「アフリカの日々 Out of Africa」

- イサク・ディネセン Isak Dinesen -

<久々の驚き>
 文学のコーナーを始めて以降、かなりのペースで本を読んでいますが、この本の素晴らしさには久しぶりに驚かされました。
 その文章の美しさと言葉の豊かさ。
 そこに描かれている登場人物たちの誇り高い生き方。
 20世紀初めのアフリカが、時に天国に一番近い場所のように美しく描かれていますが、それはけっして過去を懐かしみ美化しているだけではありません。
 その時代、その土地には、まだヨーロッパ文明によって汚されない自然と人間と動物たちが住んでいたこと。
 その土地に移住していたヨーロッパ人の中にも、ヨーロッパ文明にまだ汚されていない人々が確かにいたこと。そのことを改めて知ることができました。
 映画化された作品(「愛と哀しみの果てに」)のイメージから、アフリカの大地を舞台に繰り広げられる男と女の恋の物語のつもりで読み出したら大違いの内容で、驚かされました。
 ここでは、気合を入れて、この小説の魅力をご紹介させていただきます。

<著者の生い立ち>
 この作品の著者イサク・ディネセン Isak Dinesen は、1885年4月17日デンマークのルングステットで生まれています。父親のウィルヘルムは地主、軍人、政治家として有名な人物でしたが、若い頃、アメリカ中西部の先住民の村に住み、そこですごした狩猟生活を「狩猟家の手紙」という本として発表したアウトドアの先駆的人物でもありました。
 その後、彼は政界に進出、国会議員として活躍しますが、50歳の時、自ら命を絶ってしまいます。もともと精神的にうつ病気質だったのに加え、梅毒を患ったことが原因だったと言われています。
 彼女はその家に次女として生まれ、父親の冒険好きの性格を受け継いだのかもしれません。しかし、女性として生まれた彼女は父親と同じように生きることは当時の社会ではまだ困難でした。そのため、彼女は絵画や小説として自分を表現をするアーティストを目指していたようです。ところが、27歳の時、彼女に大きな転機が訪れます。それは彼女の選択によるものではありませんでした。
 1914年、スウェーデンの貴族ブリクセン男爵家の息子からプロポーズされた彼女は、その結婚を受け入れ彼と共にアフリカへと移住することになったのです。新郎は東アフリカのケニアに土地を購入しており、そこでコーヒー農園を経営することになっていました。
 まもなくヨーロッパで第一次世界大戦が始まると、遠くアフリカの地でもケニアを統治していたイギリスとドイツの間で戦争が始まり、彼女はイギリス側の一員として物資輸送などに協力することになります。しかし、ちょうどその頃彼女は自分が梅毒に冒されていることを知ります。それは浮気を繰り返していた夫からうつされたものだったようです。当時、梅毒は治すことが困難な病いだったため、その後も、彼女は長く梅毒に苦しむことになりました。
 実は彼女は、もともとその夫ではなく彼の双子の弟に恋をしていたため、結婚には複雑な思いがありました。そうした過去の思いと梅毒、それに農園経営の失敗から、彼女は夫との関係を悪化させて行きました。最終的には、農園に出資をしていた親戚から、離婚して彼女が経営を引き継ぐようにという要求を受け入れることになりました。こうして、彼女は自ら農園経営を行いながら農園を守って行く責任を負うことになりました。

<アフリカの仲間たち>
 彼女の心の支えとなったのは、農園で働く現地のアフリカ人たちやイギリス人デニス・フィンチ=ハットンらの友人たちでした。この小説を映画化し、数々のアカデミー賞を受賞した名作「愛と哀しみの果てに」(1985年)では、デニスが主役として扱われ、彼とデニスの関係を軸に物語が組み上げられています。その理由は、この小説を読むとよくわかります。(小説では脇役なのですが・・・)
 ロバート・レッドフォード演じるデニスは、かつて同じレッドフォードが演じた「華麗なるギャッツビー」の主人公に匹敵する魅力的な人物であると同時に、イギリス人でありながら砂漠の民に愛された「アラビアのロレンス」のような存在でもありました。

