「顔のない軍隊 Los ejercitos」

- エベリオ・ロセーロ Evelio Rosero -

<実際の事件をもとにした小説>
 コロンビアの山間部にある架空の村を舞台に左派ゲリラ、右派ゲリラと政府軍が入り乱れた戦闘に巻き込まれた小さな村の悲劇的な運命を描いたスリリングかつ悲壮感に満ちた小説です。
 そして、2013年アルジェリアで起きたアラブゲリラによるテロ事件を思い起こさせる作品でもあります。これを書いた時点では、この事件は起きていませんでしたが・・・いつ起きても不思議はなかったということかもしれません。そして、このような事件はまだまだ今後も起きる可能性があるはずです。21世紀の世界はすぐそこに危機を抱えていると考えるべきです。
 著者によると、この小説のすべてのエピソードは実際に起きた事実に基づいているということです。やりきれない悲劇でありながら、一気に読めるのは、そのスピード感のある語り口にあります。著者は書き上げた後、ページ数が半分になるまで絞り込んだといいますから、それが良い結果を生み出したのでしょう。そして、そこには様々な人々が登場し読者を飽きさせません。
 ゲリラを村人と区別できなくなり、ついには村人に向けて銃を撃ちまくる狂気の政府軍兵士。
 理性も道徳も感情も知らずに育てられた子供ばかりの不気味なゲリラ部隊。
 隣の家の住人が誘拐されても、同情したり悲しむ感覚を失ってしまった村人たち。
 複雑にからみあうコロンビアの混乱は、どの軍隊の兵士からも「顔」を奪い、その被害者である村人だけでなく、事件の報道を都市部で傍観する裕福な市民たちからも「顔」を奪ってしまいました。著者が強い危機感をもって描いたこの作品は、スペイン語圏の優れた文学作品に与えられるスペインの文学賞「トゥスケツ小説賞」を受賞。さらにイギリスのインデペンデント紙が選んだ外国語小説賞にも選ばれたことで、スペイン語圏以外の国々でも注目を集めることになりました。

<混沌の国、コロンビア>
 ここでこの小説の舞台コロンビアの混沌の原因について少しだけ勉強したいと思います。(この小説のあとがきに、コロンビアの短い歴史書かれていて助かりました)
 コロンビアは、1819年スペイン(イスパニア)から独立した南米の北西の端に位置する国で、ブラジル、ベネズエラ、エクアドル、パナマと国境を接しています。(首都はボゴタ)
 コロンビアは南米と中米を結ぶ地点であると同時にコカインの一大生産地であるため、大量の麻薬がアメリカに向けて輸出されていることでも知られています。この麻薬が有名なメデジンカルテルのような巨大な麻薬組織を生み出し、コロンビアを世界でも有名な危険地域にしてしまいました。(サッカー好きの方なら、ワールドカップ・アメリカ大会でオウンゴールをしてしまい帰国後にマフィアの殺し屋によって殺されてしまった選手がいることを憶えているでしょう。アンドレアス・エスコバル)
 麻薬のほとんどは、アメリカなど海外に輸出されるのでコロンビア国民に直接与える影響は少ないかもしれません。しかし、麻薬産業が生み出す巨額の富が国民生活に寄与することはほとんどなく、そこに群がる様々なグループ間の抗争や利権をもつ政治家の政治資金に消えてゆきました。そのうえ、そうした抗争は内戦とも呼べるほどの大掛かりなものに発展し、多くの市民がそこに巻き込まれ大きな被害を受けることになりました。さらには、そこに右派、左派の政治思想もからむことで、国内の混乱はより複雑さを増すことになりました。

