- はっぴいえんど、マイケル・ボーダッシュ -

<はっぴいえんどの功績>
 はっぴいえんどによって、日本語によるロックが完成の域に高められたというのは、今やJ−ロックにおける常識です。しかし、先日読んだアメリカ人社会学者マイケル・ボーダッシュによる著書「さよならアメリカ、さよならニッポン」には、ちがうことが書かれていました。著者はその中ではっぴいえんどの功績は、日本語をロックに上手く乗せたことではなく、日本語をロックに無理やり乗せることで、それをノイズ化し、その曲を本当の意味の「ロック」にしてしまったことだ、そんなようなことを書いていました。
 ちょっとノスタルジックな日本語を「ロック」に違和感なく乗せることで、どこか懐かしい日本の失われゆく風景を描き出したことが、彼らの功績だったと僕は思っていたのですが、そうではないというのです。日本語はあくまで彼らにとっては「素材」のひとつにすぎず、たまたま「日本語」と「ロック」という、それまでは相容れなかったものがぶつかることで、そこから「軋み」が生まれ、その「軋み」こそが「ロック」の本質を生み出したというわけです。はっぴいえんどのサウンドは、その意味であくまでも「ロック」であって「ニューミュージック」ではなかったということかもしれません。
 では「ロックの本質」とはいったい何なのでしょう?話はそこから始める必要がありそうです。
 社会学者の南田勝也氏は、「ロック」についてのキーワードを三つあげています。それは、「芸術」、「アウトサイダー文化」、「娯楽」です。「ロック」が「芸術性」と「娯楽性」のバランスの上に成立するのは、「大衆音楽」としては必然的なことですが、それでは「ロック」はすぐにクラシック音楽の仲間入りをしてしまいます。「ロック」が「ロック」でいられるのは、それまでのモラルや常識の向こう側に存在するもうひとつの文化(「アウトサイダー文化」)を持ち込むことで、革新を行い続けることにこそあるのです。「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石にコケはつかない)ということです。
 そして、そうした「アウトサイダー文化」の中でも、音楽にとって最も重要な存在、それは「ノイズ」です。

「日本でも西洋でも、ロック・ミュージシャンたちは、エレキ・ギターのピックアップからのアウトプットを増幅と録音のシステムに通し、その結果生まれたサウンドを、意図的に濁らせるフィードバックほかのエフェクトを活用しはじめていた。この新しい不明瞭さには、美学的な含みとともに、政治的な含みもあった- それは反逆の叫びだったのだ。かつては「ノイズ」だったものが「音楽」になる。その変化は革命を暗示していた。」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

 音楽の発展の歴史は、「ノイズ」と考えられていた「音」の許容の歴史でもあります。音楽は、ノイズを自らの中に取り入れることで進化、発展を続け、そこから新たな「ノイズ」が生まれるという歴史を繰り返してきました。

「音楽というコードは社会的秩序を生み出すために、ノイズを捕らえ、導いてゆくが、そのコード化の行為そのものが、今度は新たなノイズの可能性を切り開く。その支配的なコードからはみだした音は、すべてノイズとなってしまうからだ。」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

 そうした「ノイズ」の取り込みによって常に革新し続けてきたのが、20世紀後半においては「ロック」という音楽ジャンルでした。そこには、「ブルース」、「R&B」、「カントリー」、「フォーク」、「レゲエ」、「ファンク」、「ラップ」、「テクノ」、そのほか世界各国のエスニックな音楽が取り込まれ、常に雑種の音楽を生み出すことで発展をし続けてきました。こうした、「雑食性」と「革新性」の象徴が20世紀における「ロックの文化」だったのです。
 当たり前のことですが、「ノイズ」と「革新」の関係は、「音楽」の世界にだけ当てはまることではありません。それは社会構造全体についてもあてはまり、「ノイズ的な存在」は常に社会を革新する原動力として機能してきたといえます。

「文化的上部構造(イデオロギーを含む)の変革は、経済的な土台、あるいは下部構造の破断に遅れを取るというマルクス主義の考えを、アタリは根本から覆す。アタリの耳には、来たる革命はまず新たな形態のノイズとしてあらわれ、社会を秩序立てる、確立されたコードを破壊しはじめるのだ。」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

