世界の終わりとしての「二ーチェの馬」のその後 


「ニーチェの馬 A torinoi lo 」

- タル・ベーラ Tarr Bela -

<ハンガリーの巨匠、最後の作品>
 ハンガリーが生んだ巨匠タル・ベーラの作品をやっと観ることが出来ました。ところが、初めて観た本作「ニーチェの馬」を最後に彼は引退することを発表したとのことに驚かされました。遅かった・・・。
 この映画の発表当時、彼はまだ56歳だったはずです。いくらなんでも早すぎませんか?宣言どおり、2017年時点でも、彼が新作を撮る気配はないようですが、宮崎駿のように帰ってきてほしいいものです。彼は引退後、後進の育成に専念すると語っていたようですが、確かにハンガリー映画界には彼の優れた後輩が育ちつつあるようです。彼の作品「倫敦から来た男」(2007年)でアシスタントを務めていたネメシュ・ラースローは、2011年に初監督作「サウルの息子」を発表し、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しています。
 ハンガリー映画界に新たな時代をもたらした偉大な監督の代表作であり、最後の作品?となる「ニーチェの馬」をじっくりと観させていただきました。
 きっとあなたもこの映画を観始めると、目が釘付けになるはずです。そして、なぜそうなってしまうのか?考えさせられるはずです。(眠くなる人もいるでしょうが、あしからず)

<「ニーチェの馬」って何?>
 この作品のタイトルの「ニーチェ」とは?もちろんあの有名なドイツの哲学者のフリードリヒ・ニーチェです。
 1889年1月30日、彼はイタリアのトリノの街中で、御者によって鞭うたれる老馬に駆け寄って、抱きつくとそのまま発狂してしまいました。それから彼はその死までの10年を精神病院で過ごすことになりました。この時、ニーチェが抱き着いた老馬は、ニーチェにとって自身の未来像だったのでしょうか?それとも死ぬまで働きつづけなければならないことへの恐怖の象徴だったのでしょうか?それとも西欧のキリスト教文明の未来をそこに見たのでしょうか?・・・それは実に哲学的な宿題として残された問題だったといえます。
 この映画の監督タル・ベーラは、そんな「ニーチェの馬」のその後を描くことでその解答に迫ろうとしたわけです。何とも哲学的で難しそうな映画ですが、それで観るのを敬遠してはいけません。正直、僕も面白い映画には思えなかったのですが、・・・
 確かにこの映画は、難解な映画となりそうな要素が満載です。
 「長回しのカメラ」(長回しの撮影は彼のトレードマークともいえます)
 「絵画のような静止画像のような動きの少ない画面」(彼は映画よりも、絵画に影響を強く受けてきたと言います)
 「色彩を排除したモノクロ映像」(デジタルではなくフィルム、それもモノクロ・フィルムにこだわる彼ならではの美しい映像です)
 「動と静が際立つカメラ」(オープニングで馬の周りを動き回るカメラに対し、部屋の中でカメラを固定した絵画のような映像の対比)
 「まるでサイレント映画のような台詞の少なさ」(茹でたジャガイモを食べる場面から、チャップリンの「黄金狂時代」で彼が靴を食べる場面を思い出しました)
 「同じメロディーを延々と繰り返す音楽」、「効果音のように鳴り続ける風の音」、「事件らしい事件が起きない物語の展開」・・・
 これはまさにハリウッド映画の対極に位置する作品です。ただし、だからこそこの映画のインパクトは半端じゃないのです。

<荒廃した未来を描いたハードSF?>
 この映画の物語は実にシンプルです。
 農家を営む父親と娘の二人、朝、起きて着替え、仕事に出かけ、帰宅後は再び着替えてジャガイモだけの食事をして眠りにつく。この繰り返しが、6日間続きます。ただし、彼らが暮らす家の周囲では暴風が吹き荒れており、家も、畑も、人も見あたりません。それはまるで、核戦争によって崩壊した未来社会を描いた「ブレードランナー2049」や「ザ・ロード」、「マッド・マックス」の世界を思わせます。
 彼らの家にやってきた近隣の住人は、街が暴風によって崩壊したと告げます。さらには、国を捨てて、アメリカに移住するために旅をする人々も現れます。それはまるで、J・G・バラードによる世界終末SF3部作のひとつ「狂風世界」を思わせます。
 この映画は、1889年という「ニーチェが正気を失った年」だけではなくそこから遥かな未来にまで通用する普遍的な物語といえそうです。ちなみにニーチェが死んだ1900年(8月25日)は、ヴィクトリア女王の死(1901年1月22日)と並び、「19世紀の終わり」を象徴する「死」と言われています。それだけに「ニーチェの馬」は様々な意味で象徴的な作品といえるのです。

