「独立愚連隊」、「肉弾」ほか

- 岡本喜八 Kihachi Okamoto -

<娯楽アクションの巨匠>
 娯楽アクション映画の巨匠としてもっと評価されるべき監督だと思います。戦争アクション映画の傑作「独立愚連隊」、サラリーマンの日常を描いた文芸映画「江分利満氏の優雅な生活」、戦争時代の青春を描いた「肉弾」、太平洋戦争を真正面からとらえた大作「日本のいちばん長い日」、ヤクザのスポーツ映画という異色のアクション映画「ダイナマイトどんどん」、おばあちゃんを主役にした痛快娯楽サスペンス映画「大誘拐/Rainbow Kids」・・・どれもが映画ファンの期待を裏切らない作品ばかりでした。娯楽性、ユーモア、アクション、映像センスの良さだけでなく、戦争や政治に対する批判精神もしっかりとあわせ持つのは、どの作品にも共通するところです。ただし、単に戦争反対と叫ぶのではなく、兵士たちの日常を生き生きと描くことで、彼らへのリスペクトもこめられています。それは彼自身が兵士として死の一歩手前までいった体験がもとになっているのでしょう。それだけに、彼の作品に登場する兵士たちの苦悩や喜び、そして死は、見る者の心に強く訴えかけてきます。
 戦場を舞台にしても、常にユーモア感覚を忘れない娯楽アクション映画の巨匠、岡本喜八監督の生い立ちと作品をささやかですがご紹介させていただきます。

<生い立ち>
 岡本喜八は、1924年2月17日、鳥取県米子市に生まれています。世代的には、鈴木清順の一つ下で、今村昌平の二つ上にあたります。太平洋戦争が始まる直前、1941年春に上京した彼は明治大学の商科に入学。アメリカ映画に憧れた彼は、1943年東宝に入社しました。ところが、不幸なことに時代は戦争の真っ最中でした。彼は映画を撮るチャンスもないまま軍に徴集され、豊橋にあった陸軍予備仕官学校に入学します。そこでアメリカ軍の空爆にあい、多くの友人を失いました。結局、彼は戦場に向かう前に終戦を迎えたため、命を失わずに済みましたが、21歳になっていた彼の同世代の仲間の多くが戦場で命を落としていました。そうした亡くなった兵士たちへの思いは、彼の後の作品に大きな影響を与えることになります。
 戦後、東宝に復帰した彼は、名匠、成瀬巳喜男やマキノ雅弘らのもとで助監督を担当しながら、脚本の執筆もし始めます。1958年、監督に昇進した彼は、「結婚のすべて」でデビューを果たしました。アメリカ映画的なテンポの良さと独特の渇いたユーモア感覚が高く評価された彼は3作目には早くも正月映画とした大作「暗黒街の顔役」(1959年)をまかされました。そして、この年彼の出世作となった「独立愚連隊」(1959年)が公開されます。

「独立愚連隊」 1959年
(監)(脚)岡本喜八(撮)逢沢譲(音)佐藤勝
(出)佐藤充、中谷一郎、鶴田浩二、三船敏郎、中丸忠雄、上原美佐、雪村いづみ、ミッキー・カーチス
<あらすじ>
 終戦が近づき敗色が濃くなりつつあった中国北部の最前線に従軍記者と名乗る男(佐藤)がやって来ます。彼は最前線よりもさらに敵陣近く、八路軍(共産軍)の真っ只中に入り込んでいる名うての部隊「独立愚連隊」の基地にまでなんとかたどり着きます。そして、彼はそこで以前起きた心中事件のことを調べ始めます。そのことに気づいた部隊長(中谷)は、それをやめさせようとしますが、彼は事件が起きた部屋に残る弾の跡から、それが殺人であったことを証明します。
 誰が何のために心中に見せかけた殺人を行ったのか?彼は部隊内で調査を続けますが、その間にも八路軍は着実に彼らの基地に迫りつつありました。ついに部隊には撤退命令が出され、追加の命令として記者を逮捕して護送するようにと連絡が来ます。
 記者は何者なのか?そして、事件の犯人は誰なのか?しかし、それが明らかになった時、八路軍が彼らの周りを取り囲み、もう逃げ道は失われていました。