 バークレーやデニス、そした彼らと似かよったところのある何人かの人々に対してアフリカ人が示す特別な本能的愛着を見せられると、私はこんなことを思わずにはいられなかった。それはどの時代であってもかまわないのだが、過去の時代の白人のほうが、有色人種を理解し共感するうえで、工業化の時代のわれわれよりもはるかにすぐれているのではないか。最初の蒸気機関がつくられたとき、世界における人種の歩む道が分かれ、それ以来というもの互いに出会うことができなくなってしまったのだ。

 そして、彼は「ロレンス」や「ギャツッツビー」同様、過去の人であり、現代には存在しえないノスタルジックな存在なのかもしれません。

 バークレーもデニスも、自分の生まれあわせた世紀に帰属することのできない人間だった。イギリス以外のどの国も彼らのような人間を創りだすことはできなかったであろう。だが、二人は隔世遺伝の典型だった。この人たちにとってふさわしい時代は昔のイギリス、もはや存在しない世界なのである。

 ロレンスが故国イギリスで生きられなかったように、デニスもまたイギリスで生きることはできない人間でしたが、ロレンスと違い彼はイギリスに戻ることなくアフリカの大地に骨を埋めることができたのですから、幸せな生涯だったといえるのかもしれません。
 彼女が描写する空からの眺めは、その後、多くの観光客たちやテレビの前の人々が目にすることになりますが、はたしてどれだけの人々に同じ感動を与えうるのでしょうか?そうした眺めに感動する心もまたいまや失われつつあるのではないか。そんな気もします。

 飛行機の体験を表現するには、これまでの言葉では不十分だ。将来、新しい言葉を創りだしてゆかなければならないだろう。大地溝帯の上空、そしてススワ火山やロンゴノット火山の上を飛行してきたとき、その旅は遥か遠く、月の裏側までまわってきたのである。またべつの飛行では、平原の動物たちが見えるほどの低空をとる。すると、これらの動物たちを創りだしたばかりの神の気分になる。まだ、動物たちをアダムにゆだねて名前をつけさせる以前の神の状態である。
 しかし、人をしあわせにするのは幻影ではなくて行動である。飛行する者のよろこびと栄光は飛行そのものにある。都市に住む人々にとって、動くといえばただひとつ、一次元運動しかない。これはみじめな、奴隷同然の状態だ。都市の人々は一筋の糸に導かれるように線上を歩くだけである。野原や森を歩きまわるとき、人は線上の動きから平面をなす動きへ、二次元へとひらかれる。これはフランス大革命にも比すべきことで、とらわれている人々にとってすばらしい解放である。しかし、空中では、人は三次元のゆたかな自由のなかに解きはなたれる。長い流刑と自由へのあこがれの夢に苦しんだ歳月を経て、望郷の心は突如、広い空間の諸手のなかに抱きしめられる。


 彼女の農園は、そんな彼女の思いを理解する人々が集まる場となることで、多くの人々に愛されることになりました。

 この農園が私の友人の偉大な放浪者たちをひきつけるのは、いつなんどき訪ねても、なにひとつ変らずおなじ状態でいる点なのだろうと思う。広大な地域を移動し、さまざまな場所でテントを組み立ててはまた片付けることを繰り返してきた冒険家たちは、星の軌道のように変ることのないわが家の車寄せをまわるのをよろこび、おなじみの顔ぶれに再会するのをよろこんだ。

 もちろん、彼女自身が冒険好きの父親の血を引く新時代の女性の先駆だったからこそ、デニスという恋人であり冒険仲間でもある人物との素敵な関係を築くことができたのでしょう。ライオン狩りに出発する前の彼女のセリフがまた格好良い!

「さあ、一緒に出かけて、生命を不必要な危険にさらしていただけないかしら。もしも生命になにかの価値があるとしたら、生命は無価値だということこそ、その価値なのね。自由に生きる人間は死ぬことができるという言葉があるでしょう」

<変りゆくアフリカの記憶>
 この作品は「小説」というよりも、こうした友人たち、使用人たちとの交流の記録であり、彼らとともに変り行く植民地アフリカの歴史の記録といった方がいいかもしれません。

 植民地は変ってゆく。私がいたころから見てもすでに変ってしまっている。農園で、あの国で、また平原や森の住民たちの何人かとの私の体験を、できるかぎり正確に記録すれば、それはある種の興味ある歴史になるかもしれない。

