地の果てパタゴニアの旅で出会った人々


「パタゴニア In Patagonia」

- ブルース・チャトウィン Bruce Chatwin -
<パタゴニア、LOVE>
 「パタゴニア」といえば、アウトドア・ウェアの最高峰ブランドであり、アウトドア・スポーツを単なる「外遊び」や「冒険」だけでなく、自然環境の保護まで含めた「文化」へとステップ・アップすることを目指した志の高い企業の名前です。1980年代後半、僕がアウトドアにのめり込み、スキューバ・ダイビングやシーカヤックに熱中していた時代には、いろいろとパタゴニアの製品を購入していました。(当時は、パタゴニアかノースフェース、どっちかの時代でした)
 そんなアウトドア大好き人間にとって憧れの企業が、企業名、企業ロゴに選んだのが南米の南端に位置する土地の名前を選んだのは、その土地が文明に未だ冒されていない地上最後の秘境だからです。南極に近く、冬は暴風雨が吹き荒れて、すべてのものを吹き飛ばす、危険な地「パタゴニア」。そこは、まさに「世界の果て」と呼ぶにふさわしい場所です。そんな土地の名前をもつ冒険記を見つけたのでさっそく読んでみました。
 僕としては、世界の果ての冒険記ですから、美しい大自然と厳しい気候との闘い満載の冒険記を期待していました。ところが、その予想は見事にはずれました。でもご安心ください。いい意味で、期待を裏切る内容で、さすがに名著と言われるだけのことはありますから!

 私は世界でいちばん南にある街に来た。ウスティアの街はプレハブの伝道所から始まっている。伝道所は1869年、W・H・スターリング師によって建てられたもので、インディオのヤガン族集落のそばにあった。英国国教会が伝道につとめた16年のあいだ、野菜畑とインディオたちは生気にあふれていた。やがてアルゼンチン海軍が来て、インディオははしかほ肺炎が原因で死んでいった。
 その後、この開拓地は海軍の基地から囚人の街に変わった。
・・・

<旅の目的>
 もともと主人公の旅の目的は、パタゴニアの大自然を征服することではありませんでした。彼の目的は、親戚のおじさんが持ち帰った恐竜の皮が発見されたパタゴニアの洞窟に行くことにあったのです。(その皮は恐竜のものではなく絶滅した巨大哺乳類オオナマケモノのものだったのですが・・・)といっても、それは旅のきっかけにすぎず、彼が旅日記に書いているのは、そんな地の果てまでやって来た伝説的人物たちの記録と旅の途中で出会った人々との交流の記憶です。
 伝説的な人物とは、例えばこんな人々です。
「フランスから来て、パタゴニアで王になろうとした男」
「プレシオザウルス狩りのためにやってきた人々」
「おじさんが持ち帰った恐竜の毛皮を発見した人物の足跡」
「パタゴニアに逃げてきたブッチ・キャシディとサンダンス・キッド伝説」(あの映画「明日に向かって撃て」の二人です!)
・・・つまりサンダンス・キッドは南米で撃たれて死んだが、キャシディは生き延びて、ハックルベリー・フィンの冒険よろしく、インディオの少年と一緒に旅をした。最近、私はブエノスアイレスから手紙をもらったが、その内容はこの推理を売らづけるものだった。彼は、私のあとリオピコを訪れ、そこでエバンスが国境警備隊の手から逃亡したこと、ウィルソンの横に埋葬されているのは、ギャング団のイギリス人メンバーだったということを聞き出したのである。

<旅で出会った不思議な人々>
 上記の人々は、彼が旅した時すでに過去の存在でしたが、その他にも彼はパタゴニアで様々な人々と出会い、彼らとの交流を生き生きと描写しています。

 ヨーロッパから遥かに離れた土地で、観客もいない中、素晴らしい音色を聞かせてくれたピアニストがいました。

 部屋はがらんとして、ドイツ風に、白い壁にレースのカーテンが掛かっていた。外では風が通りに土埃を巻き上げ、ポプラをかしがせていた。アンセルモは戸棚から白い小さなベートーベンの石膏像を取り出した。彼はそれをピアノの上に起き、曲を弾き始めた。
 演奏はすばらしいものだった。こんな南の果てで、見事な『悲愴』が聞けるとは思いもしなかった。・・・
「いちばん好きな曲を弾きましょう。ショパンが書いた最後の曲です」
 そうして彼は、ショパンが死の床で書き取らせたマズルカを弾いた。風が通りでヒューヒューと鳴り、墓石に舞う木の葉のように音楽がピアノから立ち昇り、そして目の前に天才がいるのを感じた。


 故郷のイタリアを忘れられない主婦の見果てぬ帰郷の夢を聞かされることもありました。

 アイバー・デイビース夫人はイタリアを、とりわけヴェニスを夢見ていた。彼女はヴェニスと『ため息の橋』を一度見たことがあった。彼女がため息という言葉を口にするとき、あまりにも大声で強く言うので、いつかイタリアに思い焦がれているかがわかった。チェブトはヴェニスからあまりにも遠く、ヴェニスは彼女の知っているほかのどこよりも美しかった。

