中世迷宮文書館連続殺人事件


映画・小説「薔薇の名前」

- ジャン=ジャック・アノー、ウンベルト・エーコ -

- ショーン・コネリー Sean Connery -
<膨大な情報量のサスペンス映画>
 この映画の魅力は、単なる中世を舞台にしたサスペンス映画の傑作というだけでは説明しきれません。
 大人になった主人公の弟子が当時の事件の顛末を回顧するハ―ドボイルド映画。
 主人公の弟子が体験した初恋と失恋を描いたほろ苦い青春ラブ・ロマンス映画。
 書物がまだ手書きの美術品だった時代の本に関する歴史映画。
 キリスト教が異端派を宗教裁判により粛清していた「魔女狩り時代」の宗教映画。
 次々と登場する怪物まがいの登場人物たちによるオカルト・ホラー映画。
 しかし、最大の魅力であり、この映画の主人公とも言える存在、それは複雑なドラマの背景となる迷宮的修道院と文書館とそこに並ぶ書物たちです。

 この映画の原作となった小説は多彩な顔を持ち、難解な文章から構成された「読む迷宮」とも言える分厚い作品です。にも拘らず、この小説が世界的ベストセラーとなったのは、なぜか?
 それはたぶん原作の小説が、膨大なウンチクが書き込まれた辞書のような本であっても、基本的には王道的で優れた推理小説だからだと思います。
 主人公が「バスカビルのウィリアム」と呼ばれているのは、当然シャーロック・ホームズ・シリーズの名作「バスカビルの犬」から来ているのでしょう。
 「事件発生」、「探偵登場」、「連続する事件」、「様々な怪しい容疑者」、「探偵による種明かし」、「衝撃のラスト」・・・
 書き込まれている膨大な情報をすべて理解できなくても、お話の基本はちゃんと把握できるようになっているのです。
 そして映画版では、そうした推理モノとしての基本的なストーリーをより分かりやすく映像化してくれました。

<あらすじ>
 14世紀イタリア北部のベネディクト派修道院に、英国からフランチェスコ派の修道士ウィリアムが弟子と共にやって来ました。彼を招いたのはその修道院の院長で、ウィリアムは修道院で起きた謎の死亡事件の調査をしてほしいと依頼されます。
 到着後、すぐに新たな死亡事件が起き、ウィリアムはそれが連続殺人事件であることに気づきます。なぜなら、犠牲者はみな舌と指先が黒くなるという共通する特徴を持ち、それが死因に関わると予想されたからです。
 では、なぜ彼らは死ななければならなったのか?どうやらその原因はその修道院に所蔵されている何か重要な書物にあるようでした。しかし、彼ら二人では迷宮のような巨大な文書館を調べ尽くすことは困難を極めます。
 事態を重くみたベネディクト派の教会上層部は、ウィリアムのかつてのライバルでもあった異端審問官ベルナール・ギーを送り込みます。彼により、すぐに怪しい人物が捕らえられ、拷問が始まりました。しかし、拷問による自白で真実は明らかにならず、事件は最悪の結果を迎えることになります。・・・
 犯人は誰か?原因となった書物とは何か?殺害の方法は?

<修道院と文書館>
 この映画の主役とも言える修道院と文書館のセットは、ローマのスタジオ、チネチッタに作られました。
 時代考証を担当したジャック・ル・ゴフは、ヨーロッパを代表する中世史の研究家・歴史学者。彼を中心としたチームは、物語の歴史的な真偽だけでなく、セットに使用される小道具や本、それに建物に使用されている木材までもチェックし、14世紀イタリアの修道院を忠実に再現しました。そのために描かれたスケッチは3000枚以上に及び、当時使用されていた古いオーク材がイタリア中から集められ、それで椅子や机などの家具が作られました。
 文書館に並ぶ美術品のような書物も、専門の挿絵師が6ヶ月かけて羊皮紙を使った限りなく本物に近い写本の再現となっています。
 複雑に入り組んだ文書館内部の構造もこの作品の見どころです。美術担当のダンテ・フェレッティは、観客を本の迷宮に迷い込ませるため、エッシャーの騙し絵のような複雑な立体構造のセットを作りました。その立体迷路は高さが30mで5階建ての塔となり、本が並ぶ8角形構造が12個で、それらが60個の階段によって結ばれる複雑な構造になっていました。
 この文書館こそ、この映画の主役といっても良いでしょう。