 この作品は、彼が書いたオリジナル脚本の映画化で、軍隊内の不正や戦争の理不尽さ、兵士たちの日常などを盛り込んだ彼らしい代表作です。まるで西部劇のように渇いた荒野で繰り広がられる銃撃戦は、メキシコやテキサスを舞台にしたサム・ペキンパー作品を思わせます。前半は軍隊内の犯罪をあばく戦場サスペンス映画。(ペキンパーの「戦争のはらわた」的な・・・)
 後半は、軍隊内の敵味方、八路軍、それに地元の馬賊などが入り乱れての四すくみの娯楽アクションとなり、脚本が実に見事にできています。(ペキンパーの「ワイルドバンチ」的な・・・)
 特に面白いのは、様々なキャラクターがそれぞれ実によく書けていることです。
 クラウス・キンスキーやリチャード・ウィドマークのような悪役顔の主人公、佐藤充の存在感が先ずは異色です。怖い顔ゆえに、彼のかわいい笑顔が実に魅力的です。彼にとって、敵なのか味方なのかがわからない謎の部隊長を演じる中谷一郎も、チャールズ・ブロンソンかアーネスト・ボーグナイン的な存在で味があります。
 主人公を追ってきた恋人を演じるのは、なんと歌手の雪村いづみ、馬賊のメンバーで主人公を助ける娘役には、黒澤明の「隠しとりでの三悪人」(1958年12月公開)で姫役を演じるたばかりの上原美佐子。そして、その「隠しとりでの三悪人」では主演だった三船敏郎がまさかの役どころで登場しています。岡本監督と三船敏郎は仲がよかったらしく、そうでなければ「世界の三船」が受けたかどうか?この配役だけでも彼の意図がわかる気がします。
 もうひとり、若かりし鶴田浩二が片言の日本語を使う馬賊のリーダーとして登場。彼の役どころも、重要なのですが、それは最後に明らかになります。
 ラストの銃撃戦は、悲壮感というよりは、「明日に向かって撃て」の明るさと「ワイルド・バンチ」の迫力をもつニューシネマ的なエンディングですが、そうした映画に先駆けていたことになります。ただし、この銃撃戦で八路軍の兵士がまるで西部劇で騎兵隊がアメリカ先住民をバタバタと打ち倒してゆく場面は、日本が行った侵略戦争の被害者を馬鹿にしたものとして批判の対象となりました。それに答える形で、彼は翌年「独立愚連隊西へ」を発表。そちらの作品では、逆に両軍が無傷で終わるという展開になっているようです。

「江分利満氏の優雅な生活」1963年
(監)岡本喜八(原)山口瞳(脚)井出俊郎(撮)村井博(音)佐藤勝
(出)小林桂樹、新珠三千代、矢内茂、東野英治郎
 山口瞳のベストセラー小説(直木賞受賞作)を映画化した作品。彼の作品の中では珍しくアクション映画ではないが、自らの同世代の普通の日本人の日常をさわやかに描いた作品として彼のお気に入りの作品だったようです。

「ああ爆弾」(1964年)は、爆弾が次々に人から人へと渡ってゆくというブラック・ユーモア作品。これもまた、日本人的ではない作品として今では再評価されカルト的に人気作品になったといいます。
「殺人狂時代」(1967年)では殺し屋たちが人口調節団体を結成するというこれまたブラックな映画。これもカルト的人気作のようです。
「日本のいちばん長い日」(1967年)は、東宝が8・15終戦記念作品第一作として製作した大作映画。彼にとっては貴重な豪華な大作映画となりましたが、これもまた彼の代表作となりました。

「肉弾」 1968年
(監)(脚)岡本喜八(撮)村井博(音)佐藤勝
(出)寺田農、大谷直子、天本英世、笠智衆、北林谷栄、頭師佳孝、仲代達矢(ナレーター)
 「日本のいちばん長い日」でドキュメンタリー・タッチの「戦争」を描いた彼は高い評価を得ました。しかし、彼は客観的な戦争ではなく、自分にとっての戦争を描きたいという思いが強まります。それは、彼と同世代の名もない若者たちが戦場に散っていったことを記憶にとどめたいという思いからでもありました。彼にとっては、それが本当の「戦争」だったのかもしれません。しかし、その企画は東宝に認められなかったため、彼は当時スタートしたばかりのATGとの共同による自主製作作品として映画化を実現させました。
 自爆による覚悟の突撃を命じられた名もなき学徒兵の終戦と死までを描いた悲劇的戦争映画。戦争中に青春時代を送った若者の恋を描いた悲しいだけでなくユーモラスな作品でもあります。この映画デビュー作となった大谷直子の輝くような美しさはモノクロ作品であることを忘れさせます。彼女は公募によって選ばれた新人でこの時まだ高校3年生でした。

 この後、彼は1970年代に入り、喜八プロダクションを設立。メジャーでは実現不可能な企画を映画化するため、ATGとの共同製作とメジャー作品をまじえながら作品と取り続けてゆきます。
 明治維新の時代に最後まで反抗を続けた会津藩士たちを描いた「吶喊」(1975年)はATGとの提携作品。
 老人たちが反戦を掲げた独立国家を設立させるという異色の老人パワー映画、「近頃なぜかチャールストン」もATG作品。しかし、映画界の不況は彼の作品のようにマニアックでブラックなユーモアのある作品にとっては厳しく、作品をなかなか撮れない時代が続きました。それから5年後、やっと「ジャズ大名」(1986年)を発表することができました。そして、彼にとっては後期の代表作となった久々のヒット作「大誘拐/RAINBOW KIDS」(1991年)までもまた5年の年月が必要とされました。もっともっと映画を撮ってほしかった監督です。
 2005年2月19日 没

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