「おとうと」

- 市川崑  Kon Ichikawa -

<1960年を代表する傑作>
 この作品は1960年度キネマ旬報ベスト10のナンバー1作品であり、当時の日本映画を代表する名作のひとつです。後に2009年に山田洋次監督がこの作品へのオマージュをこめた作品「おとうと」(主演は吉永小百合、笑福亭鶴瓶)を撮ったことでも知られていますし、郷ひろみ主演で1976年にもリメイクされています。(監督は山根成之)
 この映画を一目見て驚かされるのは、この作品で世界で初めて用いられた「銀残し」という現像手法による美しい画面の色です。モノクロとセピア色の中間のようなノスタルジックな色合いの画面の中で、「はたきの赤」、「インクの赤」、浜村純演じる医師の「金髪」、岸恵子がお見舞いに着てきた「着物の紫」など、意識的に強調された「色」がセリフをもつかのように見るものに語りかけてきます。そこには無意味な色などありません。映像に語らせるという映画の原点にこだわって生み出されたこの手法は、小手先のテクニックではなく生きた表現方法として見事に生かされています。
 こうした実験的手法に生涯こだわり続けた市川崑監督にとっても、この作品は新たな技術的挑戦が結果を生み出した最大の成功作品だったと思います。色にこだわると同時に、彼はさらに画面の構成、人物の配置にも驚くべきこだわりをみせています。そうでなくても、セピア色の絵画を思わせるその美しい画面は、どれもが一枚の絵画のように画面構成されています。主人公が画面の中央にいることはめったになく、そのほとんどは画面の中、もっとも美しいと思える位置に配置されているのです。そのこだわりを実現するための絵コンテなどの準備はあったのでしょうが、撮影には間違いなく時間がかかったはずです。
 その画面の色合いは、なんとなくアメリカの画家アンドリュー・ワイエスの絵画を思い出させ、人物の配置はウディ・アレンの「インテリア」を思わせます。(「インテリア」はベルイマン作品を意識して撮られていますが・・・)まるで、昭和日本の人間たちを描いた動く絵画のような作品です。

<ラスト・シーンの意外性>
 この映画は、結核で入院していたおとうとの死で終わりますが、彼の死を目にして悲しみのあまり気を失っていた姉が、目を覚ましたとたん、やおらエプロンを身につけ勢い良く部屋を出てゆく姿にちょっと驚かされます。じっくりと観客におとうとの死を味合わせるのではなく、泣く暇があったら働かねばという姉の動きが、悲しみを越えた生きる力を見る者に与えてくれる素晴らしいラストだと思います。昭和日本の高度経済成長が始まろうとしていた1960年代の始まりにぴったりの作品だったのかもしれない。今ではそう思えます。
 ラストでの迫力或る演技も含め岸恵子はさすがです。ただし、女学生という設定にしては顔が大人びているためにかわいげがなさすぎる気がしなくもありません。まあ、母親代わりの姉ですからそれでいいのかもしれないのですが・・・。おかしなストーカー男に付きまとわれたり、万引きに間違われたりするタイプにはどうも見えません。
 それに比べると、「おとうと」役の川口浩は、演技力云々よりも、そのお坊ちゃん的な存在感がこの映画にピタリとはまっています。不良ではあってもワルではなく、馬の怪我を本気で嘆いたり、病室で弱気になったりする人物像は、彼に見事にはまっています。
 真面目で不器用な作家の父を演じる森雅之。暗くて不気味な後妻役の田中絹代、それに彼女にキリストの教えを説く岸田今日子、ストーカー男を演じた仲谷昇などの俳優たちもそれぞれに味があります。

<市川崑>
 この映画の監督市川崑は、1915年11月20日三重県伊勢市に生まれています。子供の頃は画家になろうと思っていましたが、伊丹万作の映画「国士無双」を見て映画監督に憧れるようになったといいます。
 1933年、東宝の前身となる発足したばかりのJOスタジオに入社。発声漫画部でアニメーションの下絵描きをしながら脚本、絵コンテ、作画、撮影までの技術を幅広く担当しました。この時の経験が後の彼の作品の画面構成や配色の素晴らしさを生み出すことになります。
 1936年、JOスタジオとP・C・L、東宝宝塚が合併し、東宝となる際、彼は助監督部に移籍することになりました。こうして石田民三、中川信夫、阿部豊などのもとで助監督を勤めながら修行を積んだ彼は、そのまま東宝で監督への昇進が約束されていました。
 しかし、労働運動の盛り上がりの中、東宝では経営陣と組合が激しく衝突。有名な東宝争議が起きると、彼は東宝を出て、分裂してできた新東宝に移籍します。しかし、新東宝ではなかなか劇映画を作ることができず、新東宝にとってもうひとつの目玉だったレビューを映像作品に収めて映画館で公開するという仕事を与えられます。そこで彼は「東宝千一夜」(1947年)の構成と演出を担当、後の「東京オリンピック」にもつながる記録映像への布石ともなる経験をしています。
 翌1948年、彼は「花ひらく」で監督デビューを果たします。しかし、勤め先の新東宝自体が長続きせずに倒産してしまったため、彼は東宝に復帰、1951年彼は東宝で復帰第一作「結婚行進曲」を監督しました。ところが、1955年には日活に移籍し、その後は文芸作品を中心に活躍を続けます。
 