 「ノイズ」はもちろん「音響的なノイズ」だけとは限りません。それは、「意味的なノイズ」だったり、「社会的なノイズ」だったり、「民族的なノイズ」など様々なものがありえます。その中で「言語的なノイズ」ともいえるのが、はっぴいえんどが用いていた独特の日本語だったというわけです。
 彼らは「ロック」という音楽のもつ「革新性」や「雑食性」を誰よりも早く理解したからこそ、この日本語による創作実験こそ「ロック」であると確信していたのでしょうか。

「しかし、はっぴいえんどにとっての日本語は、伝統あるいはアイデンティティの供給源ではなく、疎外され、疎外する言葉 - ノイズの発生源として機能するものだった。この唱法は、歌詞で提示される物語、すなわち故郷と家族を捨て、新生活にすべてを賭ける若者の物語にもフィットしている。この曲は均質性という戦後日本の神話を中心になって支えてきた「ふるさと」のノスタルジックな言説を拒絶する。」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

 けっして彼らは懐古趣味から日本語を用いていたのではなく、現代の英語化しつつある日本語に対するアンチとして、どちらかといえば過去に属するような日本語をあえて選んでいたのです。それはまさに言語と音による実験室でした。

「要するにバンドは、真正でない、不自然な形態の日本語・・・母国語の「不気味な」ヴァージョンをつくり出したのだ。
 同様の言語実験 - 言葉遊び、非標準形の「漢字」の使用、通常は「カタカナ」で表記される単語を「ひらがな」で書く手法 - が、バンドのキャリアを通じて松本の歌詞を特徴づけることになる。」


 もちろん、彼らが日本語を重視していたのは、日本という国をもう一度見つめなおそうという意図があったからでもあります。70年安保が成立しいよいよ日本が親米色を強めてゆく時代に、あえて日本という国について再考することは、政治的なメッセージでもありましたが、それは日本人のライフスタイルの変化に対する疑問の提示であり、問いかけでもありました。しかし、このメッセージは当時ほとんど受け入れられることはありませんでした。だからこそ、はっぴいえんどは多くのロック・ファンに知られることのないまま、その活動を停止したのです。(僕もその一人でした)
 こうして、僕が今、はっぴいえんどについて書いているのは、もちろん今になって彼らの提案がやっと理解できたからです。同時代に出会えなかったのが残念です。

「風は歴史を越えて吹いてくる。そしてその限りに風は伝統だとも言える。だとしたら、風街ろまんから新しい日本的なものを聞きとるのはそんなに難しいことではない。それは、はっぴいえんどが、精製した風を、君が自分の顔に受け止める時だ。とても不思議なことに、君もぼくも日本人と呼ばれているのに、自分の国が自分の国らしくないのだから。
 旅に出るんだ。
 日本を見つけるために。」

松本隆(1971年)

 はっぴいえんど解散後、多くの人はその存在を知らないままでしたが、彼らはその後も、それぞれの立場で時代の変化を支え続けることになります。そうしてやってきたのが「ニューミュージックの時代」でした。

<ニュー・ミュージックの時代>
 1980年代、ニューミュージックの黄金時代は、日本経済の黄金時代でもありましたが、それはけっして偶然の一致ではありませんでした。1970年代半ばに始まった「個の時代」は、日本が経済力を増すことで、「個が自由を得られる時代」へと変化。1980年代には、誰もが自分の行きたいところに行き、やりたいことができる「夢の時代」になっていたといえます。(これが後に「バブル」と呼ばれることになるのですが・・・)
 そんな時代、大衆に向かうべき方向性を示す存在として、一気にその最前線に躍り出たのが、ひとつには糸井重里に代表されるコピーライターたち。そして、ユーミン(荒井由美)に代表されるニューミュージックのスターたちでした。
 当時、すでに時代のトレンドを作る存在は、女性たちでした。「旅行ブーム」、「DCブランド・ブーム」、「スキー・ブーム」、「スキューバダイビング・ブーム」など、次々に登場したブームの火付け役はそのほとんどが女性たちでした。そして、彼女たちの多くがその流行の発信源として選んでいたのがユーミンの音楽でした。
 1960年代のトレンドだったフォークは男たちの文化で、それは商業主義を否定することで成立していたともいえます。かぐや姫の「神田川」も岡林信康の「私たちの望むものは」も吉田拓郎の「結婚しようよ」も・・・。それに対して、ユーミンはコペルニクス的な転換をやってのけたのです。

