音楽制作の現場を変えた録音技術

<音楽革命(5)>

- エジソン、ベルリナー、カルーソー -
<録音技術の発明>
 音楽の歴史を変えた革命的な発明。その5番目に挙げられているのが、「録音技術」です。「録音」自体は「音」を記録する技術に過ぎませんが、それが「音楽」そのものを生み出す新たな革命の原点となります。
 それは「音」を記録することにより「音楽」だけでなく「歴史」や「文化」を記録し、それをソフト化して放送したり、販売したりする新たな産業を創出することになりました。そして、そこから様々な技術革新が誕生し、歴史が次々に書き換えられて行くことになります。
 さらにコンピューターの誕生以降は、「音」の記録だけではなく「編集」「加工」「サンプリング」などがより自由自在に可能となり、楽器の必要さえ失くしつつあります。
 あらゆる「音」を音楽に変え、あらゆる音楽理論を取り込むことにより、音楽はもしかすると楽器も演奏者を不要の存在になるかもしれません。
 こうした音楽の進化の歴史は、すべて「録音技術」の誕生から始まったと言えます。
 その生みの親は、やはり「発明王」トーマス・エジソンでした。しかし、彼は「録音技術」の価値をそこまで認識してはいませんでした。そのためその技術は、彼以外の人によって改良され、普及され、発展させられることになります。

<エジソンの認識>
 録音技術の発明者、エジソンは自分の声を「蝋管」に刻み込むことに成功した後、その発明の利用法について様々なアイデアを提示しています。
 そして、9つの主なアイデアを利益が出そうな順番に挙げています。
(1)オフィスでの口述筆記用
(2)視覚障害者のための音の出る本
(3)正しい話し方の指導用
(4)音楽の再生
(5)おもちゃ
(6)声で時を告げる時計
(7)消滅危機の言語の保存
(8)遠距離での教育用
(9)家族の声の記録
 エジソンが考えた上記のアイデアの中で「音楽の再生」は、4番目でそれほど将来性がある使い方とは思っていなかったようです。そのせいか、エジソンはその特許に映画や電気ほどはこだわらなかったようで、「音楽の録音」に関する商品化はエジソンの専売特許とはなりませんでした。

<音楽再生技術の商品化>
 音楽再生の技術が利益を生み出すことが明らかになったのは、1890年頃、レストランやバーに置かれた「ミュージカル・フォノグラフ」と呼ばれるジュークボックスの原型が大人気となったことからでした。
 当時、エジソンが発明した録音機は「蝋管」のシリンダーを用いたものでしたが、シリンダーは量産がきかず、場所も取るという欠点がありました。その欠点を補い、新たなニーズを掘り起こすことになったのが、エミール・ベルリナーが発明したゴム製ディスクの登場でした。この発明により、記憶媒体がディスク(レコード)に代わり、プレスによる大量生産が可能になり、低価格化も可能になりました。
 1890年代後半には、ゴム製だったディスクはプラスチック製となり、現在へとつながるアナログ・レコードの時代が始まります。そしてその中心となって音楽産業をリードしたのはベルリナーでした。

<音質の悪いレコード>
 当初、レコードから出る音はまだまだ技術的にノイズだらけで、音質は最悪でした。そのため、クラシック音楽など繊細な音楽のレコード化は困難で、最初に発売されたレコードの音源は各界スターたちの朗読などの録音でした。例えば、サラ・ベルナールのような芸能界(ダンス界)のアイドルやマーク・トウェインなど有名作家たちによる自著の朗読などが好評だったようです。(偽物でもバレなかったでしょうが・・・)
 音質の影響が少ないキャバレーなどで演じられていたコミカルな歌謡やセンチメンタルなラブソング、マーチングバンドの楽しい行進曲、コミック演劇の抜粋録音なども、音源ネタとして使われました。
 最も古いクラシック音楽の録音は、1888年ロンドンのクリスタルパレスで録音されたヘンデルの大作オラトリオ「エジプトのイスラエル人」です。2時間に渡る4人による合唱を録音したものですが、そのレコードは現存しないそうです。
 当初、一流のミュージシャンたちは音質の悪さから、自分の演奏を録音する気にはなれなかったようです。ましてその音質の悪い作品がレコードとして出回れば、アーティストとしての名声に傷がつくと考えたのです。