<名作の数々>
 「こころ」(1955年)、「ビルマの竪琴」(1956年)、さらに大映に移籍した彼は「炎上」(1958年)、「鍵」(1959年)、「野火」(1959年)そして本作「おとうと」(1960年)、「破壊」(1962年)、「私は二歳」(1962年)と話題作を連発。彼は一作ごとに異なるスタイルを用いることでも知られていて、「おとうと」の後もなおチャレンジは続きます。

「東京オリンピック」 1965年
(監)(脚)市川崑
(脚)和田夏十(市川監督の妻、由美子夫人の変名)、谷川俊太郎、白坂依志夫
(撮)林田重男、宮川一夫、長野重一ほか
(音)黛敏郎
(配給)東宝
(ナレーション)三国一朗
 1964年に開催された東京オリンピックの記録映像をおさめた長編記録映画。オープニングが競技の映像ではなく競技施設を建設するために既存の建物を解体する工事現場の映像というのことからして異色。それまでのオリンピック映画が競技の記録映像にすぎなかったのに対し、(レニ・二ーフェンシュタールは例外として)この作品は人間描写に徹底してこだわり、競技の結果はほとんど無視されています。その分、映像の美しいさや競技本来の魅力が引き立っていて、劇映画のように観客を魅了します。もちろん、「おとうと」で見せた画面構成や色彩へのこだわりはこの作品で追求されていて、映像美だけでも楽しむことができる異色のスポーツ映画といえます。
 当然、記録映画としての映像作品を期待していたスポーツ関係者からは批判が相次ぐことになりましたが、それもまた宣伝となり、公開後この映画は異例の大ヒットとなります。なんと日本映画史上最高の観客動員を記録しただけでなく、海外でも高い評価を獲得し、世界に市川崑の名を知らしめることになりました。

 1960年代に入り、映画界に不況の時代が訪れると、彼はその流れに逆らうことなくテレビの世界で挑戦を開始しています。その代表作といえるのが、1972年に一大ブームを巻き起こしたテレビ・シリーズ「木枯らし紋次郎」です。(主演は、中村敦夫)
 その後、彼が挑んだのは出版界から現れた映画界の変革者、角川春樹との共闘でした。角川の映画界進出第一作となった記念すべき作品「犬神家の一族」を彼は監督。この作品はメディア・ミックスによる新時代の映画公開スタイルの先駆けとなり、その後の映画の歴史を変えてゆくことになりました。ここから彼はしばらく横溝正史作品の映画化に専念します。「悪魔の手毬唄」(1977年)、「獄門島」(1977年)、「女王蜂」(1978年)、「病院坂の首くくりの家」(1979年)これらのヒットの後、勢いを取り戻した彼は再び文芸作品の映画化に挑み続けます。「古都」(1980年)、「細雪」(1983年)、「ビルマの竪琴」(1985年:セルフ・リメイク)
 映画界で働き出してから70年以上活躍を続けた映像美の探求者、市川崑は2008年2月13日静かにこの世を去りました。

「おとうと」 1960年
(監)市川崑
(原)幸田文
(脚)水木洋子
(撮)宮川一夫(市川監督の画面の美しさを担った世界的カメラマン)
(音)芥川也寸志
(配給)日活
(出)岸恵子、川口浩、田中絹代、森雅之、仲谷昇、岸田今日子、江波杏子、浜村純
<あらすじ>
 作家の父(森)に持つ姉(岸)と弟(川口)は、父親が迎えた後妻(田中)と4人暮らしをしていました。しかし、リュウマチに苦しむ後妻は、その苦しみから逃れようとキリスト教の信者となり、家族にもその生き方を押し付けようとしていたため、子供たちとうまく行かなくなっていました。仕事ばかりして、家庭の問題に関わろうとしない父親と口うるさい後妻の間で弟は不良の道をまっしぐら、次々に新しい遊びに手を出しては問題を起こし、ついには学校を追い出されてしまいます。まだ女学生の姉はそんな弟の尻拭いをしたり、親代わりをするはめになります。彼女は弟を本気でしかることのできる唯一の存在でした。しかし、それでも弟の悪行はおさまらず、彼女にこう言い訳します。
「うっすらと悲しいのがやりきれねえんだよ」
 しかし、そんな弟が不摂生がたたったのか結核にかかってしまいます。当時、結核といえば不治の病であり、療養所に隔離され社会からも切り離された存在でし、人生の終わりのような境遇に追い込まれることになりました。しかし、弟の入院以後、家族は弟のためにいしつしか心を通じ合わせるようになってゆきます。そして、ある日弟は姉にこう告げます。
「誰もがみんないい人ばかりなんだ。やっと俺はそのことに気がついたよ」

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