オーケストラ音楽を可能にした「平均律」

<音楽革命(3)>

- 平均律による音楽の高度化 -
<音階と倍音>
 音楽における基本的な法則である「音階」についての考え方は、紀元前580年頃、あの有名なピタゴラスによってすでに生み出されていました。
 そのことに彼が気づいたのは、金属や弦のように身近にある物質が生み出す音に関する実験を行った結果からでした。

 音を発する弦や金属棒などは、2体の比率によって、元の音とよく融け合う新しい音を生み出します。さらに実験によれば、弦をもとの長さの3分の2にする作業を重ねると理論上は前の音ときれいに響き合う新しい音が際限なく生み出されることがわかりました。

 弦の長さを半分にすると、最初の音とそっくりだが、より高い音が出ます。(倍音)さらに半分にするとより高い音になる。一方、二分の一ではなく三分の一にすると今度は前の音とは違う新しい音が生まれます。この音は属音(ドミナント)と呼ばれ、最初の音と美しく響き合うことがわかりました。

 ピタゴラスの発見によれば、音階は無限に存在するので、そのどこを選ぶのかは音楽家の自由ですが、その音を出す楽器がなければ演奏することはできません。
 例えば、ピアノには一般的に88の鍵盤にあり、それは7オクターブ(12の音)+4つの音からできています。こうした決めごとがないと、演奏家は楽器ごとに混乱するし、楽曲を制作することはできません。それにピアノと合奏する楽器たち、ギターやトランペットも構造上使える音は限られるので、それらを合わせるためには音階をそろえる(調整)必要があります。

<ピタゴラス・コンマ>
 ピタゴラスは12の音階までは、それぞれが等間隔に並ぶことから美しく響き合えることを発見していました。ところが、13番目からは微妙なズレが生じ、美しく聴こえないことに気づきます。その不条理な事実は「ピタゴラス・コンマ」と呼ばれることになります。
 そのズレの影響で、広いオクターブを使った合奏を行うと、そこには美しくない響きが生じることになります。
 単純な音階の曲の場合は、12以上の音階は不要だったため、当初は8音(オクターブ)で多くの曲は生み出されていました。
 同じように「ピタゴラス・コンマ」の存在に気づいていた中国などアジアの音楽家たちは、そのことを認めたうえで音楽を制作するようになりました。そもそも音楽にそれほど多くの音階を求めなかったとも言えます。
 ところが、ヨーロッパの場合、音楽家の多くがその事実に納得せず、より複雑なハーモニーを実現するための研究を続けます。そのモチベーションは、音楽への愛か、その目的のひとつだった宗教的な情熱だったのか?それは謎です。

<より高度なハーモニーへの挑戦>
 ヨーロッパで続いた「ピタゴラス・コンマ」を克服するための挑戦は、さらなる複雑なハーモニーの音楽を生み出すために楽器を進化させました。
 例えば、ピアノの鍵盤に白鍵に黒鍵が加えられたのは、その調整を簡単に行うための工夫でした。そしてそのピアノを中心に複数の楽器を組み合わせることで、より複雑な音楽を生み出すことが可能になしました。
 しかし、こうした調整はあくまでも小手先の調整であって、それが数学的、論理的に美しくまとめられたわけではありませんでした。キリスト教的にも完璧な宇宙と完璧なハーモニーは、小手先で誤魔化すようなこのではないはずです。したがって、そこには何か間違いがあると考えられていました。

<声楽での挑戦>
 楽器の場合と異なり、声楽の場合、微妙な音程の調節を行うことで3度や6度の音程を使っても、十分に美しいハーモニーを響かせることが可能であることがわかっていました。そこで、イギリスの作曲家ジョン・ダンスタブルは、より高度なハーモニーのの曲「ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス(来たれ、聖霊よ)」を作曲。1415年に英国軍がフランスに勝利した戦争の後、その曲がフランスのカンタベリー大聖堂で披露されました。当時としては、奇抜で前衛的だったものの、その曲は多くの観衆を魅了しました。そしてこの後、ヨーロッパ各地でこの曲が歌われることになります。
 1420年頃、フランドル出身の作曲家ギヨーム・デュファイは、早速、その手法を自らの曲作りに取り入れ、ここからヨーロッパ中で、より高度な声楽曲が歌われるようになります。