<政治的対立>
 元々南米はカストロやゲバラの活躍もあり、共産主義思想に基づく左翼の力が強い地域です。それは長きに渡り植民地として支配され、搾取されてきた歴史と独立後の経済的な支配への反発から生じた必然的なものだったといえます。そうした中、コロンビアの農民たちの中に革命を目指す組織としてコロンビア革命軍(FARC)や国民解放軍(ELN)などが誕生。農村を中心に活動する彼らは、支配する地域で税金を徴収するだけでなく、麻薬の売買や誘拐による身代金などを資金源に政府に対立する存在となってゆきました。
 そうした左翼ゲリラに対抗する存在が右派の軍事組織「パラミリターレス」です。それは、元々は左翼ゲリラによる襲撃や誘拐から身を守るために、大土地所有者や政治家が資金を提供して組織した自警団でしたが、しだいにそれは左翼ゲリラと同じように武力闘争をし始めることになりました。
 資本家からの資金提供だけでなく麻薬の密売などで巨額の資金を得た彼らは、左派政治家の暗殺や左翼ゲリラの協力者を見つけて虐殺を行うなど、武装テロ集団と化していったのです。これはイスラム世界におけるアルカイーダともよく似ています。ウサマ・ビンラディンによる私的な部隊だったアルカイーダは、当初は小さな旅団にすぎませんでした。それがアフガニスタンでアメリカ!?による指導の下で本物の軍隊となり、ついにはアメリカも、母国のサウジアラビアも制御できない暴走テロ集団になってしまったのでした。(まるで冗談のような話ですが本当のことです)
 そして、このパラミリターレスと時に協力したり、彼らの不法行為を見てみぬフリをすることで市民の犠牲を増やしていったのが政府軍です。さらにこれら右派と左派の対立に、どちらでもない麻薬マフィアが加わることで話はより複雑になってしまいます。当初、コロンビアの左翼化を防ぐためにアメリカはCIAなどを通じて、政府軍や右派組織に軍事指導や資金提供を行っていました。ところがコロンビアが麻薬の供給源としてアメリカにおける麻薬蔓延の元凶となっていったため、麻薬マフィアや彼らと結びつく権力者に対する攻撃を開始することになります。
 こうして、コロンビアを舞台に左派の革命軍と右派のテロ組織、政府軍、麻薬マフィア、そしてアメリカが複雑にからみあう抗争を繰り広げる構図が出来てゆきました。

<実在した平和村>
 この小説の舞台となる架空の村、サレ・ホセ平和村は、こうした武力対立に巻き込まれないために、どの組織からも距離を置くことで非武装地帯として平和を維持することを宣言した村のひとつでした。しかし、そこには首都のボゴタからも遠い山中の村なため、山奥に潜む左派ゲリラから攻撃を受けやすく、過去にも村人が誘拐され身代金を要求されるという事件が起きていました。
 実際にコロンビアにはサンホセ・デ・アパルタドという平和コミュニティーが存在し、そこでかつて虐殺事件が起きたことがあるそうです。しかし、そうした軍事衝突の犠牲となった村はコロンビア国内に数多く存在し、村を捨てざるを得なかった人々は難民となって都会へ流れ込んでいるようです。それは政権が崩壊し、内戦によって住む家を失った人々が難民として国境を越えているシリア、イラクやアフリカの国々のミニチュア版ともいえます。
 この小説が怖いのは、こうした事件が日常と隣り合わせにあり、ある日突然、普通の市民を巻き込んでしまうことです。それは、けっして他人事ではありません。ある日突然、地震によって街を破壊され、家族を奪われ、なおかつ街からの退去を求められた福島の人々もまったく同じ立場に立たされています。
 この小説が描いている街の姿は、まさに地震と放射能という「顔のない軍隊」によって、すべてを失ったしまった福島の街そのものに思えるのです。そして、「顔のない軍隊」の攻撃を知りつつ見てみぬフリを続ける政府の存在もまた共通しています。
 経済発展という国家的な目標のための必要悪として生み出された原子力発電所は、日本経済の発展とともに巨額の利益を生み出す国家主導のビジネスとなり、その拡大の動きを止めることはできなくなりました。そして、今、あれだけの大事故を起こしても、なお、停止していた原子力発電所が次々に動き出そうとしています。
 コロンビアの小さな村で起きた悲劇は、けっしてそこだけの問題ではなく、その闇は世界中に広がりつつあります。それは被害者と加害者という関係ではなく、被害者と無責任な政府、そしてそうした状況を見てみぬふりをすることで生み出してしまった我々一般市民からなる世界。
 これは21世紀の人類が直面している唯一で最大最悪の状況を映し出している世界の縮図のような小説かもしれない、そんな気がしています。

「顔のない軍隊 Los ejercitos」 2007年
(著)エベリオ・ロセーロ Evelio Rosero
(訳)八重樫由貴子、八重樫克彦
作品社

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