- なぎら健壱 Kenichi Nagira -

<日本フォーク私的大全>
 なぎら健壱の著書「日本フォーク私的大全」は実に素晴らしい本です。実際、この本はフォークについて書かれた本の中で例外的に売れているとのことです。先ず、本の冒頭からして素敵です。
「・・・青春と呼ばれる時期があるなら、僕はその時代をフォーク・ソングとともに過ごした。そしてあの時代をともに生きて、その真直中にいて良かったと思っている。当時を過ごした多くのフォーク・シンガーが、同じことを思っているのではなかろうか?
 どうですか、そんな時代の話と、少しばかり付き合って下さいな・・・・・」この後、読者はフォークにあこがれ、その世界に飛び込んだなぎら青年の視点で1970年代を中心とするフォーク全盛の日本を体験することになるわけです。
 僕のこのサイトのタイトルが「ロック世代のポピュラー音楽史」で、その書籍化されたタイトルが「音魂大全」。そう考えると、僕の場合は「世界ポップス私的大全」なのかなあ、と思いながらすごく親近感を感じながら読むことが出来ました。
 フォークに対する「愛情」と「こだわり」を柱として書かれた私的な関わりをもったアーティストたちの年代記。そこから見えてくるのは、フォークが生まれ、栄え、そして衰退してゆくまでの20年にみたない日本が熱かった青春時代の姿でもあります。

<カレッジ・フォークからアングラ・フォークへ>
 なぎら健壱は、1952年4月16日東京葛飾の生まれです。世代的には「団塊の世代」より若く「フォーク世代」の一番下に位置する世代かもしれません。彼より若い世代はもう「ビートルズ世代」になるでしょう。(ちなみに僕とは8歳違いです)
 彼は高校時代、最初はカレッジ・フォークにあこがれ、ピーター・ポール&マリーやブラザース・フォーのコピーをしていましたが、アンダーグラウンド・フォークの旗手、高石友也のアルバム「受験生ブルース/高石友也フォーク・アルバム第二集」と出会ったことから、方向性を改めアングラ系フォークの世界に出入りするようになってきました。
「ぼくはこのままでいい。40歳になっても、ただひたすらに歌いたいだけだ。坂本九は民衆歌手のようにもてはやされているけれど、あれはインチキだ。自分の生活はスタートになって豊かになっているのに、歌うときだけ民衆歌手だなんていう顔をしているにすぎない」
高石友也「日本フォーク私的大全」より

 「日本フォーク私的大全」の中では、こうしてアングラ・フォークのファンになったなぎら健壱が高石友也や岡林信康、高田渡らの追っかけ的ファンとして観客席や楽屋、酒場で体験、目撃した現場ルポを中心にフォークの歴史が語られています。

<フォーク界デビュー>
 彼がフォーク界に本格的に登場したのは1970年の第二回中津川フォーク・ジャンボリー。このコンサートに彼は飛び入り出演し「怪盗ゴールデンバットの唄」を歌ったところ、それがライブ盤に収められて注目を集めることになりました。翌1971年の第三回中津川フォーク・ジャンボリーでは、加川良の「教訓T」の歌詞を変えた「教訓U」などを歌い、これら数曲がライブ盤に再び収められ、ついにソロ・デビューのチャンスをつかみます。
 1972年、彼はビクターからデビュー・アルバム「万年床」を発表。売り上げは、ぱっとしませんでした。(タイトルもぱっとしませんが・・・)ところが、1973年に彼がニッティー・グリティー・ダートバンドを意識して作ったというセカンド・アルバム「葛飾にバッタを見た」からは、ライブ録音の曲「悲惨な戦い」が深夜放送で注目され、いつの間にか大ヒットしてしまいます。(この時、「悲惨な戦い」を番組でかけまくったのは、当時人気DJとしても活躍していた泉谷しげるでした)生放送の相撲中継の現場でまわしが落ちるというチン事件が起きたという本当にあったお話をトーキング・ブルース形式で歌ったこの曲は、シングル化されて大ヒットとなりますが、その後放送禁止されてしまいました。彼自身も、いつ相撲協会から訴えられるかとビクビクしていたそうですが、とにかくそのおかげで彼の名は一躍全国区となりました。
 しかし、典型的な一発屋となってしまった彼に、その後ヒット曲は生まれず、ライブハウスを中心とするツアーを行いながら生計を立てる厳しい日々が続くことになります。この当時、同僚として、ツアー仲間として見たフォーク界のヒーローもしくはヒーローになれなかったアーティストたちの本当の姿。時には楽しく、時には悲しいエピソードの数々。そして、衰退してゆくフォーク界を象徴していたフォーク・フェスティバルでの数々の事件。これらについて書かれた彼の記述は、あくまで彼の視点から書かれたものですが、それは実に生き生きしていてまるで読者がその場にいるかのような感覚にしてくれます。

