英雄になるための心と肉体を作るための本


「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ Natural Born Heroes」

- クリストファー・マクドゥーガル Christopher McDougall -
<戦争アクション&肉体改造読本>
 いやあ、面白い本でした。どんな本なのかというと・・・。
 半分は、第二次世界大戦中のギリシャのクレタ島を舞台にした戦争スパイ・アクションです。(その中には、「アラビアのロレンス」や「ミッション・インポッシブル」のルーツも登場します)
 もう半分は、現代人が失った「野生」を復活させようとしてきたアスリートや軍人たちによる挑戦の歴史です。(その中には、ブルース・リーやヤマカシなども登場します)
 戦争アクションと肉体改造に関する文化人類学のドキュメンタリーを合体させるという驚きの展開が見事にはまることで、なんとも面白いノンフィクション小説が誕生しました。
 先ずは二つの物語のあらすじをざっと紹介させていただきます。

「クライペ将軍誘拐事件の真実」
 第二次世界大戦中の1944年、ギリシャのクレタ島はヨーロッパ・中東における戦略拠点として重要な位置にあり、ドイツ軍はそこを抑えるために大きな犠牲を払いながらも占領に成功しました。しかし、クレタの人々はドイツ軍の支配に対し、様々なゲリラ戦で抵抗を続け、そのメンバーの中にはイギリスからやって来たスパイもいました。なかでも、パディ・リー・ファーマーは、イギリスからやって来た冒険家、考古学者、ドンファンとして伝説的な人物で、彼を中心として対ドイツの極秘作戦が準備されようとしていました。それは島に駐留するドイツ軍のトップ、クライペ将軍を誘拐するという作戦でした。
 なぜ、暗殺ではなく誘拐なのか?それは暗殺だと、事件に関わった人々とその周辺の人物が見せしめで処刑されることになるからです。誘拐ならば、ドイツ軍は捜索に時間をとられ、不安により士気も低下するし誰かが犠牲になる可能性も低くなると考えられたのです。
 しかし、小さな島の中で軍の最重要人物を誘拐し、生きたまま移動させ、島から連れ出すことが可能なのか?その作戦の内容は、著者が実際に再現しながら明らかにしてゆきます。

「英雄たちの肉体改造」
 クレタ島で起きた誘拐事件は、島で生きる超人的な能力を持つ人々だからこそ可能になったのではないか。事件のことを調査・研究する中で著者はそのことに気づきます。そこで著者は、彼らのような優れた能力を持つ人々のルーツやその能力を現代に受け継ぐ人々について、格闘技、フィットネス、スポーツの歴史から追いかけて行きます。様々な達人たちとの対話や伝記を調べた後、彼は自らそれを体験、実践してゆきます。その中には、「ブルース・リーの拳法」、「ヤマカシのルーツ」、「フィットネス産業への疑念」、「健康・ダイエットについての嘘」、「ジェームズ・ボンドのMI6のルーツ」など、興味深いネタが満載です。
 スポーツ、特に格闘技、マラソンやアイアンマンレースなどに興味のある方には、絶対に面白いはずです。
 ここでは、著者が明かしてくれた「目から鱗」のトレーニング法や格闘技の歴史などを紹介させていただきます。

<クレタの英雄たち>
 著者は、クレタ島の英雄たちの原点に「ギリシャ神話」の登場人物の存在があることを指摘し、彼らはその子孫であるというところから考察を始めます。

「ギリシャ神話はじつは、同じある行動についての寓話を繰り返し語ったもので、勝ち目は薄くても、英雄の技芸を用いて危険に立ち向かう者のショーケースだ。・・・」

 さらに有名な「対比列伝」で多くの英雄たちについて研究したプルタルコスについて、こう書かれています。

「プルタルコスが彼らに教えたのは、こういうことだ - 英雄は気にかける。真のヒロイズムとは、古代の人々が理解したとおり、強さでも大胆さでもなく、勇気ですらない。思いやりだ。」

ここが重要なところです。「英雄」という人種はもしかすると絶滅危惧種なのかもしれません。進化論の大家あのダーウィンもこう書き残しているといいます。
「多くの未開人がそうだったように、仲間を裏切るくらいなら自身の命を犠牲にしようと覚悟のあった者は、往々にしてその高潔な性質を受け継ぐ子孫を残さない」

 ギリシャ神話ではなく古代ギリシャ時代の格闘技「パンクラティオン」にも、「英雄」としての戦い方についてのヒントがあるといいます。
 「パンクラティオン」という格闘技は、現代のスポーツとはまったく異なり、「ルール」によって守られることのない反則の存在しない究極の格闘技でした。

