究極の楽器ピアノ誕生物語

<音楽革命(4)>

- バルトロメオ・クリストフォリ Bartolomeo Cristofori -
<ピアノの発明>
 1700年前後にイタリアで発明されたピアノは、西洋音楽における最重要で不可欠な楽器です。それだけ重要な存在である楽器となれば、さぞかし年月をかけ、様々な人が関わって生み出されたと思われます。しかし、実はそんなピアノの発明者であり、製造者でもある人物は、たった一人だと言われています。それは意外なことですが、ピアノという楽器の持つ特性からその事実が確認できます。
 すべての楽器は、4つのタイプに集約できます。
(1)叩いて音を出す太鼓などの楽器
(2)吹いて音を出す木管・金管楽器
(3)爪弾いて音を出すギターなどの楽器
(4)弓でこすって音を出すヴァイオリンなどの弦楽器
 ではピアノはどのジャンルに属するか?
 最初に現れた鍵盤楽器はオルガンで、ローマ時代にはその原型が生まれ、1000年頃まで改良が重ねられました。こうして生み出された手動の吹奏楽器の延長だったオルガンに弦楽器の要素を付け加えたのがピアノというそれまでにない新しい楽器でした。それは横置きにした弦楽器に鍵盤をつけて演奏できるようにした楽器でした。
 しかし、弦をはじいて音を出す仕組みは繊細で音の強弱を付けるのも非常に困難でした。その弱点の克服こそが、ピアノという究極の楽器を生み出す最大のポイントだったと言えます。
 それまでなかった新しい工夫を考ついたのは誰だったのか?
 ピアノ誕生の物語です。

<ピアノの原型>
 ピアノの原型となる現存する最古の楽器はクラヴィツィテリウムと呼ばれ、1480年頃南ドイツで制作されました。ただし、それは立てて演奏する楽器だったので「ケースに入れたハープ」のような存在で、今のピアノとはかなり異なりました。そして、この楽器を横置きにした楽器としてヴァージナルが登場します。これは小型のチェンバロとも言える形で、弦を「はじいて」弾くようになっていました。ただし、鍵盤を使って弦をはじくことで生まれる音は、強弱が付けられないという弱点がありました。この欠点はこの後も長くその弱点として残ることになります。
 その後英国でハンマー・ダルシマーとも呼ばれる「ツィン・バロン」が生まれました。その楽器は、弦をマレットと呼ばれる2本のバチで叩いて音を出す仕組みでした。その楽器だと弦を叩く際に強弱を付けることで、そこから生まれる音に強弱をつけることが可能になりました。
 ヘーベン・シュトライトが作り演奏した「パンタレオン」は、大型のダルシマーでヨーロッパ各地で演奏され有名になりましたが、製作者がこの世を去ってしまうと共に消えてしまいました。
 ダルシマーという楽器は2本のバチで演奏する楽器で鍵盤を使ったとはいえ、ピアノよりも鉄琴に近い楽器でした。それをバチではなく鍵盤で演奏できるように改良したのが、クラヴィコードという楽器でした。
 マレットを弦の下ににつけ、鍵盤を操作することでマレットが弦を叩くようにしたハンマー・ダルシマーの変形楽器です。これはピアノの直接的な先祖と言えますが、残念ながら決定的に音量が小さすぎました。そのため、室内の練習用としては良かったのですが他の楽器との合奏には不向きでした。弦がすぐにたわんだり、張りすぎたりするため、チューニングを頻繁にする必要があったことも欠点でした。それでも音量の小ささは部品を大きくしたり、本体を大型化することでカバーすることが少しづつ改良されて行きます。

