ハリウッド映画への愛に満ちた娯楽サスペンス


「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド Once Upon A Time In Hollywood」

- クエンティン・タランティーノ Quentin Tarantino -
<1969年LAでの惨劇>
 舞台は1969年のロサンゼルス、ハリウッド周辺。映画を愛し、自らフィルム専門の映画館まで経営する映画オタクであるクエンティン・タランティーノらしいハリウッド映画へのオマージュに満ちた作品です。
 この映画の企画発表があった時、シャロン・テート殺害事件を題材にすると聞いた少々心配でした。どんなに残虐な描写があっても、基本的にはコメディ映画を撮り続けてきたタランティーノが、実際に起きた事件を撮るのはどうだろう?悲劇にしかならないのでは?と思ったのです。幸いにして、その心配は杞憂に終わりましたが、よく考えてみると彼の過去作品「イングロリアス・バスターズ」(2009年)もまた悲劇にしかならないはずが、予想外の結末が準備されていました。今回も、そんなタランティーノ的アクロバティック・エンディングが用意されています。

<アカデミー美術賞>
 この作品は、アカデミー賞の美術賞を受賞していますが、その貢献者は美術担当よりも、それぞれの映画館やダイナーなどの経営者たちかもしれません。1960年代から今まで、それぞれの建物や文化を維持してきた人々のおかげで、この映画はリアルで美しくレトロな背景を得ることができたのですから。スクラップ&ビルドの本場であるアメリカにこれだけの歴史遺産が残っているのは、ハリウッドという街がいかに多くの映画人に支えられてきたのかを示しているとも言えます。タランタィーノやディカプリオのような人々の存在無くして、ハリウッドの街は失われていたかもしれません。

<ロマン・ポランスキー>
 この映画の重要人な登場人物ロマン・ポランスキーは、自らの監督作品「戦場のピアニスト」(2002年)に描かれているようにポーランドのゲットーで暮らした経験があります。父親のおかげでそこから逃れた彼は第二次世界大戦を生き残びることができました。当時妊娠していた彼の母親は、アウシュビッツで命を落としたようです。(シャロン・テートも同じく妊娠していました)その後、フランスでヴィシー政権による「ユダヤ人狩り」を生き延びた彼は、ポーランドに戻り映画に俳優として出演後、「水の中のナイフ」(1962年)を監督し、一躍注目の監督となります。1963年には英国で「吸血鬼」を撮り、その後、自由を求めて故国を離れ、ハリウッドへと移住します。そして、1968年「吸血鬼」に出演していた新人女優シャロン・テートと結婚します。
 1969年、彼は前年の作品「ローズマリーの赤ちゃん」の大ヒットにより、ハリウッドでも話題の映画監督になっており、シャロン・テートは妊娠し、幸福の絶頂にいました。そんな中、カルト教団の教祖チャールズ・マンソンとその仲間により、家を襲われ、シャロンとお腹の赤ん坊を惨殺されてしまいました。
 事件のショックからハリウッドを離れた彼は、しばらくヨーロッパに戻りますが、1974年再びハリウッドで彼の代表作となる「チャイナタウン」を発表します。ところが、13歳のモデルの少女にレイプしたことが明らかになり、50年の実刑判決を受けてしまいます。すると、仮出所中の彼はヨーロッパに映画の撮影に行くとして出国後、アメリカへの帰国を拒否します。こうして、彼はヨーロッパでの逃亡生活を続けることになったのでした。

<サム・ワナメーカー>
 この映画には、もう一人アメリカから逃亡した経験をもつ人物が登場しています。主人公リックが出演する映画「対決ランサー牧場」の監督サム・ワナメーカーです。映画界よりも英国の舞台シェイクスピア・シアターの演出家としての知名度の方が高い人物です。そうなったのは彼が1950年代の赤狩りにより、アメリカを離れることになり、英国の舞台で活動していたからです。幸い彼は「ハリウッドテン」ほど迫害されることはなかったため、1960年代後半にアメリカに帰国。ちょうどこの頃、映画監督としてのキャリアをスタートさせたところでした。

<ブルース・リー>
 タランティーノが大好きなブルース・リーもこの映画の重要な登場人物です。彼は1966年にテレビ・シリーズ「グリーン・ホーネット」に出演して一躍知名度を上げました。しかし、ドラマは「バットマン」の二番煎じ的扱いで、アジア人ということもあって、俳優としての活躍にはつながりませんでした。。「鬼警部アイアンサイド」へのゲスト出演(1967年)、ジェームス・ガーナー主演の映画「マーロー かわいい女」(1968年)での殺し屋役、あとは何本かのテレビへのゲスト出演はありましたが、主演の話はまったくありませんでした。それでも、1967年に彼はジークンドーの道場をロサンゼルスでも開設し、ハリウッド・スターの間にも彼の存在は知られるようになりつつありました。この作品にも登場するスティーブ・マックィーンもまた彼の弟子のひとりでした。結局、彼は香港で自分が主役となる映画の撮影を行い、「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」をヒットさせ、1972年ハリウッドでの主演作「燃えよドラゴン」の撮影に入ることになります。

