
- ノーム・チョムスキー Noam Chomsky(後編)
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<アメリカン・ドリームという妄想>
アメリカには、もうひとつたちの悪い妄想が存在します。それは、グローバリズムというイデオロギーこそ世界経済にとって理想の規範であるとする妄想です。
今やヨーロッパではグローバリズム=理想という考え方は過去のものになろうとしていますが、日本ではまだまだ自由主義経済こそ理想の経済体制であると考えるのが常識です。
ライブ・ドア対フジ・サンケイ・グループの闘いも、ある意味日本が本当の自由主義経済へ移行するための過渡期として、必然的な事件だったと考えられています。でも、本当に自由主義経済の徹底こそ理想の経済体制なのでしょうか?
物を生み出すことなく富を得る人間が存在する裏では、物を生み出しているにも関わらず、富を得ることができない人が生まれるのは当然のことです。それは能力が不足しているのだから、仕方のないことなのでしょうか?もしかすると、これは共産主義社会の平等分配方式の挫折からきた反動のようなものなのかもしれません。「やる気がある奴が稼ぐのは当然だ!」というわけです。しかし、やる気があっても、能力があっても、それを発揮するチャンスをつかむことが、現実にはほとんど不可能に近い社会、それがアメリカなのです。しかし、アメリカの国民の多くは、未だに誰にでも成功のチャンスが平等に存在すると信じています。そう「アメリカン・ドリーム」という妄想です。しかし、現実のアメリカは、世界で最も貧富の差が激しく、そこからはい上がることが困難な社会なのです。
「米国の富が少数富裕層に集中していく傾向は、ゆっくりと進んでいた。だが1980年代のレーガン政権時代に”国富の寡占集中”傾向は一挙に加速した。現在では国際的な「自由貿易協定」のおかげで、富裕な大企業がアメリカの労働者を使わずに貧しい労働者を極めて低い賃金で利用できるようになった。・・・今や米国では中流階級が消滅しつつある。労働機会は外国に流れ出している。そして米国でも、少数の富豪が大多数の貧民を搾取するという発展途上国のような階級構成が固定化しつつあるのだ」
今や日本もまた「アメリカン・ドリーム」という妄想に取り憑かれようとしています。こうした経済の仕組みについて、チョムスキーはこう述べています。
「”自由市場”どころか、実際のアメリカ経済は課税を定めた数多くの法律がごちゃごちゃと乱立し、公的資金を政府が都合良くいじくり回し、大企業優遇の”規制”政策とかいろいろな財政手品が行われている。特定の業界や企業だけが”自由市場”の恩恵とは無関係に、常に大繁盛をする仕組みになっているのだ」
<アメリカが必要とする妄想>
アメリカは、なぜ自由と民主主義を世界に広めようと使命感に燃えているのでしょうか?世界平和のため?人類の繁栄のため?それこそ妄想です。
それは京都議定書 Kyoto Protocolに対するアメリカの対応を見れば明らかでしょう。世界平和、人類の繁栄を求める国家が、自国の利益のために太平洋の島々が海の底に消えるのを良しとするなんてあり得ないことです。チョムスキー曰く。
「・・・現在の我々を支配している権力機構は、姿かたちが洗練されたとはいえ、本質的には500年前に植民地の現地人を服従させた体制と変わらない。もっと正確に言うと、支配階級の”選民”たちは自分の手は汚さずに、力なき民をなだめたり、すかしたりして、ほかの国の力なき民を襲わせて、服従させたり植民地支配したり奴隷状態に置くという”間接統治”の手法を使う。・・・」
「基本的な事実を言えば、米国は自らが発起人および保護者となって、”子分格の国家”から成る新植民地主義の”親米衛星国体制”を組織した。これらの”子分国家”はもっぱら恐怖支配(テロル)で統治されており、地元や外国の資本家とか軍上層部のみみっちい利益にご奉仕する政体である。”子分国家”づくりを正当化している基本的信念、もっと言えば口実として用いられる空理空論は、(米国は民主主義と人権擁護を全世界に普及するために献身している)というものだったが、米国は往々にして、この目標とは正反対の過ちを犯してきた」
