
「ナッシュビル Nashvill 」 1975年
- ロバート・アルトマン Robert Altoman -
<映画の概念を変えてくれた作品>
僕にとって、「映画とは何か?」という概念を変えてくれた記念すべき作品です。
この映画には、主人公がなんと10人以上いました。なぜそんなことが可能だったのか・・・。
この映画のストーリーは、カントリーのメッカ、ナッシュビルで行われるあるフェスティバルに集まるいろいろな人々の物語でした。それは、自信喪失気味の大物歌手だったり、黒人でありながらカントリー歌手であることに疑問を感じている歌手だったり、売り出そうと必死な音痴なウエイトレスだったり、田舎から出てきたおのぼりさんの観客だったり、家出してきたノイローゼ気味の青年だったりといろいろです。しかし、それぞれの登場人物の扱いは、みなほぼ同等で、誰が主人公ということはありません。それぞれの人物が、ラスト近くにそのフェスティバル会場に集まり、ついにはそこで暗殺事件が起こる、全員がある種の共同体となる。そんなお話です。
<「カントリーの聖地」ナッシュビル>(追記2017年)
この映画の主人公ともいえる存在が「カントリー音楽の聖地」ナッシュビルの街です。ただし、日本人の感覚では「カントリー音楽の聖地」という存在がどれほどのものかは、ちょっとわかりにくいかもしれません。アメリカ人、それも一般的なアメリカ人にとってナッシュビルは、どんな存在だったのか、音楽産業にとってどれほど重要だったのか?そこを理解できると、よりこの映画は面白いと思います。
「アメリカン・ポップス」(著)チャールズ・ベックマン(1972年)より
合衆国の全レコード音楽の52%以上が、ナッシュビルのレコ―ディング・スタジオで録音されている。(その60%がカントリー)そして、それが金に変ってゆく。1970年度の全米におけるレコードの総売り上げは、17億5千万ドルを数えている。ナッシュビルがその半分を生み出すとすれば、9億ドル近くにもなる。カントリー・ミュージックのレコードに限っても、1970年度の売り上げは5億ドルにのぼっている。
このナッシュビルというカントリーの巨大都市の歴史は、1925年、この地で放送開始されたグランド・オール・オープリーに始まる。いまだに続けられているこのヒルビリーのラジオ・ショーは、ナショナル生命保険会社とWSM放送局との提携によるものだった。
ナッシュビルには、400を超える音楽出版社、40のレコーディング・スタジオ、300以上のレコード・レーベルがある。そして、そうした音楽産業に関わる企業が集中する北のニューヨークに匹敵する存在でした。
<アメリカの良さと悪さを描き出した作品>
今考えると、この作品は、この後多発することになる無差別テロ事件、有名人の暗殺事件をいち早く描き出していました。ただし、そうした事件をも飲み込んでしまうようなアメリカ社会のもつ混沌としてパワーに満ち溢れたエネルギーこそがこの映画のテーマだったもいえるでしょう。ここに描かれている登場人物たちのもつ個性が映画の中でぶつかり合い、それが悲劇をも感動に変えてしまうほどの感動を生み出しているのです。ただし、彼らは一人一人をとればそれほどの悪人でもなく、それほどの正義の人というわけでもなく、かといって才能に満ち溢れた天才というわけでもありません。そんな人々の集合体である社会が、大統領選挙というある種「エネルギーのるつぼ」のような状態のもとで活性化され、暗殺事件、スター誕生など数々の事件を巻き起こすことになるわけです。なんという人間の不思議でしょう!これこそが、良くも悪くもアメリカという国の魅力なのかもしれません。
ただし、この後のアメリカには、しだいにこうした暗い事件でもポジティブに変えてしまうほどのエネルギーが無くなってゆくような気がしてなりません。
ノンフィクション「綻びゆくアメリカ」には、ここから先、自由の国アメリカが崩壊してゆく過程が様々な証言者によって語られています。
<ロバート・アルトマンの十八番>
監督は、ロバート・アルトマン。彼のファンなら、その筋立てが彼の十八番であることはご存じでしょう。しかし、当時ロバート・アルトマンは、朝鮮戦争を舞台にした傑作ブラック・ユーモア映画「マッシュ」こそ有名でしたが、その作品では主人公は一応はっきりしていました。(もちろん、「マッシュ」にはしっかりした原作があったからですが)それだけに、「ナッシュビル」の「集団主人公」という新しい筋書きには、ビックリさせられました。まして、当時僕はまだ高校生で、札幌まで映画をひとりで見に行くだけで緊張していた時期でした。それだけに、その衝撃はたいへんなものでした。(同じ時期に見た「レニー・ブルース」も衝撃でしたが・・・)