<バート・レイノルズ&ハル・ニーダム>
 レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが演じているアクション・スターとスタントマンのコンビは、どうやらバート・レイノルズとハル・ニーダムがモデルのようです。
 バート・レイノルズは、1970年代にセクシー男優ナンバー1と呼ばれたアクション俳優です。「ロンゲスト・ヤード」、「トランザム7000」などのヒット作や「コスモポリタン誌」でのヌード写真発表と話題が多かった彼は、1980年代中年になると共に人気が急降下。一時は破産してしまうという悲劇に見舞われました。
 1997年ポール・トーマス・アンダーソンの出世作「ブギー・ナイツ」でポルノ映画界の大御所監督として出演。見事に復活を果たしました。この作品にも、カルト教団に暮らす牧場のオーナー役として出演する予定だったようですが、この映画の撮影中2018年9月6日82歳でこの世を去りました。(代わって出演したのは、アメリカン・ニューシネマ時代から活躍してきた名脇役ブルース・ダーンでした)
 ハル・ニーダムは、西部劇の撮影で多くの俳優たちが必要としたスタントマンとして映画界で活躍した人物で、様々な俳優の代わり務めました。特にバート・レイノルズとのコンビが多く、この映画の二人のように仲の良い関係だったようです。そのおげで、バート・レイノルズが人気絶頂だった70年代に彼がスタントの演出から映画監督に進出するおぜん立てを整え、それが「トランザム7000」という大ヒット作を生み出すことになりました。

<1969年という年>
 1969年という年はどんなことがあったかというと・・・
1月ニクソンがアメリカ大統領に就任。25日には、第一回ヴェトナム和平パリ会議開催され、ヴェトナム戦争の終結(アメリカの敗北)が見えてきます。
3月ジョン・レノンとオノ・ヨーコによるパフォーマンス「ベッド・イン」開催(オランダにて)。
7月アポロ11号が月面着陸に成功。しかし、同じ月、ヴェトナムからの米軍撤退が始まります。
8月ウッドストック・コンサート開催。英国ではワイト島フェスティバル開催。
11月ネイティブ・アメリカンによるアルカトラズ島占拠事件発生。
12月ブラック・パンサーによるシカゴ警察襲撃事件発生。ストーンズのライブ中に黒人青年が殺害される「オルタモントの悲劇」。
この年は、映画界でも歴史的な話題作も多く誕生しています。
「ifもしも...」、「イージー・ライダー」、「明日に向かって撃て」、「ワイルド・バンチ」、「Z」、「エル・トポ」、「素晴らしき戦争」、「ピロスマニ」、「真夜中のカウボーイ」、「ひとりぼっちの青春」、「ジョンとメリー」、「ケス」、「砂丘」、「アリスのレストラン」、「男はつらいよ」、「少年」、「新宿泥棒日記」、「橋のない川」、「心中天網島」

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド Once Upon A Time In Hollywood」 2019年
(監)(脚)(製)クエンティン・タランティーノ
(製)デヴィッド・ハイマン、シャノン・マッキントッシュ
(撮)ロバート・リチャードソン
(編)フレッド・ラスキン
(美)バーバラ・リン(アカデミー美術賞)
(衣)アリアンヌ・フィリップス
(出)レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット(アカデミー助演男優賞)
マーゴット・ロビー(シャロン・テート)、エミール・ハーシュ、アル・パチーノ、カート・ラッセル、マイケル・マドセン、ロレンツォ・イッツォ(フランチェスカ・カプッチ)
ダミアン・ルイス(スティーブ・マックィーン)、マイク・モー(ブルース・リー)、ラファエル・ザビエルチャ(ロマン・ポランスキー)、ニコラス・ハモンド(サム・ワナメイカー)
デイモン・ヘリマン(チャールズ・マンソン)、ダコタ・ファニング、ブルース・ダーン、ブレンダ・バッカロ

