- フィリップ・K・ディック Philip K. Dick -

<Welcome To Dick World>
 僕がディックと出会ったのは、東京中野の区立図書館でした。作品は「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕 The Tree Stigmata of Palmer Eldrtch」。かなり分厚い長編の単稿本でしたが、その本を読み始めた僕は一日図書館に閉じこもり、いっきに読み終えてしまいました。外は素晴らしい天気だったのですが、僕が座っていた緑色の丸イスの上だけはポッカリと別次元へと移動していたかのようでした。こうして、僕はディック・ワールドの虜になってしまったのでした。
 人間は二つの種類に分けることが出来ます。「ディック・ワールド」をのぞき見たことのある人間とそうでない人間です。このコーナーを読んでいる方は、たぶん前者なのでしょうが、もしかするとこれから読もうという方もいらっしゃるかもしれません。もしそうなら、「ようこそ、ディック・ワールドへ!」
「しかし、これだけははっきりいっておきたい・・・ディックが見事に描いてみせた種類の世界に、わたしは住みたくない。できれば我々がそこに住んでいないことを信じたいというのがわたしの願い・・・痛切な願いである。

 もし、もっと大勢の人がディックの作品を読めば、わたしがああいう世界に住まなくてすむ可能性が、それだけ強くなるのではなかろうか・・・」

ジョン・ブラナー「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック」より

<悪夢のような未来のショッピング・リスト>
 作家フレデリック・ポールは、SF小説について、こう書いています。
「SFの役目は、厳密な予言にはない。我々がSFを書く目的は、未来になにが起こるかを読者に知らせることではなく、もしかすると起こるかもしれない可能性の未来を、一種のショッピング・リストとして読者に提供することである・・・」

ディックの作品群はその意味でまさに「悪夢のような未来のショッピング・リスト」なのです。
 しかし、残念ながらそのリストを読み解くことは、かなり困難なことなので、人によってはそれは何の意味ももたない記号の羅列に見える可能性もあります。それは作者であるディックがもつ知識の異常なまでの豊富さによるものか、もともと意味など存在しないのか、その判断すら困難に思えてきます。しかし、その困難さがもし心地よく思えてきたら、あなたは「ディック・ワールド」の良き住人の仲間入りを果たしたと言えるでしょう。
 ただし、それがあなたにとって幸福なことかどうか、それはまた別問題ですが・・・。

<P・K・ディックの誕生>
 P・K・ディックこと、フィリップ・キンドレッド・ディックは、1928年12月16日にシカゴで生まれました。彼には、この時二卵性双生児の妹がいましたが、生後数十日で彼女はこの世を去ってしまい、公務員だった父親と作家志望だった母親も、その後彼が5才の時に離婚してしまいました。彼はそんな恵まれない子供時代を過ごしただけでなく祖父からひどい虐待を受けました。そして、この時の悲惨な体験は、彼の心にトラウマとして残ることになりました。
 1938年に母とともにカリフォルニアのバークレーで生活するようになった彼は、この後ほとんどの人生をこの地で過ごすことになります。そして、彼はちょうどこの頃からSF小説に熱中するようになったようです。

<怒りと恐怖に満ちた魂>
 バークレー高校に入学後、彼は悪夢のような未来の不安に悩まされるようになり、精神面でのカウンセリングを受けるようになっていたそうです。(彼の描いた悪夢のヴィジョンは、麻薬中毒になる以前からのものだったようです)
 彼には、常に弱き者の魂が取り憑いていました。少年時代に殺したネズミの泣き叫ぶ声を彼はずっと忘れたことはないと言っていますし、生まれてすぐにこの世を去った妹の魂も、彼にとっては忘れられない存在でした。こうして、彼はいつしか自分自身が地球上に存在する弱き魂の代弁者となり、強き者(神や国家権力)に対する勝ち目のない戦いを挑むようになっていったのです。
「当時も、今も、私の問題はそれだ。態度がよくない。早く言えば、私は権力が怖いくせに、それに・・・権力と、そして私自身の恐怖に・・・腹が立つものだから、つい反抗してしまうのだ。SFを書くのも、一つの反抗の仕方である」
P・K・ディック

