オリンピックの明日はどっちだ?
オリンピックの歴史(7)


2004年アテネ大会~2016年リオデジャネイロ大会
「我々にはオリンピックを開催する資金がある。我々はブリテンだ。第三世界の国ではない」
トニー・ブレア(1997年~2007年イギリス首相)

 2000年代に入り、オリンピックはトニー・ブレアが語った失礼このうえない言葉に反抗するかのようにかつて第三世界の国だった場所でも開催されるようになります。ワールドカップ・サッカーも2010年の南アフリカ、2014年ブラジル、2018年ロシア、2022年カタールと欧米以外での開催が多くなっています。
 それはなぜでしょうか?
(1)10年から20年にわたる急ピッチの工業化と物価上昇により、新興国の多くの地域で巨大イベントを開催できるだけの経済的な余裕が生まれた。
(2)新興のスポーツ市場に惹かれてスポンサーや運営団体が大会をそうした国で行うことを望むようになった。
(3)オリンピックが国家の経済発展や世界との絆を示す指標になりうるという、1960年代の東京とメキシコで確立された発想が、未曽有の工業発展の時代を迎えた新興国で優勢になってきたこと。
(4)新興国に多い権威主義的な政府は国内ではあまり批判を受けることなく、すでに確立した腐敗のネットワークを利用できるため、各種の競技連盟による開催都市の割り当てがずっと楽であったこと。
 こうした流れは必然的に開催費用を高騰させることになりました。バンクーバー冬季大会が約100億ドル。ロンドン大会が160億ドル。北京大会は400億ドル。そして、ソチ冬季大会は510億ドルに達しています。

 この問題に関する信用できる調査研究によると、投資、成長、費用、報酬、観光の各側面において、オリンピック開催による正味の経済的利益はほんのわずか、またはマイナスであることがいずれの調査結果でも示されている。そのため、オリンピック・ムーブメントは、オリンピックを開催する他のメリット、つまりオリンピック開催に伴う環境の改善や、オリンピックが遺すことができるスポーツおよび社会的遺産(レガシー)といったレトリックに頼るようになった。どちらの主張にも説得力がない。環境面についていえば、アテネはとりわけ不誠実で破滅的なオリンピックになってしまった。
 ほぼすべての目標が放棄されたか、主張に達していなかった。北京は今でも、世界有数の大気汚染に見舞われている。リオデジャネイロでは、オリンピック開催にかこつけて不十分な下水道設備への投資を促進しようとしたが、結局はそのプロジェクトを完全に放棄する羽目になりました。
 オリンピックを機会に建設されたスポーツ施設にも問題があることがわかった。アテネは最悪で、市内の至るところに無用の長物が大量に遺されました。北京でも、カヤック、ビーチバレー、マウンテンバイク、野球の施設はまったく使われなくなりました。
 オリンピックが社会や都市に遺したものは、さらにみじめな状況を呈している。とうのも、オリンピックのために行われる再開発は、情けないほどお決まりの問題を大量に発生いさせるからだ。たとえば強制移住は、特に貧困層や周縁層のあいだに多くみられ、1988年ソウル大会と1996年アトランタ大会でも大きな問題となったが、2008年の北京大会の準備段階で100万人以上が影響を受けた時に桁数が変わってしまいました。

 ここまで世界各地で問題を起こしているにも関わらずIOCへの批判が高まらないのはなぜか?
(1)オリンピックの人気が世界共通であり、競合相手が存在しないこと。
(2)多少談合するかもしれない、FIFA(サッカー)とIAAF(陸上)が、いずれもIOC以上に不正の温床となり、批判されているのでまだマシに見えるから。
(3)オリンピック・ビジネスに群がる企業、政治家が、こうした問題が表に出ることを恐れ、常に隠蔽を行っているから。
 それでも2010年以降、オリンピックの問題点は世界中に知られることとなり、オリンピックの開催地に立候補する都市は急激に減っています。