 こうして描かれたアフリカの記録に登場するのは、もちろん「人」だけではありません。たとえば「動物」。彼らこそ、アフリカの真の住人というべき存在です。

 サファリに出ていたとき、バッファローの群れを見たことがあった。百二十九頭のバッファローが、銅色の空の下にひろがる朝霧のなかから、一頭、また一頭と現れた。力強く水平に張り出した角をもつ、黒くて鉄のようなこの動物たちは、近づいてくるというよりは、私の目の前で創りだされ、過ぎ去るというよりは、その場でかき消えるように見えた。厚く生い茂る蔓科植物を透してくる日光が、小さな点々や切れはしになってちらちらする深い原生林。そこを通り抜けて旅をする象の群れは、大きさこそちがえ、値段のつけようもないほど貴重な年代もののペルシャ絨毯の縁と黄色と焦げ茶を使った縁取りを思わせた。平原を横切ってゆくキリンたちの行進を何度も見かけた。キリンたちには奇妙で独特な、植物のような優雅さがあった。動物の群れではなく、花梗の長い、花弁に斑点のあるめずらしい花々が、ゆっくりと動いてゆくようだった。

 なんという美しい描写でしょう。この文章を読んでいて、僕は「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンのことを思い出しました。それはたぶん、カーソンの文章が描く海に住む生き物たちの描写に彼らへの愛が感じられるように、この作品には「アフリカへの愛」が感じられるからだと思います。

 さて、自分のことを言えば、アフリカに着いて最初の何週間かで、私はアフリカの人たちに強い愛情をおぼえた。それは強烈な感情で、あらゆる年齢層の人を男女ともに当惑させるものだった。暗色の肌を持つ人種の発見は、私にとって自分の世界がめざましく拡がることにほかならなかった。生まれつき動物への愛着を持つ人が、動物のいない環境で成長し、長じて後に動物と接したとしよう。・・・
 あるいは、音楽に耳の利く人が、たまたま成人になってから初めて音楽を聴いたとしよう。私の場合もこれらの場合と似かよっていた。
 アフリカ人たちに出遭ってこのかた、私は日常生活のきまりを彼らの持つオーケストラに合わせるようになった。


 この本が素晴らしいのは彼女のアフリカへのまなざしが「人」や「自然」、「動物」などそのすべてを「アフリカ」として見つめ、平等に愛を注いでいるからです。

 土地の人々は、人間のかたちをとったアフリカそのものだった。人間はこの巨大な風景のなかの小さな姿にすぎなかったが、それでも、大地溝帯からそびえ立つ死火山ロンゴノット、川沿いのミモザの樹林、象やキリンのほうが彼らよりアフリカ的だとは言えない。すべてはひとつの観念の表現であり、同一の主題の変奏だった。

 まるで彼女は空からアフリカを見下ろす「神」のごとき視点をもっているようです。しかし、そうした見方はけっして自らを神に見立てた思い上がったものではありません。たぶん彼女が女性であり、アフリカでの農園経営に失敗する敗者となる人物であることが、この作品の視点を好感のもてるものにしているのでしょう。
 彼女の描くアフリカは、21世紀の今も繰り広げられているクーデターや民族闘争によって混乱するアフリカの姿とはまったく異なるものです。だからといって、彼女がアフリカの良い面だけを描いたのか、というと、けっしてそうではないと思います。実際に彼女が生きていた時代のアフリカは今とはまったく違ったのでしょう。そこには古き良きアフリカがあり、古き良き人々が住み、古き良き人間関係が築かれていたのです。
 この作品の魅力は、まさにこの古き良き時代の描写にあります。たとえば、そこに住む人々についての彼女の描写を見てみましょう。

 キクユ族は予期できないことに適応できるし、意外な出来事に慣れている。白人はほとんどの人たちが不測の事態や運命の打撃にそなえて安全を確保しようとするが、キクユ族はちがう。悪人は運命に親しみ、常に運命の手にみずからをゆだねる。運命は彼にとっていわば家庭のようなもの、住みなれた屋内の暗さ、自分が根付いている深い土ともいえる。

 運命を受け入れ、それに自信を持って対処する能力。それは文明化され、トラブルを回避することを生きる目的にしてしまった我々に失われつつあるものです。もちろん、多くの人はそれこそが文明化だというのでしょうが・・・。

