- チャーリー&エディ・パルミエリ Charlie & Eddie Palmieri -

<サルサ史における二大山脈>
 サルサというラテン音楽最大のジャンルが成立した1960年代末、そこにはそのために必要とされた膨大な進化のエネルギーの源となる二つの巨大な山脈が存在しました。ひとつは、ご存じファニア・オールスターズに代表される「ファニア・レーベル」のスターたちからなる山脈。(彼らについては、ファニア・オールスターズのページをご参照下さい)
 そして、もうひとつがファニア・レーベルよりも、ずっと古くからラテン・サウンドを引っ張ってきた老舗ティコ・レーベルとその傘下のアレグレ・レーベルのスターたちです。そこには、ティト・プエンテウィリー・ロサリオジョー・クーバカチャーオ、移籍前のジョニー・パチェーコなど、ファニア・レーベルにひけをとらないメンバーが揃っていましたが、その中心となっていたのが、チャーリーとエディーのパルミェーリ兄弟でした。

<兄チャーリー・パルミェーリ>
 ニューヨーク生まれのプエルトリカンである兄弟の兄、チャーリーは1940年代からピアニストとして活躍を始め、ティト・プエンテティト・ロドリゲスマチートらの大物バンドで腕を磨きました。50年代末に、キューバからやって来た新しいバンド・スタイル、チャランガをいち早く取り入れ、自らのバンド、ドゥボネイを結成しました。フルートをフィーチャーした軽やかなスタイルは、当時大流行となったパチャンガのリズムとともにニューヨークでも大ヒットし、彼のバンドは一躍シーンの中心的存在になりました。(なお、このバンドには、後にファニア・オールスターズのリーダー兼ファニア・レーベル副社長となる前述のジョニー・パチェーコも在籍していました)

<デスカルガの仕掛け人>
 デスカルガとは、ジャズで言うジャム・セッションのことです。60年代の半ば頃、後のサルサ・シーンを担うことになるアーティストたちは、夜な夜なクラブに集まっては、新たなサウンドを追求すべくデスカルガを繰り返していました。この様子は、レーベルの枠を越えて作られたティコ・オールスターズアレグレ・オールスターズ、サルサ・オールスターズなどのアルバムに収められ、サルサ創世記の熱気を今に伝えてくれています。そして、これらのデスカルガの仕掛け人として活躍したのが、チャーリー・パルミェーリだったのです。その意味で、彼こそ、サルサを生みだしたニューヨークのラテン・ムーブメントの最重要人物だったと言えるかもしれません。

<弟エディー・パルミェーリ>
 弟のエディーは、兄チャーリーの紹介で多くのバンドにピアニストとして雇われた後、自らのバンド、ペルフェクタを結成しました。弟が結成したこのバンドもまた、まったく新しいスタイルを取り入れたバンドでした。それは、トロンバンガと呼ばれるスタイルで、従来、ラテンのリズムには合わないとされてきたトロンボーンをホーンの中心とし、切れが悪い音を逆に利用、パワーのあるサウンドを生み出すことに成功したのです。(この手法をまねたのが、ウィリー・コロンの「エル・マロ」です!)このバンドは、折からのブーガルー・ブームとともに大ヒットしました。

<時代とともにサルサを超越した男>
 しかし、エディは60年代末には、このスタイルをやめ、再び新しいスタイルへの挑戦を始めました。世界中がロックの影響を受け、どんどん変化をとげている時代、彼のバンドは、より複雑なグルーブ、より前衛的なサウンドを目指しバンドを大型化して行きました。それは、まるでラテン・サウンド版グレイトフル・デッド、もしくはP−ファンクといった感じで、サルサを超越した独自のグルーブ・ミュージックを作り上げていました。この頃の、エディの何かに取り憑かれたかのようなエレクトリック・ピアノとうねるようなリズムの洪水は、今や絶対に再現不可能な境地に達していました。このサウンドは、マイルス・デイヴィスが「ビッチズ・ブリュー」で到達したジャズ・ファンクの世界に近い凄さがある!
 この頃の録音は「プエルトリコ大学ライブ」「シンシン刑務所ライブ」で聴くことができます。まさに名盤です!当時の彼は音楽性だけでなく政治的な面でも先鋭的な思想の持主として活動していました。すべての音楽がそうだったように、彼もまた時代の影響を強く受け、人種問題についても強い関心を持っていました。公民権運動の拡がりは、黒人と同じように差別の対象となっていたプエルトリコ人にも民族意識を高めることになっていました。

「いつになったら正義が実現されるのだろうか?プエルトリカンとブラックのための正義が」
エディ・パルミエリ

<自ら進化し、進化のお膳立てをした功労者>
 その後チャーリーは、サルサ界の縁の下の力持ちとして活躍をした後、1988年にこの世を去りました。(彼のソロ作としては、「ジャイアント・ステップ」などがあります)
 エディーは、サルサの枠を超越するあまりに強力な作品を、時代の流れに乗って作り上げてしまった反動か、その後アルバムの発表は、ぐっと控えめになってしまいます。しかし、相変わらず、サルサ界最高のピアニストとしての活躍を続けています。

<締めのお言葉>
「新しい思想体制(信仰系、価値体系、イデオロギーなど)は、新しい進化のビジョンのもとで成長し発展しなければならない。先ずそのためには、もちろん新しい思想体制そのものが「進化的」でなければならない」 
J.ハックスリー「進化と精神」

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