「音符」と「楽譜」の発明による音楽革命

<音楽革命(1)>

- グイード・ダレッツィオ Guido d'Arezzo -
<音符の発明>
 音楽史を変えた5大発明の第一番目。それは「音符」の発明です。その発明者の名前は意外に知られていません。僕も知りませんでした。
 その人物グイード・ダレッツォは北イタリアの出身でベネディクト修道会の教育者でした。
 もちろん彼の発明は、それまでに行われていた音楽を記録するための試みの延長線上にありました。

<カントルとネウマ>
 音符がない時代、ヨーロッパ各地の教会で聖歌隊のリーダー「カントル」は、聖歌隊のメンバーに聖歌を教えるのに常に困っていました。音楽を記録する方法がないために、誰かが曲を次の世代のメンバーに直接伝え、覚えさせる必要があったからです。
 その中で「ネウマ」と呼ばれる記号が生み出され、それにより、音の高低(ピッチ)を上下させるタイミングや伸ばし具合を指示することが可能になりました。しかし、ネウマにより音の変化の指示は示せても、その高低変化の最初がどの音から始まるのか?その基点となる音を示す基準がありませんでした。そのうえ、ネウマについても地域ごとにバラバラな部分が多く、ドットや波線など使う記号の統一がなされていませんでした。
 10世紀の終わりごろになり、スイスのザンクトガレンなどの修道院を中心にネウマの記譜法を統一する動きが始まります。そのおかげで、ネウマを学んだ聖歌隊のカントルの指示があれば、異なる教会の聖歌隊でも同じ聖歌を歌うことが可能になりました。ただし、そのためには複雑なネウマの決まりをマスターし、それを指示できる優秀なカントルが必要でその指示なしでは聖歌隊は活動できない状況が続きました。

<旋法の問題>
 さらに音楽を記録するための問題が、他にもありました。それはその曲の「明るさ」や「暗さ」などの雰囲気を決めることになる「旋法」の問題です。音と音の並びや間隔を教えてくれる手引書的存在の「旋法」。その決めごとについての統一もまだなされていなかったので、「旋法」の使い方についての統一した指示を出すことができなかったのです。
 どの音から始め、どの旋法を用いるか?その指示を示す記号が必要とされていました。音楽の専門家たちは、旋法の秘密を解き明かし、その法則性を数学や文字によって表そうと研究を続けます。

<音符と楽譜の発明>
 すべての音楽を再現するための地図となる画期的な存在。それを考案したのが前述のグイード・ダレッツォです。
 彼が生み出した「楽譜」の基礎となる表記方法「階名唱法」(ソルミゼーション)は、ドレミファの音階で歌う方法を示した最初のシステムです。そのシステムの基本は、始めの音が「ウト」から「ド」に変更された意外、今に至るまでほとんど変更されていません。ある意味、その時点でほぼ完成されてシステムとして発表されたわけです。

<ダレッツォという男>
 楽譜の発明者グイード・ダレッツォは、イタリア北部アレッツォの町にある大聖堂の聖歌隊で何百とある聖歌を教える教師でもありました。彼はそれまで続いてきたネウマを改良し、誰もが学び理解できる表記法によって音楽を楽譜化。それにより、教会の聖歌隊はどの曲でも練習でき、歌うことが可能になりました。
 1028年、彼のその偉業を知ったローマ教皇ヨハネ19世に呼び出されたダレッツォは、バチカンでその方法を解説。さらに聖歌隊が彼の制作したテキストを使用して、初見の曲を歌ってみせると会場の聖職者たちはみな驚かされました。
 その後、彼は現在の「ヘ音記号」などにあたる楽譜頭の音部記号も発明します。楽譜の頭に、これから始まる音階の種類を指示するようになったわけです。
 さらに彼は、自身のシステムを使った聖歌隊に歌唱指導を行う際、指揮者が指示をしやすいよう手で音階などを示せるような方法を考え出します。当時はまだピアノやチェンバロのような鍵盤楽器などなかったので、その代わりに手話のような方法で聖歌隊に指示を出したのです。この手法は「グイードの手」と呼ばれ、今もそれを使うことがあるようです。映画「未知との遭遇」で宇宙人との交信に使用されたのも、その手法のなごりです!
 こうして彼が生み出した「音階」は、その後「五線譜」に記されるようになり、いよいよ現在の楽譜へと進化することになります。

<楽譜誕生の影響>
 楽譜の誕生は、その後の音楽の歴史を大きく変えることになりました。それは単により多くの人に音楽を演奏、歌唱する機会を広めただけではありません。

 音楽が正確に書き記されるようになったことで、個人の記憶力に頼る必要がなくなり、より複雑な曲を数多くつくって後世に残すことが可能になった。言い換えれば、グイードはそれまでとはまったく異なる種類の音楽家、つまり「作曲家」登場への道を開いたといえる。

<対位法>
 楽譜の登場によって生まれた曲をつくるための新たな手法に「対位法」があります。
 「対位法」とは、二つあるいはそれ以上の旋律を同時に奏でるための技法のこと。複数の旋律を組み合わせ、それが美しく響くかどうかは楽譜によって理論的に組み立てることで、演奏せずに確認できるようになりました。楽譜がない時代は、実際に演奏しなければ、ハーモニーの美しさを確認することはできなかったため、高度な曲になると演奏者のレベルによっては確認不可能でした。それが楽譜の登場で理論的に確認可能になったのです。そのおかげで、演奏者はそれに合わせるために練習し、演奏能力をレベルアップして行くことにもなりました。
 作曲家と演奏者が相乗効果によって、共にレベルアップすることになったのです。こうして二つのメロディーのハーモニーどころか、10以上のメロディーを組み合わせることも理論的に可能になり、急速に曲の複雑さ、美しさが増すことになります。
 グイードが生み出したシステムは、巨大な構造物としての楽曲を作ることを可能にし、作曲の専門家を登場させ、演奏者から独立して音楽が成立する時代を切り開きました。そして音楽は、楽譜のよって時を超え、国や言語をも超える存在となったのです。

<楽譜によって広がる音楽>
 1640年頃、イタリアの作曲家グレゴリオ・アレグリは、9声部からなる高度な合唱曲「ミゼレーレ」を作曲。その曲をローマ法王は門外不出とし、歌えるのはシスティーナ礼拝堂に所属する教皇個人の合唱団のみとしました。それも毎年1回、復活祭前の聖週間だけにしか歌われない決りになっていました。演奏の当日は、ろうそくを1本ずつ消しながら、厳かな雰囲気の中で歌われ、聴衆を魅了していました。
 その楽譜は特別なものとして厳重に保管されていて、二つだけ存在した楽譜の写しは、レオポルト1世とポルトガルの王だけが所有していました。
 ところが1770年、その年の聴衆の中にいた14歳の少年が13分に及ぶその曲を暗譜し、書き写し、世に広めてしまいました。その少年こそ、天才作曲家として時代をリードすることになるウォルフガング・アマデウス・モーツァルトでした。
 彼のような天才は一度聞けば、それを完璧に暗記することが可能でしたが、それを楽譜にしたからこそ、誰もが演奏したり、歌えるようになったのです。
 こうして楽譜の誕生は、その後の音楽の進化を急速に早め、より高度な曲を生み出すと同時に、より多くの人へとそのすそ野を広げることになりました。

<参考>
「音楽史を変えた五つの発明」

Big Bangs The Story of Five Discoveries that Changed Musical History  2000年
(著)ハワード・グッドール Howard Goodall
(訳)松村哲哉
白水社

トップページヘ