・・・おそらく彼らは、生命あるものとして、われわれにとってはそこにとどまることのできない国有の領域にいるので、水底で生きている魚が人間の溺死の恐怖を理解できないのとおなじことなのだと。アフリカ人たちはこの自信、つまり泳ぐすべを身につけている。われわれが最初の祖先以来失ってしまった知識を、アフリカ人たちは持ち伝えていて、それが彼らの自信となり、泳ぐすべとなっている。さまざまな大陸があるなかで、アフリカこそが教えてくれるもの、それは、神と悪魔とは一つのものであり、共に永遠性を分かちもつ偉大なるものであり、原初から在る二つの存在なのではなく、原初から在る一つのものだということである。

 土地の人たちは神話をつくりだす才能に長じているため、この裁定者の例のみならず、白人に対して思いがけないことをしかけてくる。白人はそれをふせぐことも避けることもできない。土地の人たちは白人を象徴に変身させてしまうのである。私はこの変身を十分に自覚し、自分が象徴として使われることについてひとつの見かたをもっていた。心中密かに、私はこの過程を「青銅の蛇にすること」と名づけた。
(旧約聖書の登場人物モーセが作った「青銅の蛇」を見上げると、毒蛇にかまれた人の傷が癒されるというエピソードからきたもの)

 文明人がすべての出来事を理屈によって理解・分類することで、歴史の中に単なる記録として封じ込めてしまうのに比べ、アフリカの人々はそれを神話化することで身近で生き生きした記憶としてとどめておく才能を持っています。それは、スポーツの世界でよく使われる「記録よりも記憶に残る選手」という言葉に通じるのかもしれません。
 もしかすると、彼らはヨーロッパ人が現れるまで「文字」という記録媒体をもたなかった分、「言葉」によって記憶する能力を保てたのかもしれません。そうした「言葉」の持つ力を知る彼らは、それゆえに手紙を書く時、独特の言い回しを使います。これがまた魅力的なのです。

「もし戻られるならおたより下さい。私たちはあなたが戻ると思います。
 なぜですか。あなたは決して私たちを忘れられないと思うからです。
 なぜですか。あなたはいまでも私たちみんなの顔をおぼえ、私たちの母親の名を知っていると思うからです」
 白人なら、耳ざわりの良いことを言いたいとき、「あなたのことを忘れられません」と書くだろう。アフリカ人はこう言うのだ。
「私たちのことを忘れられるようなあなたではないと思っております」

帰国してしまった主人公への登場人物カマンテからの手紙について

 そうしたアフリカの人々にとって、魅力的なお話は魔法のごとき力を持ちます。それはたぶん僕たちが子供の頃、両親が読んでくれた童話の世界に引き込まれたのと同じ状態なのでしょう。今や大人になってしまった僕たちがそうした物語の世界に引き込まれることはほとんどありません。

「ある男が野原を歩いておりました。歩いていると、そこでもう一人の男に出会いました」という具合に物語をはじめれば、語り手はもう完全にアフリカ人をつかむことができ、彼らの思いは野原にいる二人の男たちの歩く道を想像、そこを共に歩くのだ。だが白人は、たとえ耳をかたむけなければと思っていても、物語を聴くことはできない。そわそわしてきて、今すぐしなければならないことを思い出したり、そうでない場合は眠り込んでしまう。
(白人たちは画像のような具体的な情報が与えられなければ、絵を描くこともできなくなりつつあります)

 詩というものの性質がわかるようになると、若者たちはこう言って私をうながした。
「もっと言ってみて下さいよ。雨みたいに言葉を出して下さい」
 どうして若者たちが詩を雨のようだと感じたのか、私にはわからない。しかしともかくそれは、拍手喝采するようなよろこびの期待とつながりをもってはいたのであろう。アフリカでは、雨というものは常に請い求められ、よろこび迎えられるものにちがいないのだから。


<20世紀初頭の東アフリカ>
 彼女が住んでいた20世紀初めのイギリス領東アフリカ(現在のケニア)は、当時どんな社会環境だったのでしょうか?
 彼女のもとで働くほとんどの原住民はキクユ族の人々です。彼らは戦いを好まず平和的な部族で1963年にケニアが独立する際は、そこからケニヤッタ大統領が誕生することになります。
 そのほか、たびたび登場するマサイ族は戦士の部族として有名ですが、植民地化政策により「戦いの場」を失ってしまったことで彼らはそのアイデンティティーをも失いつつありました。それでも、当時はまだ彼らは「誇り」を失ってはおらず、「白人」との対話にも誇りをもち、対等に向き合っていたようです。

