知の巨人が最後に残した警告の書

「ヌメロ・ゼロ Numero Zero」

- ウンベルト・エーコ Umberto Eco -
<ウンベルト・エーコ最後の小説>
 2016年2月19日に亡くなったイタリアを代表する作家ウンベルト・エーコの遺作となった小説です。舞台になっているのは、1992年のミラノ。謎の企業グループが独自の日刊紙を発刊するために集めた編集者、記者たちが立ち上げ準備中に巻き込まれた混乱と殺人事件を描いたブラック・ユーモア満載の作品です。
 彼らは創刊準備号(ヌメロ・ゼロ)のために取材活動を始めますが、その中の一人が第二次世界大戦の終戦時から続く政界の巨大な陰謀を追求し始めます。
 その陰謀とは?以下はそのあらすじ。
 イタリアの指導者ベニト・ムッソリーニには実は影武者がいて、敗戦時、市民によって公開処刑されたムッソリーニはその影武者だった。
 何者かが本物のムッソリーニをアルゼンチンに逃がし、イタリア国内が共産化に傾き混乱した時、再び母国に戻して、右派のシンボルとして復活させる計画だった。
 その計画を立案、実行したのは、どうやらアメリカ、CIAらしい。
 ところが、50年代に右派左派の対立が深まった時期、いよいよその時と、彼を呼び戻す計画が動き出しましたが、ムッソリーニは死亡してしまった・・・。

 この驚くべきスクープ?を取材していた記者が何者かに殺害され、出版社も事件の影響で突然、閉鎖されてしまいます。被害者から取材についての情報を聴かされていた主人公は、自分にも危険が迫っていると感じ、恋人と共に家を出て行方をくらますことになります。
 様々な事件と登場人物の多くが、実在の事件、実在の人物とのことで、イタリア人ならもっと面白いのでしょう。例えば、主人公を雇った謎の企業グループとは、長年イタリアのマスコミを支配し、政界までも支配するに至ったベルルスコーニの所有する企業グループのことのようです。(ACミランのオーナーでもありましたっけ)

<ブラック・サスペンス・ポリティカル小説>
 この小説はブラック・ユーモア満載のポリティカル・サスペンス小説ですが、歴史的名作「薔薇の名前」の著者である「知の巨人」の作品ですから、一筋縄ではゆきません。
 主人公が準備を任された日刊紙「ドマーニ」は、実は初めから発刊されないことになっていました。しかし、なぜ架空の日刊紙を発行するために記者たちは命がけになったのか?そもそもなぜそんな日刊紙が必要になったのか?発刊されないはずの新聞には、隠された仕事が用意されていました。そのことを知らない記者の一人カンブリアは社の責任者に尋ねます。

「では、この新聞ではどんなことを書くんです?」カンブリアは聞いた。
「今日、日刊紙の宿命は、限りなく週刊誌に近づくことだ。我々は明日起こるかもしれないことについて書くことになる掘り下げ記事、調査の特集版、意外な展開を先んじる報道・・・。例を挙げよう。四時に爆弾が爆発したとすると、翌日にはもうみんながそれを知っている。つまり我々は、四時から印刷に入る夜中の十二時までに、犯人と思われる人物について、警察もまだ知らない、何か未公表のことを語れる人物を見つけている必要があるし、その爆発事件の結果としてその後どんなことが起こり得るか、予測される展開を示さなければならない・・・」


 日刊紙「ドマーニ」は、元々発行される予定はなかったものの、だからこそ目指すところは、現在のマスコミが目指す遥か先を見据えていました。どこよりも早い情報発信のためには、情報の正確さを問わない。社のオーナーはその特性を利用(悪用)するつもりでした。

<武器よりも強かったペンよ何処へ>
 この小説は、イタリアの政界・マスコミの裏側を描いてる小説だったはずですが、2017年以降に読むと世界中に蔓延している「フェイク・ニュース」を発信するインチキ・マスコミのことを思い出させるかもしれません。トランプ大統領を誕生させた最大の功労者と言われるスティーブ・バノンが主催していたネット・ニュースが、まさにそんなフェイク・ニュース発信のインチキ・マスコミだからです。著者が、もう一年長生きしていたら、アメリカ大統領選で起きた驚きの結果をどう感じたでしょう?