<楽器での挑戦>
 声楽では可能だった微調整ですが、それは楽器ではなかなか上手く行きませんでした。そのため、声楽曲の伴奏をする楽器奏者にとって、上記のような高度な曲は悪夢のような存在でした。
 鍵盤楽器やフレット付きの楽器では、そうした音に合わせた正確な調律をすればなんとかなりますが、どうすれば3度や6度を美しく響かせる「音律」が簡単にできるのか?いよいよこの難問を解く論理的な分析が必要になってきました。
 C、D、E、F、G、A、BそしてC
 Cを中心(根音)として出来た音のファミリーをC調もしくはハ調と呼びます。(D調はニ調)
 それぞれの調の音階は、美しく自然に響き合いますが、別の調に移るとそうはなりません。その転調を同じ楽器を使って演奏するには微妙な調整を瞬時に行う必要があります。それが困難な場合、管楽器などはその調整を諦め、それぞれの調に合わせた楽器を使い、その都度持ち替えることで対応していました。
 しかし、いろいろな楽器を同時に使って、複雑な曲を作るにはすべての楽器の調を合わせることが必要になります。そして最後にこの問題を最終的に解決したのが、音階の変化を数値的に平均化した「平均律」という考え方でした。

<平均律の誕生>
 ガリレオ・ガリレイと同時代のフランクフルト出身の数学者シモン・ステヴィンが、1580年から1600年にかけて鍵盤楽器を平均律に調律するための正確な数値を算出することに成功します。彼はある音の周波数を、1.059463094倍すると正確に半音上がると算出しました。あとはこの平均律に従って楽器を調律する作業が残されましたが、調律師たちの努力によってそれも可能になって行きます。
 18世紀初めになると、ついにその平均律を使って作曲をする新時代の作曲家も登場します。それがあのヨハン・セバスチャン・バッハでした。
 一般的に「平均律クラヴィーア曲集」(1722年)と呼ばれる曲は、正確には「ウェル・テンペラメントによるクラヴィーア曲集」といい、48曲(うち2曲は後で追加された)の平均律に基づく曲が収められていました。当初は、楽器の問題もあり、まだそれを演奏できるのは限られた演奏者だけで一般的には広がりませんでした。
 それから50年後、ライプニッツの音楽出版社プライトコップフ&ヘルテル社がこの曲の楽譜を出版。この頃には、すべての調を演奏可能な鍵盤楽器が存在していたということなのでしょう。平均律に基づく鍵盤楽器の登場によって、調律をせずに演奏は可能になる時代が始まっていたわけです。
 謎なのは、バッハがどうやって「平均律クラヴィーア曲集」を作曲したのか?ということです。作曲のために用いた鍵盤楽器の調律をどうやってしていたのか?彼はその方法についての記録を残っていなかったので、そこは永遠に謎のままかもしれません。(あえて彼はそれを秘密にしたままこの世を去ったのかもしれません)

<平均律の時代到来>
 18世紀の終わり頃には、音楽界における平均律の勝利は見えていましたが、決定打となったのは1840年代ロンドンのジョン・ブロードウッド社が平均律を採用したピアノを製造し始めたことでした。
 そのブロードウッド社のピアノ製造を可能にしたのは、1800年に完成されたヘンリー・モーズリーが開発した精密な金属旋盤でした。その旋盤による加工の精密さのおかげで1584年にシモン・ステヴェンが見つけた数値通りにピアノのフレームを加工することが可能になったのでした。
 こうして、13番目の音が美しく響くように1~12の音を少しずつづらすことが技術的に可能になったわけです。同じことは他の楽器にもあてはまり、すべての管楽器やアコーディオンなども精密な加工法によって、鍵盤楽器同様、調整が可能になったのでした。
 19世紀半ばになると、いよいよ平均律の使用は音楽界では常識になり、その存在意義について考えることもなくなっています。

<平均律の音楽世界>
 現在、私たちは音楽をすべて平均律というフィルターを通して聴いているといえます。意図的に「いびつ」な状態を目指した平均律が、私たちの耳には「正しく」聴こえているとも言えます。そのため、西洋音楽以外の曲、平均律からはずれた音階を持つ曲を私たちは耳障りに感じるようになっています。
 アメリカの作曲家テリー・ライリーはこう言っています。
「西洋の曲のテンポが速いのは、音がはずれているからだ」
 どういうことかというと西洋音楽は自然界が生み出す完璧な音階と合っていないので、、その不安定さを誤魔化すために動き回る必要があるということです。倒れないために走り続ける必要がある自転車のようなものということです。
 このことは、もしかすると音楽だけのことだけではないかもしれません。我々人類の文化は、その多くが自然の完璧なバランスからはずれているからこそ、常にそのバランスを気にしながら社会や文化を調整し続ける必要があるのです。
 これは人類文明が直面し続けてきた本質的な問題かもしれません。

<参考>
「音楽史を変えた五つの発明」

Big Bangs The Story of Five Discoveries that Changed Musical History  2000年
(著)ハワード・グッドール Howard Goodall
(訳)松村哲哉
白水社

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