- プライマル・スクリーム Primal Scream -

<オールド・リスナーの愚痴>
 「ブリット・ポップ」と名付けられた90年代イギリスの若手ロック・バンドたちの活躍は、マスコミによって作られたことが、見え見えだったこともあり、今ひとつ盛り上がりに欠けていました。それぞれのバンドにとっては、かえってありがた迷惑なブームだったと言えるのかもしれません。
 また、僕のようなひねくれたロック・ファンにとっては、ポップでキャッチーなメロディーの向こうにビートルズやバート・バカラックT−レックスなどの影響があまりに簡単に読みとれてしまうと、やっぱり白けてしまうわけで、それはたとえロックがあらゆる音楽のミクスチャーによって成り立つものだと分かっていても、同じ事でした。そう考えると、人は年をとるごとに、ピュアな状態で音楽を聴くことができなくなってゆくのかもしれません。知らなければ、それはそれで十分楽しめるのですから、これはけっこう不幸なことなのかもしれません。それでも、そのぶん新しい音楽に出会えた時の喜びは、大きなものになるのですが。
「ほら、まだまだ新しい音楽があるじゃないの!人間の創造力を馬鹿にしちゃいけないよ」とそんな気にさせてくれるバンドが現れることは、だからこそ嬉しいわけです。そして、最近特にそんな気にさせてくれた存在、それがプライマル・スクリームでした。

<プライマル・スクリームのデビュー>
 プライマル・スクリームは、ジーザス&メリー・チェーンのドラマーだったボビー・ギレスピーが1984年に結成したバンドで、他のメンバーはジム・ビーティー(Gui)、ロバート・ヤング(Bass)、アンドリュー・イネス(Gui)。ロック・バンドの王道とも言える四人組ギター・ポップ・バンドとしてスタートしています。1985年に、シングル"All Fall Down"でデビューし、1987年ファースト・アルバム「ソニック・フラワー・グルーブ」を発表、1989年のセカンド・アルバム「プライマル・スクリーム」では、荒々しいガレージ・ロック・スタイルのサウンドを展開しています。

<プライマル・スクリームの新展開>
 彼らは、セカンド・アルバムの発表後、すぐに新しいチャレンジを始めます。すでにハウス系のサウンドにはまっていた彼らは、セカンド・アルバムに収録されていた曲"I'm Losing More Than I Ever Have"をリミックス、完全にハウスを意識した曲「ローデッド」としてシングル発売します。そして、これが大ヒット。90年代初めのテクノ・ダンス・ミュージックとロックとのクロス・オーヴァーの先駆けとなりました。1991年には、ハウスへの展開の成果の集大成として、アルバム「スクリーマデリカ」を発表。この作品は彼らの人気を決定づけることになっただけでなく、今後も、この時代を象徴するアルバムとして、歴史に残ることになるでしょう。

<転がり続ける男たち>
 1994年彼らはロックの故郷、メンフィスでアルバムを録音します。そのアルバム"Give Out But Don't Give Up"は前作とは、うって変わった泥臭いサザンロック・アルバムでした。それはローリング・ストーンズとスワンプ・ロックに彼ら独特のセンスを振りかけた内容で、かつてザ・バンドU2などのバンドが行ったロックの故郷詣的アルバムとも言えるものでした。改めて彼らのロック・フリークぶりが発揮されたと言えるでしょう。

<伝説の映画「バニシング・ポイント」のロック化>
 そして、1997年には、さらに凄いアルバムが発表されています。アルバム・タイトルは「バニシング・ポイント」、70年代から映画を見ている人ならご存じのニューシネマの傑作と同じタイトルです。そのストーリーは、「ある男が警察を敵に回して、延々と車を飛ばし続ける、そして彼を応援するラジオのディスク・ジョッキーが現れ、その暴走はどんどん勢いを増し、ついに彼の前には、ブルドーザーによる巨大なバリケードが築かれた。彼の運命は?」(1971年公開)単純なストーリーにも関わらず、それは目で見るロックとも言える映像でした。その幻の映画をプライマル・スクリームは世紀末に音楽で復活させたのです。もちろん、そのサウンドは世紀末版に相応しく、ダブ的な手法を大胆に取り入れ、サイケデリックな新しいテクノ・ロック・サウンドになっていました。

<現在進行形のバンド>
 プライマル・スクリームは、未だ現在進行形のバンドと言えるでしょう。この「ロック世代のポピュラー音楽史」で取り上げたアーティストの中でも、数少ない世紀を越えて活躍する存在となりそうです。そのうえ、彼らは常に変化することに対して積極的な姿勢をもっています。アルバム「スクリーマデリカ」についてのインタビューで、彼らはこう言っています。
「僕たちは失敗を恐れない。やりたいようにやった結果があの作品だ」
特に「スクリーマデリカ」において、彼らがトライしたハウス・テクノとロックとの融合は、今でこそ当たり前ですが、当時は確かに新しかったのです。彼らは、、ブルースやカントリー、ソウルなど他のジャンルの音楽にも関心が深いのですが、もともと誰よりもロック・フリークでなのです。それだけに、「ロックの本質は、その時代のロックの範囲の枠を越えることにある」という確信を、彼らは持っているに違いありません。

<ポール・ウェラーだって>
 今やブリティッシュ・ロックの重鎮となった感のあるポール・ウェラーも、かつてジャムからスタイル・カウンシルへと大きな転換の時期には、パンクからポップスへの軟弱な転向だと、非難されたものです。歴史を振り返るとき、ほとんどの事件が起きるべくして起きているように、音楽におけるスタイルの変化もまた、後で振り返ると時代の必然だったことがわかるものです。ただ、最初に誰がトライしたのか?そのトライに挑んだものこそ、その時代において、最もロック的なアーティストなのだと僕は思います。そして、20世紀末のブリティッシュ・ロックにおいて、その位置にいるアーティストたちの中に、このプライマル・スクリームが含まれているのは間違いなさそうです。
 彼らはもしからするとロック界の重鎮になるのではないでしょうか。もちろん、彼ら自身はそんなこと思っていないかもしれませんが、…でもポール・ウェラーやニール・ヤングREMみたいな存在なら、彼らだってそう悪い気はしないんじゃないでしょうか。

<締めのお言葉>
トリック・スターの文化的意義について
(ロック・スターの文化的意義についても、そのまま当てはまるはず!)
「道化=トリック・スター的知性は、一つの現実のみに執着することの不毛さを知らせるはずである。一つの現実に拘泥することを強いるのが、「首尾一貫性」の行き着くところであるとすれば、それを拒否するのは、さまざまな「現実」を同時に生き、それらの間を自由に往還し、世界をして、その隠れた相貌を絶えず顕在化させることによって、よりダイナミックな宇宙論的次元を開発する精神の技術であるともいえよう」
 山口昌男(文化人類学者)

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