 不思議なことではありませんが、「ドマーニ」の記者の一人は、あらゆるマスコミの情報を信じられなくなっていました。

「・・・ただ、もう何も信用しないんだ。アメリカ人はほんとうに月に行ったのか?スタジオですっかりでっち上げたというのもあり得なくはない。月面着陸のあとの宇宙飛行士の影をよく観察すると、どこか信用しがたい。それに、湾岸戦争はほんとうに起こったのか。それとも、古いレパートリーの断片を見せられただけじゃないのか。おれたちは偽りに囲まれて生きている。嘘をつかれるのだと知ったら、疑いながら生きなければならない。おれは疑う。いつだって疑う。おれに確証のもてる唯一のほんとうのものが、この何十年の前のミラノさ。爆撃はほんとうにあった。それもイギリス人が、あるいはアメリカ人がやったものだ」

 思えば、報道の自由が保障された国アメリカは、自由過ぎて嘘の報道すら許されるということなのかもしれません。例え、嘘のニュースでも、ネット上に真しやかに流してしまえば、もうそれは事実と同じだけの効力を発揮してしまいます。その後、それが嘘だと証明されても、もうその情報を消し去ることはできません。そんなアメリカの状況を恐れたのかドイツでは、実際にこうした「フェイク・ニュース」を取り締まるために法律の制定が準備されているようです。

<フェイク・ニュースのテクニック>
 この小説は、そんな「フェイク・ニュース」の作り方や「フェイク・ニュース」と呼ばれないようにするための手法について、実に具体的に解説してくれます。

「・・・したがって、ふたつの相対する主張を載せて、ひとつの出来事について異なる意見があることを示し、新聞は反駁の余地のない事実として報道するわけです。この場合の巧妙な策は、まず、ありきたりの意見を紹介し、次にもうひとつの意見、記者の考えに非常に近い、より論理的な意見を紹介すること。こうすれば、読者はふたつの事実を情報として得た印象をもつが、実際にはそのうちのひとつだけを、より説得力のあるものとして受け取るように仕向けられるわけです。たとえば、高架橋が崩れ落ち、大型トラックが落下、運転手は死亡した。事実を正確に報告したあとで、記事にこう書かれたとする - 道の角に売店をもつロッシ氏(42歳)に話を聞いた。
『運が悪かったんですよ。誠に気の毒だが、運命は変えられない』と氏は語った。
そのすぐ後に、付近の工事現場で働いていたレンガ積み工のビアンキ氏(34歳)がこう語ったとする。
『市の責任だ。この高架橋に問題があることは前々からわかっていた』と。読者はどちらに同意するか。何者か、あるいは何かのせいだとする者、責任を問う者と自分を同一化するはずです。わかりますよね?何をどのようにカギかっこに入れるかが問題なんです。・・・」


 もちろん、嘘ばかりのニュースを流すのがマスコミの仕事ではありません。その逆もまたマスコミの仕事のようです。

 ともあれ、他人が確かめることのできるデータを公言するより、ほのめかしに留まったほうがいいというのは私も賛成だ。ほのめかすというのは、何かはっきりしたことを言うというのではない。反論者に対して疑問を抱かせることになればそれでいい。・・・

 さらに優れたマスコミは、国民を安心させるために平気で嘘をつきます。それは国民のための方便であるという信念を持っているだけに危険です。

「・・・我々は警告で世を騒がせる新聞ではないのだ。それは、テロリズムになる。天然ガスの導管、石油、我が国の鉄鋼業を問題視する?本紙は緑の党の機関紙ではないのだ。本紙の読者には警告を発するのではなく、安心を与えなかればならない」

<我々はどこに向かうのか?>
 主人公の彼女は、マスコミがまだ信じられると勘違いしてしまうような民主義国家の欺瞞についてゆけないと、感じています。だったら、明らかに権力に寄り添っているとわかる南米の右派政権の国の方がよっぽど生きやすいというのです。確かに「悪は悪、嘘は嘘」とわかりやすい国はある意味住みやすいのかもしれませんが・・・。そんな中、なんと英国国営放送BBCが、彼らが調べていたイタリアの過去の陰謀についての記事を発表してしまいます。残念ながら、イタリアはいつの間にかそんな陰謀が存在した過去に戻りつつあるのかもしれない・・・しかし、それに対し、主人公はそんな不安を語る彼女にこう語りかけます。

「マイア、イタリアも少しづつ、きみの逃亡したいという夢の国になりつつあるんだよ。BBCが語ってみせたすべてのことを、おれたちがまず受け入れもし、忘れもしたということは、恥を忘れることに慣れつつあるということだ。・・・汚職にはお墨付きがあり、マフィアが堂々と議会に入り、脱税者も政府にあって統治する。刑務所に入れられるのはアルバニア人のニワトリ泥棒ぐらいだ。良識的な人々は悪党たちに投票し続けるだろう。BBCなんて信用しないし、そもそも今晩の番組のようなものは見ないだろう。もっとくだらない番組にかじりつく。・・・」

 なんとも皮肉なことに、イタリアもまた南米の独裁国家と同レベルになりつつあるのかもしれない・・・著者の不安は確かに実現しつつあります。ベルルスコーニの時代は終わりを迎えるのでしょうが、ヨーロッパにおける右傾化はまだまだ続きそうです。

「ヌメロ・ゼロ Numero Zero」 2015年
(監)ウンベルト・エーコ Umberto Eco
(訳)中山エツコ
河出書房新社

<参考>
ウンベルト・エーコ「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」

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