人権団体、国際アムネスティが1975年に発表した世界の拷問実態報告書によれば、26ヶ国が「行政の一環として」とか「不可欠の統括手段として」、日常的に拷問による責めを行っていた。・・・ところが、この26ヶ国はすべてアメリカからの軍事援助や治安維持訓練を受けたことのある国でした。
1948年、国務省の政策立案者ジョージ・ブキャナンは「政策立案研究23」を書きました。その中にこうあるそうです。
「我が国は世界の富のほぼ半分を所有しているが、人口は全世界の6%ほどしかない。・・・こうした状況では、我が国に妬みや恨みが向かうことは避けられない。この先、我が国が真剣に取り組むべき課題は、こうした不均衡な現状をこれからも維持していけるように、我が国を許してくれるような外交関係の手口を編み出すことである。・・・」
では、具体的にアメリカは、どういった手法で、経済的植民地からの批判をかわしてきたのか?その実例を見て行きます。
<ドミニカ共和国の場合>
ジョン・F・ケネディーが大統領だった1961年。ドミニカはエクトル・トルヒーヨ大統領の個人的な所有物と化していました。(なんと国の富の65〜85%が大統領の所有物だったといいます)この異常な状態に不安を感じたドミニカに利権をもつアメリカの大企業のお偉方たちは、トルヒーヨの追い落としをアメリカ政府に求めました。そこで、ケネディーはCIAをドミニカに送り込み、トルヒーヨの側近たちを使って暗殺を実行しました。そして、その後、民主化の名の元で選ばれたファン・ボッシュ大統領が政府の民主化を進めて行くことになりました。
ところが、この民主化があまりに「民主的」であったため、ドミニカを経済的に支配していた企業家たちにとっては、新政権はトルヒーヨ以上に邪魔になってきました。当然のごとく、アメリカ政府の関与の元、新政権発足後わずか7ヶ月でクーデターが勃発します。その後、お決まりの軍事独裁政権が誕生しますが、その悪政はトルヒーヨを上回るものだったため、すぐに民衆が反乱を起こし、再び、ボッシュ政権が返り咲きました。しかし、アメリカ政府はそれを許さず、すぐに2万3千人の軍隊を投入。再び軍政を復活させてしまいました。アメリカにとっては、反アメリカ的な民主化よりは、親米の軍事独裁国家こそが理想の体制というわけです。
<グアテマラ共和国の場合>
グアテマラ共和国では、1951年にハコボ・アルベンス大統領が農地解放を行って、国内の農業生産を大幅に増やすことに成功しました。その後、彼は小作農に農地を与えるため、アメリカの大企業ユナイテッド・フルーツが所有する土地を買い取ろうとします。それも、没収でなく、あくまで買い取りというかたちで穏便に行おうとしました。さらに政府は共産主義者たちにも公民権を認めたことから、アメリカ政府は強く反発。グアテマラ政府は共産化しようとしていると非難。CIAによる政治工作、反乱組織への援助、さらには米軍機による空爆までが行われ、政権を強引に転覆させてしまいました。こうして誕生した軍事政権はすぐに反抗的市民の大量虐殺を行いました。
この大量虐殺事件については、1983年カナダのフォーク・シンガー、ブルース・コバーンが「If
I Had A Rocket Louncher」という曲を作り、怒りをあらわに批判しています。(アルバム「Steeling
Fire」収録)
もちろん、この大虐殺事件を起こしたのも、アメリカ軍によって訓練された軍隊でした。こうして、アメリカ軍によって育てられた軍隊は、世界中で虐殺事件を起こしているわけです。
<ニカラグア共和国の場合>
ニカラグアは、1838年にスペイン、メキシコからの独立を果たすことに成功した南米でも特に歴史の古い国です。しかし、1855年内乱のどさくさに紛れてアメリカ人のウイリアム・ウォーカーが大統領の座を奪い新しい国を作ってしまいました。ウオーカーは二年でその地位を追われますが、その後1909年に起きた内乱の際、米兵が殺された事件をきっかけとして、米軍がニカラグアを占領。再び植民地化してしまいました。