 アフリカにおける白人種と黒人種との関係は、さまざまな点で男女両性の関係に似ている。男女いずれにしろ、相手の人生のなかで自分の占めている役割が、自分のなかで相手の占める役割よりも軽いと知ったら、その人は衝撃を受け、心を傷つけられるだろう。

 黒人たちとの交流の中で、彼女は自分たち白人がかつて持っていた「誇り」というものを失いつつあり、その変化をおしとどめることが不可能であることを思い知ります。だからこそ、彼女はアフリカを自然も人も文化も動物たちもひっくるめて愛したのかもしれません。そして、そのおしとどめようのない変化によって、彼女自身のコーヒー農園も倒産へと追い込まれることになります。

 誇りをもたない人々は、人間を創造したとき、神がなんらかの観念をもっていただろうなどということに、まったく気づきもしない。こういう人々に会うと、時としてこんな疑念がうかぶ。人間を創るにあたって神の観念などというものは、いったい存在したのであろうか。あるいは、観念は見失われたので、誰かがそれをふたたび見出すことなどできるはずはないと。誇りをもたない人々は、他人がこれこそ成功さえも、その日その日の相場によって決めてしまう。彼らは自分の運命におそれおののくが、それも無理からぬことである。
 神の誇りを、なにものにも増して愛し、隣人の誇りを自分の誇りとして愛すべし。ライオンの誇りを愛すべし。動物園のおりに閉じ込めてはならない。犬の誇りを愛すべし。犬をふとらせたりしてはならない。立場を異にする隣人を愛すべし。彼らに自己憐憫をゆるしてはならない。
 征服された民族の誇りを愛すべし。彼らが自分の祖先をうやまうのをさまたげてはならない。


 ここで描かれているアフリカの人々の魅力は、どうやら我々はみんながかつてもっていたものばかりかもしれません。そしてその感覚を取り戻すことは、もう我々には無理かもしれないのです。だからこそ、我々はなんとなくその感覚が理解できるし懐かしい。そんな気がしてくるのです。

 土地の人たちはスピードがきらいである。白人が騒音を「きらうのと同じで、スピードには耐えられないのだ。時間についても、土地の人たちはゆったりした友好関係をたもち、退屈して時間をもてあますとか、ひまつぶしをするとかいうことはまったく考えてもみない。実際、時間がかかればかかるほど、彼らは幸せなのである。

 アフリカに限らずインドや第三世界の国々を時間をかけて旅したことのある人なら、「幸福」には様々な形があることを理解できるはずです。お金がなくても幸福な人はいくらでもいます。問題はその状況から出ざるを得なくなった時です。それも突然に。アフリカの人々にとって、ヨーロッパ列強による植民地化は、確かに悲劇でしたが、富の収奪よりも西欧文明の急激な流入の方が、彼らにとっては破壊的な行いだったのかもしれません。

 石器時代から自動車の時代へと、土地の人たちがよろこんで跳びうつることを期待する連中は、私たちの祖先が荷ってきた努力、すなわち遠い過去から現在まで欧米人を到達させた歴史の重みを忘れ去っている。
 私たちは自動車や飛行機をつくり、その使い方を土地の人に教えることができる。しかし、自動車のような機械類への愛着というものを人の心のなかにつくりだすことは、もう一気にできるものではない。それは何世紀もかけてはじめて可能になるだろう。機械への愛着をつくりだすには、ソクラテス、十字軍、フランス革命を経ることが必要だったのであろう。


 アフリカで暮らす現代の白人は進化を信じ、突然におこる創造的行為を信じようとしない。それなら白人は土地の人たちに、簡略にした実際の役に立つ歴史の教課をざっと習わせて、いま白人が到達しているところまで連れてこられそうなものではないか。白人がここの人々を支配するようになってから、まだ四十年とはたっていない。・・・二十年ほどしたら、アフリカ人は百科全書派を理解するようになり、さらに十年もすれば、キプリングまでくるだろう。フォード氏の発明を受け入れる基礎をつくるには、アフリカ人に夢想家、哲学者、詩人たちを十分にたのしんでもらわなければなるまい。
 そうなったとき、彼らは私たちをどう思うだろうか?白人は、なにかわからない影を、また暗黒を追求して、逆に後からアフリカ人に追いつき、彼らにならって、トムトムの太鼓を打ち鳴らす練習をしているのであろうか?アフリカ人はそのころ、いま彼らが化体説の教理に熱中できるのと同じように、自動車を原価で手に入れられるようになっているのだろうか?