<開会式>
 開会式には、そのオリンピックの目指すところだけでなく予算規模や開催国の雰囲気など、様々なことが表現されています。そして、開会式にかける予算は、大会全体にかける予算に比例しているとも言えます。
 トリノ大会が2000万ドル、バンクーバー大会3000万ドル、ロンドン大会は映画監督ダニー・ボイルの演出で4500万ドルと上昇。北京大会はスティーブン・スピルバーグがダルフール問題への中国の関りに抗議して降板したため、急遽中国映画界の巨匠チャン・イーモウが担当し、1億5000万ドルを使いました。さすがに、この大会の予算規模は桁違いでしたが、ロシアで開催されたソチ冬季大会も1億ドルを使いましたが、その後のリオ大会は、映画界からフェルナンド・メイレレス、それにダニエラ・トーマス、アンドルーシャ・ワディントンの共同演出で行われましたが、予算規模はかなり圧縮されていました。

 中国、ロシア、イギリスのオリンピックの開会式では、それぞれの国が現在好ましいと考える歴史物語が披露されました。しかし、そこには意図的に欠落させられた部分が存在しました。
 北京大会は、中華人民共和国の建国から一気に現代に飛び、大躍進政策が引き起こした災害や飢饉、文化大革命の混乱にはまったく触れていません。
 ソチ大会は、ユダヤ人への迫害、独ソ不可侵条約、チェルノブイリを完全に無視していました。
 ロンドン大会は、多彩な暴動の歴史と帝国主義時代の暴力的な侵略や統治の事実を避けていました。