<ピアノの最終型>
 現在のピアノに至るまでに残された問題は、鍵盤で弾くには叩くか、叩かないかのON/OFFしかないため、音量の強弱がつけられなかったことです。最終的にその研究開発には資金が必要になりました。そして、その資金を賄ったのがイタリアの名門フィレンツェのメディチ家でした。なかでもフェルディナンド・デ・メディチは、音楽に詳しく楽器のコレクターでもありました。そのコレクションの管理を任されていたバルトロメオ・クリストフォリは、楽器の製作者でもありました。そして、彼こそピアノのシステムを完成させる人物です。
 1700年、フェルディナンドはバルトロメオに指示し、未完成だったピアノの改良を行いその完成形を生み出させます。
 幸いなことに、メディチ家にはバルトロメオ以外にも様々なお抱え職人がいました。画家、彫刻家、時計職人、印刷技術者、修復の専門家などの優秀な専門家が彼のもとで働き始めます。時計職人による細密な機械部品の製作は、ピアノに求められていた最後の難関の突破を可能にしました。音の強弱「ピアノ」と「フォルテ」を叩ける楽器がついに完成します。その楽器の名前は、「バルトロメオ・クリストフォリによって新たに考案された、ピアノとフォルテを弾き分けることが可能なチェンバロ」とされましたが、これこそが「ピアノ」の原型と言えます。
 残念ながら、この時に製作されたオリジナルのピアノは3台しか残っていません。

<完成型のシステム>
 完成型のシステムでは、小型のハンマーが「てこの原理」を用いてピンと張られた弦を下から叩くようになりました。特徴的なのは、ハンマーが弦を叩いた後、すぐに元の位置に戻り、もう一度叩くことが可能な位置にすぐにつくことです。
 それとは逆に、鍵盤はすぐには戻らず、リバウンドしてもう一度弦を叩いてしまうことはありません。(エスケープメント)
 この微妙な工夫こそが、ピアノ完成の最大の秘密でした。
 1731年彼が死んだ年に、このピアノのための曲が発表されました。ロドヴィーコ・ジュスティーニによる「小さな音と大きな音を出すチェンバロのためのソナタ」です。この後、バルトロメオが作った20台のピアノのうち何台かがスペイン、ポルトガル、ドイツ、イギリスに渡り、そのレプリカも作られ、彼の技術がヨーロッパに広がることになりました。

<ピアノ製作の後継者>
 クリストフォリの死後、彼の技術は失われかけますが、ザクセンのオルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマンが彼の仕事を復活させます。さらにイギリスでは、家具職人だったヨハネス・ツンペがシンプルで実用的なスクエア・ピアノを製作・販売し始め、ヒット商品として普及させました。1766年から1779年にかけて、彼は毎年約50台のピアノを製作しました。当時のロンドンは、世界一の貿易国の中心として繁栄していて、ウエストエンドの彼の工場は大忙しでした。
 しかし、便利なスクエア・ピアノに対し、より高度でより高価なドイツ製の大型ピアノの人気も高まります。それはモーツァルトやベートーベン、ドビュッシーらの音楽家たちが、ドイツの職人ヨハン・シュタインらが作るピアノの音色を愛したからです。こうして、ドイツ製のグランド・ピアノがクラシック音楽に使われるピアノの主流となってゆきます。
 彼らによって、ピアノはオーケストラの中心的な楽器として使われることになり、それがピアノの質の向上、より安価な普及型の誕生を促すことになりました。

<ドビュッシーの挑戦>
 オーケストラの中心として平均律に基づく音楽の要となったピアノですが、その後、あえてそこから逸脱する作曲家も現れます。その代表的存在が、クロード・ドビュッシーです。彼は平均律の採用によって完成された西洋のクラシック音楽に再び革命を起こします。
 彼が参考にしたのは、バリ島から1889年のパリ万博にやってきたガムラン・オーケストラやムソルグスキーやリムスキー・コルサコフらロシアの作曲家たち、それにアメリカから来たラグタイム・ピアノの「シンコペーション」などでした。こうしたそれまでの調整を無視した音楽が、クラシックだけでなくロックやジャズなど様々なジャンルの音楽に大きな影響を与えることになりました。ある意味、音楽はその原点回帰を目指したとも言えます。それでもなお、ドビュッシーの音楽の中心にはピアノがありました。
 今や音楽の中心としてその地位はゆるぎないものになりました。人が直接音を出すことにこだわり続けるなら、ピアノはその演奏の中心として存在し続けるでしょう。

<参考>
「音楽史を変えた五つの発明」

Big Bangs The Story of Five Discoveries that Changed Musical History  2000年
(著)ハワード・グッドール Howard Goodall
(訳)松村哲哉
白水社

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