- ノーム・チョムスキー Noam Chomsky(前編)-

<ノーム・チョムスキーって誰?>
 このサイトを立ち上げた時点で、僕はこの人のことをほとんど知りませんでした。しかし、今こうしてノーム・チョムスキーという人物を取り上げるというのは、ある意味必然的なことだったように思えます。なぜなら、こうして20世紀後半の歴史を少しずつ奥深くへと振り返って行くうちに、僕の頭の中には「ノーム・チョムスキー的世界観」と共通するものがしだいに形成されつつあったからです。
 先日、チョムスキー氏についての本を読んでこう思いました。
「いやあ、これで頭の中がすっきりした」
 僕の頭の中にあるアメリカそして現代社会についてのイメージが彼の分析によって、すっきりと整理されたのです。ただし、「すっきり」はしても、「さわやか」になったわけではありません。すっきりすればするほど、未来に対する展望は暗いものになった気がします。
 でも、僕の数少ない座右の銘「人生においては、あきらめないこと、現実を見つめること、この二つを忘れなければ、なんとかなるものだ」からすると、「チョムスキー的世界観」こそ今世界に最も必要とされているものだと確信します。
 チョムスキーとは?ニューヨーク・タイムスは、彼についてこう書いています。
「おそらく現存する知識人としては、最も重要な人物だ」しかし、彼のことを知っている人は、彼の住む国アメリカですら極々わずかです。それはなぜでしょうか?彼はどうやらロック界におけるフランク・ザッパのような存在のようです。

 フランク・ザッパの名は、ロック・ファンなら一応聞いたことはあるでしょう。でも、アルバムを持っている人はそう多くはないはずです。当然、ロック・ファン以外での知名度はゼロに近いはずです。しかし、ザッパの偉大さは、実はミュージシャンの枠を遙かに越えたものでした。ではなぜ、彼のことをほとんどの人が知らないのか?それは、彼ほど反体制、反マスコミを貫いた人はいなかったからです。(詳しくは、フランク・ザッパ(後編)をご覧下さい)

<言語学者兼思想家>
 チョムスキー氏は言語学者です。従って、言語学を学んだ人なら名前は知っているはず?ただし、彼の本をもっているかどうかは怪しいし、どんな人かを知る人も少ないのは当然かもしれません。
 しかし、チョムスキー氏の場合は言語学者としての活躍以外にもうひとつ思想家としての活躍があります。本当はそちらの方面での知名度こそ高いはずなのですが、なぜかそうはなっていません。彼もまたザッパ同様いやザッパ以上に反体制、反マスコミの姿勢を貫いている思想家だからです。
 たぶん、このサイトをご覧になっている方の多くは、彼の思想をすんなりと理解することができると思います。もしかすると、「なんだ、そんなの当たり前でしょ」と思われることもあるでしょう。しかし、彼が本当に凄いのは、その思想を1960年代から一貫して主張し続けているということです。そして、もしかすると、9.11の同時多発テロ事件がなければ、彼の名は今ほど世界に知られることのないままだったもしれません。残念なことに、この事件の後、イラクへの攻撃をに対して異議を唱えた知識人が、ほとんどいなかったため、彼の存在は急に注目を集めることになりました。僕も、この時初めて彼の存在に注目した一人です。
 それでは、ノーム・チョムスキーとはいかなる人物か?ささやかながら迫ってみたいと思います。

<エイブラム・ノーム・チョムスキー>
 エイブラム・ノーム・チョムスキーは、1928年12月7日ペンシルヴァニア州のフィラデルフィアに生まれました。彼の両親は、ともにヘブライ語の教師でした。ヘブライ語とは、ユダヤ民族の言葉です。当然、両親ともにユダヤ人でイスラエルの建国を目的としたシオニズム運動との関わりもあるバリバリのユダヤ人家庭でした。
 意外なことですがアメリカでもユダヤ系は、昔から嫌われており、第二次世界大戦が始まるまではユダヤ人よりもナチスの方が人気があったそうです。(もちろん、その土地にもよるのですが・・・)彼もまた、回りからユダヤ人として、たびたび差別されたため、「人種差別」や「ファシズム」について早くから関心をもつことになりました。そして、自らが体験した不正義に対する怒りをその原動力として、その思想を培って行くことになります。しかし、そんな彼の考えを理解してくれる人は回りにそういたわけではなく、必然的に彼は孤立した闘いを強いられることになりました。
 彼は広島に原爆が投下された日、まわりの反応とはまったく違う思いを抱いたことを、後にこう語っています。
「あの日は文字どおり、誰にも言葉をかけられなかった。私は絶対的な孤独を味わったんです。浮かれ騒ぐ連中の群れからたったひとり、逃げるように抜け出したんです・・・。あの話題については、誰にも話す気がしなかったし、皆の浮かれぶりが全く理解できなかった。・・・」