<「新グランド・ホテル形式」>
バラバラのストーリーがラストで一つにつながってゆく形式の映画は、かつて「グランド・ホテル形式」と呼ばれていました。ホテルのそれぞれの部屋で、それぞれのドラマが展開してゆくのをフィルムに収めた作品という意味です。(その元祖は、1932年公開のアメリカ映画「グランド・ホテル」です)この形式の映画は、それを興行的になりたたせるため、おのずとオールスター・キャストの顔見せ的作品になりがちでした。その上、必然的にオールスター・キャストを集めるために巨額の資金が必要となるため、最近はほとんど作られることは、なくなっています。(パニック映画ブームのピークに作られた「タワーリング・インフェルノ」が最後かも・・・)
ロバート・アルトマンは、このグランド・ホテル形式をより高度に、より芸術的にし、それぞれのストーリーが組み合わさることで、もうひとつ大きなストーリーを生み出すという新しい映画のスタイルを作り上げたのです。
<この映画ができた裏話>
先日みたロバート・アルトマンのドキュメンタリーで、この映画ができた裏話が語られていました。まずこの映画は、前作「ボウイ&キーチ」の予算をユナイテッド・アーチストに出してもらった時の交換条件として、カントリーの映画を作るということになっていたのだそうです。
そして、アルトマン自身がカントリー音楽のことをほとんど知らなかったため、スタッフをナッシュビルに向かわせ毎日日記を付けさせたのだそうです。そして、その日記に記された出来事をつなぎ合わせることで、この映画のストーリーを作り上げたのだそうです。メモ帳に書かれた滞在記から生まれた一本の映画でありながら、そこには素晴らしいドラマがある、これこそが、ロバート・アルトマンの映画の真髄です!
この映画の撮影は、映画の舞台となったナッシュビルで10週間にわたって行われました。その間、スタッフ、キャストは全員同じモーテルに泊まり、ほとんどの時間をいっしょに過ごしました。こうした撮影スタイルは、ロバート・アルトマンのすべての作品に共通しています。スタッフ、キャストが家族となって和気あいあいとした中で、自然に演技ができる雰囲気を作り上げる。こうして、アルトマン映画の特徴として有名な個々の俳優たちによる素晴らしいアドリブ演技合戦が生まれることになるのです。
<20世紀最後の巨匠ロバート・アルトマン>
ロバート・アルトマンは、1925年2月20日ミズリー州カンザス・シティーに生まれています。ミズーリ大学を卒業後、第二次大戦に参戦。といっても、ハリウッド近くの田舎町に駐屯していたため、ハリウッドの女優たちを横目で見ながら映画業界に憧れることになったといいます。そこで軍隊にいたころから映画の脚本を書き始め、売込みをしていましたが、当時はまったく芽が出ませんでした。その後、故郷のカンザス・シティーで企業のPR映画を作ることになり、そこから映画界に足を踏み入れました。こうした映画の制作で資金を稼いでは、それを元手に映画を撮っていましたがなかなかうまく行きませんでした。しかし、彼が撮ったジェームス・ディーンの短編ドキュメンタリー映画「ジェームス・ディーン物語」(1957年)が、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックに認められ、彼のテレビ・シリーズの監督を2本任されることになりました。この後、彼はテレビ界で活躍を開始。人気戦争ドラマ、「ボナンザ」「コンバット」などを作った後、1963年にはついに自らの独立プロダクションを設立。1968年には初の監督作品「宇宙大征服」を発表。この時はワーナーのワンマン・リーダーであるジャック・ワーナーと対立し、大幅に編集されるという不運にも見舞われます。ジャック・ワーナーはこの際「俳優たちに同時に台詞を言わせるとは何事だ!」と怒ったといいます。しかし、俳優に同時にしゃべらせる映画の構成こそが、ロバート・アルトマン映画のトレード・マークとなります。そして、その結晶ともいえる1970年の「マッシュ」で一気に一流監督の仲間入りを果たすことになります。(「マッシュ」はカンヌ映画祭でグランプリを受賞しています)その後も、ニューシネマの傑作として名高い「ギャンブラー」(1971年)により、新たな西部劇を生み出すなど、ハリウッドからも注目されるようになりました。
