ボクシングに関する名言集

<悲劇のスポーツ、ボクシング>
「一方の敗北は、他方の勝利である。しかし、私たちは、この「勝利」を、単に一時的、暫定的なものと読もうとする。敗北だけが永遠なのだ。」

「ボクシングが、スポーツであるとすれば、それは、あらゆるスポーツの中で、最も悲劇的なスポーツだ。なぜならば、いかなる人間の行為にもまして、ボクシングは、それが誇示してみせる卓越性を消耗してしまうからだ - ボクシングのドラマとは、この消耗してゆく過程そのものに他ならない。人生最高の闘いを闘うことによって、自己を使い果たすこと、それは、必然的に、下方への転回を始めることだ。」

 ボクシングは、あらゆるスポーツの中で最も悲劇的な存在だからこそ、「人生」にも例えられるのでしょう。逆に言えば、ボクシングはスポーツですらないのかもしれません。なぜなら、「みんなで楽しくボクシングをする」なんてことはありえないのですから。

「ボクシングには、基本的に遊びの要素と言えるものが何もない。昼の光、喜びに属すると思えるものは、何もない。その最も濃密な瞬間には、ボクシングは、あまりにも完全に、そして、あまりにも力強く、人生のイメージを映し出す - 人生の美しさ、その傷つきやすさ、絶望、果てしのない、そして、自己破壊につながることの多い勇気 - を映し出すので、その時、ボクシングは、単なるゲームではなく、人生そのものとなる。」

 そのうえ、ボクシングは相手を殺してもリングの上でなら殺人罪に問われることがありません。どう考えてもボクシングは子供たちが楽しめるスポーツとは言えないのです。

「チーム・スポーツ、大人の男たちのチーム・スポーツを観ていると、男たちというのは、いかに子供なのか - 子供という言葉の持つ最も幸福な意味で、子供なのかがよくわかる。しかし、ボクシングは、その基本的な残虐性ゆえに、子供らしさの中にとり込まれることはありえない。」

 その意味で「ボクシング」は人類のもつ原初的な性質を象徴しているともいえるだけに、文明的なスポーツとは言えないのかもしれません。さらにいうなら「ボクシング」というスポーツが存在する限り、人類に平和が訪れることはないのかもしれません。

「ボクシングの試合は、人間の集団的攻撃性のイメージそのものであり、それは、儀式化されているがゆえに、いっそう恐ろしい。それは、今も進み続けている人類の歴史的狂気のイメージなのである。」

<ボクシングと人生>
 ボクシングは人生と比較されがちですが、けっしてイコールではありません。そして、その違いにこそ大きな意味があるのかもしれません。

「人生は、多くの不安定な点で、ボクシングに似ている。だが、ボクシングは、ボクシングにしか似ていない。」

「ボクシングの試合が、物語であるとすれば、それは、常に気まぐれな物語、ありとあらゆることが起こりうる物語だ。それも数秒のうちに、ほんの一瞬の間にだ!これほど短時間の間に、これほど多くのことが、これほどとり返しのつかない形で起こるスポーツは他にない。」

「ボクシングは主張する。自分は、理論上、あらゆる偶然を超越しているという点で、人生に優っている、と。そこには、まったく意志の入っていない要素は、ひとつもない。」

 ボクシングは、象徴的なスポーツであるがゆえに様々なものに例えられます。
「大衆に公開されるスペクタクルとしてのボクシングは、ポルノグラフィーに似ている。どちらの場合も、観客はのぞき屋にされ、現実に今起こっているのに、起こっているとは考えられていないある出来事から離れたところにいながら、仮定上はその出来事に密接に、巻き込まれてしまう。・・・・・
 ボクシングとポルノグラフィーの間にある明らかな違いは、ポルノグラフィーは演劇的だが、ボクシングは演劇的ではない、ということだ。」

 ボクシングにおける勝敗は基本的にはノックアウトです。かつては、判定もラウンドの制限もなくレフェリーすら存在しなくても、どちらかが倒れたらそれで試合終了という明快なルールだけがありました。
「ボクサーがノックアウトされたということは、普通考えられているように、打たれて意識不明になったこと、あるいは、対戦不能になったことを意味するのではない。むしろ、もっと詩的に、彼が、時からはじき出されたことを意味するのだ。・・・・・
 立っているボクサーが『In Time』にいるとすれば、倒れているボクサーは、『Out of Time』にいるのだ。」


「すべての運動選手は、急激に年を取る。しかし、ボクサーほど、急激に、しかも、目に見えて老い込む者はいない。」
ジョイス・キャロル・オーツ著「オン・ボクシング On Boxing」より

<暴力としてのボクシング>
「私は近頃、『ことば』でも『性』でもなく『暴力』というものに興味を持つようになってきた。暴力という伝達行為。暴力という連帯方法。これは、いかがなものであろうか?何人も、戦場に於ける兵士のようにきびしく『相手』を見張ることは出来ないし『相手』の一挙手一投足い興味を持つことは出来ない。少なくとも『暴力』行為には、疎外などのつけこむ空隙がないからである。そんなことから、私はボクシングに心魅かれるようになった。・・・」
寺山修司「あゝ荒野」より

「抽象的に考えれば、ボクシングのリングは、一種の祭壇、一国の法律が適用されない伝説的な空間のひとつと言える。ロープの内側では、公式に規定された3分間に、一人の男が、対戦相手の手によって殺されてしまうかもしれない。しかし、法的には、殺害されることはありえない。」
ジョイス・キャロル・オーツ著「オン・ボクシング On Boxing」より

<参考>
「オン・ボクシング On Boxing」 1987年
(著)ジョイス・キャロル・オーツ Joyce Carol Oates
(訳)北代美和子
中央公論社

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