「ニュークリア・エイジ The Nuclear Age」

- ティム・オブライエン Tim O'Brien -

<村上春樹との共作?>
 この小説の作者ティム・オブライエンの、出世作の「僕が戦場で死んだら」(中野圭二訳 白水社)も読んでいたのですが、この作品は村上春樹訳ということで迷わず買ってしまいました。(師匠の推薦となれば読まないと・・・)村上氏による翻訳もさることながら、巻末に加えられた訳注は本一冊分ぐらいのボリュームで、読み応えがあります。そこだけ読んでも、1960年代から1970年代にかけてのアメリカの歴史を駆け足で知ることが出来るはずです。
 この小説自体がアメリカのその時代をまるごと描き出そうとする歴史カタログ的な内容をもっているだけに、この本はある意味、ティム・オブライエンと村上春樹による共作となった感もあります。日本人にとっては、その解説が必要なため、それは決して悪いことではないと思います。この本をこれから読む方は、訳注もじっくりと読んでみて下さい。
「十三世紀におけるフィレンツェの生活を知らなかったとしたら、自分は『神曲』を、今日のごとく鑑賞することはできなかったのに相違ない。自分は言う、あらゆる芸術の作品は、そお製作の場所と時代とを知って、はじめて、正当に愛し、かつ、理解しえられるのである。・・・・・」
アナトール・フランス

<ティム・オブライエン>
 ティム・オブライエン Tim O'Rien は、1946年10月1日ミネソタ州のオースティンに生まれています。
 同じ年に生まれた人物として、「プラトゥーン」や「7月4日に生まれて」の監督オリバー・ストーンがいます。彼もまたオブライエンと同様、ベトナム戦争に歩兵として参加しています。そして、一時期戦場中毒状態になった彼は、戦闘中のしびれるような恐怖感を求めて前線への転属を志願、その間に麻薬中毒になってしまいました。そして、彼は自らの映画に登場する人物そのままの復員兵としてアメリカへと帰還、麻薬中毒を克服して、映画を撮り始めました。
 それに比べて、ティム・オブライエンは有名な「ソンミ村事件」以後のベトナムに向かい、オリバー・ストーンとは異なる感覚で戦場を感じて帰国。それを小説として発表、そこから彼の作家生活が始まり、常にその世代を主人公として小説を書き続けています。この小説の主人公ウィリアムも、「プラトゥーン」の主人公のようなタイプとはほど遠く、模擬戦闘訓練で気を失ってしまう弱虫人間として描かれています。そのうえ彼はベトナム戦争の兵士として彼が徴兵される遥か前の子供時代、すでに自分が核戦争の戦場にいると考えるようになり、その恐怖におびえる筋金入りの臆病者だったのです。
 僕はそれは素晴らしい想像力であり、間違った感覚ではないと思うのですが・・・。当時の冷戦の状況、特にキューバ危機におけるギリギリの状況のことを考えると、彼の感覚は別に病的なものではなかったことを理解すべきでしょう。何せ、各家が真面目に核シェルターを設置しようと考えていたのですから。
 こうして、戦場だけでなく核戦争の戦場となる可能性のある社会からも逃れた男が、アメリカを離れた地点から見つめ続けた60年代から80年代にかけての歴史。その歴史の中で自らの生きるべき場所、共に生きるべきパートナーを求めて、彷徨い続けた同世代の人々へのオマージュ。それがこの小説なのだと思います。
(さらにこの後日談となるのが、「世界のすべての七月」(2002年)ということになります。この小説もまた切なくて懐かしい作品で、お奨めです)

