光と影が生み出す異色の傑作

「狩人の夜 The Night Of The Hunter

- チャールズ・ロートン Charles Laughton、ロバート・ミッチャム Robert Mithum -

<隠れた名作>
 公開当時はまったく評価されず、名優チャールズ・ロートン唯一の監督作品だったこともあり、知名度が低いまま現在に至っています。実は、僕もこの作品ことは知っていましたが、2015年になって初めてテレビで観るまで取り上げることができずにきました。このサイトの存在意義は、まさにこの作品のような隠れた名作を紹介することにあります。というわけで、やっとこの映画についてご紹介させていただきます。

「血まみれのユーモアと、善と悪が入り混じるポエム。そして商業的、美的ルールを無視することで、非常に壮快な予想外の小品となっており、一見の価値がある」
フランソワ・トリュフォー

 この異色の作品が誕生したいきさつを紹介する前に、先ずは監督のチャールズ・ロートンについて調べてみます。

<チャールズ・ロートン>
 この映画の監督チャールズ・ロートンCharles Laughton は、1899年7月1日にイギリスのスカボローで生まれています。王立演劇学校を卒業後、舞台俳優となった彼は本格化の俳優として活躍し、1929年初めて映画「ピカデリー」に出演。
 1932年、彼はハリウッドに招かれ、本格的に映画俳優として活躍を始めます。すると、翌年1933年の「Privete Life of Henry」でアカデミー主演男優賞を受賞します。彼の受賞はアメリカ人以外の俳優として初めてのものでした。その後は、「戦艦バウンティ号の叛乱」(1935年)、「ノートルダムの傻毮男」(1939年)、「パラダイン夫人の恋」(1947年)、「凱旋門」(1948年)などの名作に出演しました。
 ただし、2枚目俳優とはいいがたく、さらに舞台俳優としての演技が映画むきではなかったのか、1950年代に入るとスランプ状態に陥っていたといいます。一時は活躍の場がラジオに移ったり、この映画の製作者でもあるポール・グレゴリーの劇団と講演ツアーに参加し、そこで旧約聖書の朗読をしていたといいます。そんな時、1943年に発表された小説「狩人の夜」を読んだポール・グレゴリーがその脚色と映画化を提案。ロートンは、その小説の悪役ハリーが持つ不気味で複雑な心理に魅了され映画化を決意します。

<ロバート・ミッチャム>
 そこで先ず最初に考えたのは、ハリーを誰に演じさせるか?ということでした。自分が演じても良かったのですが、ここで彼が敵役と考えたのは、それまで無口なタフガイ役として西部劇や戦争映画で活躍していたロバート・ミッチャムでした。
 ロバート・ミッチャムRobert Mithumは、1917年8月6日にコネチカット州ブリッジポートで生まれました。子供の頃から家庭に恵まれず、小学校出るとすぐに働き始めました。(この映画の子供たちと同じ立場だったわけです)排水工事の人夫、炭鉱夫、職工などの肉体労働に従事しますが、どれも長くは続かず、20歳になり彼はカリフォルニアに出稼ぎに向かいます。
 当初は仕事にもつけず浮浪者として警察に逮捕されたりもしますが、持ち前の体格(186cm)を生かしてボクサーとなります。そして、プロボクサーとして27試合に出場しますが、成績には恵まれず、この時に殴られ続けたために彼の有名な「眠い目(スリーピー・アイズ)」が誕生したとも言われます。
 ボクサーを引退した彼は、ロッキードの飛行機工場で働きながら、アマチュアの劇団での活動を開始。その後も様々な職に就きながら俳優として活動するようになります。そして、ハリウッドでエキストラとして映画に出演するようになり、20本ほどの映画に顔を出した頃、MGM映画の関係者の目に留まり、ついに映画俳優としての仕事を得ることになりました。
 デビュー作は、1944年の「東京上空30秒」は端役での出演でしたが、それを見たRKD映画の関係者はすぐに彼に連絡してきて専属俳優としての契約を結び、同年「ネヴァダ男」に初主演。彼は一躍スター俳優の仲間入りをしました。
 1955年のこの映画における能弁な悪役という役柄は、彼にとって未知の役柄でしたが、だからこそ、この抜擢には新鮮味がありました。「眼い目のタフガイ」と呼ばれていた彼が聖書の言葉をとうとうと語る姿からは、カリスマ的な宗教指導者、あの麻原彰晃を連想してしまいます。