しかし、1927年ニカラグア人のアウグスト・サンディーノ将軍がアメリカに対し独立戦争を開始します。1933年7年間にわたるゲリラ戦の末、ついに彼らは独立を勝ち取りましたが、翌年、軍の幹部だったアナスタシオ・ソモサ・ガルシアがサンディーノを暗殺。彼は独裁体制を築き、長きにわたるソモサ一族による支配が始まることになりました。もちろん、この体制もまたアメリカ政府に支えられたものでした。
40年におよぶ独裁体制に対し、自らを「サンディニスタ」と名乗る民族解放戦線がゲリラ戦を展開。長い闘いの末、1979年にソモサ体制を崩壊に追い込み、ニカラグア革命が成立しました。(この時のサンディニスタたちの活躍にエールを送ったのが、クラッシュのアルバム「サンディニスタ」でした)
しかし、ニカラグアでの革命が中米一帯の共産主義化につながることを恐れたアメリカ政府は、ニカラグア政府の転覆を狙いテロ集団「コントラ」の支援を行います。当時の大統領ロナルド・レーガンが「自由の戦士」と呼んだこの反革命テロ組織はニカラグアの村々でまるでホラー映画なみの残虐行為を行い一般市民を恐怖によって操ろうとしました。
この集団の資金もまたアメリカが秘かに負担。村々で見せしめに一般市民を虐殺したのと同じように、中米で革命を起こそうとする共産主義勢力に対する見せしめとして、ニカラグアの政権を潰そうとしたのです。
<パナマの場合>
1989年12月19日、クリスマスを目前に控えたパナマに26000名の米軍が侵攻作戦を行い、長きにわたる独裁体制を行ってきたマヌエル・ノリエガ将軍を逮捕しました。
この侵攻の目的は、麻薬組織のボスでもある将軍をとらえることでアメリカ国内への麻薬流入を抑えようというものでしたが、麻薬王ノリエガの正体は、それ以前から、わかっていることでした。それどころか、彼は若い頃からCIAのスパイとしてパナマで活動していた人物で、CIAの力を借りることで軍のトップに登りつめ、ついには独裁体制を築くにいたった人物なのです。なのになぜ、アメリカは自らの子分でもあるノリエガを逮捕したのか?それは麻薬で荒稼ぎした彼が、しだいにアメリカの命令に従わなくなってきたからでした。そして、最も重要なこと、1990年にパナマ運河条約の定めにより、パナマ運河の管理権はアメリカからパナマへと引き渡されることになっていたのです。要するに、アメリカはパナマ運河の利権を返したくなかったのです。それは実に、見え透いた作戦だったのです。
アメリカがかつて用いていた「反共産主義」という錦の御旗に代わり、ここでは反麻薬組織という新たな錦の御旗が用いられたわけです。
当時のパナマの状況について、サルサ界のスーパー・スターであり、かつてパナマの大統領を目指すと宣言していたルベン・ブラデスは、こう言っていました。
「ノリエガの起訴というのは、政治的な魂胆で行われたものだよ。ホンジュラスやエルサルバドルだって軍政を敷いているのに、どうして起訴をしないのか?ニカラグアのテロ集団「コントラ」は起訴しないのか、と言いたいね。・・・米国だってもうずっと前からノリエガの腐れ切った政治のやり方はお見通しだったんだ。・・・なのにこれまで黙って放置していたというのは、どういうことだい?この矛盾は、今回の起訴がノリエガ本人に向けられたものではなくパナマに向けられた攻撃だと考えればすんなりと理解できる。・・・」
<解放の神学>
「1962年にローマ教皇ヨハネ23世が福音書を復活させ、それがラテン・アメリカにおける自由化運動の引き金ともなった。牧師や修道女たちが貧しい農村に出かけていって福音書を読み、自分たちの生活を自らの手で築いていくことを説いたのです。福音書にあるとおり、貧困層の優遇ということを実践した。その結果どうなったか。
南アメリカが社会主義に傾斜するのを恐れたアメリカはキリスト教を破壊するために、凶暴な殺戮によるテロ行動に着手したのです。」
「知の逆転」より
<インドネシアの場合>
1970年代後半、独立を求める東ティモールの住民に対し、それを認めようとしないインドネシア政府は、軍による弾圧を加え、大規模な虐殺へと発展する事件がありました。実は、この時あの平和主義者と呼ばれていたカーター大統領がインドネシア政府に対し、武器供与などで手を貸していたことが、後に明らかになりました。そのことについて、チョムスキーはこう述べています。
