記憶の改編と歴史の改編、真実はどこに?


「終わりの感覚 The Sense of an Ending」

- ジュリアン・バーンズ Julian Barnes -
<老いの文学>
 トルストイのように80歳を過ぎても作家活動を続けた作家は昔は非常に珍しい存在でしたが、人類の平均寿命が延びるにつれ、「老いの文学」とも呼べる作品の数が増え続けています。思えば、本を読む人々の高齢化がどんどん進んでいるのですから、それは必然的ともいえる状況でしょう。渡辺淳一や五木寛之の作品が売れるのも当然です。もちろん、そうした「老いの文学」がくだらんとか興味なし、と言いたいわけではありません。作者が年をとれば、書く内容がそれに合わせて変化するのは当然のことですし、そこから新たな文学のスタイルが生まれつつある気もします。
 60年代に活躍したロック・ミュージシャンが未だに当時のヒット曲を歌っているのは、正直、イタイ気がします。でも、ニール・ヤングブライアン・ウィルソンのように、未だにオリジナル曲を生み出し続けるミュージシャンたちには、感動を覚えます。小説の場合は、体力やルックスの影響が少ない分、より年齢に合わせた活躍が可能です。ただし、ジャンルがはっきりした文学(SF、推理小説、ファンタジー、恋愛小説、紀行文学・・・)は、作家の年齢は作品にあまり影響を与えないかもしれませんが、毎回まったくのゼロから作品を生み出す作家となると話しは違います。そして同じ作家の作品を読み続けていると、当然、年齢によって作品の変化に気づくものです。
 この小説の作者、ジュリアン・バーンズは、デビュー当初から「歴史」や「過去」にこだわりをもってきたといえます。そんな作家が、自らの「老い」を題材に「歴史」を捉えなおそうとすることで、新たな傑作を生み出しました。

<心の歴史小説>
 この小説、オープニングには意味不明の文章が並びます。しかし、この謎の文章が、読み終わってみると、実に味わい深いものに感じられることになります。(ここでは気にせず、先に進んで下さい)
 ジュリアン・バーンズの小説といえば、「フロベールの鸚鵡」、「10 1/2章で書かれた世界の歴史」、「イングランド・イングランド」など、異色の歴史小説の作家として有名です。しかし、この小説は当初、普通の青春小説のように始まり、「これって、夏目漱石の『こころ』なの?」と思ったりするかもしれません。ところが、さらに読み進むと、いつしかそれは「高齢者小説」へと変化して行きます。
 未だに自分が50代半ばになっていることを認められないと思いつつ、身体の衰えは、確かにここかしこに現れていて、主人公の気持ちが理解できてしまいます。確かに若い頃の記憶もいつ しかおぼろげとなり、場合によっては内容が事実とは異なるものに書き換えられる場合もあるかもしれません。それはまるで「疑似記憶」を植え付けられてしまった「攻殻機動隊」の少佐のようです・・・誰もが年をとり、過去の記憶がおぼろげになると、青春時代の思い出は多かれ少なかれ書き替えられてゆくものです。それは、トラウマによる無意識のものか、自分の都合に合わせた意識的なものか、脳の衰えによる記憶障害がもたらしたものか、その区別もいつしかあやふやになるのかもしれません。
(正直、僕にも、だんだん記憶に自信がなくなりつつある部分があります。あなたにはありませんか?だとしたら、あなたはまだまだ若い!ということです)
 今まで小説の技術的な手法として、様々なSF的、ファンタジー的仕掛けを用いてきた著者は、ここにきてついにナチュラルな方法で脳内に「仕掛け」を持ち込んだのです。思えば、人間は自らの手で自分を記憶の中の罠に落し入れることも可能なのです。そして、そんな心理サスペンス的人間ドラマにも、ちゃんと最後にはどんでん返しとも言えるラストの仕掛けが用意してあります。
 著者は、この作品で4度目の最終ノミネートで、ついにイギリス最高の文学賞「ブッカー賞」を受賞しています。
 一気に読める小説ですが、読み終わった後に必ずもう一度読み返したくなる奥行きのある小説です。

<「人生」と「歴史」についての名言と数々>

 もうひとつこの小説の中で注目すべきなのは、「人生」、「歴史」についての奥深い見解の数々です。ここではその中から、いくつかの名文を選んでご紹介させていてだきます。

<歴史とは何ぞや?>
(主人公の高校時代、歴史の授業にて行われた歴史の先生との対話から)

「簡単そうな質問から始めてみよう。歴史とは何だろう。ウェブスター君、何か意見は?」
「歴史とは勝者の嘘の塊です」
と私は答えた。少し急ぎすぎた。
「ふむ、そんなことを言うのではないかと恐れていたよ。敗者の自己欺瞞の塊でもあることを忘れんようにな。シンプソン君は?」
コリンは私より準備ができていた。
「歴史は生のオニオンサンドウィッチです、先生」
「そのこころは?」
「剥いても剥いても同じことです、先生。今年、何度も何度も見てきました。毎年同じことの繰り返しではありませんか。圧制と叛乱、戦争と平和、繁栄と衰退、その繰り返しです」
・・・
「フィン君は?」
「歴史とは、不完全な記憶が文章んも不備と出会うところに生まれる確信である」


(この対話から10年後、主人公は改めて歴史の授業を振り返ります)

 私は生き残った。「生き残って一部始終を物語った」とはよくお話で聞く決まり文句だ。
 私は軽薄にも「歴史とは勝者の嘘の塊」とジョー・ハントと老先生に答えたが、いまではわかる。そうではなく、「生き残った者の記憶の塊」だ。
 そのほとんどは勝者でもなく、敗者でもない。


 その人が「歴史」をどうとらえているのかによって、人生がまったく違ったものになるのは当然です。しかし、それが一国の総理大臣となると、彼の「歴史認識」はその国の未来を大きく左右することになるかも可能性があります。それは本当に恐ろしいことです。

<「若さ」と「老い」について>
 これが、若さと老いの違いのひとつかもしれない。若いときは自分の将来をさまざまに思い描く。年をとると、他人の過去をあれこれと書き替えてみる。

<「歴史」と「個の人生」>
・・・昔、歴史上の好きな時代を問われ、物事が崩壊した時代、と答えた人がいた。物事の崩壊は、何か新しいものの誕生を意味するから、と。
この答えは、個人の人生に当てはめても意味をなすだろうか
何か新しいものが生まれつつあるときに死ぬのはよい?
生まれつつあるものがその人自身であってもか?
すべての政治的・歴史的変化は、遅かれ早かれ落胆をもたらす。大人になることも同じだし、人生もそうだ。
・・・

 この言葉で、「歴史」と「人生」はひとつになった感じがします。
 ただし、残念なのは、「歴史」の変化と我々個々の人生はけっして同調しているわけではなく、その中のごく一部にしか関われないということです。
 「歴史」の中のほんの一瞬しか関わることのできない我々は、その中でほんの一瞬だけでも輝きを残せるよう生きるしかないのです。
 そう、亡くなったロビン・ウィリアムスがあの名作の中で「今を生きろ」と言っていたとうりです。


「終わりの感覚 The Sense of an Ending」 2011年
(著)ジュリアン・バーンズ Julian Barnes
(訳)土屋政雄
新潮クレストブック
その他のジュリアン・バーンズ作品
「イングランド・イングランド」   「フロベールの鸚鵡」

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