは父親がレコード会社社長で母親がドリス・デイというサラブレッドでした)
 彼らが目指したのは、フィル・スペクターによるスペクター・サウンド(ウォール・オブ・サウンド)とビーチボーイズのコーラス・サウンドでした。
 ただし、その両者の中間的なサウンドを売りにしたブルース&テリーとリップ・コーズ The Rip Chordsとしても活動。
 リップコーズとして発表した「Hey Little Cobra」、「Beach Girl」は、サーフィン&ホット・ロッドの代表作としてヒット。
 1965年、ブライアン・ウィルソンが引き籠り状態となり、ライブ活動が困難になったことから、ブライアンの代わりとしてビーチボーイズに加わります。
 彼はブルース&テリーとしては「Thank You Baby」「Don't Run Away」をヒットさせ、ビーチボーイズのためにも「Deirdre」「Disney Girl」などを書いています。
 この曲「ディズニー・ガール」は、BB以外にもキャス・エリオット、アート・ガーファンクル、岩崎宏美などがカバーしています。
 1972年に彼はビーチボーイズを脱退。彼がデヴィッド・キャシディのために書いた「I Write the Songs」(1975年)は、バリー・マニローがカバーし大ヒット。
 1976年のグラミー賞最優秀歌曲賞を獲得。1978年、ブルースは再びビーチボーイズに復帰。
 1984年以降は、テリー・メルチャーもソングライター&プロデューサーとしてビーチボーイズを支える存在となって行きました。
五時のホイッスル Five O'Clock Whistle 1940年
(演)アイヴィ・アンダーソンとデューク・エリントンのオーケストラ Duke Ellington and His Orchestra Featuring Ivie Anderson
(曲・詞)Kim Gamon,Josef Joe Myrow,Gene Irwin 
 デューク・エリントンのアルバム「Jump For Joy」収録 
「よそには行かないで Don't Go To Strangers」 2000年 
(演)ジョニ・ミッチェル Joni Mitchell
(曲・詞)レッド・エヴァンス Redd Evans、アーサー・ケント Arthur Kentほか 
 オリジナルはアーサー・プライソックとカウント・ベイシー楽団によるもの?
 この曲は、ジョニのアルバム「Both Sides Now」収録 
「ステート・トゥルーパー State Trooper」 1982年 
(演・曲・詞)ブルース・スプリングスティーン Bruce Springsteen 
 ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ネブラスカ Nebraska」(1982年)収録 
「バン・バン Bang Bang(My Baby Shot Me Down)」 1981年 
(演)フランク・シナトラ Frank Sinatra
(曲・詞)ソニー・ボノ Sonny Bono 
 オリジナルはソニー&シェール Sonny & Cher (1966年)の録音で、それをフランク・シナトラがカバー
 フランク・シナトラの娘ナンシーもカバー。映画「キル・ビル」でクエンティン・タランティーノが使用しています
「誰にも奪えない They Can't Take That Away From Me」 1937年
(演)フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース  Fred Astaire , Ginger Rogers
(曲・詞)ジョージ・ガーシュィン、アイラ・ガーシュィン George Gershwin , Ira Gershwin 
 映画「踊らん哉 Shall We Dance」(1937年)のために書かれた曲。
 この曲は、アルバム「Fred Astaire and Ginger Rogers/George Gueshwin」収録 

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