- ネーネーズ Nenes -

<追記>2004年2月27日
<訂正>2004年4月13日

<沖縄を象徴する存在>
 僕にとっては、喜納昌吉よりも、りんけんバンドよりも沖縄を感じさせてくれる存在、それがネーネーズです。それは、沖縄の象徴が「青い海」であり、海といえば女性、そして母であるという実に単純な、しかし重要な理由からかもしれません。
 元々「ネーネーズ」というのは、「おねえちゃんたち」という意味です。(以前は「おかあちゃんたち」と言った方が近かったのですが、メンバー・チェンジにより再び「おねえちゃん」たちにもどったようです・・・)もちろん、彼女たちの歌がもつ優しく力強い癒しの力は、「母なる海」がもつ母性そのものです。あの連続テレビ小説「ちゅらさん」の「おばあ」は、まさにそんな沖縄の母性を象徴する存在でした。

<ネーネーズの生みの親>
 沖縄という島国の母性の象徴、ネーネーズを育てたのは、沖縄の父性を代表する人物、沖縄音楽業界のドン、知名定男です。
 彼の父は、沖縄民謡界の大物、知名定繁で、同じように民謡界の大物をボスにもつ喜名昌吉とともに、かつて1970年代に本土進出を果たした経験をもちます。その後は沖縄に戻り、ライブ・ハウス「島唄」の経営や音楽プロデューサーとして、琉球民謡、ポップス界の世話役として活躍をし続けている人物です。

<ネーネーズ誕生>
 そんな琉球ポップス界のドンが自分の店の専属歌手として活躍していた二人の歌い手を中心に組んだ女性ヴォーカル・グループがネーネーズでした。そのうちの一人古謝美佐子は、小学生の時に天才歌手としてデビューを果たし、坂本龍一のコーラス隊メンバーとしてワールド・ツアーに参加したこともあります。
 もう一人の宮里康子も二十歳の頃からレコーディングを続けるベテラン実力派歌手です。この二人に、宮里奈美子と若手の比屋根幸乃を加えた4人によって、ネーネーズは結成されました。(1990年)

<ネーネーズを支えるバック・バンド>
 彼女たちのデビュー・アルバム「IKAWU」(1991年)は、新人とは思えない完成度の高い作品に仕上がっていた。それは、彼女たちが経験豊富な歌い手だったからだけではなくバックを務めたメンバーの優秀さのおかげでもありました。
 彼女たちのバック・バンド、スピリチュアル・ユニティーは、河内音頭のヒーロー河内家菊水丸や江州音頭のヒーロー桜川唯丸らを支えていた大和(日本)のエスニック・サウンドを代表するユニットでした。
 編曲にも参加するキーボードやコンピューター担当の佐原一哉、ギターやウクレレなどを担当する石田雄一、それにネーネーズのサウンドが持つ南国らしい雰囲気を演出するのになくてはならないパーカッションを担当する後藤有三。この優秀な3人とソングライター、編曲、プロデュースだけでなく三線なども担当する知名定男に支えられたデビュー・アルバム「IKABU」は、彼女たちのすべてが収められた完成度の高い作品でした。

<デビュー・アルバム「イカブー IKAWU」>
 キューバのソンと琉球音楽の出会いとも言えるのどかな南国のラブ・ソング「ヨーアフィ小」。イーグルスの「テイク・イット・イージー」の琉球版といった感じの「テーゲー」は、ゆったりしたレゲエ・ナンバー。そして、このアルバムを代表する名曲中の名曲、アルバム・タイトル曲「IKAWU イカブー」は、アルゼンチンに移住する若者が沖縄に残る家族や友人に別れを告げる悲しみにあふれた名曲です。

<沖縄とアイルランド>
 この曲を聴くと、アイルランドからの移民達のことを歌ったポーグスチーフタンズの歌を思い出しまいます。そして、日本と沖縄の関係が、イギリスとアイルランドの関係によく似ていることに改めて気づかされます。
 かつては植民地として支配され、貧しさのために移民を余儀なくされた二つの国の人々。彼らはそんな苦しい歴史の中から素晴らしい音楽を生み出したました。それに、アイルランドには黒ビールやアイリッシュ・ウイスキーを飲みながら歌い踊るアイリッシュ・パブがあり、未だにゲール語という独自の言語を持っています。そして、沖縄には「島唄」のような民謡酒場があり、そこでは泡盛やオリオン・ビールが飲まれ、ウチナーグチが飛び交っているのです。不思議な音楽進化の法則は、地域の隔たりを越えた素晴らしい文化を育てたと言えそうです。