「・・・カーターの動機は単純明快です。インドネシアは天然資源が非常に豊かだ。外国企業が進出して搾取できるような資源が膨大にある。独裁者スハルトはそういう国を支配していたわけです。・・・」
こうして、アメリカによって後押しされたスハルト政権は、東ティモールで徹底した虐殺を行い、4ヶ月の間に70〜80万人もの市民を殺戮したと言われています。この数字はナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に次ぐ大量殺戮でした。
<湾岸戦争でも>
アメリカが湾岸戦争を起こしたのは、当然石油という巨大な利権を守るためだったわけですが、ここでも彼らはマスメディアを使った情報操作を行い、外部からの目をよそに向けさせることに成功しました。
「・・・湾岸戦争後のイラクで、おそらく10万人にも達する子供達が死んだのですよ。戦勝国が行った禁輸措置などのせいでね。これは戦勝国にとって愉快な光景ではない。だから報道をただちに抑圧せねばならなかった。湾岸戦争が終わった途端にマスコミはイラクから撤退して中東和平協議の大宣伝に移ったでしょ。その理由のひとつがこれだったわけです。人々の関心をイラクからむりやり引き剥がそうと企てたわけですよ。・・・」
しかし、実際はアメリカ国内に関してはもうそうした情報操作の必要はないのかもしれません。
「・・・アメリカ社会は人々が非常に孤立している社会でもある。国民が異常なほど孤立分断されているわけです。だけどこれも社会統制のひとつの方法でしてね。つまり、ひとりでぽつんとテレビを見ているかぎり、そういう国民が頭の中で何を考えていようが、政府としては心配することはないわけですよ」
確かに、2004年に行われたあのアメリカ大統領選挙の結果をみれば、いかにアメリカの国民は世界の常識から孤立しているかがわかるというものです。
<では、どうしたらよいのか?>
ではあまりに巨大な犯罪組織を相手に我々一般市民はどうしたら良いというのでしょう?それについて、チョムスキーは意外に平凡な答えしか与えてくれません。
「英雄を求めちゃだめですよ。我々が求めるべきは『お手本になる人間』じゃなくて、『お手本になる考え方』だと思いますよ。人間というのは”光”の部分と”影”の部分がある。・・・」
「我々は、とりあえず民主社会に暮らす市民です。だから有権者として政府の行動の責任をとる立場にあるし、行動を改めさせることもできる。マスコミの怠惰を許しているだけでは、我々自身も市民としての責任を放棄しているに等しいのです」
「つまり重要なことは、選挙が終わっても政治活動は持続させて発展を目指せ、ということです。選挙というものが、単に投票所に行き一票を投じて帰宅するという催し事で完結してしまうなら、誰に投票したって同じことですからね」
「・・・大事なのは、『明るい未来の兆し』をより現実的で確固たるものにするために、自分自身も社会運動に参加していくことです。・・・」
要するに、いかに多くの人が彼の言うような認識をもつことができるか。それだけが世界を変えられるかどうかの最大のポイントなのかもしれません。そして、そのためには物事を正確に把握する必要があり、だからこそ現実を正確に言語化する必要があるのでしょう。チョムスキーは、「操作された現実」に騙されることのないよう、言語という危険な存在を研究しつつ、それを社会のために活かし続けているのです。学問というものは、人間生活のために役立たなければ意味がないのですから、・・・・。
<締めのお言葉>
「この国でニュースピークが実施された目的は、もっぱら庶民の思考範囲を狭めるためなのだよ。この言語が用いられることで・・・不適切な思想を言い表す言葉そのものが消え失せ・・・かくして年を追うごとに大衆の意識はどんどん矮小化されていくのさ」
ジョージ・オーウェル著「1984年」より
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