命のために闘った平和の女神


- 緒方貞子 Sadako Ogata -

- 国連難民高等弁務官 -


映画「セルジオ 世界を救うために戦った男」
<外交一族に生まれて>
 国連の平和維持活動において大きな実績を残した日本人、緒方貞子 Sadako Ogata は、1927年9月16日に生まれました。彼女は「5・15事件」で命を落とした犬養首相の曾孫であり、祖父は外務大臣、伯父も外交官、父親も外交官という日本でも珍しい外交官一族の中で育てられました。
 そのため彼女は10歳までは外交官の父親と共に海外での生活をし、帰国後、新設されたばかりの聖心女子大学の一期生として文学部の英文科に入学。卒業後は、父親からのすすめもあり、アメリカのジョージタウン大学の大学院に留学。そこで国際政治学を専攻し、日本がなぜ太平洋戦争の泥沼にはまっていったのかを研究しました。外交官への道を歩んでいたとも言えますが、彼女はそうはなりませんでした。
 1960年、彼女は33歳の時、東大の特別研究生だった時代に知り合った緒方四十郎と結婚し、専業主婦となります。その後は、夫の四十郎が日本開発銀行で働いていたため、海外での生活が続くことになりました。帰国後、彼女は国際基督教大学の教授となった後、参議院議員の市川房江からの依頼を受け、国連総会の日本からの参加メンバーに加わります。この時から、彼女は国連との関りをもつようになりました。
 1975年「国際婦人年」に合わせ女性の国連公使を日本から出すという宮沢総理の意向から、彼女に白羽の矢が立ちます。こうして日本初の女性国連公使が誕生しました。彼女は1976年から1978年までその任務に就きます。
 その後も彼女は国連関連の職務につきます。国連児童基金(UNICEF)の理事会議長、国連人権委員会の日本代表を務めた後、1991年に第八代の国連難民高等弁務官に就任しました。彼女の世界的な活躍はここから始まることになります。

<国連高等難民弁務官>
 彼女が任されることになった国連難民高等弁務官事務所UNHCRは、世界中の難民たちを救済するために国連が立ち上げた組織です。当時はパレスチナ難民を救済するための組織「パレスチナ難民救済事業機関」UNRWAの活動の方が有名で、UNHCRの活動はあまり知られていませんでした。しかし、この頃から時代はUNHCRの活動が求められることになり、ちょうどそこに彼女が担当者として関わることになったのでした。
 1991年、彼女は63才にしてその任務に就き、ジュネーブの国連本部で指揮を取り始めます。当時、日本人の国連での主導的な活躍はほとんどなく、経済援助への資金提供に熱心な日本の顔を立てるための抜擢ではないか?という憶測もあったようです。しかし、彼女はそんな指摘をひっくり返す活躍を始めます。

<クルド人難民問題>
 彼女が最初に関わることになったのは、当時大きな問題となりつつあったクルド人問題でした。
 世界最大の国を持たない民族と呼ばれるクルド人は、世界に2000万人いると言われていますが、国を持たない放浪の民として、各地で排斥され難民化していました。そんな彼らのほとんどは、トルコ、イラン、イラク、アゼルバイジャンなどに住んでいました。
 1990年湾岸戦争の際、アメリカはイラク国内のクルド人に対し、フセイン政権の打倒を呼びかけます。ところが、アメリカがクウェートからイラク軍を追い出した後、イラクではクルド人の大量虐殺が始まります。クルド人の多くが山岳地帯に逃げ込み、トルコへの脱出をしようとしますが、トルコは国境を封鎖し、難民の受け入れを拒否します。トルコでは、以前からクルド人が独立運動を続けていたため、これ以上増えることを問題視したのです。
<難民の定義>
「人種、宗教、国籍、政治的意見、または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、あるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人々のこと。

 当時大きな問題になっていたのは、クルド人がどこにも逃げられず、国内にとどまっていたため、難民として認定できないことでした。それまでの担当者は、それをそのまま放置していましたが、緒方さんは違いました。彼女は何十万人もの人々が困っているのに、管轄など関係ないと主張。国連に働きかけることで、イラク国内に避難している難民のための安全な保護区を作り、そこに大量の援助物資を送り込む作戦を実行しました。さらに同じようにイラン側に逃げ込んだクルド人のためにも同じ対応が行われました。これまでにはなかった彼女の行動はクルド人たちから高く評価され「小さな巨人」と讃えられることになりました。

