偉大なるニューマン一族のお仕事


- アルフレッド・ニューマン Alfred Newman -
- ライオネル、エミール、トーマス、デヴィッド、ランディ -
<偉大なるニューマン一族>
 アルフレッド・ニューマンを頂点とする「ニューマン一族」は、ハリウッド映画の歴史と共に映画音楽の歴史を作り続けてきた「華麗なる一族」です。アルフレッドと二人の弟、そして二人の息子と甥っ子たちが関わった作品リストからは、ハリウッド映画の歴史も見えてきます。
 チャップリンの「街の灯」から始まって、マリリン・モンローのヒット作から、インディペンデントの巨匠ロバート・アルトマンの「ザ・プレイヤー」、名作「ショーシャンクの空に」、「トイ・ストーリー」や「カーズ」などアニメ映画の傑作たちまで、ハリウッド映画のヒット作の変遷が見えてくるような作品群。それらをすべて作り上げたニューマン・ファミリーとその代表作をご紹介します。

<アルフレッド・ニューマン>
 最初に映画音楽に関わることになったニューマン兄弟の長男アルフレッド・ニューマン Alfred Newman は、20世紀の初め1901年3月1日アメリカ、コネチカット州ニューヘブンで生まれています。合唱団のリーダーをしていた音楽好きの母親の影響で6歳頃からピアノを始め、12歳でコンサートを行うほどの腕前でした。しかし、10人兄弟の長男だった彼は、音楽学校に行く経済的余裕などなく13歳からはプロのピアニストとして家族を支えるために働き始めます。そのため、大衆演奏のメンバーとしてピアノを弾くところから始め、舞台演劇の伴奏を行ったりしながら独学で作曲や編曲の仕方を身に着けてゆくことになりました。
 1930年頃、ブロードウェーのレビューで音楽監督を務めていた彼は、アーヴィング・バーリンに誘われてハリウッドへと仕事場を移す決意をします。当時、ハリウッドは映画の黄金期を迎えようとしており、すべての仕事で人材が不足しており、彼のような学歴のない音楽家にも次々に仕事のオファーが来ました。たたき上げの職人気質だった彼は、次々と仕事をこなし、効率よく仕事を進める才能をみせことから、すぐに昇格。誕生したばかりのフォックス映画のダリル・F・ザナックの推薦もあり、同社の音楽部長にまで昇進します。この後、彼は20年に渡って、作曲、編曲、指揮者としての仕事と並行して、楽団の運営や後輩の育成などにも関わり続けることで、映画音楽界の発展に貢献して行きます。
 もちろん、彼自身の作曲家としての才能も優れていました。あの有名な20世紀フォックスのファンファーレも彼が作曲したものですし、アカデミー作曲賞を2回、編曲賞を7回受賞するという偉業も果たした作曲家はいないはずです。(あのジョン・ウィリアムズでさえアカデミー賞は5回しか受賞していません!)
 彼の弟のライオネル・ニューマン Lionel Newman とエミール・ニューマン Emil Newman も、兄から勧められたこともあり、20世紀フォックスに入社。兄のもとで下積みをしながら編曲や指揮、音楽監督を任されるようになり、作曲家として記されている作品こそ少ないものの、実際にはかなり多くの作品に関わっています。
 アルフレッドは、1970年2月17日にこの世を去りましたが、彼の息子二人デヴィッドとトーマスもまた映画音楽の仕事に関わることになります。
<アルフレッド・ニューマンの作品>
「街の灯」(1931年、編曲のみ)、「世紀の楽団」(1938年アカデミー編曲賞)、「ガンガ・ディン」「嵐が丘」「ノートルダムのせむし男」(1939年)、「怪傑ゾロ」「ティン・パン・アレー」(1940年アカデミー編曲賞)、「血と砂」「我が谷は緑なりき」(1941年)、「海の征服者」(1942年)、「聖処女」(1943年アカデミー作曲賞)、「王国の鍵」(1944年)、「剃刀の刃」(1946年)、「Mother Wore Tights」(1947年アカデミー編曲賞)、「征服への道」(1947年)、「三人の妻への手紙」(1948年)、「海の男」「星は輝く」(1949年)、「イヴの総て」(1950年)、「愛欲の十字路」(1951年)、「わが心に唄えば」(1952年アカデミー編曲賞)、「Call Me Madam」(1953年アカデミー編曲賞)、「聖衣」「百万長者と結婚する工法」(1953年)、「七年目の浮気」(1955年)、「慕情」(1955年アカデミー作曲賞)、「追想」(1956年)、「王様と私」(1956年アカデミー編曲賞)、「アンネの日記」(1959年)、「西部開拓史」(1962年)、「偉大な生涯の物語」(1965年)、「ネバダ・スミス」(1966年)、「キャメロット」(1967年アカデミー編曲賞)、「大空港」(1970年)  