<フォーク界の語り部>
 その後、彼はフォーク歌手としては、いよいよ食べて行けなくなり、ついには引退を決意してテレビ局の裏方として働き口を探し始めました。するとある放送局の制作者にリポーターをやってみないかと誘われ、初めてテレビの仕事をするようになりました。元々フォーク歌手としてのこだわりが強かった彼は、視聴者からの好評の声にも関わらずそうしたテレビの仕事が大嫌いだったといいます。しかし、俳優や司会などテレビの仕事が増えるに連れ、しだいにライブにもお客さんが来てくれるようになり、そうなると苦痛にすらなっていた歌手という仕事が再び喜びになってきました。同時に、彼と同じように生活に苦しみ、ついにはフォーク歌手を引退していった仲間たちの思いも痛いほど理解できる彼は、しだいに自分の仕事に、かつての「プロテスト(抗議)」だけでなく「歌い継ぐ」という一面も加えるようになってゆきます。もちろん彼の著書にもそのことは書かれているわけですが、その本質をより深く知るためには彼の歌とおしゃべりを是非、生で聞いていただきたいと思います。
 音楽について、どんなに素晴らしい文章がかけたとしても実際の音楽には勝てない、だからこそ、彼は本を書くだけでなく、それを歌によって失われつつある歌を残してゆこうと考えたのでしょう。彼が残そうとしているのは、フォークだけではなく戦前日本の民衆歌謡も含まれているようです。
 2007年9月、彼のライブを見ましたが、それはまさに「日本フォーク私的大全」のステージ版ともいえるものでした。

<西岡たかし>
 彼が「五つの赤い風船」の西岡たかしから学んだという曲間のおしゃべりは歌よりも面白いのですが、西岡たかしは関西のアーティストなのでそこが味噌、それに対し江戸っ子のなぎら健壱は明らかに落語調のしゃべりで対抗しています。民衆芸能でもあるフォークの語り部として上方落語のしゃべりはぴったりの表現方法かもしれません。
「・・・しかし風船の場合は西岡たかしの喋りに明るさがあり、暗さをカバーしていた。その喋りの巧みさが、関西フォークの一つの特徴でもあった。
 そして僕はたちまち、「五つの赤い風船」に傾倒するようになるのである。・・・」

なぎら健壱

<放送禁止歌>
 そして忘れてはいけないのが、彼のもうひとつの得意技「放送禁止歌」でしょう。彼の持ち歌には「悲惨な戦い」以外にもいろいろな放送不可能な歌があります。もちろん、これらの歌は彼のライブでなら聴くことができます。それを暗記して帰って、家でひとりニヤニヤしながら歌う。これはなかなか楽しめます。
「当時は『替え歌のなぎら』などと呼ばれたこともあったが、今もって替え歌で世間を斜に見ているんだから、これは好きというより、宿命みたいになってしまっている」
なぎら健壱

<高田渡>
 彼が語る故高田渡の思い出と彼の曲もまた大きな見せ場のひとつです。彼にとって精神的な師であり、ギター・テクニックの教師であり、酒飲み友達もしくはライバルでもあった人物への愛にあふれた毒舌には笑わせられると同時に泣かされてしまいます。
「僕は高石友也を経て『五つの赤い風船』そしてこの高田渡に強く惹かれるようになる。そして今の僕の唄に残っている音楽形態というのは、この高田渡の唄の影響に他ならない・・・・」
「もう後継者ができたから、いつ死んでもいいよ。なぎら君は僕の唄を全部知っているから」

高田渡

<歌い継ぐ者>
こうして、彼はステージ上でフォークについて語り、歌うと同時に歴史をさかのぼって日本の大衆歌謡について語り、そしてそれを実際に歌ってみせます。
 実は僕のサイトでは当初1950年から1999年の音楽を取り上げていましたが、その後さらにそこからさかのぼり1900年の「パリ万国博覧会」までをその範囲を広げました。そして、そのパリ万博でヨーロッパの人々を驚かせた日本人アーティストとして川上音二郎という人を取り上げています。ところがなぎら健壱は、彼のライブでその川上音二郎の有名な唄「オッペケペ節」を歌ってくれました。フォーク界の語り部は、今や日本の大衆芸能の歴史をも語り継ごうとしているようです。
「歌手はいずれ消える - 亡くなってしまう。しかし、歌い手が消失しても、唄は生きていくし、人の心の中に残っていけるのである。もっと数多くの人に聞いてもらわねばならない唄が歌手と一緒に死んでしまっては勿体ない、いや、唄自身が哀しい思いをするのではあるまいか。・・・」
なぎら健壱

 彼は歴史を語り継ぐのと同時に未来に向かう今時のフォーキーなミュージシャンへの苦言も忘れていません。彼にとってプロテスト精神のないフォークは、フォークとは呼べないと言い切っています。そこまで言い切れるアーティストが現在どれだけ日本いるでしょうか?
 ロックも、プロテスト精神がなければロックとは呼べなかったはずですが、最近ではそんなことを言う人も平常に珍しくなってきた気がします。しかし、このサイトにおいて共通しているテーマは、フォークにおけるプロテスト精神を受け継いだ音楽こそロックであるということです。
「フォークという音楽は、軽くなり過ぎた気がするな。前は臭いがあり、さわれば汚れる感じがあったんだけどな」
友川かずき
「日本フォーク私的大全」を読んで感動した僕でしたが、彼のライブを生で見て、聴いて、その感動がさらに増しました。なぎらさん、これからも歌い続け、語り続けてください。そして、いつかフォーク・ソングを歌わなくて良い日が来ることを願っています。

<締めのお言葉>
「唄わないのが一番いいんです」
 高田渡

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