 だからこそ、彼の作品の主人公は誰もがごく普通の人間であり、けっして映画「トータル・リコール」のアーノルド・シュワルツネガーのようなハリウッド的ヒーローではないのです。(映画「トータル・リコール」は、ディックの小説「追憶売ります」を原作として大幅に書き換えたものです)

<ドラッグ、セックス&ロックン・ロール>
 高校卒業後、彼はレコード店で働き、将来は自分の店を持つことも考えるようになっていました。この頃、彼はある無名の女性アーティストのことをひどく気に入っていて、まわりの人間に、いつか彼女は大スターになるぞと言い続けていたそうです。それは確かに当たっていました。彼女こそ後にウエスト・コースト・ロックを代表する歌姫となるリンダ・ロンシュタットだったのです。
 多くの天才アーティスト同様、彼もまたそれほどハンサムというわけではないにも関わらず、なぜか女性たちにもてたようです。そのおかげで、彼は無名時代もなんとか食べることができ、それどころか麻薬中毒になるほど薬物に染まってもいました。(マイルスもディランも、この点はいっしょのようです)

<作家デビューと不遇時代>
 彼がプロの作家としてデビューしたのは、1952年のことでした。SF雑誌に短編小説「ウーブ身重く横たわる」が掲載されたのが最初でした。その後、1955年、初の長編SF小説「偶然世界」を発表しますが、まだまだ無名に近い存在で、短編小説をSF雑誌に売ることでかろうじて生活する状態が続きます。
 1962年、彼にとっての代表作のひとつ「高い城の男」がハード・カバーとして初めて出版され、翌年にはSF界最高の賞、ヒューゴ賞受賞します。

<神秘体験から神との闘いへ>
 いよいよ彼の作品に対する評価は高まり内容も充実してきましたが、浪費家の妻のために常に作品を書き続けなければならない状況が続きます。そのため、彼は興奮剤のアンフェタミンを常用するようになります。ついには、「巨大な目が空から自分を見下ろしている」という神秘体験(それとも幻覚?)をするに至り、彼の作品はより神秘的、形而上学的、宗教的になってきます。
1965年「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」
1968年「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(後にリドリー・スコット監督により「ブレード・ランナー」として映画化され、映画史に残る近未来SFの金字塔をうち立てます)
1974年「流れよわが涙、と警官は言った」
1975年「戦争が終わり、世界の終わりが始まった」(生前出版された唯一の一般小説)
1976年「怒りの神」(ロジャー・ゼラズニーとの共作)
1977年「暗闇のスキャナー」
1981年「ヴァリス」
 彼の作品はしだいに「神」もしくは「巨大にして能動的な生ける情報システム」への反抗を描くようになって行きましたが、それはある意味ディックによる「神の創造」でもありました。読者はそんな彼の生み出した愚かで悲壮な世界をのぞき、ある者は「馬鹿げている」とあきれかえり、ある者は感動の涙を流し、またある者は腹を抱えて笑い出すことになるのです。
 ディックの作品を初めて読む方は、70年代以降のものから入らない方が良いかも知れません。

<人間とは?現実とは?>
 ディックは「人間とは何か?」を問うのではなく、「人間とは何かを問う自分は本当に人間か?」と問いかけ続けました。
 「自分が人間であると証明することはできるのか?」また「もし偽物だとしたら、本物とはどこが違うのか?」とも問いかけています。
 彼の生み出す世界は、本物と偽物の境界線を失った世界でもあるのです。そして、その世界の未来を左右することのできる唯一の存在が「神」もしくは「巨大にして能動的な生ける情報システム」であり、それは世界を常に監視、管理しているというのです。問題なのは、「彼が生み出した世界」と「我々が現在すんでいる世界」を区別することは、非常に困難だということです。それを完全否定することは、不可能だということなのです。こうして、彼は我々をとめどない不安へと追い込んでしまうのです。
 驚くべきことに、彼は我々の精神を操る神のごとき存在になってしまったのです。何という皮肉でしょう!