<レコードの高音質化>
 1893年イタリア出身のベッティーニがニューヨークで自らが設計した録音機を使って、メトロポリタン・オペラの歌手などの曲を録音。それを、それまでにない高音質なレコードとして、クラシック・ファン向けに高い値段で販売し成功を収めます。(残念ながら、この時に発売されたレコードのほとんどは第二次世界大戦の際に焼けてしまったようです)
「一流の演奏家と世界的に有名なアーティストの演奏による最高の音楽のみを、高品質の録音によって」
ベッティーニ製レコードのキャッチコピーより

 1925年に電気録音のシステムが登場するまでは、演奏者はできるだけ音を大きく記録するための工夫を強いられました。ラッパ型収音器に楽器をできるだけ近づけたり、オーケストラの編成を小さくしたりして、なんとか楽器の音を均等に録音するしかなかったのです。
 さらにレコードに録音できる演奏の長さも3分程度しかなかったため、長いクラシック音楽はレコードの長さに合わせて編曲しなおす必要が生じました。それでは原曲の魅力を再現できるわけがありません。当時の状況では、レコードとクラシック音楽は相性的に最悪の組み合わせだったのです。

<カルーソー登場!>
 20世紀に入り、レコードとクラシック音楽の関係を革命的に変える英雄が登場します。ロンドンで設立されたベルリナーの後継者が設立したグラモフォン社が、イタリアのオペラ界から見出したエンリコ・カルーソーです。
 1902年、英国グラモフォン・レコードのプロデューサー、フレッド・ガイズバーグがカルーソーを説得し、彼が住むホテルで録音を行ったことからブームが始まることになりました。オペラ界の人気者だった彼がレコードを録音。それがヒットしたことで一気にレコードの知名度が上がり、蓄音機と共に世界的なヒット商品となりました。
 レコード業界が生んだ最初の世界的スターとなったカルーソーによって、グラモフォン(英国)とビクター(米国)の2社は大成功を収め、その成功を知った他のオペラ歌手や演奏家たちも積極的にレコード録音に参加するようになります。

<レコードと太平洋戦争>
 第二次世界大戦まで、レコードはカイガラムシというカメムシの一種が出す分泌物を原料にした「シュラック」という素材をもとに作られていました。ところが、その主要産地だったフィリピンを太平洋戦争開戦後に日本軍が占領。そのためにシュラック製のレコードが作れなくなり、米国コロンビア・レコードは新素材のビニールでレコードの製造法を研究し始めます。そして、1948年から本格的にビニール製レコードの製造を開始します。
 すると耐久性があり、精密な加工が可能な素材を得て、331/3回転のレコードの製造も可能になり、LPレコードが登場。長時間録音が可能になり、クラシックやオペラのレコードがさらに増えることになります。この時代に世界的スターとなったのが、オペラ界の女王マリア・カラスでした。

<テープ録音の登場>
 第二次世界大戦に敗れたドイツが戦時中に開発していたテープ録音の技術が、戦後アメリカに伝わりました。
 それまではマスター・ディスクを用いていたレコード製作の現場が、より扱いやすく編集も可能な磁気テープ(マスター・テープ)を使用することになり、レコード録音の現場はさらなる進化を遂げることになりました。切り貼りが可能で編集により「カット&ペースト」が可能になったことは、レコード録音された音楽の質を一気に向上させただけでなく、新たな音楽の録音も可能にして行きます。(ビートルズもその進化を進めた存在です)
 一発勝負の生の音が命だった音楽は、絵画や彫刻、建造物のように「音」を用いて作り上げて行く「構造物」へと進化を遂げることになって行くことになります。
 この傾向はコンピューターの登場によってさらに進化することになります。

<参考>
「音楽史を変えた五つの発明」

Big Bangs The Story of Five Discoveries that Changed Musical History  2000年
(著)ハワード・グッドール Howard Goodall
(訳)松村哲哉
白水社

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