さらば!放浪を続ける友へ


映画「オン・ザ・ロード On The Road」

- ウォルター・サレス Walter Salles、ジャック・ケルアック Jack Kerouac -
<予想外の名作>
 ビートニクの聖典「オン・ザ・ロード」が映画化されていたことは知っていたのですが、なぜか見逃していました。正直、あまり面白そうな気がしていなかったからかもしれません。ところが、先日、古本市で偶然「追憶のロード・ムーヴィー」という本を見つけ、「ロード・ムーヴィー」と言えば、やはり「オン・ザ・ロード」を見ておかなければ・・・と思い立ちました。見てビックリ!なかなか素晴らしい作品じゃないですか!さすがは、「セントラル・ステーション」、「モーター・サイクル・ダイアリーズ」の監督です。
 登場人物はそれぞれイメージに近く、ストーリーも小説にかなり忠実に描かれているし、音楽も映像も素晴らしいだけでなく、豪華な女優陣もセックス・シーンも含めて体当たりの演技で頑張っています。(エイミー・アダムス、キルステン・ダンスト、アリシ―・ブラガ、クリステン・スチュワート・・・)
 ただし、旅の映画であると同時に、ビートニク時代の若者たちを描いた特異な青春映画ということから、誰もが感情移入できるとは限らないと思います。原作の「オン・ザ・ロード」も名作と言われてはいあるものの、現代の若者が共感できるか?少々疑問もありますが、僕個人としては、かつて東京在住の頃、終末になるとビートニクっぽい仲間とライブに行ったり、一晩中アートや映画の話をしながら飲み明かす日々を過ごしていたためか、妙に懐かしい気分にもなれました。ですから、「旅」や「音楽」、「文学」、「芸術」が好きならきっとこの映画は、興味津々で見られると思います。

 はじめてディーンに会ったのは、ぼくが妻と別れて間もないころのことだ。そのころ、ぼくはある重病から回復したばかりであった。そのとについては、あのみじめなほど疲れはてた二人の訣別と、なにもかも終わった。なにもかも終わったというぼくの気持ちとにいくらか関係のある病気だったという以外には、とりたてていいたくはない。ディーン・モリアーティが登場するに至って、路上放浪の生活と呼べそうなぼくの人生が始まった。・・・
小説「オン・ザ・ロード」の書き出し(映画では「父を亡くして間もないころ・・・」となっています)

<魅力的な黒人音楽>
 この映画の魅力に「音楽」があります。アルゼンチン出身のミュージシャン、作曲家グスタボ・サンタオラーヤによるオリジナルの曲も素晴らしいのですが、使用されている当時の曲がそれ以上に味があって素敵です。
 1940年代から1950年代にかけての黒人音楽は、キャブ・キャロウェイなどで有名なジャイブ・ミュージックとチャーリー・パーカーで代表されるビ・バップ・ジャズの黄金期にあたります。この映画は、キャブ・キャロウェイと並ぶ当時の人気スター、スリム・ゲイラードが重要な役で登場しています。彼の音楽も何曲か使用されていて、この時代にジャズがいかにダンス音楽として勢いがあったのか、魅力的だったのかがわかります。原作の中にも登場するスリム・ゲイラード登場の場面は、実に生き生きとした名場面です。

・・・彼は興奮してくるとシャツやアンダーシャツを脱いで、本当にうっとりとなってしまう。頭に浮かぶことは何でもしたり、いったりするのだ。「セント・ミキサー、プティ・プティ」と歌っているかと思えば、急にビートを緩めて、ボンゴ・ドラムの上にかがみこみ、指先でわずかにドラムの皮を軽くうつのだ。すると皆は体を乗り出して、息をひそめて耳をかたむける。1分かそこらやるのだろうと思っていると、彼はそのままずっと一時間も続け、指の先でかきならす聞きとれないほどの小さな音がさらにしだいに小さくなっていく。しまいには、その音はまったく聞えなくなり、代わりに人通りの音が開いた戸口から聞えてくる。そこで、彼はゆっくりと立ち上がってマイクをとり、とてもゆっくりという。
「グレイト・オルーニ・・・ファイン・オーヴォ・・・ヘロウ・オルーニ・・・」
 彼はこれを15分間続けるのが、その声は聞こえなくなるまでしだいに低くなる。彼の悲しげな大きな眼が聴衆をちらっと眺める。
 ディーンは後ろの方に立って「神様!そうです!」という - そして両手を組み合わせて汗をかいている。
「サル、あのスリムは時間を知っているんだ。あの男は時間を知っているんだ」スリムはピアノに向い、C音のキーを二つ叩く、次にもうい二つ、次に一つ。次に二つ打つ。すると突然、大きなたくましい低音奏者が瞑想から覚めて、スリムが「Cジャム・ブルース」を弾こうとしているのに気がつくと、彼の大きな人さし指を弦にかけて、とどろくように大きなビートが始まり、誰も彼もみんなが体をゆり動かしてロッキングをはじめる。
・・・・・
小説「オン・ザ・ロード」より
 ビートニクにとっての黒人音楽は自由を表現する最高のパフォーマンスでした。そして、そんな音楽を生み出せる黒人へのあこがれもまた彼らに共通する部分でした。
(注)ビートニクの、「ビート」は音楽の「ビート」ではありません。「Beatitude(至福)」という言葉から来ています。