<旧ユーゴ紛争>
 1989年に東西冷戦が終わったことから、世界各地で民族紛争が起きることになり、彼女はそれら数多くの紛争に対応する日々を送ることになりました。1992年に分裂したユーゴスラビアもまたチトーという偉大な指導者を失い、混沌とした状態になっていました。もともと他民族、他宗教をまとめた複雑な国だっただけに、分裂後、すぐにそれまでの対立が表面化、内戦が始まることになりました。
 スロベニア、クロアチアが先ず分離独立を果たしますが、ボスニア・ヘルツェゴビナが混沌とした状態となります。民族的にはセルビア人とクロアチア人が多数派でしたが、イスラム教徒を信じるムスリム人口も多く、それらの勢力による三つ巴の状態となり、最終的には主流派のセルビア人グループと非主流派のクロアチア人とムスリムからなるグループによる戦闘が始まることになりました。
 中心都市サラエボはクロアチア、ムスリムが抑えますが、街の周囲はセルビア軍が取り囲む形になります。こうしてセルビア人スナイパーによるサラエボ市民への無差別銃撃が始まることになりました。街は人道支援のための国連チームすら侵入できない危険地帯となりました。
 ここで緒方さんは、再び大きな改革を実行します。彼女は国連に働きかけ、それまでなかった武装した支援チーム「国連保護軍」を創設させたのです。そして、その国連保護軍によって守られたUNHCRがサラエボへの支援活動を開始します。
 ちょうどこの頃、スレブレニツァという町でセルビア人によるイスラム教徒の大量虐殺が行われます。それまで両グループへの支援を行っていた緒方さんは、この事件に激怒。事件の悲惨さを世界に明らかにし、この地域への援助を停止すると宣言します。
 この事件の報道と国連の対応は世界中に広がり、セルビアへの反発が急激に高まることになりました。ついにはNATO軍がセルビアへの攻撃を開始することにもなり、内戦の終結を早めることになりました。

<ルワンダ大虐殺の現場にて>
 フツ族によるツチ族の大量虐殺が行われた後、多くのツチ族がウガンダ、ブルンジ、タンザニア、ザイールへと逃れました。特に難民が多かったザイールにはツチ族の兵士も逃げ込んでいて、彼らはキャンプで休養をとった後、再び内戦に戻って行くことが明らかになりました。そのため、国連内部では援助のストップを求める声が上がりました。しかし、緒方さんはこうした声に対し、兵士も一般人も区別することなく支援するべきと続行を決断します。

「私たちは難民というと、『困った人』『かわいそうな人』『助けてあげなければいけない人』と思ってしまいます。しかし、彼らも人間です。人としての尊厳があって、同情だけを必要としているわけではありません。彼らに対する尊敬、リスペクトの念を忘れてはいけない。難民に対するリスペクトの意識があるならば、難民救済のやり方もおのずと違ってくるはずです」
 これは、彼女がこの仕事を2期務めた後、退任時に発表したメッセージからです。
 その後、彼女は国際協力機構JICAの理事長に就任。JICAは難民たちが逃げ込んだ先の国で、仕事を得て生活して行けるように社会活動のための支援を行っています。そのために、職業訓練や仕事をするための環境を整えるための支援を強力に後押ししました。単に支援金をばらまくだけでは、長い目で見て難民たちの役に立たないことは明らかだったからです。
「魚をあげるのではなく、魚を釣る方法を教える」
 難民問題の最大の原因は国内経済、社会の混乱にあります。そうならないようにすることこそ、難民救済の最重要課題と考えたわけです。こうした緒方さんの活躍の後、国連による平和維持活動の現場では多くの日本人スタッフが現在も活動しているとのことです。

<国連難民高等弁務官という仕事>
 国連による平和維持活動については、ブラジル人高等弁務官セルジオ・デメロの活躍と悲劇の死を描いた映画があります。
彼らの仕事がいかに大変で危険でやりがいがあるのかが、ドキュメンタリー・タッチで描かれた良い作品なので是非参考に見て下さい。
ネットフリックス作品です。
映画「セルジオ 世界を救うために戦った男 Serujio」 2020年 
(監)グレッグ・バーカー(米)
(製)チアゴ・ダ・コスタ、ダニエル・メルク・ドレフュス他(脚)クレイグ・ボーテン(原)サマンサ・パワー
(撮)エイドリアン・テイジード(音)フェルナンド・ベラスケス
(出)ワグネル・モウラ、アナ・デ・アルマス、ブライアン・F・オバーン、ブラッドリー・ウィットフォード
世界平和のために世界各地で国連高等弁務官として働いたブラジル人セルジオ・ヴィエラ・デメロ
イラクで爆弾テロに巻き込まれた彼の危機から、過去の記憶へと遡り、その仕事を振り返ります。
国連が占領国アメリカと支配される国の政府の間に立ち、いかに苦労しているかがわかります。
理想どおりにゆかず厳しい現実に直面する国連という組織が具体的にどんな仕事をしているのか?
大いに勉強になりました!アナ・デ・アルマスは確かに美しい・・・でもラブシーンは要らない気もしました。
監督のグレッグ・バーカーはドキュメンタリー映画の出身なので、政治的な問題がわかりやすく作られています。 
忘れないでほしい
国連に務める真のやりがいと報いは
現場にあることを忘れないでほしい
君と必要とするのは窮地に立つ人々だ

セルジオ・ヴィエラ・デメオ 
<使用曲>
「As Rosas Nao Falam」(歌)カルト―ラ Cartola(曲・詞)Angenor De Oliveira
「Oracao Apo Tempo(A Prayer to Time)」(曲)(歌)カエターノ・ヴェローゾ Caetano Veloso 

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