<2004年アテネ大会> 
 2004年アテネ大会の年、ギリシャは2度奇跡を体験したと言われています。一つはサッカーのヨーロッパ選手権でギリシャ代表がまさかの初優勝をしてしまったこと。そして、もう一つは巨額の費用を必要とするオリンピックの建設工事の大幅な遅れを最後の最後に間に合わせたことです。
 そうでなくても、経済的に破綻寸前だったギリシャが自国に不要なスポーツの競技施設までも建設することは、無駄を承知の愚行でした。さらに追い打ちをかけるように2001年9月11日の同時多発テロ事件により、テロ対策のための警備費は、2000年シドニー大会の6倍に膨れ上がることになりました。工事の遅れは、そのままコストの上昇につながり、最終的には160億ドルという天文学的な数字に達することになりました。
 この大会はWADA(世界アンチ・ドーピング機構)が設立されて最初の大会で、それまでにない厳しい薬物管理体制が敷かれました。そのため、大会中35名のアスリートと2頭の馬が検査で違反と判定されることになりました。(うち15名がメダルを剥奪されることになりました)
 その後、世界金融危機によりギリシャ政府は緊急援助の交渉に追いこまれます。この時、世界に公開された収支は、負債の総額で3000億ドルに達していました。オリンピックの開催費用は、160億ドル程度だったのでなんだかたいした金額ではないようにも思えますが・・・問題はそうして巨額の費用をかけた施設のほとんどが(選手村も含めて)ギリシャ国民の役に立っていないことです。
「オリンピックとはただ空きビルのことです。私たちには何の使い道もありません。でも、それが何かのモニュメントになれば、私たちはそれを利用し、共に生きていくこともできるでしょう。廃墟のなかで生活するのには慣れています。あれは単なる廃墟なのです。もともと、廃墟以外の何物でもなかったんです」 
<2008年北京大会> 
 北京の立候補にあたり、中国がかかげたのは、「環境にやさしいオリンピック」、「人民のオリンピック」でした。しかし、実際はオリンピックは中国にとって、繁栄、力、秩序を取り戻したことを誇示する手段でした。
 この大会は陸上で5種目の世界新、競泳では34種目中25種目で世界新が記録される世界記録ラッシュとなりました。その中心となったのは、競泳のマイケル・フェルプス(米)と陸上のウサイン・ボルト(ジャマイカ)。二人の怪物でした。ただし、競泳の場合、この大会で使用され、記録誕生の立役者ともなったポリウレタン製のボディ・スーツはこの後、使用禁止となるので、この大会の記録は異例の記録だったと言わざるを得ません。それでもほとんどの選手がそのスーツを着用する中で8個の金メダルを獲得したマイケル・フェルプスの段違いの強さは本物でした。(彼はマーク・スピッツが1972年にミュンヘン大会で作った7個の金メダルという記録を上回りました)
 陸上におけるジャマイカの活躍は、ボルトだけではなく、ボルトによる100m、200mの金メダルだけではなく、ジャマイカの短距離チームは、18個のメダル中、11個を獲得。女子の100mでもシェリー=アン・フレーザー=プライスが金メダルを獲得しています。
<2010年バンクーバー冬季大会> 
 バンクーバー冬季大会は、オリンピックの歴史に残る反対運動が起きた大会として記憶に残ることとなりました。2001年アメリカ北部のシアトルで、G7に対する反グローバリゼーション抗議運動が起きました。この時の市民運動は、世界各地に影響を与え、その流れがバンクーバー大会誘致に対する反対運動が盛り上がるきっかけの一つになりました。
 オリンピックに対する反対運動は、その国が環境意識が高く、政府に対し抗議活動を行う自由を有し、それが多数派となり得る民度の高い国民から構成されていることで初めて盛り上がrことになります。2010年カナダのバンクーバー大会で反対運動が大きな盛り上がりを見せたのは、そうした条件がそろっていたからでした。バンクーバーの場合は、先住民の土地を開発することへの反発という民族問題も存在。森林破壊による生物多様性の喪失と住環境問題。その両面から反対運動が盛り上がることになりました。
 2006年のデモで先住民のハリエット・ナハニーが逮捕・拘留され、その後、獄中で肺炎となって死亡するという悲劇が起きました。70代の女性活動家の死は大きな話題となりました。
オリンピック憲章第51条
「オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない」
 しかし、バンクーバーでは反対運動はどんどん勢いを増すことになりました。大会費用が10億ドルから80億ドルに上昇。選手村を公共住宅に転用する計画が中止になった。緊縮財政のなかで破綻したデベロッパーを延命させるため公的資金が流用されました。
 この大会では、女子スキージャンプの選手たちがオリンピックの正式種目に選ばれないことを問題視。IOCの対応は性差別であるとして、裁判所に訴えを起こす事態も起きています。
 様々な問題を抱えながら、かろうじてこの大会は無事に終わることになりますが、オリンピックの誘致活動はこの後、どんどん難しくなって行くことになります。 
<2012年ロンドン大会> 
 この大会では、イースト・ロンドンの再開発を中心に大会終了後も無駄にならないような施設作りを行うことが当初から明らかにされていました。「持続可能な街」「健全で活発な国」「障害者の生活改善」を重要テーマとして、大会が準備・運営されたことも特筆できます。しかし、この大会は初めはかなり厳しい大会になるとの予想もありました。(例えば、オリンピックの開会式のために建設されたスタジアムは、大会終了後、ウエストハム・ユナイテッドのホーム・スタジアムとして使用されています)
 開催地がロンドンに決定した翌日2005年7月7日ロンドン市内で自爆テロ事件が発生し、52人の市民が犠牲となったのです。この事件によって、ロンドン大会の警備費用は一気に跳ね上がることになり、その部分だけで20億ドルが使われることになりました。そのおかげで、大手民間警備会社G45社は莫大な利益を上げました。
 それでも、ブラック・ユーモアが得意なロンドンっ子らしさに満ちた開会式は、モンティ・パイソン、ミスター・ビーン、ジェイムズ・ボンドそして英国女王のおかげで大いに盛り上がり、競技においても地元イギリスは予想以上の活躍をみせ、地元の応援に答えました。
 ブラッドリー・イィギンズの自転車個人タイムトライアルの金メダル、ヘレン・グローバー、ヘザー・スターリングのボート舵なしペア、ジェシカ・エニスの7種競技、モハメド・ファラーの1万メートル走、グレッグ・ラザフォードの走り幅跳びなど、29の金メダルを獲得。合計でも65個のメダルとなり、イギリス国民を感動させました。

「スポーツを嫌っている人にとっても、この2週間は我々の歴史にほとんど例のない愛国ショーと何度も言われていた『イギリスらしさ』そのものが復活したことだ。もし、アレックス・サモンドとスコットランド国民党の思いどおりになっていたら、オリンピックの『イギリス』チームなどなくなってしまっていたかもしれない」