<アメリカ人と臆病者>
 訳者の村上氏によると、この小説はアメリカでは「壮大な失敗作」として扱われてしまったといいます。そうなってしまったのは、主人公があまりにも弱虫でアメリカの読者が感情移入できなかったからかもしれません。「世界の警察官」を自負するアメリカ人にとって未だに兵役忌避者は「卑怯者」であり「臆病者」として見なされるのです。
 おまけに核戦争という目に見えない戦争によって精神のバランスをしなうという繊細な神経の持ち主に共感できる繊細な感覚の持ち主がアメリカにどれだけいるか?核兵器を持ってはいても、使っことがあっても、日本のように落とされた経験のない国にその感覚を期待することは無理なのです。
 さらにこの小説では、1960年代という激動の時代を生きた若者たちや政治家たちがおかした数々の失敗を思い出させることで、同世代の読者の気をめいらせてしまうのかもしれません。それは、アメリカ人に対し自己否定を迫る厳しい小説でもあるのです。同じ世代を描いても、かつてローレンス・キャスダンが映画化してヒットした「再会の時 Big Chill」のようにノスタルジックに過去を描く方が受けは良いのでしょう。それに対して、この本には「あの時代、僕らは精一杯生きたんだ!」という、ある意味自己満足的な結末は存在せず、そこから先の展開も示さずに読者を突き放したまま終わってしまいます。

<作者への評価>
 訳者の村上氏は、オブライエンという作家について、決して上手い文章ではないのに、グイグイと押しまくることを売りにする近頃珍しい作家と称しています。それはたぶん作家、村上春樹とは、、まったく異なるタイプであり、彼が身につけたいと思っているスタイルのひとつなのかもしれません。村上春樹という作家は、常に新たなスタイルを模索しつつ、それを身につけてきました。彼が翻訳という作業を創作活動と並行してやり続けているのは、そのために必要な新しいスタイルとの出会いのためでもあります。だからこそ、彼はティム・オブライエンという作家にこだわり続けているのでしょう。
 もちろん、村上春樹は1949年生まれということで、ほぼ著者とは同世代だというのも共感する理由なのでしょう。そうなると著者と同世代ではない読者にどれだけ伝わるか?それが気になったからこそ、訳者は75ページにも渡る訳注を書いてしまったのでしょう。

 この小説の魅力はどこにあるのか?説明は難しいのですが、分厚いにも関らず、読み出すと一気に読めるはずです。
 もし、あなたが1960年代から70年代にかけてのアメリカに興味があるなら、訳注と合わせて二度楽しめるはずです。ただし、読み終わった後の感動とか、爽快感とか涙とかは期待しないこと。
 ずっしりと重い何かが残っても、それに耐えられる精神状態の時に読んでもらった方がいいかもしれません。そして、あまり深く考えすぎないこと。

<あらすじ>
 核戦争の恐怖におびえながら、かろうじて大学に入学した著者ウィリアム。一人の友人もいない彼はある日、大学で核兵器の存在を訴えるデモを始めます。誰もが無視する中、ある日爆弾マニアのオリーと体重200ポンドという巨漢の女の子ティナ、大学のマドンナ的存在のチア・リーダー、サラ。そして、アメフトのヒーローだったラファティーが加わりました。
 時代は1960年代、ヴェトナム反戦運動の盛り上がりは、少しずつ地方の大学へも拡がりつつあり、彼らの運動はその勢いを急激に増してゆきます。しかし、リーダーとなったサラは、合法的な学生運動にいち早く限界を感じ、より過激な活動を展開するため、キューバからの支援を受ける革命グループへの参加を決意します。軍からの召集を受けたウィリアムは、兵士になることを逃れるため、サラの誘いに応じ地下へと潜るため、わが家を出ます。
 1960年代から1980年代まで、世界中の若者たちが社会を変えようと試み、そして挫折してしまった時代。そのど真ん中にいた若者たちの生き方を通して、その時代が描かれてゆきます。(いや、そこからはみ出していたというべきか?)

<参考>
「核開発競争の始まり」

「ニュークリア・エイジ The Nuclear Age」 1985年
(著)ティム・オブライエン Tim O'Brien
(訳)村上春樹
文春文庫

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