 あまりにも急激な変化に心の準備を彼らにさせることなく進みました。そして「心の準備」もなく「誇り」をも失ってしまった若者たちはその変化の中で、あまりに危険なものを受け入れてしまうことになります。そして、その影響が21世紀のアフリカを今でも混乱させ、貧困状態のままそこから抜け出せなくさせているのです。

 土地の人たちはまた、種類を問わず、機械とか機械的仕組みに共感をもたない。若い世代の一部はヨーロッパ人とおなじように、オートバイ熱にまきこまれたが、彼らについて、あるキクユ族の老人は私にこう洩らした。あの連中は若死にするでしょうよ。おそらく、この老人の言うことは正しいのだ。なぜなら、変節者はその民族のなかのもろい血統から生じるものだから。西欧文明がもたらした発明品のなかで土地の人たちが感心し、良いと思っているものは、マッチ、自転車、ライフル銃である。

 彼女にとって、アフリカはヨーロッパにはない「自由」をあたえてくれる土地でした。古き良き植民地社会と豊かな大自然が平和に共存できていた「奇跡の時代」と「奇跡の土地」、それが1920年代の東アフリカ、彼女が住む土地に存在していたのかもしれません。

 目のさめている状態で夢にいちばん近いのは、誰も知人のいない大都会ですごす夜か、またはアフリカの夜である。そこにはやはり無限の自由がある。そこではさまざまのことがおこりつづけ、周囲でいくつもの運命がつくられ、まわりじゅうが活動していながら、しかも自分とはなんのかかわりもない。

 もちろん、その奇跡は一時的なものにすぎませんでした。時代が変り、経済状況、政治状況が変ることで、はるかヨーロッパから離れたその土地も変化の波に押し流されて行きました。

 バークレーが退場すると、舞台の逆の袖からきびしい女性が登場してきた。人間と神々を支配する、無情な実利主義である。あのやせた小柄な人物が生きているあいだ、たった一人でこの現象の侵入をくいとめていたとは、思えばふしぎなことだった。この土地のパンからパン種が除かれた。優雅さ、陽気でのびやかな気分、電気のような活気の原動力が去ったのだ。猫は立ち上がって部屋を出て行った。

 住みやすい天国のような土地は涼しいがゆえにコーヒーの栽培にはむかず、しだいに農園は経営難に追い込まれます。こうして、すべての財産を手放し、アフリカを去った彼女が帰国後、この本を発表したのです。
 この本の魅力は、愛情に満ちたアフリカの描写の美しさにつきます。そして、そこで生きる今や失われた誇り高きアフリカの人々と古き良き19世紀の生き残りのようなヨーロッパ人たちの「誇り高き生き様」が与えてくれる感動。
 20世紀初めの素晴しきアフリカへの旅に、是非あなたも出かけてみてくだい!
Into the Africa,Into the 20 Century

<最後に>
 異国にいて、見慣れない種類の生物に対する場合、その生物が死んでも価値を失わずにいるかどうかを、じっくりと見定めなかればならない。東アフリカに移民する人々に私は忠告する。
「自分の眼と心にいやな思いをさせたくなかったら、イグアナを撃つのはやめておきなさい」と。

(きれいな色をしたイグアナだが、死ぬとそのきれいな色は失われることになります)

 老いた踊り手たちの到着は、またとない厳粛な光景だった。百人ほどの老人たちが勢揃いしていて、一度に姿を見せた。・・・
 この老人たちに装飾はなにもいらない。彼らの存在そのものが強烈な印象を与えるのだから。ヨーロッパの舞踏会では、年老いた美女たちが若く見せようとして、必死に装っているのを見かけるが、この老人たちはそんなことはしない。踊り手自身にとっても、また見物人にとっても、この踊りの意義と重さ踊り手の老齢そのものにあるのだ。



「アフリカの日々 Out of Africa」 1937年
(著)イサク・ディネセン Isak Dinesen
(訳)横山貞子
河出書房新社刊「世界文学全集」より 

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