 当初、サッカーではイギリス代表チームとしてイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから選手が参加するはずでしたが、それぞれ独立チームで戦ってきた歴史は変えられず、それぞれの選手たちには様々な政治的圧力もあったようで、結局はほとんどの選手はイングランドから選ばれることになりました。(ウェールズから数人)
 英国は女子選手も大活躍しています。ヴィクトリア・ペンドルトン(自転車)、ニコラ・アダムス(ボクシング)、ジェイド・ジョーンズ(テコンドー)、ローラ・トロット(自転車)などが金メダルを獲得。
 サウジアラビアから初めて女子選手が参加したのは、この大会でした。(女性がスポーツをすること自体が、サウジアラビアではタブーとされていました)
 ファラーの活躍は彼がソマリアからの移民だったことから大きな話題となり、この大会を代表するヒーローとなりました。
「大英帝国後の時代における、統一されたインクルーシブな<包括的な>国のシンボルとしてこれ以上何を望めるだろうか。イギリスのアイデンティティにとって、自信たっぷりで、肌の色にとらわれない彼ら以上の宣伝はあるだろうか。イギリスらしさはもういらない、多文化主義にこそ未来があるという人々に対して、これ以上の証拠があるだろうか。・・・」
ドミニク・サンドブルック(デイリーメイル誌)

<パラリンピックの盛り上がり>
 ロンドン・パラリンピックのチケットは、ほぼ完売しました。その枚数は250万枚で過去最多でした。パラリンピック発祥の地ということもありましたが、この大会からパラリンピックの知名度は世界中に広がることになりました。(ちなみに、それまでの販売チケット数は、アテネ大会85万枚、シドニー大会120万枚、北京大会180万枚でした)
 そして、ただ単に売り切っただけでなく、会場に観客が入り、なおかつ大きな盛り上がりを見せました。(北京大会の180万枚はタダで配ったチケットが多く空席が目立っていました)ストークマンデビル病院から始まったパラリンピックの歴史は、イギリスではしっかりとした文化として根付いていたのです。
 パラリンピックは、かつてはIOCとはまったく別の組織によって運営されていましたが、1988年のソウル大会以降は統合が進み、1989年には国際パラリンピック委員会IPCが設立されました。 
<2014年ソチ冬季大会> 
 ソチ冬季大会の開催は、オーストリアで行われたスキー・パーティーでウラジミール・プーチンと彼の盟友である企業家ウラジミール・ポターニンがなぜロシアにはアルプス地方にあるようなスキー・リゾートがないのか?と話したのがきっかけだったとのこと。
 ポターニンはソチの東側の山にスキーリゾートを所有しており、プーチンもそこに別荘を2つ所有していました。そこで「じゃあソチでやりますか!」となったのでしょう。さらに言うと、ソチ大会はロシアにとって、いくつかの計画の中の一つでもありました。2013年の世界陸上モスクワ大会、2018年ワールドカップ・ロシア大会も同時進行で進んでいたのです。その上、ソチの街には既存のスポーツ施設はまったくなかったので、ゼロからすべて作り上げるため、経費が今までにない額になるのは明らかでした。それでも、ソチでは開発のために強制転居させられたのは、2000世帯だかで、北京大会で150万人もの人が強制転居させられたことに比べるとわずかではありました。
 ソチ大会におけるロシアのメダル数は、金メダル13.総メダル数33と1位の成績でした。ただし、そのためにロシアは様々な手段を用いました。韓国のショート・トラック選手、ヴィクトル・アンをロシア国籍に変更させたのもメダルを増やすための作戦でした。(彼女は個人で3つの金メダル、リレーでも金メダルを獲得しました)
 さらにロシア代表のフィギュア・スケート選手、アデリナ・ソトニコワが韓国のキム・ヨナを破っての金メダルも疑惑の判定と言われました。 
<2016年リオデジャネイロ大会> 
 2009年コペンハーゲンでのIOC総会でリオデジャネイロはシカゴ、マドリード、東京に勝利して開催地となりました。しかし、7年後、IOC委員たちはその選択を後悔することとなりました。2008年に始まった世界的な金融危機による経済の停滞、デフレによりブラジルの通貨価値は半減してしまいます。重要な収入源だった石油の価格も大幅に下落し、それに対し大会予算は膨れ上がり、200億ドルにまで達していました。当然、大会準備は遅れに遅れ、アテネ大会以上の危機になっていました。しかし、そうなることは十分に予想可能でした。
 2007年に開催されたパンアメリカン競技大会でも当初予算の6倍以上の金額に達し、様々な設備が完成しないまま大会に突入してしまいました。完成した施設も欠陥だらけで、ほとんどは大会後はどれも再利用は出来なかったようです。それと同じことが再び起きていたわけです。それでも2016年の場合は予算超過の原因となった一部の業者や政治家が連邦警察によって逮捕されました。同じ頃、2015年5月にアメリカ政府司法省とスイス政府がFIFA内部の不正を調査。サッカー界、メディア界の大物14人の逮捕に成功しています。
 そして、こうした不正に対する厳しい捜査はオリンピックにもおよぶことになりました。なんとか建物は間に合ったものの、上下水道を新しくする工事は放棄されました。そのため、セーリングなどの競技が行われる海の水質はまったく改善されず、練習中に死体を発見したり、流れてきたソファーにぶつかったり、消化器系の疾患が発症したりと大変な状況のままでした。
 結局、ブラジル政府は20億ドルに近いお金をかけて8万人以上の警備員を使って反対派を抑え込むという強硬手段を用いることになります。しかし、そうした反対運動以上に記憶に残ったのは、ほとんどの競技会場であまりにも空席が多かったことです。それは多くのブラジル国民にとって、オリンピックはワールドカップ・サッカーに比べればどうでもよいスポーツ大会に過ぎなかったことの証明でした。そのために、ブラジルの観客は地元選手の応援にしか興味がなく、他国の選手へのブーイングや馬鹿にした態度は目に余るものがありました。いみじくもブラジル最大の放送局ヘジ・グローボの社長がこ言ったそうです。
「ブラジル人はスポーツが好きなのではない。勝つのが好きなのだ」