<YUNTA=結歌>
 そして、もうひとつネーネーズの歌を特徴づけるとともに、沖縄を感じさせてくれる存在があります。それは彼女たちのセカンド・アルバム「YUNTA」(1992年)に数多く収められている労働歌と呼ぶべき歌の数々です。このアルバムのタイトル「YUNTA」自体が沖縄の八重山諸島が発祥地と言われる労働歌を示す言葉からとられている。(YUNTA=結歌は、人と人の心を結んで調子を合わせるところからきたらしい)
国頭サバクイ」は、木遺り歌(キヤリウタ)と呼ばれる曲で、首里城を作る時に、材木を扱う人々が歌ったということだ。
舟むちユンタ」は、運搬船の船乗り、海人(ウミンチュ)たちの歌。
汗水節〜県道節」は、文字通り汗水たらして働く道路建設の人夫たちの歌。
DAY-O!」(バナナボート)は、言わずと知れた世界一有名な労働歌だ。(この曲は、ジャマイカの労働歌を元にしたもので、ハリー・ベラフォンテが1957年に大ヒットさせた)
Chicken 海ヤカラー」は、沖縄を代表する職業、海人(こちらは漁師)のための歌。
 彼女たちは、生きるために苦しい労働を続けなければならない人々の労働歌を通して、沖縄の人々だけでなく日本人の心をも癒してくれました。
 1994年発売の「コザ Dabada」でも、本土の都会で働く若者たちにお金の魅力に惑わされるなと説く「黄金の歌」やタクシーの運転手として働いているはずの恋人への想いをこめた映画のワンシーンのような「真夜中のタクシー」など、働く人々への癒しの歌を歌い続けている。

<ネーネー、世界へ>
 彼女たちは、「バナナ・ボート」以外にも、究極の癒しの歌「No Woman No Cry」(もちろんボブ・マーリーのあの名曲)をカバーしたり、デヴィッド・リンドレーライ・クーダージム・ケルトナーロス・ロボスデヴィッド・ヒダルゴなど海外のミュージシャンたちと共演したりと沖縄どころか日本の枠をも飛び越えて、世界にまでその活躍の場を広げてゆきました。

<憧れの沖縄>
 僕は、今まで沖縄に3度行っています。どれも目的はスキューバ・ダイビングだったのですが、そのうち二回は台風に遭遇してしまい、おかげで海の中以外の沖縄もずいぶん見ることができました。ソーキそばにゴーヤ・チャンプルー、オリオン・ビールに泡盛など、どれもオーケー。
 沖縄に移住した作家の灰谷健二郎さんや池沢夏樹さんが羨ましい!慶良間や西表など天国のような島でウミンチュ三昧で暮らせるなら・・・ああ。こんなインドアな僕も、かつてはダイビングのインストラクターになって、島で暮らしたいと思っていたことが、あるものですから・・・ネーネーズは、そんな僕にとっての憧れの土地、沖縄の象徴なのです。
 いつかまた沖縄に行って、今度こそ「島唄」でネーネーたちの歌が聴きたい。いつになるかは、わかりませんが、それまで元気で歌い続けていて下さい!

<ついに「島唄」に行って来ました>追記2004年2月27日
 2月24日、沖縄に久しぶりに行って来ました。そのうえ、今回はライブハウス「島唄」でライブを見ることができました。出演していたのは、島唄シンカ(元ネーネーズの吉田康子、元知名定男バンドの知名定人、神戸出身の澤田智仁)。しっかり楽しませてくれました。いつ行っても、島唄が聴ける場所があるというのは、素敵なことです。

<思いもよらない方からメールをいただきました>追記2004年4月13日
 先日、ネーネーズのマネージメントや島唄の雑誌月刊「うるま」の編集長をしておられる古勝さんという方からメールをいただきました。おかげで、ちょっと添削もしてもらえました。うれしい驚きでした。

<締めのお言葉>
「深海の果てしなく青一色の世界の静寂に包まれてただ一人となるとき、時間と空間と光はひとつのものとなり、私は私の呼吸を一時止めて宇宙の呼吸に身をゆだねる。その時私は両棲人間という私の真の本性と再会し、ひとつの”宇宙の歯車”に再び還っている自分を再発見する。
 皆さんが私に続いてくれますように・・・」

ジャック・マイヨール著「イルカと、海へ還る日」より
ジャック・マイヨール氏のご冥福をお祈りいたします。なぜ、あなたが自ら死を選んだのか?未だに不思議でなりません。

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