「芸術性と商業性を対立させていた否定を否定することで、ユーミンはゲームの境界線を移動させた - 今や「商業主義の中で」、商品としての傑出した交換価値によっても侵食されることのない芸術的価値を有するポピュラー・ソングを見出すことが可能になったのだ。もしも彼女の音楽がなんらかの意味で政治的だったとするなら、それは消費という日常生活の否定を通じて生じた60年代フォーク風の政治ではなく、その世界の内側から生じたものだったのである。」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

 しかし、この大転換の前後にまったくつながりがないわけではありません。「フォークの神様」岡林信康と「ニューミュージックの女王」ユーミンという両極端の存在のバックには、ともに細野晴臣と鈴木茂がいたのです。そして、その細野を中心としたはっぴいえんど周辺のミュージシャンたちの多くがニュー・ミュージックのブームに関わりました。彼らは、やりたかった音楽を自由に演奏するチャンスを得て、その音楽をバックに歌うアーティストたちもまたそれまでとは異なる「顔」をもつことになりました。
 ギター片手に歌われていた四畳半フォークが、テレビの向こう側にいるお洒落なミュージシャンによって歌われることで「ニューミュージック」という新たな音楽に変化しました。もちろんそれを歌うのは、ジーパンで長髪薄汚いアンチャンから最新ファッションを身にまとう美しい女性アーティストになりました。

「・・・ニューミュージックのシンガーは新しいなにかを感じさせた - 「”芸能人”ではない”文化人ふう”の匂いをちらちらさせていた」のだ。この新しい形態の文化を名づけるために使われた「ニューミュージック」というフレーズそのものが、基本的には非商業的なフォークという、さほど市場向きでないルーツと区別するためのマーケティング的な戦術だったことも、決して忘れるべきではないだろう。」
マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

<キャラメル・ママ>
 そんな「ニューミュージックの女王」ユーミンのバックを勤めていたキャラメル・ママのメンバーは、前述の細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆の四人。この「キャラメル・ママ」というバンド名には実は意外な意味があります。なんと「キャラメル・ママ」という言葉は、1960年代、学生運動に走った子供たちを、バリケードの向こう側から安楽な家庭に連れ戻そうとする親たちにつけられたニックネームだったそうです。なんという皮肉なネーミング。
 ニューミュージックがもたらした脱フォークの流れは、社会全体が脱・政治的行動主義へ向かう流れにあった中、ある意味必然的なことでした。しかし、それは単に大衆が政治的行動をあきらめた結果として生まれた音楽であり、現実逃避の手段にすぎなかったのでしょうか?

「ニューミュージックが1960年代のフォークを方向づけていた政治的行動主義の空洞化を招いたのは間違いない。それはつまるところ、その提唱者たちが真正ではにと見なした日常生活の否定に根ざすものだった。しかしニューミュージックは、まさにその日常生活、およびそれが1970年代の日本においてあらわしていたように思える非現実のなかからこそ、芸術的、政治的行動主義ははじめられなければならないと主張した。
 ニューミュージックの失態は、同時に最大の業績を生み出すことにもなったのである。」

マイケル・ボーダッシュ著「さよならアメリカ、さよならニッポン」より

 ある意味「ニューミュージック」によって、再び客観的な立ち位置を得たミュージシャンたちは、一歩下がった後、静かに自らの主張を歌い始めることになります。そして、1990年代以降のミュージシャンたちは1960年代のフォークとはまったく異なるスタイルで歌うことになります。(尾崎豊、ミスター・チルドレン、椎名林檎、ブランキー・ジェット・シティー、奥田民生・・・)それらは、ニューミュージックとも異なる新しいものとなります。忌野清志郎や坂本龍一らは、1960年代と1990年代二つの世代のミュージシャンたちの架け橋的存在となります。桑田佳祐は、さらにその中間に位置する存在であり、今や清志郎の後継者となることを求められているのかもしれません。

<参考>
「さよならアメリカ、さよならニッポン - 戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか -」 2012年
(著)マイケル・ボーダッシュ
(訳)奥田裕士
白夜書房

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