「サイバネティックスの父」

- ノーバート・ウィーナー Norvert Wiener -

<サイバネティックスの父>
 アインシュタインやニュートンのように最高峰の科学を極めた人々の理論は、哲学や思想にも大きな影響を与えています。それは、彼らの生み出した理論が人間の考え方や社会の成り立ちなど、あらゆる分野に影響を与えるほど奥の深い意味をもっているためです。
 そうした科学と思想との関わりの中でも、特に大きな意味をもつジャンルとして、「サイバネティックス」と呼ばれる20世紀に生まれた新しい領域があります。元々はギリシャ語で「操縦」や「舵手」を意味する言葉から作られたという「サイバネティックス」は、当初、科学における、より有効な情報伝達の方法を研究するための学問でした。
 20世紀の学問の多くがそうであるようにこの学問が誕生したきっかけもまた「戦争」でした。第二次世界大戦中、急激に発達した飛行機を攻撃するために地上では対空砲の開発が重要な意味をもつようになりました。しかし、はるか上空を飛ぶ飛行機に砲弾を命中させるには、単にまっすぐ飛ぶだけの大砲ではなく、風の影響や飛行機の位置と動きを瞬時に把握し、その情報から導き出す知能をもった大砲が求められたのです。その知能の役目を果たすために「コンピューター」が発達することになるわけですが、「サクィバネティックス」の原点はこうした「知能をもつ機械」のために独自の情報処理システムを開発することから始まったのです。
 そして、この時、その開発の中心人物として活躍していたのが、後に「サイバネティックスの父」と呼ばれることになる人物、ノーバート・ウィーナー Norvert Wienerでした。

<天才の中の天才>
 ノーバート・ウィーナー Norvert Wiener は、1894年11月26日ミズーリ州のコロンビアで生まれています。ハーバード大学のスラブ語教授だった父親から英才教育を受けた彼は14歳でハーヴァード大学の大学院に入学!18歳で博士号を取得したという天才中の天才といえる存在でした。この時代の天才たちの多くがそうだったように彼もまたユダヤ系の青年でした。アインシュタイン、フロイト、マルクスなど20世紀はユダヤ人の天才によって動かされたともいえそうです。
 大学で数理科学を専攻していた彼は、イギリスではバートランド・ラッセルに、ドイツではヒルベルト空間で有名なデヴィッド・ヒルベルトのもとで学びました。しかし、彼は純粋な数学よりもそれを応用する分野へと進むため、1919年アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の教授に就任。その後、引退までそこで研究を続けることになります。彼にとっては、新しい科学を次々と実用化に結びつける国アメリカこそ、最高の舞台だったのかもしれません。
 ただし、第二次世界大戦中彼は対空砲や原子爆弾の開発などに関りますが、戦後は直接軍事利用に関する分野の研究に関ることはありませんでした。

<サイバネティックス>
 彼が生み出した「サイバネティックス」とは、いかなる科学分野なのでしょうか?わかりやすく解説してみたいと思います。先ずは、彼が書いている「サイバネティックス」に関するいくつかの定義について書き出してみます。

「情報についての定義」
「『情報』とは、われわれが外界に対して自己を調節し、かつその調節行動によって外界に影響を及ぼしてゆくさいに、外界との間で交換されるものの内容を指す言葉である」
 人が言葉を発しても、それが誰かに伝わり、その人に影響を与えなければ、それは「情報」とは呼べないということです。当然、独り言は情報ではないことになります。
「制御と通信においては、われわれは常に、組織性を低下させ意味を破壊する自然界の傾向と闘っているのである」

ノーバート・ウィーナー「人間機械論」より
 「情報」を伝える自然界の摂理(これを「エントロピー増大の法則」といいます)に対抗し、その「秩序」がもつ「意味」を伝えることといえます。

「エントロピー増大の法則」
 ものごとはすべて、より乱雑な状態に向かって変化するという究極の原理です。掃除をしない部屋はかならず散らかってゆきます。しかし、それは子供部屋だけでなく、世の中すべてについて当てはまることです。この方法に立ち向かう無謀な反抗者、それが生命体です。生命だけが、一時的ながらも秩序を生み出し、維持し続けることができる存在なのです。