 この大会により、リオデジャネイロ州は310億ドルの借金を抱えることになりました。リオ市内はオリンピックによって急激なインフレが進んだにも関わらず、給料は上がらず、教師や警察官、公務員までもがストライキを展開する事態となりました。その間、リオデジャネイロの前知事、セルジオ・カブラは汚職によって逮捕されます。マラカナン・スタジアムは、現在のリオの街を象徴する巨大モニュメントとなりました。借り手がつかないまま、オリンピックの後わずか数か月で廃墟と化したのです。選手村は、分譲住宅として再利用されることになっていましたが、多くの市民には高額過ぎて、入居率はわずか10%にとどまりました。
「オリンピックは、まさに悪夢へと続く道です。リオについての事実をすべて把握しているわけではありませんが、リオ市民のイメージは私たちに焼き付いています」
 2016年にそう語ったローマ市長ヴィルジニア・ラッジは、2024年のオリンピック誘致から撤退する決定をします。同じようにボストン、ハンブルグ、ブタペストも撤退し、残ったのはロサンゼルスとパリという開催経験のある2大都市となりました。その後の大会を開催する都市は現れるのでしょうか?このままだと大会開催はどんどん困難になって行きそうです。 

<オリンピックの未来>
 2014年12月にモナコで開催されたIOCの臨時総会で会長のトーマス・バッハは「アジェンダ2020」を発表。オリンピックへの立候補手続きを簡素化。施設の新設ではなく改装での利用を奨励。開催都市にフランチャイズ運営させるのではなく、パートナーシップに近い関係を築いて協力し合う。こうした内容を盛り込んでいました。
「我々は変わらなければならない。社会一般を無視するには、スポーツは社会のなかで重要すぎるからだ。我々は孤島ではないのだ」

 オリンピック開催のためのハードルを下げることは簡単なことです。しかし、本当の問題はそれだけではないはずです。より多くの観客により高額のチケットを購入させ、より多くのスポンサーに参加させることが目的となってしまった現在のオリンピック・ビジネスでは、その巨大化に歯止めがかかるはずもないのです。そして、ドーピング問題、八百長問題、国家間のメダル争いもまた今のままなら絶対に解決しないはずです。
 だからといって、アマチュアリズムを重視するかつてのクーベルタンの理想に逆戻りすることもまた現実的ではありません。
 オリンピックは今後、どこへ向かうのでしょうか?
 そして、東京オリンピックは未来のオリンピックについて何かを示すことができるのでしょうか?(「OMOTENASHI」以外で・・・)

「オリンピック全史 The Games」 2016年
A Global History of the Olimpics
(著)デヴィッド・ボールドブラット David Goldblatt
(訳)志村昌子、二木夢子
原書房

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