進化を続ける戦場体感映画の新たな傑作

「野火 Fires on the Plains」

- 塚本晋也 Shinya Tukamoto -
<見たくない映画でしたが・・・>
 いろいろと評判はきいていたので、オカルトもの、スプラッタものが苦手な僕としては「リアルな戦場描写」に恐れをなし、なかなか見られずにいました。それでも、先日、同じようにビビりながらユダヤ人収容所での虐殺をリアルに描いた衝撃作「サウルの息子」を見て大丈夫だったので、その勢いで見て見ました。(どんだけ弱虫よ!って感じですが・・・)
 こわごわ見始めると、意外に平和な展開。逆に主人公が目にするフィリピンの美しい景色が、天国のように見えました。南国の花々が咲き誇り、澄んだ空と鬱蒼とした森が広がる楽園のような世界で地獄のような日々が展開するのですから皮肉です。まさかそんな土地で食料不足による餓死者が続出するのが信じられません。
 とはいえ、最後に近づくにつれて、場面はどんどん異常で悲惨なものへと変って行くことになります。

<フィリピン戦線での体験記>
「フィリピンの人々よ、私は還ってきた!全能なる神の御恵みにより、わが軍はふたたびフィリピンの土地に復帰したのだ」
 この名言と共に1944年10月、マッカーサーは米軍を率いてフィリピンのレイテ島に上陸し、フィリピンにおける英雄となりました。その後、アメリカ軍は日本軍への攻勢を強め、1945年1月には完全に島を征圧します。当初は海軍の艦船による島からの脱出作戦が実行されましたが、わずか800人程度が脱出した段階で海上も封鎖されてしまいます。それ以降は、カヌーや手作りの船での小規模な脱出しか行われず、多くの日本兵がそのまま島に残され飢餓と米軍との悲愴な戦いを続けることになりました。この戦争によりレイテ島では6万人以上が命を落としたと言われます。
 この映画では、米軍のレイテ島上陸後、日本軍が敗走を続け、ついにレイテ島からの脱出をしようとしていた時期を描いています。この時点で、日本軍の太平洋戦線での敗北は明らかになっていました。原作者の大岡昇平は、なんとか島を生きて脱出できた数少ない兵士の一人として、その時の体験をもとに小説「野火」を書きました。狂気によって、理性を失うギリギリのところで踏みとどまった著者は、限りなく冷静な目で戦争の不条理や軍隊内の暴力、飢餓による精神の崩壊を描き出すことに成功。リアリズムによって描かれた戦争文学の傑作として高い評価を得ました。この映画は、そんな原作のもつリアリズム描写をこれまでの日本の戦争映画にはないレベルで忠実に再現しています。

 主人公田村は戦場でギリギリのところで精神の崩壊を免れ、生きて日本に帰ることができました。しかし、その影響は戦後も消えることなく彼を苦しめることになります。第二次世界大戦に参戦したJ・D・サリンジャーと同じように、主人公の田村もまたPTSD(心的外傷性ストレス症候群)によって、精神が崩壊し始めます。
 映画の中に何度か登場する遠くの森の「野火」は、湿度の高い熱帯の島では山火事にまで発展することはめったにないようです。しかし、野火による白い煙は着実に森から木を消してゆきます。そのゆっくりと煙が広がって行く様は、主人公の精神のゆっくりとした崩壊を見ているようです。

<戦場体感ドラマとしての戦争映画>
 「戦争映画」は大きく二つのタイプに分けられると思います。一つは、戦争を「ゲーム」もしくは「作戦」として、「俯瞰(客観的視点)」から描いた作品群です。極端に言うと、それは「スポーツ」として戦争を描いた作品と言えるかもしれません。そこでは、戦争の悲惨さよりも作戦の成功不成功や兵士としての名誉や国家への忠誠が重んじられ、兵士たちの死は重要とはされません。
「戦場にかける橋」、「史上最大の作戦」、「大脱走」、「バルジ大作戦」」、「レマゲン鉄橋」、「ナバロンの要塞」・・・1950年代以前の戦争映画の多くはこのタイプだと思います。(「大いなる幻影」や「西部戦線異状なし」のような例外的な作品もありますが・・・)
 それに対するもう一つのタイプは、1960年代以降、戦場経験者が自らの体験をもとに書いた体験記的な作品が原作となった戦争映画です。それは「体験型」として戦争を描いたもので、ベトナム戦争の帰還兵たちが戦場での悲惨な体験を持ち帰り、それが反戦運動と連動したことで一気に増えることになりました。当然、そこで描かれるのは、戦争のリアルであり、生々しい惨劇の状況でした。
 そんな中で、生まれた「戦争映画」の中には、より戦争をリアルに感じさせるため、観客を部隊の一員に迎え入れて、戦場を行軍させる「戦場ロードムービー」ともいえるタイプの作品があります。「地獄の黙示録」、「ディア・ハンター」、「最前線物語」、「フルメタル・ジャケット」、「シン・レッド・ライン」などの作品は、「戦争映画」の中の名作と言われる作品の多くはそこに属しているといえそうです。

「西部戦線異状なし」(1930年)
 この映画は、国の為に戦おうと意欲に燃えた若者が、泥沼の戦場に投げ込まれ、そこで塹壕の中に閉じこもって、延々と戦闘開始を待つ中で精神を病んで行くという作品でした。閉所恐怖症になりそうな状況での戦争なので、これはロード・ムービーの逆に当たる名作です。
(監)ルイス・マイルストン(製)カール・レムリ・Jr.(原)レリッヒ・レマルク(脚)マックスウェル・アンダーソン、デル・アンドリュース、ジョージ・アボット
(撮)アーサー・エディソン(音)デヴィッド・ブロークマン(出)リュー・エアーズ、ウィリアム・ベイクウェル、ラッセル・グリーソン、ルイ・ウォルハム