<ライオネル・ニューマンの作品>
「紳士は金髪がお好き」「ナイアガラ」「ショウほど素敵な商売はない」(1953年)、「帰らざる河」(1954年)、「誇り高き男」「やさしく愛して」「女はそれを我慢できない(1956年)、「陽はまた昇る」(1957年)、「恋愛候補生」「赤い崖」(1958年)、「恋をしましょう」(1960年)、「マドリードで乾杯」(1964年)、「マシンガンシティ」(1967年)、「絞殺魔」(1968年)、「ハロー・ドーリー!」(1969年) 
<エミール・ニューマンの作品>
「ストーミー・ウェザー」(1943年)、「ローラ殺人事件」(1943年)、「センチメンタル・ジャーニー」(1946年)、「我等の生涯の最良の日」(1946年)、「虹を掴む男」(1947年)、「ジャンヌ・ダーク」「ヒットパレード」(1948年)、「愚かなりわが心」(1950年)、「恐怖のサーカス」(1954年)、「殴られる男」(1956年)

<トーマス・ニューマン>
 アルフレッドの息子トーマス・ニューマン Thomas Newman は、一族の中では異なる作風により新たなスタイルを確立しつつある作曲家です。彼は、1955年10月20日ロサンゼルスに生まれています。南カリフォルニア大学でデヴィッド・ラクシンから映画音楽について学んだ後、イエール大学ではジェイコブ・ドラックマンから作曲を学びました。家族だけでなく周囲には映画関係者が多く、彼のデビュー作も友人のスコット・ルーディンが製作した映画「俺達の明日」(1984年)でした。
 彼の作風として特徴的なのは、父親が確立したストリングス中心のハリウッドの王道とは異なる実験主義的な音作りです。電子音楽とオーケストラの融合となった「レス・ザン・ゼロ」、スティーブ・ライヒ風にアフリカの打楽器によるミニマルな音楽を用いることでアメリカのホーム・ドラマを異化することに成功。その後も、サム・メンデス監督とのコンビは続いています。 
<トーマス・ニューマンの作品>
「マドンナのスーザンを探せ」(1985年)、「レス・ザン・ゼロ」(1987年)、「フライド・グリーン・トマト」(1991年)、「ザ・プレイヤー」「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」(1992年)、「ショーシャンクの空に」「若草物語」(1994年)、「モンタナの風に吹かれて」(1998年)、「グリーン・マイル」「アメリカン・ビューティー」(1999年)、「エリン・ブロコビッチ」(2000年)、「ロード・トゥ・パーディション」(2002年)、「ファインディング・ニモ」(2003年)、「レモニー・スニケットの世にも不幸な物語」(2004年)、「シンデレラマン」「ジャー・ヘッド」(2005年)、「さらばベルリン」(2006年)、「レヴォリューショナリー・ロード」「ウォーリー」(2008年) 

<デヴィッド・ニューマンの作品>
「フランケンウィニー」(1984年)、「クリッター」(1986年)、「ローズ家の戦争」(1989年)、「ホッファ」(1992年)、「フリント・ストーン」(1994年)、「アナスタシア」(1997年)、「10日間で男を上手にフル方法」(2003年)、「ザ・スピリット」(2008年) 

<ランディ・ニューマン>
 アルフレッド・ニューマンの血筋にあたるミュージシャン、作曲家としては、もうひとり甥っ子にあたるランディ・ニューマンがいます。もともとはシンガー・ソング・ライターとして活躍していましたが、並行して映画音楽の作曲家としての活動が増え、2001年の作品「君がいないと」(映画「モンスターズ・インク」)では、アカデミー歌曲賞を受賞しています。
 最も知名度が高いのは彼でしょう。ミュージシャンとしても一時代を築いたアーティストです。
 歴史的名盤「セイル・アウェイ」
 物議をかもした大ヒット曲「ショート・ピープル」
 独特のヴォーカルとピアノで観客を魅了するライブ
 シンガー・ソングライターとして1970年代を代表する存在だった彼のアルバムの数々を是非お聞きください!
 詳細については、別ページへ!
ランディ・ニューマン Randy Newman
<ラディ・ニューマンの作品(映画音楽)>
「ラグ・タイム」(1981年)、「ナチュラル」(1984年)、「バックマン家の人々」(1989年)、「レナードの朝」(1990年)、「わが心のボルチモア」(1990年)、「マーヴェリック」(1994年)、「トイ・ストーリー」(1995年)、「バグズ・ライフ」(1998年)、「モンスターズ・インク」(2001年アカデミー歌曲賞)、「シーズ・ビスケット」(2003年)、「カーズ」(2006年)、「プリンセスと魔法のキス」(2009年)、「モンスターズ・ユニバーシティ」(2013年) 

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