 薄紫色の夕暮れに、ぼくはデンヴァ―の黒人地域にあるウェルトン街27番地の灯火の中を体中ずきずきさせながら歩き、自分が黒人であればよかったと思った。というのは、白人社会がこれまで与えてくれた一番よいものでも、ぼくには十分な陶酔とまでいかず、十分な生活、喜び、興奮、暗黒、音楽とならず、満足な夜とまでいかず、十分な生活、喜び、チリ・ビーンズを入れて売っている小さな小屋に立ち止まって、少し買って食べ、暗い神秘的な街をぶらぶら歩いた。自分がデンヴァ―のメキシコ人であってもよい、あわれな過労した日本人であってもよい。こんなにも淋しく幻滅させられた「白人」以外のものなら何であってもよいと僕は思った。・・・・・
小説「オン・ザ・ロード」より

 黒人街を歩きながら笑顔を向けた黒人女性ににらまれてしまったサルは決して黒人にはなれないことを自覚してはいました。それでも、ディーンにならなれる、そう考えていたからこそ、彼は何度も彼に裏切られたり、置いていかれたりしながらも、彼との旅に付き合い続けたのでしょう。

 彼はビートだった。至福(beatitude)のルーツであり、魂であった。彼は何を知りかけていたのか?彼は自分に分かりかけていたことをできるだけぼくに知らせようとした。そして彼らは、ぼくが彼のそばにいて、彼らが以前にしようと試したように彼を守り、彼にじっとききほれているのを羨んでいたのだ。・・・
小説「オン・ザ・ロード」より

 映画のラストにディーンと別れたサルは、友人たちとデューク・エリントンのライブに向かいました。それまでのファンキーなジャイブ・ミュージックとは異なり白人の聴衆にも受け入れられる洗練されたジャズのスタイルを生み出しつつあったサー・デューク。そのライブに盛装して出かけようとしていたサルは、もうディーンとは異なる世界の住人になっていたのかもしれません。
 しだいに小さくなって行くディーンの姿は、「放浪の旅の終わり」であり「ジャズ黄金期の終焉」であり「自由の国アメリカの変質」など、時代の変化を象徴しているように思えました。でも、それ以上に僕には、自分自身の青春時代の終わりを思い出させてくれる懐かしく切ないエンディングとしてぐっとくるものがありました。誰にも、そんな別れの思い出があるはずです。

<出版までの空白、映画化までの空白>
 1952年ディーンとの別れの後、彼は「オン・ザ・ロード」を書き始め、一気に書き上げますが、それはどの出版社にも受け入れられませんでした。同世代の中でもあまりにも時代の先を行っていた人々の物語は、その理解者を得るのに7年の月日を要することになります。
 1955年映画「暴力脱獄」とそのテーマ曲「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の大ヒットは、その理解者の登場を告げ、時代をリードする存在が20代の若者たちになって行きます。それから1960年代末のヒッピー・ムーブメントまでビート文化は若者文化の中心であり続けることになります。
 それから50年、映画化にもずいぶん時間がかかったようです。早くから小説「オン・ザ・ロード」の映画化権を取得していたのは、この映画の製作をつとめたフランシス・フォード・コッポラでした。何度か、映画化実現に近づいたものの監督が決まらなかったようです。しかし、若かりしチェ・ゲバラによる南米縦断冒険旅行を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見たコッポラが、ウォルター・サレス監督に白羽の矢を立て、ついにこの映画が完成したのでした。