「最前線物語」(1980年)
 この映画の主人公は、一兵卒として第二次世界大戦に参戦し、その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争にまで兵士として前線で戦った兵士の目で戦場での暮らしぶりを描いたリアリズム戦場ものの先駆でした。海からの上陸作戦の際、コンドームを銃の先にはめるというのは、それまでの戦争映画では見たことがありませんでした。
(監)(脚)サミュエル・フラー(撮)アダム・グリーンバーグ(出)リー・マービン、マーク・ハミル、ロバート・キャラダイン

「地獄の黙示録」(1979年)
 この映画の原作は、ジョセフ・コンラッドの中編小説「闇の奥」ですが、それは戦争小説ではありません。アフリカの奥地を舞台にした植民地支配者たちの冒険の物語でした。それを監督のフランシス・F・コッポラは、戦場を舞台にしたロード・ムービーに書き換えました。そこで兵士たちは、薬物、アルコール依存症、神、死の恐怖、暴力、アジア人への差別、ロック・ミュージックなどと出会いながら、最後には、カリスマ的な狂気の指導者と出会うことになります。この作品は、心と身体両方のトリップ映画といえるでしょう。
(監)(製)(脚)フランシス・フォード・コッポラ(脚)ジョン・ミリアス(撮)ヴィットリオ・ストラーロ(編)ジェラルド・B・グリーンバーグ(音響)ウォルター・マーチ(音)カーミン・コッポラ
(出)マーロン・ブランド、マーティン・シーン、デニス・ホッパー、ロバート・デュバル、フレデリック・フォレスト、サム・ボトムズ、ラリー・フィッシュバーン、ハリソン・フォード

「プラトーン」(1986年)
 実際に兵士としてベトナム戦争に従軍した経験をもつオリバー・ストーンによる戦争映画です。そこで描かれているのは、軍隊内部の異常な暴力や非人間性、そして泥まみれになりながら惨めな戦いです。戦場体験をリアルに描いた戦場体験記です。ただし、戦争の相手に対する目線がまったく欠けていたのに疑問が感じられました。(あくまでも、アメリカ人目線で描いた作品でした)オリバー・ストーンは、その後、そうした一面的だった見方を改めるかのようにアメリカの戦後史を研究し、素晴らしい著作を発表することになります。
(監)(脚)オリバー・ストーン(撮)ロバート・リチャードソン(音)ジョルジュ・ドルリュー
(出)チャーリー・シーン、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォー、ケヴィン・ディロン、フォレスト・ウィテカー、ジョニー・デップ

「プライベート・ライアン」(1998年)
 映画冒頭のノルマンディー上陸作戦での戦闘シーンの描写は、映画史に残る名場面です。映像のリアリティーだけでなく音響効果、特殊効果などの総合的な技術が、観客たちを戦場に立たせたかのような気分にさせることに成功しています。この作品によって、戦場の現場をリアルに描くことは限りなく現実に近づいたといえるようです。(もちろん、僕も戦場に立った経験はないので、本当にそうかどうかはわかりませんが・・・)
(監)(製)スティーブン・スピルバーグ(脚)ロバート・ロダット、フランク・ダラボン(撮)ヤヌス・カミンスキー(音)ジョン・ウィリアムズ
(出)トム・ハンクス、トム・サイズモア、ヴィン・ディーゼル、ポール・ジアマッティ、エドワード・バーンズ、マット・デイモン

 戦争映画のリアリズム描写は、技術的にはほぼ完成の域に達したといえますが、まだ映像化することはタブーとされるような分野も残されてはいます。そのひとつがナチスによるユダヤ人大虐殺が行われた収容所内部のリアルな再現でした。しかし、それもハンガリーの監督ネメシュ・ラースローが映画「サウルの息子」で実現してみせました。
 そして、この映画「野火」は、残されたタブーのひとつであるカリバニズム(人肉食)の描写に挑み、銃撃戦における肉体の破壊を恐いほどリアルに再現しています。
 監督であり主演の塚本晋也は、映画の構想を立ててから20年。エンターテイメントとしては成立しないであろう作品の映画化をいかにして実現するか?実は、この映画は、それを思いついた時、傑作となることが確約されていたのではないでしょうか?
 問題は、それを技術的に実現することではなく、営業的に成り立たない可能性が高くても映像化できる条件を探すことにあったのだと思います。20年かけて塚本晋也のネーム・バリューは世界的に高まっており、それが彼にとっての追い風になったはずです。「鉄男シリーズ」のヒットにより、彼の知名度は海外でも高かったので、当然、海外の映画市場も視野に入れれば映画化は可能。そんな判断に至ったとも考えられます。実際、この作品はカンヌ国際映画祭の正式出品作品に選ばれたので、多くの国での公開が実現することになりました。
 映画における様々な歴史の再現は、その真実に迫ることで、その悲劇が再び起こることに歯止めをかけるという重要な役目を担っています。今後も、こうした作品の中から傑作が生まれ続けることを期待します。(戦争の意義を訴え、戦意を高揚させる映画は要りません)

「野火 Fires on the Plain」 2014年
(監)(製)(脚)(撮)(出)塚本晋也
(原)大岡昇平
(撮)(照)林啓史
(音)石川忠
(音響)北田雅也
(出)塚本晋也、森優作、神高貴宏、入江庸仁、山本浩司、リリー・フランキー、辻岡正人、山内まも留、中村優子、中村達也
 主人公だけでなく、その他の俳優たち全員が文字通り身を削っての演技でした。

邦画の歴史へ   現代映画史と代表作へ   トップページへ