<言語学との出会い>
 1945年、弱冠16才で彼はペンシルヴァニア大学に入学しましたが、すぐに大学での勉強に失望。もう少しで大学を退学し、誕生間近のユダヤ人国家イスラエルへの移住を決意するところでした。
 そんな彼の人生を大きく変えたのが 同大学の言語学教授ゼリグ・ハリスでした。言葉の意味を科学的に調べる方法を考えだし、単なる言葉の博物学にすぎなかった言語学に革命を起こしたハリス教授はチョムスキーにとって、学問だけでなく政治的な考え方の面でも大きな影響を与えました。(ちなみに、ウディ・アレンの傑作「カメレオン・マン」の主人公の名前がゼリグでしたが、偶然でしょうか?)
 ハリス教授のすすめもあり、彼は言語学以外に哲学や数学の授業にも出るようになり、言葉をより科学的に分析するための理論を着々と身につけて行きました。その後、彼はハーヴァード大学の特別学友会の会員に選ばれ、その研究のひとつとして建国直後のイスラエルで農業に従事しました。一時は就職先が見つからなかったこともあり、そのままイスラエルに住み着くことも考えた彼でしたが、マサチューセッツ工科大学(MIT)から、語学の研究員としての誘いがあり、アメリカにもどります。こうして、彼は1961年からMITの言語学教授となり、言語学に革命を起こすことになります。

<言語学における革命>
 当時、言語学の主な仕事は、世界中に無数に存在する言語学を集めて分類し、その歴史的な流れを解明することでした。しかし、チョムスキーは言語学をアインシュタインらによって確立された理論物理学に匹敵する論理的な学問にしようと考えていました。そして、言語学を数式や論理的概念によって説明するために、より狭い範囲で、より抽象的な理論を用いて言語の仮説モデルを組み立てようとしていました。
 彼は人間が言語を習得するのは、後天的に身につけてゆくのではなく、すでに遺伝的に持ち合わせている「普遍的な文法」にもとづいて行われると考えました。
「人間は”白紙で受け身の動物”ではない。生まれつき文法知識の一大体系を備えた存在であり、しかも自由意志に基づいて、どんどんと自分から知識を探求し、実りある活動を生み出していく潜在力が”人間の本性”として備わっている。・・・」

 こうした考え方は、当時の心理学における主流派である「行動主義心理学」とまっこうから対立するものでした。人間は「環境の生き物」であり、環境によってどんな人間にでもなりうると考える「行動主義心理学」との対決は、チョムスキーの重要な仕事のひとつとなりました。

<言語学者チョムスキーについての考察>
 こうした言語学者としての側面と後に有名になる政治にかんする思想家としての一面は、まったく別物であると彼は言っています。言語学者でなくとも、常識さえあれば誰でも政治の間違いを指摘できるし批判もできるということです。確かにその通りです。
 しかし、彼の政治思想と言語学者としての思想に関係がないわけはありません。もう少し、彼の言語学者としての考えに迫らなければ・・・。というわけで、ただ今言語学者チョムスキーについて継続して勉強中です。近いうちに、再度発表したいと思っていますので少々お待ち下さい!

<激動の時代を闘い抜く>
 彼が言語学の教授として活躍し始めた1960年代は、アメリカにとって激動の時代でした。特に1960年代の後半は国内では人種問題、国外ではヴェトナム戦争と二つの大きな問題を抱え、あらゆる人々がそれらの問題と関わりをもっていました。
 しかし、大学教授という彼の立場は体制の側に位置します。したがって、多くの教授陣は、それらの政治的問題に対して見解を明らかにせずにいました。そんな中、彼は1967年「ニューヨーク書評」という雑誌に「知識人の責任」という論文を発表しました。
「知識人は、政府のウソを暴き出し、政府の行動を”解剖”して、その源泉となっている理由や動機や秘密の思惑をつきとめ、指摘できる境遇にいる。少なくとも西洋社会では政治的自由や情報公開や言論の自由が保障されているから、知識人は、そうした能力を発揮できるのである。・・・」

 こうして、彼はヴェトナム戦争に対する反戦デモにも積極的に参加。政治的発言をどんどん発表して行くようになります。
 そうした一連の発言の中で、彼はアメリカという世界一民主的な国家を築いた過去の偉人たちが残した不気味な言葉の数々を教えてくれました。
「メディアの役割は国民が政府に愛着を持つように調教することだ」
ジェイムズ・ミル(19世紀の哲学者)
「国家の運営は所有者にまかせるべき」
ジョン・ジェイ(最高裁判所初代長官)

「指導者としては、大衆が人並みの理解に達するまで待っていられないことも多い。民主社会の指導者ならば、社会的に建設的な目標に向けて大衆の合意が得られるよう、巧みな工作に努めねばならない」
エドワード・バーネイズ(PRの父と呼ばれた広告宣伝界の大物)