<閉鎖空間での二人芝居>
 この映画は、閉鎖された空間における二人芝居によって、「歴史」、「社会」、「文化」、「宗教」、「家族」、「労働」、「死」、「人生」・・・様々なことを考えさせる作品となりました。二人芝居と言っても、父と娘は気の利いたセリフを言い合うのでもなく、亡き母親の思い出を語り合うのでもなく、熱い芝居合戦をするわけでもありません。それどころか、生きる危機に追い込まれていながら、明日からどうやって生きて行くのかを話し合うことすらしません。
「なぜ、彼らは生きるために生き方を変えようとしないの?そのままじゃ、だめだとわからないの?」
 この作品について、こんなレビューを見かけました。確かにそう見る人もいるかもしれません。でも、現実に彼らと同じような立場に本当に追いこまれたら、彼ら以上のことができるでしょうか?少なくとも、現代社会に生きる我々がその状況に追いやられたら、ただ茫然とするだけか、精神に異常をきたすのがいいところでしょう。
 危機に追い込まれた状態で、ほとんどの人はその現実を受け入れて何もしないと言われています。このままでは、生き残れないとわかっていても、その事実に対して目をつむってしまう、これもまた現実なのです。現実は映画以上に厳しいはずです。人は働きつづけなければならない運命にあるのです。

「人生は労働であり、生き残るため、自分を守るための労働である。生きるということは闘っているということ」
タル・ベーラ

<カメラが語る映画>
 この映画は、面白くない要素が満載と書きましたが、それを補って余りある映像美とその迫力があります。この作品では登場人物が語らない代わりに、カメラが多くを語っているのです。カメラのアングルと照明の使い方、窓や扉など映像の縁取りの選び方は特に印象的です。
 オープニングの馬車を引く馬を様々なアングルからとらえた迫力満点の映像。これは、カメラを移動させ様々なアングルから馬の動きを捉えた撮影で、馬の動きを迫力満点に映し出すことに成功しています。
 ランプと窓からの明かりだけで浮き上がる人物像は中世の絵画のように美しく、それが少しずつ変化する変化に惹きつけられます。ラストの二人がテーブルについているカットは、二人だけの「最後の晩餐」を思わせます。
 登場人物は少ないものの、脇役として様々な「モノ」が活躍しているのも印象的です。「窓」、「本」、「馬」、「井戸とそのフタ」、「カマド」、「ジャガイモ」、「ランプ」・・・どれも味のある名演技をみせています。
 ハンガリーといえば、20世紀映画界をリードした偉大なカメラマン、ネストル・アルメンドロスもハンガリー出身のカメラマンです。そして、タル・ベーラの助監督を務めたことがあるハンガリーの監督ネメシュ・ラースロー(「サウルの息子」)は、師匠から受けた影響についてこう語っています。
「カメラワークの中でも、物理的に見えるカットでなく、感じるカットというものをどれだけ使っていくか。そこは師匠と同じく私も重要視しているところです」
ネメシュ・ラースロー(「サウルの息子」監督)

<タル・ベーラ>
 この映画の監督タル・ベーラ Tarr Bela は、1955年7月21日ハンガリー南部の中心都市ペーチ市に生まれています。
 1981年、首都ブタペストの映画アカデミーを卒業。当時、映画ファンだった彼は、新たに作られている映画がどれも「本物の感情」を描き出してはいないと不満を感じていました。それで自らの手で映画を撮ろうと考えたようです。さらに元々哲学者になりたかったという彼にとって、取りたい映画のテーマはすでに決まっていたようです。

「・・・自分の描く人々というのは惨めな環境に置かれている貧しい人々であったりするけれども、なぜかと言えば、スクリーンではそういう人間の尊厳を充分に見せていないと感じたからです。人はそれぞれ全員が尊厳というものを持っているけれど、世界中でそれが少しずつ、毎日毎日滅ぼされていくと感じているからです。」
タル・ベーラ

 1990年以降、彼はベルリン・フィルム・アカデミーの客員教授に就任。
 1994年、「サタン・タンゴ」でベルリン国際映画祭でカリガリ賞を受賞し、世界的に知られることになります。
 2000年、「ヴェルクマイスター・ハーモニー」公開
 2007年、「倫敦から来た男」公開
 2011年、「ニーチェの馬」でベルリン国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞を受賞。

 彼が「ニーチェの馬」を撮ろうと思った原点には、彼が映画を撮ろうと思うようになった最初のきっかけがあった気がします。そして、彼はこの映画の完成をもって映画を撮る作業から引退すると宣言したのでした。彼は自ら映画の製作教育のために「フィルム・アカデミー」を設立。そこで学んだ生徒の一人小田香監督によるドキュメンタリー映画「鉱 ARAGANE」(2015年)の監修をつとめています。

「ニーチェの馬 A torinoi lo 」 2011年
(監)タル・ベーラ Tarr Bela、フラニツキ・アーグネシ Hranitzky Gnes
(製)テーニ・ガーボル
(脚)タル・ベーラ、クラスナホルカイ・ラースロー
(撮)フレッド・ケレメン
(音)ヴィーグ・ケレメン
(出)ボーク・エリカ、デルジ・ヤーノシュ

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