ノーベル賞の誕生とその選考規準


- アルフレッド・ノーベル Alfred Bernhard Nobel -
<アルフレッド・ノーベル>
 「ノーベル賞」は、1901年、アルフレッド・ノーベルという人物の遺言に基づいて設立されました。それはたった一人の人物のアイデアとその遺産によって生み出され、現在まで続いてきたわけです。アルフレッド・ノーベルとはいかなる人物だったのでしょう?まずは、そこから始めたいと思います。
 1833年10月21日、アルフレッド・ノーベル Alfred Bernhard Nobelは、スウェーデンの首都ストックホルムに生まれました。父親は実業家、発明家で爆発物などの開発。製品化により財を成していました。そんな父親の影響で、彼も早くから爆発物の開発に関心を持つことになりました。
 1846年、イタリア人アスカニオ・ソブレオが、ニトログリセリンの合成に成功します。しかし、わずかな振動でも爆発する扱いにくい物質だったため、その改良が求められました。(映画「恐怖の報酬」は、そんな危険なニトログリセリンを積んで山道を運ぶ男たちのドラマでした)それを実現したのが、アルフレッド・ノーベルでした。
 1867年、彼はニトログリセリンを「珪藻土」に混ぜると扱いやすくなることを発見。これをダイナマイトとして製品化しました。
 1875年、さらに「ダイナマイト」を改良。珪藻土の代わりに低硝化綿薬を混ぜてゲル状にした「ゼリグナイト」を開発。
 彼はその後、世界50カ国で特許を取得し、20カ国に90か所の工場や研究所を建設。30代にして巨万の富を得ることになりました。
 40歳の時、彼はパリに住み始めますが、そこで雇ったオーストリア人の秘書ベルタ・フォン・ズットナーから大きな影響を受けることになりました。彼女は、単なる秘書ではなく、作家を志す人物でもあり、平和運動の活動家でもありました。1989年に彼女は小説「武器よ捨てよ!」を発表。(この作品は1914年に映画化もされています)彼女は、ヨーロッパにおける平和運動の先駆者となり、1905年にはノーベル平和賞を受賞することになります。
 1893年以降、ノーベルは「ダイナマイト王」や「死の商人」と呼ばれる存在になったことへの罪の意識から、ノーベル賞と呼ばれることになる名誉挽回のための賞を残す決意を固めます。こうして、彼は「ノーベル賞」に関する様々な決め事を記した遺言の作成に入ります。
 1896年、彼がこの世を去ると、その遺言に基づいて執行人に指名されたラグナール・リーマンが中心となって「ノーベル賞」設立のための準備が本格的に始まりました。

<ノーベル賞>
 1900年6月「ノーベル財団」が設立され、翌年に行われる授賞式に向けた準備が始めます。ただし、「ノーベル財団」は、あくまでも授賞式の運営、広報を行う団体で、受賞者の選考には関わらないと決められています。あくまでも財団は第三者機関として、選考の公平性を保つ組織として機能することになっています。
 では、誰が受賞者を選ぶのか?
 「物理学賞」と「化学賞」、「経済学賞」を選ぶのは、スウェーデン王立科学アカデミーが担当しています。
 「生理学・医学賞」は、カロリンスカ研究所。「文学賞」はスウェーデン・アカデミー。
 「平和賞」については、隣国ノルウェーのノーベル委員会が担当しています。
 <スウェーデン王立科学アカデミー>
 1739年創立の組織で、2017年現在、スウェーデン人研究者が470人、外国人研究者175人から構成されています。
 「物理」、「化学」、「経済学・統計学・社会科学」の3部門にノーベル委員会が設置。各5名の委員が最終候補者を選定します。
<カロリンスカ研究所>
 ヨーロッパを代表するスウェーデンの名門医科大学の研究所。その中の5名が委員として指名されて選考に当たります。
<スウェーデン・アカデミー>
 1786年スウェーデン語の発展を目的に創立されました。作家など18人の終身委員で組織され、ここから5名の委員を選出し、彼らが選考に当たります。
 2018年、受賞者漏えい事件などによりメンバーが退任するスキャンダルが起きています。
<ノルウェー・ノーベル委員会>
 より公平性を保つためもあり、あえてスウェーデンではなく隣国ノルウェーで行われています。ノルウェーの国会が5名の選考委員を選出。そのメンバーが選考に当たっています。
、ノルウェー議会が選ぶ委員からなるノルウェー・ノーベル委員会が担当しています。

<推薦作業>
 発表前年の9月に各選考団体が選んだ各国の「推薦人」に「推薦依頼状」を送付。推薦人は自然科学3賞は、各国の大学や研究機関など。(2500~3000人)
 文学賞は各国の作家協会などが推薦します。(200~300)
 平和賞は議員、研究者、国際裁判所判事などから推薦されます。(200~300)
 さらにこの推薦者には歴代の受賞者も加わります。
 返送された推薦状の中から、ノーベル委員会が選考。その際、受賞者には国籍、年齢などの制限はなく、選考時に死亡していなければ対象になるとされました。

<選考基準>
<物理学賞>
「物理学の分野で最も重要な”発見”または”発明”をした人物に」
<化学賞>
「最も重要な化学上の”発見”または”改良”を成した人物に」
<生理学・医学賞>
「身体のメカニズムを研究する生理学と病気の原因や治療法を研究する医学。分けては考えられない二つの分野での新たな研究を行った人物に」
<文学賞>
「「理想主義的傾向の最も優れた作品を創作した人物に」
ノーベルの考えでは、単なる写実主義ではなく、より創造的な作風が求められるとなりそうです。
<平和賞>
「国家間の友好、軍隊の廃止または削減、及び平和会議の開催や推進のために最大もしくは最善の仕事をした人物に」
 この賞の場合、結果が出ないままに賞を受ける場合が多く、問題視されています。
(政治家の受賞の多くは?です。オバマ大統領も含めて・・・)
<経済学賞>
 この賞についてはノーベルの遺言にはありませんでした。
 スウェーデン国立銀行がノーベル財団に働きかけることで、1968年に創設された賞です。平和賞同様、その成果が認められないまま受賞したり、その後、理論に問題があることが明らかになるなど評価に疑問符がつく場合が多い賞です。はっきり言ってこの賞は不要だと僕は思っています。まして賞金なんて必要ないはずです。
 金持ちを設けさせる方法の発見に賞を与えるぐらいなら、「美術賞」でも「映画賞」でも「スポーツ賞」でも新説する方がいいはずです。

 では、巨額の運営資金はどうなっているのでしょうか?
 ノーベルは自身の遺産250億円のうち240億円を基金として運用するよう指示。その資金を基金として、それを様々な手段で運用することで得た利益の60%以上を使うように指定しました。

<各年の受賞者と受賞理由へ>
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<参考>
「ノーベル賞 117年の記録」 2017年
(編)ノーベル賞の記録編集委員会
(執)澤入政芝、横森慶信、工楽真澄
山川出版

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