<映画化へ>
 RKOの人気スターだったロバート・ミッチャムを主演俳優として借りることに成功したロートンは、そのおかげで、ユナイテッド・アーティスツから製作費69万5千ドルから出資金を得ることができました。当時55歳になっていた大物俳優の初監督作品であり、製作者が監督の良き理解者だったことから、この映画の撮影はかなり自由なものとなりました。この映画の様々な新しいアイデアは、そうした自由な環境が生み出したものだったといえます。

<撮影>
 この映画がモノクロ映像を選んだことで、この作品は永遠の名作への第一歩を踏み出したと思います。「LOVE」と「HATE」、「昼」と「夜」、「男」と「女」、「子供」と「大人」、「神」と「悪魔」、「狩人」と「獲物」・・・様々な対比がすべてこの映画の「白」と「黒」もしくは「光」と「影」に集約できるからです。
 撮影を担当したスタンリー・コルテスは、作品に恵まれなかったものの、オーソン・ウェルズの「偉大なるアンバーソン家の人々」(1942年)や西部劇の名作「血と怒りの河」で知られる名カメラマンです。彼は、あえてリアリズムにはこだわらず、超現実的でファンタジックな世界を生み出すことで、この映画に大きな魅力をもたらしました。
 特に有名なのは、子供たちがボートで川を下るシーンに蜘蛛の巣や梟など様々な動物たちの映像が重ねられる部分。それと子供たちが眠る納屋の窓が、もうひとつのスクリーンとなってそこに星と月が映し出され、最後にハリーが馬に乗るシルエットが現れる映画内映画的な部分は忘れられません。
 この部分の展開は、子供たちを主人公とする冒険ファンタジー映画として工夫された演出とも考えられます。良く考えられていると思います。

 美しい場面として、もう一か所忘れられないのは、シェリー・ウィンタースの死体が発見されるシーンです。もともと色っぽい女優として絶頂期にあった彼女ですが、この映画の中で最も彼女が美しく見えるのが水中で神を揺らめかせる姿というのも凄い!ここまで死体を美しく見せてしまう映画は、ちょっと他にないかもしれません。(思えば、彼女は後に超大作「ポセイドン・アドベンチャー」の中でも水の中で死んでしまうことになります。まあ、その頃にはこの映画のような色っぽさは失われているのですが・・・)
 彼女が夜、家に帰り、ハリーが子供たちを脅している声を聴くことになる場面。家の前に立つ彼女のシルエットが街灯によって浮き上がるカットを見てはっとしました。ウィリアム・フリードキンの大ヒット作「エクソシスト」で悪魔祓いの神父が登場する有名な場面とそっくりじゃないですか!これは間違いなくこの映画へのオマージュだったんですね。

<歌わないミュージカル映画>
 前述の場面などに登場する不思議な歌の数々も忘れられません。監督はこの映画の音楽担当のウォルター・シューマンに聖書や昔話を下敷きにしてオリジナルの曲を用意させました。それが、物語の展開にぴたりとはまった歌詞を持つ曲が生み出されたのです。ある意味この映画は登場人物が歌を歌わないミュージカル映画であり、展開的には「オズの魔法使い」の裏返し版のようでもあります。

<リリアン・ギッシュ>
 映画の後半に登場するレイチェルを演じるリリアン・ギッシュの存在も重要です。サイレント映画の黄金時代を経験してきた大物女優である彼女の存在感ぬきにこの映画は成立しなかったでしょう。最強の悪役であるハリーの存在感はあまりに強烈過ぎて、彼を打ち負かすキャラクターは想像困難です。彼より強そうなヒーロー的男性では、この映画の魅力は半減していたでしょう。逆に、独身の老女が子供たちと立ち向かうことで、この映画にサスペンスが生まれ、感動も生まれたといえます。悪魔に対抗する天使の役を演じるのですから、ただのおばあちゃんではなく、美しさと精神的な強さを兼ね備えた貫禄を感じさせなければならないのです。1893年に生まれ、映画史を代表する巨匠D・W・グリフィスの伝説的作品「国民の創生」や「イントレランス」にも出演している伝説的女優である彼女の存在感は、他の女優とは比較になりません。この映画に出演した時は、60代前半だったので、まだまだ元気なおばちゃん俳優でした。
 