<その他のタランティーノ作品>
「パルプフィクション」 「イングロリアス・バスターズ」


曲名  演奏  コメント 
「Treat Her Right」  Roy Head & The Traits  テキサス州出身白人ソウルシンガーによる1965年の大ヒット曲
「Green Door」  レオナルド・ディカプリオ 1956年ジム・ロウの曲 
「Mrs.Robinson」  サイモン&ガーファンクル
Simon & Garfunkel
1968年の映画「卒業」のサントラより
この時代を代表する全米1位の大ヒット曲 
「The Letter」 ジョー・コッカー
Joe Cocker 
アルバム「マッド・ドッグス&イングリッシュマン」より
1970年全米7位のヒット曲
「Summertime」  ビリー・スチュワート
Billy Stewart 
1966年全米10位の大ヒット
黒人ソウルシンガーによるカントリー調カバー
「Ramblin' Gamblin' Man」  ボブ・シーガー
The Bob Seger's System
アメリカを代表するロック・シンガーによる全米17位のヒット曲
1969年の同名タイトルのアルバムからのシングル 
「Hector」  ヴィレッジ・カラーズ
The Village Callers
LAのラテン・ロックバンドによる1968年のヒット曲
「MacArthur Park」  ロバート・グーレ
Robert Goulet
マサチューセッツ州出身の歌手・俳優によるカバー
1970年発表らしいが、1968年リチャード・ハリスがオリジナル
「The House That Jack Built」  アレサ・フランクリン
Arether Franklin 
「マザーグースの歌」から「ジャックの建てた家」 
ソウル界の女王によるカバー
「Hush」 ディープ・パープル
Deep Purple
1968年のデビュー・アルバムからのシングル
いきなり全米4位の大ヒットとなった。 
「Son of a Lovin' Man」  ブキャナン・ブラザース
Buchanan Brothers
カントリーの兄弟シンガー
1971年のデビュー・アルバム「ブキャナン・ブラザース」より
「Choo Choo Train」  The Box Toys ? 
「Kentucky Woman」  ディープ・パープル
Deep Purple
ニール・ダイアモンドがオリジナル
セカンドアルバム「詩人タリエシンの世界」収録 
「Good Thing」  ポール・リヴィア&ザ・レイダース
Paul Revere & The Raiders 
アイダホ州出身のポップ・ロック・バンド
1966年全米4位のヒット
「Time For Livin」  アソシエーションズ
The Associations 
ソフト・ロックを代表するバンドによる1968年のヒット曲 
「Hungry」  Paul Revere & The Raiders  上記バンドによる1966年全米6位のヒット 
「The Circle Game」  バフィ・セントメリー
Buffy St.Marie
1970年の映画「いちご白書」収録(オリジナルはジョニ・ミッチェル
バフィ―・セントメリーのカバー・ヒット
「Jenny Take A Ride」  ミッチ・ライダー
Mitch Ryder & the Detroit Wheelers 
デトロイトのロックバンドによる1966年のヒット曲
「Can't Turn You Loose」  ウェイン・コクラン&C・C・ライダース
Wayne Cochran and C.C.Riders
1960年代から活躍する白人ソウルバンド
「ブルース・ブラザース」に影響を与えたライブが有名 
「Ecce Homo」  フランチェスコ・デ・マージ
Francesco De Masi 
イタリアの指揮者、作曲家
イタリア映画、マカロニウエスタンを数多く作曲しています。
「Mexico Western」  Francesco De Masi    
「Soul Serenade」  ウィリー・ミッチェル
Willie Mitchell
アメリカのソウルシンガーによる1968年のヒット
「Bring A Little Lovin」  ロス・ブラボーズ
Los Bravos
スペイン、マドリードのロックバンドによる1968年のヒット曲 
全米51位
「Brother Love's Traveling alvation Show」 ニール・ダイヤモンド
Neil Diamond 
アメリカを代表するシンガー・ソングライター
1922年全米22位のヒット曲 
「Hey Little Girl」  ディー・クラーク
Dee Clark 
アーカンソー出身のR&Bシンガーによる1959年のヒット 
全米ポップチャート20位
「Theme from "It's Happening"」  Paul Revere & The Raiders ロックンロール・ショー番組(1968年から1969年放送)
ホスト・バンドによるテーマ曲
「Victorville Blues」  Harley Hatcher Combo 映画「The Hard Ride」より
「Mr. Sun Mr. Moon」  Paul Revere & The Raiders 1969年全米18位のヒット曲 
「California Dreamin」  ホセ・フェリシアーノ
Jose Feliciano 
プエルトリコ出身の盲目のシンガー・ソング・ライター
カバーヒットが多く、これはママス&パパスの代表曲をカバー
「Straight Shooter」  サマンサ・ロビンソン
Samantha Robinson 
 
「Out Of Time」  ローリング・ストーンズ
The Rolling Stones 
アルバム「アフター・マス」(1966年)収録
シングルとしては全米81位
「Twelve - Thirty」  ママス&ザ・パパス
The Mamas & The Papas 
1967年全米21位のヒット
サード・アルバム「ザ・パパス&ザ・ママス」収録
「You Keep Me Hangin' On」  ヴァニラ・ファッジ
Vanilla Fudge 
シュープリームスがオリジナルで全米1位の大ヒット
このカバー盤も全米6位の大ヒットでこちらの方が有名かも?
ヴァニラ・ファッジはアメリカ・ロングアイランド出身のロックバンド 
「バットマンのテーマ Batman Theme」    アメリカのジャズ・トランぺッターであり作曲家Neil Heftiによる曲 

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