<インディペンデント映画の先駆け>
彼が偉大な存在と呼ばれるのは、監督としての手腕だけではなく、プロデューサーとして独立プロを運営して、自由な映画作りにこだわり続けているからです。エンターテイメントにこだわらず独自の映画手法を実現したり、「マッシュ」のような反戦ブラック・ユーモア作品を誰からの干渉も受けずに製作したりするためには、その手法が必要だと考えたからです。そのため、彼は一本ごとに異なる映画会社と契約して作品を公開しています。もちろん、映画会社も商売ですから、当たらないような映画では、契約してくれるわけはありません。テレビ畑出身でたたき上げの彼は、「マッシュ」の大ヒットがあったからこそ、自由に作品を撮るチャンスを得ることができたのです。
しかし、芸術性と興行成績を両立させることは、そう簡単なことではありません。彼がハリウッドから与えられた大いなるチャンスでもあった、1980年公開の「ポパイ」(ロビン・ウィリアムス主演)が、興行的に大失敗したことで、彼はハリウッドから閉め出されてしまいました。そんな状況から脱出するのに、彼は10年以上の歳月を要しています。そして彼はアンチ・ハリウッドの旗手として、もうひとつのアメリカ映画を代表する監督として活躍してゆくことになります。
1992年の「ザ・プレイヤー」の大成功がなければ、彼は二度と映画界の表舞台には立てなかったかもしれません。(この映画がハリウッドの映画製作現場の内幕を暴いた作品だったというのは、実に皮肉なことです)
こうして彼は再び巨匠としての地位を築き、多くの有名俳優たちに「ノーギャラでよいから出演させてほしい」と言わせるまでになったのです。(「ザ・プレイヤー」の場合、ハリウッドの俳優たちを60人も出演させながら、一般的なハリウッド映画の3分の1程度の資金で撮ることができたのも、ギャラの極端な安さのおかげです)
こうして彼はその後、完全復活をとげ、「ショート・カッツ」(1993年)、「プレタポルテ」(1994年)などの傑作を再び発表し始めました。
<24人の主役たち>
この映画の主役は24人います。その重要性はほぼ同等と言ってよいでしょう。その中には、後に「ロスト・ワールド」のカオス学者として有名になるジェフ・ゴールドブラム、「羊たちの沈黙」でクラリスの上司役を演じたスコット・グレン、「ブルース・ブラザース」のネオナチのリーダー、ヘンリー・ギブソンなど、渋い役者たちがそろっていました。下記の出演者欄をご覧下さい。ちなみに、この映画の主役級俳優たちのギャラは一律1000ドルだったといいます。物価が今と違うとはいえ破格の安値です。それでもなお、俳優たちは彼の作品に出たがり、この映画では、なんとそれぞれの歌手を演じる俳優たちが、歌うだけでなく作詞、作曲までもやってしまったというのですから、驚きです。そのうえ、デヴィッド・キャラダインの弟、キース・キャラダインの歌った「I
Am Easy」などは、シングル・ヒットまでしてしまっただけでなく、アカデミー最優秀歌曲賞までも受賞してしまったのです。
おまけにこの映画の主役のカントリー歌手には、実在のモデルがいるということです。ヘンリー・ギブソン演じるヘブン・ハミルトンはハンク・スノウ、カレン・ブラック演じるコニー・ホワイトはリン・アンダーソン、ティモシー・ブラウン演じるトミー・ブラウンはチャーリー・プライド、そして、ロニー・ブレイクリー演じるバーバラ・ジーンがロレッタ・リン(映画「歌えロレッタ、愛のために」でも有名)。そして、映画のラストに出演者たち全員が集まることになるカントリーのコンサートは、有名なカントリーの公開ラジオ番組「グランド・オール・オプリー」なのだそうです。
日本と違い未だに「カントリー」が、アメリカにとって重要な音楽のジャンルであることは、ガース・ブルックスなどの超人気歌手の存在からも明らかです。それだけにカントリー音楽の舞台裏を描いたこの作品には、まさにアメリカの縮図がありました。その意味では、アメリカの本質を知るという点でも、この映画は重要な作品です。
ロバート・アルトマン映画の原点「ナッシュビル」のビデオは、現在ないそうです。そんな・・・と思っていたら2012年ついにDVD化されたようです。やっと再評価される時がやって来たようです。是非、ご覧下さい!