<天国へ、そして神の領域へ>
 1982年3月2日、彼は心臓麻痺によってこの世を去りました。しかし、その作品群はその後も生き続けています。それどころか、未だに多くの精神に影響を与え続け、その影響は世界の未来にも影響を与えて行くことでしょう。
 精神状態に不安がある時、彼の作品を読むのは少々危険かもしれません。どうやら、こうやって彼のことを書いている自分自身の存在も、危うくなってきたようです。今パソコンのキーを打っているのは、誰なのか?その指を動かしている脳の信号の発信者は誰なのか?その信号を発するきっかけをつくったのは、いかなる記憶もしくは精神なのか?
 第一今この文章を読んでいる「あなた」は実在しているのでしょうか?
 残念ですが、それすら僕にはわからないのです。

<映画化されたディックの世界>
 「ブレード・ランナー」「トータル・リコール」以外にも、ディックの作品は映画化されています。中編小説「変種第2号」の映画化として、ピーター・ウェラー主演の「スクリーマーズ」(1996年)があります。これは原作にかなり忠実で、超掘り出し物と言える作品です。
 「にせもの」の映画化で、ゲイリー・シニーズ主演の「クローン」(2001年)もかなりの良いできです。そして、2002年公開のスティーブン・スピルバーグ監督作品「マイノリティー・リポート」は、ディックの同名小説を映画化したものです。
 さらに「暗闇のスキャナー」の映画化がスティーブン・ソダバーグ監督によって進められているという話しもあります。
 年を追うごとに、ディックの評価は高まっているのかもしれませんが、それはまた現実が彼が描き続けてきた悪夢のような世界へと近づきつつあることの現れなのかもしれません。そうでなければ良いのですが、・・・。

「誰よりも非人間的なものに対して敏感だったという意味で、フィリップ・K・ディックほど人間的人間はいないだろう。そして彼の小説には、確かに人間的な何かが流れている。しかし、それにも関わらず、ディックの小説には人間など一人も出てきてはいないのである。・・・」
畑中佳樹「悪夢としてのP・K・D」

<追記>
「ティモシー・アーチャーの転生」 1982年
「この『ティモシー・アーチャーの転生』は、ディックの作品の中で数少ない非SF作品ということになっている。でも、これはやはりSFだ。ディックは『SFは、ほんとうにSFであるためには別にSFの形式をとらなくてもかまわない』ということを証明してみせたのだ。」

「ぼくもよく知っているある時代の雰囲気が濃厚に描かれている。以前読んだ時、ぼくはそう思った。もちろん、それは正しい。しかし、いま読み返すと、違う感想が付け加わる。その一つは、登場人物たちの述壊が、彼らの個人的な意見というより、時代そのものの述懐に見えるということである。もう一つは、やはり登場人物たちの述懐が、彼らの個人的意見というより、SFの、いや現代芸術のある分野そのものの述懐に見えるということである。」
「退屈な読書」高橋源一郎

<主な作品>

高い城の男 The Man In the High Castle」 1962年 ハヤカワ文庫
火星のタイムスリップ The Game-Players of Titan」 1964年 ハヤカワ文庫
パーマー・エルドリッチの三つの聖痕 The Three Stigmata of Palmer Eldritch」
1965年 ハヤカワ文庫
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? Do Androids Dream of Electric Sheep?」
1968年 ハタカワ文庫
ユービック Ubik」 1969年 ハヤカワ文庫
流れよわが涙、と警官は言った Flow My Tears,the Policeman Said」
1974年 ハヤカワ文庫
戦争が終わり、世界の終わりが始まった Confessions of a Crap Artist」
1975年 晶文社
暗闇のスキャナー A Scanner Darkly」 1977年 創元SF文庫
ヴァリス VALIS」 1981年 創元SF文庫
「ティモシー・アーチャーの転生」 1982年

パーキー・パットの日々 ディック短編集(1)」 以下すべてハヤカワ文庫
時間飛行士へのささやかな贈り物 ディック短編集(2)」
ゴールデン・マン ディック短編集(3)」
まだ人間じゃない ディック短編集(4)」
フィリップ・K・ディック・リポート」 早川書房編集部編

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