 パンクラティオンは生の衝動を研ぎ澄まし、役に立たないものをすべて締め出し、三つのことに集中する。楽であること、不意をつくこと、阻止する力だ。

 現代のスポーツは「野生」の要素を取りのぞくことで成立しているといえるのですが、パンクラティオンは「野生」の闘いそのものでした。実際の「闘い」とはそういうものなのです。

「元祖ヤマカシ」ジョルジュ・エベル>
 ならば、自然淘汰によって生まれながらの英雄的資質が排除されるとしたら、そうした資質を未だにもつ人間がいるのはなぜなのか?
 それは遺伝情報に仕込まれているのではなく、後天的に身に着けるものなのか?
 この素朴な疑問に異なるアプローチで挑んだのが、フランス人のジョルジュ・エベルという人物です。彼は「英雄」となるためには、何が必要な条件なのか?その条件を身に着ける訓練を行えば、「英雄」を育てることが可能なのではないか?そう考えました。彼がそう考えるようになったのには、大きなきっかけがありました。
 1902年、マルティニーク島のプレー火山が突然大噴火。最大都市サンピエールに住む3万人のうち2万9千人が命を落とす大惨事となりました。軍人だったエベルは、偶然この島にいて被災者を救助することになりました。そして、彼はある疑問を持ちます。
 この時生き残った1000人は、なぜ命拾いできたのか?どんな能力が彼らを助けたのか?そこから、人類に役立つ何かが見つかるのではないか?彼はそう考えるようになったのです。

 エベル自身の人生で最高の瞬間は、マルティニーク島沖の煮えたぎる大鍋にボートを進め、やけどを負って怯える生存者たちを抱き寄せたときに訪れた。青年ジョルジュ・エベルがそこへ向かったのはエゴのためではない。それが自然だったからだ。地上で神になることは人間の自然な願望で、他者を救うのはその願いを叶えるのにいちばん近いことだからだ。ギリシャ神話とそこから生まれた主な宗教はすべて、あのひとつの前提に捧げられている。先に立って導くヒーローは半神半人で、力と同じくらい憐みに突き動かされている、というものだ。

 めざすはヒーローの三位一体だ。
<教養><勇敢さ><思いやり> - 技能、強さ、願望。
知性、身体、魂。三つのうちひとつが重くなりすぎると、ほかのふたつとの均衡が崩れる。


 ヒーローは守護者であり、守護者であることはふたりぶんの強さがあるということだ。自分の身を守る強さだけでは足りない。単独で行動する場合以上の強さがいかなるときも求められる。古代ギリシャ人はあの入り組んだ小さな矛盾が大好きだった。人は他者への愛という弱みがあってこそ最大限に強くなれる、という考え方だ。

 エベルは「英雄」になるための訓練について考え始めます。そして、それは体育館の中で機械やボールを相手にしたスポーツからは得られないはずだと気づきます。それは人間としての本質的な部分を育てるため自然の中で人間の本能を呼び覚ますようなものでなければならない。そう考えました。

 ナチュラル・トレーニングは自然に生まれるものでなければならない、とエベルは思いいたった。だったら子供たちの遊びを出発点にしたらいい。まもなく、子供たちの悪ふざけはたいてい三つの基本メニューから選ばれているのがわかった。
追う - 歩く、走る、這う
逃げる - 登る、バランスを取る、ジャンプする、泳ぐ
攻める - 投げる、持ち上げる、戦う


 こうして生み出した手法を用いることで彼は海軍の新兵350人を育てます。するとその兵士たちは国際的な兵士の体力コンクールで驚異的な成績をおさめました。

 ジョルジュ・エベルは発見のすべてを「体育、あるいはメトッド・ナチュレによる完全なトレーニング」という著書に収めました。しかし、彼がこのメソッドで育てた若者たちは兵士として第一次世界大戦の戦場で戦い全員が命を落としてしまいました。「英雄」はやはり長生きできない運命にあるのかもしれません。この後、エベルの名は兵士たちの死と共に忘れられることになります。
 ところが、彼の本はその後もフランス国内で読まれ続け、静かに広がりをみせるようになります。そして、その思想はパリで「パルクール」という名前で発展することになりました。そして、それがアンダーグラウンドで若者たちが都会の街中で再現されるようになります。あのリュック・ベッソン監督の映画にも登場した「ヤマカシ」はこうして生まれた文化だったわけです。

 「パルクール Parcours」、それは人生のようなものだ。障害物のあるコースで、それを克服する訓練をする。最善の技法を探し当てる。最善を維持し、繰り返す。そうしているうちに腕が上がる」
レーモン・ベル(フランスの兵士、パリ消防旅団消防隊メンバー)

<肉体改造による英雄>
 著者は肉体の本質的な部分についても迫ります。特に重視しているのが「筋膜」をいかに使うかということです。
 600もの数多くの筋肉からなると言われる人体ですが、実はそれはたった一つの「筋膜」に包まれた一つの筋肉の集合体とも考えられると言います。