<追記>2012年3月
以下はポーリン・ケイル「明かりが消えて映画がはじまる -
ポーリン・ケイル映画評論集-」より
彼の作品「ウェディング」についての評論の中で彼女はこう書いています。
「思えば『ナッシュビル』がロバート・アルトマンの頂点だったのかもしれない。『ナッシュビル』以降は、映画をつくろうという気持ちが、創造への衝動というよりは、単なる惰性になってしまったのかもしれない。・・・
今やアルトマンは俳優の力に、そして自分自身の力に頼りすぎてしまっている。・・・」
とはいえ、その後彼は「ザ・プレイヤー」で見事復活を遂げることになります。
「ナッシュビル Nashvill」 1975年(日本公開1976年)
(監)(製)ロバート・アルトマン Robert Altoman
(脚)ジョーン・テューケスベリー Joan Tewkesbury
(撮)ポール・ローマン Paul Lohman
(音)リチャード・バスキン Richard Buskin、キース・キャラダイン
Keith Carradine
(出)ヘンリー・ギブソン Henry Gibson、カレン・ブラック
Karen Black、アレン・ガーフィールド Allen
Garfield、ネッド・ビーティー Ned Beatty、マイケル・マーフィー
Michael Murphy、ジェフ・ゴールドブラム Jeff
Goldblum、リリー・トムリン Lily Tomlin、ジェラルディン・チャップリン
Geraldine Chaplin、キース・キャラダイン Keith
Carradine、ロニー・ブレイクリー Ronee Blakley、グウェン・ウェルズ
Gwenn Welles、バーバラ・ハリス Barbara Harris、スコット・グレン
Scott Grenn・・・etc.
ゲスト・スターとして、エリオット・グールドとジュディー・クリスティーも出演しています。
ニューヨーク批評家賞作品賞、監督賞、助演女優賞受賞(リリー・トムリン)
<あらすじ>
カントリー音楽の中心地ナッシュビルで、大統領候補ハル・ウォーカーのキャンペーンのためにコンサートが行われる準備が進められていました。そのため、街にはイベント関係者や仕事口を求める者、野次馬、カントリー・ファンなど、多くの人間が集まりつつありました。この映画は、そのコンサートが行われるまでの5日間に街で起きた24人の主役たちによる小さなドラマを積み上げ、ひとつの大きなドラマを生み出しています。ラストには、主役たちがコンサート会場に集まり、そこで衝撃的な事件に遭遇、それぞれの新しい未来がそこから始まることになります。
コンサートの主役、カントリー界の大御所には、ヘンリー・ギブソン(「ブルース・ブラザース」のネオナチのボス)その他、人気女性歌手にカレン・ブラック(「エアポート’75」、ロニー・ブレイクリー(わが心のふるさと」)。
いけ面のフォーク歌手でテーマ曲「アイム・イージー」でアカデミー主題歌賞を受賞したキース・キャラダイン(デヴィッド・キャラダインの弟)。
さすらいのイージーライダー手品師には、後に「ジュラシック・パーク」「ザ・フライ」で有名になるジェフ・ゴールドブラム。
カントリー・マニアのGI役にスコット・グレン(「羊たちの沈黙」で主人公クラリスの上司役)。
それぞれの役が巨大なパズルのピースとなってラストの事件に向かってストーリーを組み上げてゆきます。