<膨大な情報文学>
 誰もが知っている大作小説「白鯨」は、原作を読むとその予想外の構造に驚かされるはずです。
 海洋冒険小説として知られる白いクジラと船乗りたちの戦いの物語は、全体の一部で、全体的な構造としては、「鯨」に関する博物学の書になっているのです。
 映画「薔薇の名前」もまた中世の修道院を舞台にしたサスペンス映画として作られていますが、原作小説には「キリスト教の派閥闘争」、「魔女狩り」、「写本時代の本の価値」などが丹念に書かれていて、歴史小説としての面が大きい書籍と言えます。
 「白鯨」が歴史的な文学作品として永遠の存在になったのは、時代の側面をまるごと切り取った膨大な歴史情報書としての価値を持っているからでもあります。作品全体が文字で作られた白いクジラの記念碑となっているのです。
 この膨大な情報を盛り込んだ小説を書き上げたウンベルト・エーコが、当時はまだ小説家ではなく記号学の教授だったことはある意味納得です。普通の推理作家なら、ここまで一冊の本にアイデアやネタを盛り込んだりしないと思うからです。もったいない!
 ウンベルト・エーコは、この作品により一躍世界的な作家となり、その後も多くの作品を生み出し続けます。
 このサイトで紹介しているのは、ブラックな社会派サスペンス小説「ヌメロ・ゼロ」、書物の過去と未来についての対談集「もうすぐ絶滅するという神の書物について」。どちらも本が好きな人にはお薦めです!

<謎の書物について>
 事件の謎を解くカギは、どうやら文書館から持ち出された一冊の本にあることがわかってきます。
 キリスト教上層部がその存在を認められない本とはいったいなんだったのか?そしてなぜ認められなかったのか?
 そこがこの映画のテーマとも言えそうです。

「キリストは決して、笑わなかった。キリストが笑ったという記録はない」
「笑わなかったという記録もない。聖者は敵を罵るのに、喜劇を利用した」
「アリストテレスは第二の著作として、喜劇論を書いている。喜劇は真実を伝えると」

「薔薇の名前」ホルヘとウィリアムの会話より

「俗悪な人間の滑稽さの中にも、真実を見出す。それが喜劇である。彼らの欠点もよしとすべし」
アリストテレスの第二の書?より

 事件か解決後の言葉は、「名前」とは?「言葉」とは?について改めて考えさせてくれるはずです。

「薔薇は神の名付けた名
 我々の薔薇は名もなき薔薇」

12世紀のクリュニー派フィリップ・モーレーの詩より

<知の象徴としての図書館・本屋>
 これまでも、「知の象徴」としての図書館・本屋は、様々な映画の中で描かれています。
「華氏451」は、本を反体制の武器と見なして消し去ろうとする独裁政権から守ろうとする人々を描いた作品で、脳内図書館に感動させられました。
「図書館戦争」は、本を守る戦いが武力による戦闘にまで発展した近未来世界を描いたSF作品です。
「ビブリア古書房の事件手帖」は、老舗の古書店に並ぶ古本に隠された秘密を解き明かす推理小説の映画化作品。
「マイ・ブック・ショップ」は、本によって社会を変えようとした女性本屋店主の小さな闘いの物語。
「チャリング・クロス街48番地」は、古書の通信販売によってつながった人々の人間ドラマ。
「孤独なふりした世界」は、人類のほとんどが謎のウイルスで死んでしまった世界。図書館を守り続ける男の物語。
「天国の本屋~恋火」は、天国にある本屋で働く亡くなった人々と地上に残された人々の物語。
「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」は、図書館とは何か?だけでなく自由とは?民主主義とは?様々なことを考えさせてくれる傑作ドキュメンタリー。
 「知の象徴」としての図書館は、「自由の象徴」でもあり「生きる希望の象徴」として、映画の中で描かれ続けています。

「パブリック 図書館の奇跡」は、図書館はホームレスの人々を寒さから救う実話に基づいていますが、そこが体育館ではなく図書館であることが重要でした。
そして、「薔薇の名前」に主人公のおつきの若者役で登場していたクリスチャン・スレーターが出演しています。
「パブリック 図書館の奇跡」 The Pablic 2019年
(監)(製)(脚)エミリオ・エステベス(アメリカ)
(製)リサ・ニーデンタール、アレックス・ルボヴィッチ、スティーブ・ポンス
(撮)ファン・ミゲル・アスピリス
(PD)デヴィッド・J・ボンバ
(音)タイラー・ベイツ、ジョアン・ヒギンボトム
(出)エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、ジェナ・マローン、テイラー・シリング
ジェフリー・ライト、クリスチャン・スレイター、チェ・”ライムフェスト”・スミス、ガブリエル・ユニオン 
「Weaponized」(演)Che"Rhymetest"Smith feat.Masego(曲)C.R.Smith , Micah Dvis
「I Can See Clearly Now」(演)Emilio Estevez,Michael K.Williams他(曲)Johnny Nash
「Make Noise」(演)Black Thought,Tarig Trotter,C.R.Smith(曲)C.R,Smith他
<あらすじ>
凍死者が出た極寒のシンシナティ、ホームレスが図書館を占拠し、職員のグッドソンも協力することに。
市長候補の検事は警察に突入を命じますが、交渉役の刑事は慎重に対処し始めます。
刑事には行方不明の息子がいて、ホームレスの中にいる可能性がありました。
当初は寒さから逃れるための占拠でしたが、いつしかマスコミは人質事件をして扱い始めます。
テレビ局へのメッセージにスタインベックの「怒りの葡萄」からの引用 
「図書館は民主主義の最後の砦だ」という館長の言葉。ネットに民主主義はない!
ジョニー・ナッシュの名曲「I Can See Clearly Now」の使い方。裸の男の下手な歌が、最後につながります。
ラストにすっきりとはなりませんが、目を開かせる役目は果たしたかもしれません。
この映画で図書館を攻撃する警察のトップを演じているのは、なんとウィリアムの弟子を演じていたクリスチャン・スレーターです!