 筋膜はただの揺らぐ輪ゴムの束ではない、と彼は気づいた。観察と報告を担当する前哨部隊の入り組んだネットワークで、各部隊が身体じゅうから感覚情報を集め、リレーのように脳に送っているのだ。筋膜は感覚入力の豊かさにおいて舌や目に劣らない - それどころか、ことによると、上回ってすらいる。情報をいたるところから得ているからだ。
「筋膜は反応し、記憶します」


 人間は「筋膜」を有効に使うことによって、「投擲(とうてき)」という能力を磨き、それによって狩猟民族として生きて行く特殊能力を身に着けることができました。

「人間は驚嘆すべき投擲手です。あらゆる動物のなかでも人間は異色の存在で、投射物を速いスピードで、かつ信じがたい精度で投げる能力をもっています」
ニール・ロー博士(ジョージ・ワシントン大学)

「狩猟の成功によって、われわれの祖先は限定的ながら肉食動物となり、カロリーの豊富な肉や脂肪を食べることで食事の質は劇的に改善されました。この食事の変化が祖先の生態に地殻変動をもたらし、身体が大きくなり、脳が大きくなり、子供を増やせるようになったのです。」

 投擲という行為の発見は、もしかすると人類に、「思考」の面でも新たな局面をもたらしたのかもしれません。投擲という行為は、それまで人類が行ってきた様々な行為を、先を見ながら組み合わせ、ひとつの流れにまとめ上げるワンランク上の高度な複合作業だからです。

「連続した思考ができるようになれば、より多くの観念を結びつけられるようになります。語彙を増やし、無関係な概念を組み合わせ、未来の計画を練り、社会的な関係を把握できるようになるはずです」

「元祖ブルース・リー」詠春拳(詠秦拳)>
 さらに人間は「筋膜」を有効に使うことによって「格闘技」においても、効率的に肉体を用いた戦闘方法を生み出しています。その中にはブルース・リーが学び身に着けたとされる「詠春拳」があります。(ブルース・リーの伝記本では「詠秦拳」となっています)
 ブルース・リーの有名な言葉「考えるな!感じろ!」は、まさに「筋膜」が生み出した言葉だといえます。

 詠春拳は、敵の罠のただなかに踏み込んでくつろぐように説く。上下左右に動くのはもちろん、的を小さくしようと横向きになるのもいけない。攻撃者に顔を向け、足を正対させ、相手が好きに攻撃してくるのを待つ。ただし、まずは「中線を決める」ことだ。詠春拳の真髄は、人間の力がもっとも強くなるのは足から発して身体の中心を上昇したときだという信念にある。つぎに挙げる四つのステップを踏めば、その中心線のエネルギーを手に入れることが可能だ。
1.足を肩幅の広さに開く。
2.腿を下げてわずかにかがむ。
3.開いた手を股間のあたりで交差させる。
4.そのまま両手を胸まで上げ、もっとも本能的な防御姿勢 - Xの形 - をとる。
・・・・・・・
 カギとなるのは身体の接触だ - 相手がパンチを繰り出してきた瞬間、その手に自分の手を軽く「くっつけさせ」、パンチをふせぐのではなく、いなせばいい。

 ジャッキー・チェンの「酔拳」などの動きはまさにこの言葉を体現しています。

 相手が右手で目に殴りかかってきたら、左手首でそれをそらしつつ、相手の力を利用して車軸を回る車輪のように旋回する。すると今度は相手の押してくる勢いをこちらの右腕の威力に変える番だ。敵はみずから顔面を右の拳に打たれにくる」
「手は脚という要塞の上に築かれた自在扉(スウィングドア)である」

葉問(詠春拳のグランドマスター)

<驚異の耐久力の秘密>
 著者はクレタ島の英雄たちについて調べる中、その驚異的体力の謎に迫ります。彼らは、誘拐事件においてクレタ島の雪が積もる山の中をドイツ軍に追われながら、休息も食事も睡眠もほとんどとらずに移動し続けました。当時、食料も持たずにどうやって彼らは体力を保ち続けたのか?著者は彼らの驚異的な体力の源について迫ります。
 そこではもともと人間が持っていた能力を呼び覚ますための訓練と人間が自ら失おうとしている誤りについての指摘が書かれています。

「生物としての自然な姿を再発見して、人間のなかに潜む野生動物を解き放つことだ」
エルワン・エコー
 必要なのはそれだけだ。遠い祖先の記憶を呼び覚ますだけで脳のスイッチがはじかれ、注意を集中して、邪魔なものをシャットアウトする。そして、ひとたび人が狩猟採集民モードに戻れば、とてつもないことができるようになる。


<脂肪を燃やせ!>
 著者が人間の能力として再発見すべき、としているのが「糖や炭水化物ではなく脂肪を燃やせ!」ということです。現代の人間は「糖」と「炭水化物」を食べることでそれを燃やしてエネルギーを得ています。しかし、「糖」や「炭水化物」に頼る生き方は無駄が多く、身体に負荷をかけることになります。より有効により長い期間エネルギーを生み出すには、「脂肪」を燃やす方がよいのです。では「脂肪」を燃やす身体にするにはどうすれば良いのでしょう?