<ネタバレ注意!>
 物語の展開もまた普通のハリウッド映画とは違います。
 ラスト近く、自分たちを殺そうとしていたハリーが警察に逮捕されると、意外なことに主人公の少年はハリーを守ろうとします。そして、ハリーが好きになっていたレイチェル家の長女もまた、自分はハリーを愛していると泣き出します。さっきまでは必死で逃げ回っていたのにです。・・・
 それに対して、ハリーの説教に感動していた村人たちは、あんなにハリーを信頼していたのに、一転して「縛り首にしろ!」とデモを始めます。
 純粋無垢な子供たちが選んだ「罪の許し」という選択に対し、大人たちは残虐な「集団リンチ」を求まるという選択にいたります。敬虔なクリスチャンであるはずの人々によるこの選択が、多くのアメリカ人の選択でもあるのです。だからこそ、この映画は公開当時不評だったのでしょう。
 ハリーの新婚初夜、彼は新妻とのセックスを拒みます。これって、ニューシネマの傑作「俺たちに明日はない」の主人公が不能であるという設定と同じ?それとも連続女性殺人犯の女性嫌悪からの設定かな?どちらにしても、ハリーの異常さはまだまだ奥が深そうです。

<時代を越える映画>
 時代を越えて生き続ける映画には、何度観てもそのたびに新しい発見があるものです。この映画もまたその典型的な作品です。ただし、この映画は公開当時は、ほとんど評価されなかったといいます。それは、ヒッチコックとチャップリンという二人の英国人映画作家がアメリカで誤解され続けたことと共通する部分があるかもしれません。
 英国人ならではのブラックなユーモア感覚で宗教への不信をズバリと突いたことは、アメリカ人の反感を買うことになったのでしょう。この後、彼が二度と映画を撮らなかったのが、その評価の低さのせいだったのだとすれば非常に残念です。
 ラストにレイチェル(リリアン・ギッシュ)が子供たちに語った言葉には感動しました。この映画は、「子供たちを守らなければならない」という大人たちへのメッセージが込められた人間ドラマとしての感動作でもあるのです。(純粋無垢な子供たちは、大人たちからの影響によって、どうとでもなってしまう恐ろしい存在でもあります・・・)

主よ、幼子をお救いください。
クリスマスの一日だけ信仰するのは、恥知らずかもしれません。
運命に従う子供たちの姿に身が引き締まります。
幼子をお救いください。
強い風にも 冷たい風にも 子供たちは耐えています。

彼らは従順で忍耐強いのです。

(ラストシーンでのレイチェルの言葉)

 この映画のもつ多彩すぎる顔、「犯罪サスペンス」「冒険ファンタジー」「ミュージカル」「子供から大人への成長物語」・・・そのジャンル不能の多彩さこそが、この映画の評価を低くさせた最大の原因だったのかもしれません。

「狩人の夜 The Night Of The Hunter」 1955年
(監)(脚クレジットなし)チャールズ・ロートン Charles Laughton
(製)ポール・グレゴリー、ユナイテッド・アーティスツ
(原)デヴィッド・グラッブ
(脚)ジェームズ・エイジー
(撮)スタンリー・コルテス
(美)アル・スペンサー
(音)ウォルター・シューマン
(出)ロバート・ミッチャム(ハリー)Robert Mithum、シェリー・ウィンタース(ウィラ)Shelley Winters、リリアン・ギッシュ(レイチェル)Lillian Gish
   ビリー・チェイピン(ジョン)、サリー・ジェーン・ブルース(パール)、ジェームズ・グリーソン(バーディ)、ピーター・グレイブス(ベン)(テレビの「スパイ大作戦」主役)

<あらすじ>
 銀行強盗だった父(ベン)に盗んだ1万ドルを託された兄妹(ジョンとパール)。二人はその秘密を母親にも秘密にしていました。ところが、死刑になったベンと同室だった犯罪者ハリーがそのことを知ってしまいます。出所後、ハリーは子供たちが隠したお金を奪うために家族に接近を試みます。伝道師として街を訪れたハリーは、得意のおしゃべりで周囲を信用させ、ウィラに結婚を申し込みます。金目当てであることを知らないウィラは、ハリーに騙されて申し入れを受け入れます。
 結婚後、ある夜、ハリーは子供たちを脅してお金のありかを聴き出そうとしますが、彼を疑う長男のジョンはそれを拒否します。そして、子供たちを脅すハリーの声を聞いたウィラは、ハリーの正体を知ってしまいます。ハリーは正体を知られたため、情け容赦なくウィラを刺殺し、湖の底に車と一緒に沈めてしまいます。子供たちはハリーから逃げるため、川べりに止めてあったボートに飛び乗り、川下へと逃亡します。しかし、ハリーは執拗に二人を追いかけ続けます。逃げつかれた二人は、恵まれない子供たちを育てる女性レイチェルに助けられますが、安心するのもつかの間。ついにハリーが馬に乗って現れてしまいます。

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