<ショーン・コネリー>
 ショーン・コネリー Sean Connery は、1930年8月25日、スコットランドのエジンバラで生まれています。父親は牛乳配達のトラック運転手で、彼自身も中学卒業後にはトラックの運転をしていました。そのままだと、彼はトラックの運転手で生涯を終えていた可能性もありますが、ここで彼は人生を変える選択をします。
 1948年、彼は海軍に入隊。除隊後は新聞社で働きながら、演劇に人生をかける選択をします。最初に舞台で「南太平洋」に出演し、俳優活動を開始。
 1956年、「帰り道なし」で映画初出演。その後、テレビ・ドラマに出演して経験を積みます。
 1962年、テレビ・ドラマでの活躍が認められた彼は、007シリーズの第一作「007は殺しの番号」でジェームズ・ボンドを演じて世界的な大ブレイクとなりました。
 1963年「007危機一発 ロシアより愛をこめて」
 1964年「007ゴールドフィンガー」、「マーニー」(ヒッチコックのサスペンス)
 1965年「007サンダーボール作戦」
 1967年「007は二度死ぬ」、「男の闘い」(マーチン・リットの社会派作品)
 1971年「007ダイヤモンドは永遠に」
 ここで彼は自らのキャリアを考え、自分からボンド役を降板します。ここから本格的な俳優としての活躍が始まったと言えます。
 
 1973年「未来惑星ザルドス」(ジョン・ブアマンのディストピアSF)
 1974年「オリエント急行殺人事件」(シドニー・ルメットの傑作サスペンス)、「風とライオン」(ジョン・ミリアスの歴史・戦争映画)
 1975年「ロビンとマリアン」(リチャード・レスターの恋愛・歴史ドラマ)、「王になろうとした男」(ジョン・ヒューストンの冒険映画)
 1976年「遠すぎた橋」(リチャード・アッテンボローの戦争歴史大作)
 1981年「バンデッドQ」(テリー・ギリアムの冒険ファンタジー)、「アウトランド」(ピーター・ハイアムズのSF)
 1983年「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」(アーヴィン・カーシュナーの007リメイク)
 1986年「薔薇の名前」
 1987年「アンタッチャブル」(ブライアン・デ・パルマの大ヒット犯罪アクション映画)
 1989年「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(ジョージ・ルーカスの大ヒット冒険アクション)、「ファミリー・ビジネス」(ジドニー・ルメットのファミリーギャング映画)
 1991年「ロビン・フッド」(ケヴィン・レイノルズによる歴史アクション)
 1993年「ライジング・サン」(フィリップ・カウフマンの企業サスペンス)
 1996年「ザ・ロック」(マイケル・ベイの最高傑作?犯罪アクション)
 2000年「小説家を見つけたら」(ガス・ヴァン・サントの文芸青春映画)
 2003年「リーグ・オブ・レジェンド」(スティーブン・ノリントンのファンタジー)


映画「薔薇の名前 The Name of Rose」 1986年
(監)ジャン=ジャック・アノー Jean=Jack Annaud
(製)ベルント・アイヒンガー
(製総)トーマス・シューリー
(原)ウンベルト・エーコ
(脚)ジェラール・ブッシュ、ハワード・フランクリン、アンドリュー・バーキン、アラン・ゴダール
(撮)トニーノ・デッリ・コッリ
(美)ダンテ・フェレッリ
(編)ジェーン・ザイツ
(時代考証)ジャック・ル・ゴフ
(衣)ガブリエッラ・ペスクッチ
(音)ジェームズ・ホーナー
(出)ショーン・コネリー、F・マーリー・エイブラハム、クリスチャン・スレーター、イリア・バスキン、ミシェル・ロンスデール、ロン・パールマン

小説「薔薇の名前 The Name of Rose」(上・下) 1980年
(訳)川島英昭
東京創元社

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