 脂肪を燃料として使うには、ふたつのことだけやればいい。糖を減らし、心拍数を下げることだ。われわれの身体は、ほんの少量の炭水化物は水たまり、脂肪は太平洋だ。きみの身体にはどんなときでも活用できるエネルギーが約16万キロカロリーある。・・・
 ただし、ここでごまかしはきかない。身体は脂肪が大好きだ。われわれの器官はその宝物を燃やすよりもそのままためこんでおきたいため、ほかに燃やせるものがあると感づいたら、そちらを先に使い、残りをさらなる脂肪に変える。糖を燃やすサイクルから解放されるには、スチューは糖への依存を即座にきっぱりやめるしかなかった。


 この結果は少ないエネルギーで長く動ける肉体を得られるだけではありません。心拍数を抑制することは、脳や筋膜をより有効に使うことも可能にするのです。それはアスリートを「ゾーン」に入らせるきっかけともなりうるのです。

・・・脂肪を使う楽な状態に移ると、視覚情報はくっきりと広がって、立体的になる。周辺視野の広がりと拡張性は独特でまちがえようがない。まるで3Dサラウンド・ヴィジョンの映画館にいるかのようだ。
 もっと高負荷の、糖を燃やす状態に移るとすぐ、視覚情報は内側に向かって崩れ、周囲は消えがちになり、意識はもっと狭い視野に集中させられる。・・・

<フィットネスクラブの?>
 僕はフィットネスクラブに20年以上通っていますが、そこで以前から思っていたのですが、確かに細い人は細い、でもそうでない人は何年たっても痩せたように見えないことです。毎日のように来ているのにです。フィットネスクラブに通うことで、本当にダイエットになるの?そう思っていました。(僕はダイエットではなく、スカッシュをやりたくて行ってます)

 フィットネスクラブは通ってこない会員をあてにするただひとつの商売だ。これは金儲けとして驚くべきサクセスストーリーだし、それを支えるのが欠陥商品なのだからなおさらだ。フィットネスクラブは、当の業界の基準から見ても機能していない - ジムに入会すればするほど、われわれは太っていくからだ。肥満の増加はフィットネスクラブの収益増と並行した軌道をたどり、どちらも約2%の年率で着実に上昇しているのだ。

 著者はそんなフィットネスクラブになくてはならない存在である「水分」の問題についても言及しています。

 人間は暑い日に長く走れるかどうかで生死が決まった。そこでわれわれが生き延びたのは、いつ、どのくらい水を飲めばいいかを身体が教えてくれたからだ。脱水症状に耐性があるからこそ、人間はほかの動物を死に追い込むまで走ることができた。・・・
「脱水症状や熱中症」がマラソンやウルトラランニングで深刻な問題になったのが、頻繁な水分摂取が常識となったあとというのは、どういうことなのか?
・・・エリートランナーたちは集団の真ん中をのろのろ走るランナーたちよりも多くの汗を排出しているのだ。
・・・彼らは溺れていたのだ。水が足りなかったのではなく、多すぎて死んでいったのだ。水をがぶがぶ飲み過ぎて、血中ナトリウム濃度を低下させ、脳の腫れを引き起こしたのだ。水中毒だ!・・・スポーツドリンクの各巨大企業は人々を錯覚させることに大成功していた。


 最後にもうひとつ、著者が指摘する体質を変えるための初めの一歩は、年齢、性別に関係なく、誰もが挑戦可能だということです。

 われわれは抑制の - そして耐久力と弾力の - 生物で、男と女、老いと若きでもっとも共通するのもその点だ。長距離走や遠泳といった持久力が試される場では、年齢や性別によるパフォーマンスの差は体格のちがいよりも小さい。わずか10%程度だ。

 誰もが平等に挑むことができる目標として、ヒーローへの道が存在しているわけです。もちろん肉体の鍛錬だけが英雄への道ではないはずですが、そこに近づくための一つのやり方ではあります。ならば、そこに挑戦するのはありだと思うのですが、・・・あなたもいかがですか?


「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ Natural Born Heroes」 2015年
人類が失った”野生”のスキルをめぐる冒険
(著)クリストファー・マクドゥーガル Christopher McDougall
(訳)近藤隆文
NHK出版

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