「一般世論は公共の利益など全く眼中にない。公共の利益を扱えるのは、みみっちい私利私欲など持ち合わせていない専門家階級だけである」
ウォルター・リップマン(ジャーナリスト)

「大衆には自分の利害に最善の判断を下す能力がある。などという民主主義の教条(ドグマ)を信じてはならない」
ハロルド・ラスウェル(政治学者)

こうした、見解のもとに生まれたアメリカの政治について、チョムスキーは、こう言っています。
「政治とは、お金持ちの投資家連中が互いに国の支配層を手に入れようと競い合う中で、そうした利害のぶつかりあいを調整する手続きにほかならない」

<マスコミによる宣伝布教の実体>
 チョムスキーはエドワード・ハーマンとともに1988年「合意のデッチ上げ Manufacuaring Concent」を発表。その中でマスメディアがいかにして、政府や企業の力によって飼い慣らされているのか、その状況を分析しています。それによると、現代のマスメディアによる情報発信は、以下の「ふるい」によって骨抜き、毒抜きにされていると分析されています。
(1)企業グループ内からの圧力
 マスメディアを運営する企業は、どんどん巨大化し、巨額資本をもつ大企業による吸収合併が進んでいます。アメリカのような多くのマスコミが存在する国でも、すでに20数社の系列しか存在しないと言われています。ということは、巨大企業グループ内の系列企業にとって不利益になるような報道は、当然できないわけです。
(2)広告主からの圧力
 マスメディアは、企業運営、利益追求のために広告を載せなければ活動資金を得ることができません。したがって、広告主の意見は絶対的なものとなり、彼らに不都合な報道は当然できなくなります。
(3)情報源からの圧力
 より多く、より早く、より細かい、より安価な情報を必要とするマスメディアは、政府や民間企業に所属する「専門家」の情報に頼らざるを得なくなっています。そのため、彼らの所属する国家、組織、団体、企業の不利益になるような報道はしずらくなっています。そうでないと、情報をもらえなくなるのですから。
(4)一般大衆からの一斉非難という圧力
 マスメディアは、その公的な性質から一斉に大衆から非難攻撃されることを恐れます。もちろん、それは直接、視聴率や読者数の減に結びつくからです。そのため、マスメディアに対する一斉非難をその目的とする組織団体によって、報道の「自粛」を促すことが可能になります。日本でも、昔から右翼団体や総会屋が、その方法によって政界に影響を与えてきました。
(5)対立するイデオロギーからの圧力
 かつて、50〜70年代には、反共主義というイデオロギーが絶対的な力をもっていたため、このイデオロギーを肯定する情報は必然的に取り除かれていました。ただし、ロシアの崩壊にともなう共産主義の衰退により、仮想敵国を失った現在、反テロリズム、反イスラム原理主義が新たな敵対勢力として浮上。この仮想敵イデオロギーに関する情報制限は、別の方向に向けられつつあります。

<その他の圧力>
 テレビやラジオなどの報道の場合、大量の情報を短時間で番組化して放映するため、その情報は必然的に簡略化されることになります。誰にでもわかるように説明するためには、一般大衆のもつ常識的な認識を逸脱した見解は、取り除かれることになります。(今、このページで書かれているようなこと)
 さらに言うと、ジャーナリストそれぞれの立場の問題があります。ほとんどの記者は新聞社やテレビ局の社員です。ということは、社の方針に逆らうような報道をすれば、すぐに配置転換、最悪なら首になる可能性があるわけですから、自ずと自主規制が働かざるを得ません。

<国民に植え付けられた巨大な妄想>
 こうして、ねじ曲げられたマスコミの情報は、国民に対してある種の巨大な妄想を植え付けようとしているのではないか?その妄想について、チョムスキーはこう述べています。
(1)国家は国民のものであるという妄想
 「国家というものは、国民すべてのものであり、少数の金持ちが支配し、所有し、運営しているなんてことはありえない!」という妄想。
(2)マスメディアは公共のものであるという妄想
 「マスメディアは公共のものであり、少数の金持ちが支配し、所有し、運営しているなんてことはありえない!」という妄想。
(3)自分の意見は自らの自由意志によるものであるという妄想
 「自分の意見は自らの自由意志によって決められたものであり、少数の大金持ちの意志によって決められたものであり、少数の大金持ちの意志を反映するためにマスメディアが世論操作などによって埋め込んだもの、なんてことありえない!」という妄想
(4)アメリカには「アメリカン・ドリーム」があるという妄想
 さらに言うと、アメリカにはもうひとつ最大の妄想が存在します。
それは「アメリカン・ドリーム」という妄想です!これについては後編で・・。

さらに後編では、より具体的に、アメリカが行ってきた第二次世界大戦以後の世界戦略について、チョムスキー氏の意見をきかせていただきます。

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