 ディーンは去って行った。ぼくは大きな声でいった。
「あの男は大丈夫だよ」
 そしてぼくたちは悲しい気のりのしないコンサートに出かけた。それがたとえ何であろうとぼくには聞く気がなかった。そしてずっとディーンのことを考えて、あのすごい大陸を3000マイルも汽車にのって帰って行く姿を考えていた。ぼくに会いたかったのは別として、なぜ彼がやってきたのかはまったく分からなかった。
 アメリカに太陽の沈むとき、ぼくは古い壊れた河の桟橋に腰をおろし、遠くにニュージャージーを覆う長い長い空を見つめ、太平洋沿岸まで一つの信じがたい巨大なふくらみとなってうねっている人々を感じる。・・・・・
 宵の明星がかがやくのは、大地を祝福し、あらゆる川を闇が包み、峰々を覆うて最後に海岸を覆う完全な夜の到来のちょっと前なのだ。そして誰もが、みすぼらしく年をとるということのほかに誰も何が起こるか分からないのだ。そして、ぼくはディーン・モリアーティのことを考える、とうとう見つからなかったあの老ディーン・モリアーティ親父を考え、そしてまた、ディーン・モリアーティのことを考えるのだ。

小説「オン・ザ・ロード」エンディングより


「オン・ザ・ロード On The Road」 2012年
(監)ウォルター・サレス Waltel Salles
(製総)フランシス・フォード・コッポラ、ジェリー・リーダー
(脚)ホセ・リベーラ
(撮)エリック・ゴーティエ
(原)ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」
(PD)カルロス・コンティ
(音)グスタボ・サンタホラーヤ
(出)サム・ライリー(サル:ジャック・ケルアック)
ギャレット・ヘドランド(ディーン・モリアーティ:ニール・キャサディ)
トム・スターリッジ(カーロ・マルクス:アレックス・ギンズバーグ)
ヴィゴ・モーテンセン(オールド・ブル・リー:ウィリアム・バロウズ)
エイミー・アダムス、キルステン・ダンスト、アリシ―・ブラガ、クリステン・スチュワート

<この映画での使用曲>
曲名  ミュージシャン  コメント 
「Yip Roc Heresy」  スリム・ゲイラード Slim Gaillard この小説・映画の重要な登場人物
ジャズがダンス音楽だった時代の大スター
「Don't Explain」  ビリー・ホリデイ Billy Holliday  伝説的女性ジャズ・ヴォーカリスト
「Scrapple From The Apple」  チャーリー・パーカー Charie Parker  踊るためのジャズから聴くためのジャズへ
革命を起こしたオリジネーター 
「I've Got The World Go A String」  ビリー・ホリディレスター・ヤング Billy Holliday & Lester Young  ヴォーカル&サックス・バンドリーダー
この時代を代表する黄金コンビ 
「Beale Street Blues」  ジャック・テンパーデン Jack Tenperden   
「I Use To Love You(But It's All Over Now)」 ビング・クロスビー Bing Crosby   
「Dynamite」  スリム・ゲイラード Slim Gaillard   
「Ya Ka Ka」  スリム・ゲイラード Slim Gaillard   
「タイガー・ラグ Tiger Rag」  チャーリー・パーカー Charie Parker    
「南京豆売り Salt Peanuts」  チャーリー・パーカー Charie Parker、ディジー・ガレスピー Dizzy Gillespie  
「Aberdeen Micciccippi Blues」  ブッカー・ホワイト Buker White   
「月夜の小舟 A Sail Boat In The Moonlight」 ビリー・ホリディレスター・ヤング Billy Holliday & Lester Young  
「バイオリン協奏曲 Aマイナー BWV1041-2 Andante」  ヨハン・セバスチャン・バッハ  
「Death Letter Blues」 サン・ハウス Sun House  南部デルタ・ブルースの大御所 
「Mayne Country Ramblin' Blues」  ジョン・リー・フッカー John Lee Hooker  映画「ブルース・ブラザース」にも出演
伝説的ブルース歌手 
「Hit That Jive Jack」  スリム・ゲイラード Slim Gaillard  
「Mean and Evil Blues」  ダイナ・ワシントン Dinah Washington   
「Ko Ko」 チャーリー・パーカー Charie Parker  
「Jack Kerouac Reads"On The Road"」  ジャック・ケルアック Jack Kerouac ジャック・ケルアックによる自作の朗読より
<この映画のためのオリジナル曲>
「Roman Candles」「Reminiscence」「Lovin' It」「The Open Road」
「Memories~Up To Speed」「That's It」「Keep It Rollin'」
「God Is Pooh Bear」「I Think of Dean」 
グスタボ・サンタオラーヤ
(アルゼンチン出身のミュージシャン、作曲家) 
 

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