 それでは「情報」を伝える存在のひとつ「通信する機械」の役割とはなんでしょうか?
「機械は、生物体と同様に、前述のようにエントロピー増大の一般的傾向に局所的かつ一時的に抗する装置である。それらは決定を行なう能力によって、エントロピーの増大する世界の中に局所的な組織化領域をつくりだすことができる」
ノーバート・ウィーナー「人間機械論」より
 やはり自然界最強の法則「エントロピー増大の法則」に対し、秩序を守ろうとする必死の抵抗、これが情報を伝える機械の役割です。ただし、現時点でこうした機械は人間がプログラムして動かしている存在なので、機械そのものが自立的に秩序を生み出しているわけではありません。同じようなことは生命体にもいえますが、生き物はそのための秘密兵器を持っています。
「ホメオスタシス」
「生命は、死んでゆく世界の中の一時的な島である。我々生命が腐敗や崩壊の一般的な流れに抵抗してゆく過程は『ホメオスタシス(恒常性)』として知られている」
ノーバート・ウィーナー「人間機械論」より
 機械がコンピューターという情報処理装置によって制御していることを、生命は「ホメオスタシス」という生物学的な制御機能によって、無意識のうちに処理しているのです。生命の偉大さはまさにここにあります。こうして、情報処理という概念をもとに生命と機械とを比較する時、そこに機能的な差異は基本的に存在しない。そう考えたウィーナーは、その考え方をもとに自著「人間機械論」を発表。ここで論じられた「サイバネティックス」の概念は大きな話題となり、その後はより広い範囲において用いられてゆくことになります。

<コンピューターの登場>
 「サイバネティックス」を最初に必要とした高度な情報処理機能を持つ装置として開発されたのが、ジョン・フォン・ノイマンらによって生み出されたノイマン型コンピューターです。現在世界中で稼動しているコンピューターのほとんどはこのタイプに属していますが、ウィーナーはそれをさらに進化させたものを構想していました。それは、学習機能をもつと同時に自らの複製を作り出すことも可能な自己増殖型のコンピューターです。そこまで発展しなければ、機械が生物とイコールで結ばれることはないと彼は考えていました。そこまでくると、「ブレードランナー」や「スクリーマーズ」など、あのフィリップ・K・ディックが描いた悪夢の世界に限りなく近づいたことにもなりそうです。
 コンピューターを前述のようにワンランク上の高度な存在へと引き上げるために必要とされているのが、やはり前述の「ホメオスタシス」の問題のようです。生命がその体内において、思考することなくなんらかの半自動的なフィードバック機能を働かせることによって、生命としての全ての機能を維持できているのはいかなる仕組みによるものなのか?この謎を解き明かすことができれば、もうひとつ新しいタイプの「生物コンピューター」が誕生するはずです。ウィーナーはこのフィードバック機能を、機械において再現させるためにも「ホメオスタシス」の解明が重要と考えていたようですが、この分野の解明はまだまだ遅れているようです。

<生命を数学化する>
 彼の「サイバネティックス」理論がなぜ偉大なのか?それは彼の理論が厳密に数学化された理論であることです。元々数学者だったウィーナーは、自らの理論を数式によって表現することにこだわり、理論化困難な現象に対する「サイバネティックス」の適用を認めようとしませんでした。しかし、将来的にはどんな分野にも適用可能になると彼は考えていたようです。もちろん、人間の思考についても例外ではないと、彼は考えていました。
 コンピューターの原理の元になった2進法の考え方は、生物の神経組織におけるシナプスが電気刺激を伝えるか伝えないか、ONとOFFどちらかであることに対応しています。したがって、人間の脳内で行なわれる精神的な活動もまた究極的には電気信号による活動ならば、「サイバネティックス」の理論は将来、人間の思考という複雑な分野にも適用することが可能になるだろうと、彼は考えていました。「サイバネティックス」の理論は、1964年に彼がこの世を去って以降も、その適用範囲を広げ続けています。ロボット工学、気象学、経済学、病理学、医学、社会学・・・・・etc.
 数学という限りなく普遍的な論理によって、崩壊し続ける宇宙の秩序をとらえ理解する。考えてみれば、科学者にとって、これほど夢のある研究はないかもしれません。彼は科学者という存在について、こう語っていました。

「科学者というものは、宇宙の秩序と組織性を発見する仕事に取り組んでいるのであり、したがって無秩序化という敵を相手にゲームをやっているわけである」
ノーバート・ウィーナー「人間機械論」より

20世紀科学史へ   トップページへ