 北アメリカから流れ着いた鉱山労働者の中には、ヒッピー・ムーブメントの先駆だった人物も登場しています。

 彼は、サンフランシスコ、ヘイト・アシュベリー地区のフラワー・チルドレンの元祖の一員だった。・・・
 サンフランシスコで、彼は麻酔薬メタドンに取りつかれていた。だが初めて鉱山で仕事をしたとき、この薬物依存から脱することができた。鉱山で働くことは何か自然なことがある、と彼は言った。鉱山は彼に安心感を与えてくれた。
(しかし、彼はより自由を求めて、アメリカを出ます)
「ここはやめだ。南米へ行って、別の鉱山を探すんだ」


 そうかと思えば、商売人で有名なはずのユダヤ人でありながら、まったく儲ける気がない宿屋の経営者とも出会っています。

 翌朝、私は支払いをめぐって大口論をした。
「部屋はいくらですか?」
「いりません。お客さんが眠らなかったのなら、ほかには誰も泊まらなかったわけですから」
「食事はいくらですか?」
「いりません。お客さんがいらっしゃるなんて、どうして私たちにわかります。自分たちのためにつくったんですから」
「では、ワインはいくら?」
「いつもお客様にはワインを出すことにしているんです」
「マテ茶は?」
「マテ茶は無料です」
「では、何をお払いすればいいんです?残るのはパンとコーヒーだけでしょう」
「パンの代金は受け取れません。でも、カフォオレはグリンゴの飲み物ですから、それだけ払っていただきましょう」


 人類誕生の地は南米で、その祖先となった生物はついこの間まで生きていた!と持論を展開するパタゴニアの自然史研究家でもある神父さん。

「・・・さて今度は、わしに質問させてくれたか。人類が出現したのはどの大陸かな?」
「アフリカでしょう」
「違う!全然違う!第三紀、ここパタゴニアでは、意識ある生物たちがアンデスの造山活動を見守っていた。アフリカ大陸のアウストラロピテクス類よりも以前、ずっと以前に、人類の祖先はフエゴ島に住んでいた」
 そして神父はふと付け加えた。
「その最後のひとりが目撃されたのは1928年のことである」


 世の中には面白い人、悲しい人、不思議な人がどこにでもいるのかもしれませんが、もしかすると「パタゴニア」の地にはより多くいるのかもしれません。わざわざ「地の果ての秘境」に住もうというのですから、世間の常識には当てはまらない人が多いのは当然なのかもしれません。もちろん、著者のブルース・チャトウィンもその一員といえます。

<ブルース・チャトウィン>
 この旅日記の著者ブルース・チャトウィンBruce Chatwinは、1940年5月13日イギリスのダービシャー州ドロンフィールドに生まれています。海軍で働く弁護士だった父親と共に何度も引っ越しをする落ち着かない生活は、彼にNOMAD(遊牧民)的生き方を自然にさせることになりました。
 1955年、15歳の頃、彼は美術品、骨とう品に興味を持つようになり、1958年、ロンドンに上京し、あのサザビーズに入社します。まだ10代の若さだったにも関わらず、彼の優れた鑑識眼はすぐに社内で認められ、美術品の鑑定士として活躍し始めます。
 1963年、アフガニスタンへ遺跡を巡る旅に出た彼は、自分の生き方について考えるようになり、お金のための仕事である美術品鑑定の仕事に不満を感じるようになります。そして、そのストレスから一時的に視力を失ったこともあったといいます。
 1965年、25歳になった彼は仕事を離れて、6週間アフリカのスーダンに滞在。サザビーズの会長秘書だったエリザベス・チャンドラーと結婚します。
 1966年、彼はサザビーズを退職し、エジンバラ大学で考古学を学び始めますが、机の上の勉強には満足できず、大学を中退し、作家活動を始めます。
 1974年、12月にこの作品で書かれているパタゴニアの旅に出発します。
 1975年、アメリカ、ニューヨーク州のフィッシャーズ・アイランドに滞在しながら、この著書「パタゴニア」の執筆を開始します。
 1977年、オーストラリア出身の株式仲介人の男性ドナルド・リチャーズと恋に落ち、ニューヨークのゲイシーンに顔を出すようになります。その間に、カメラマンのロバート・メイプルソープらと知り合うようになりました。(ということは、あのパティ・スミスとも交流があったはず!)この年の10月に「パタゴニア」が出版されると、各誌で絶賛されます。
 その後、彼は「ウィダの総督」(1980年)、「ウッツ男爵」(1988年)、「ソングライン」(1987年)などの作品を発表します。
 1986年、体調不良となった彼は血液検査により、HIV陽性であることが判明します。
 1989年1月18日、エイズにより死去。当時はまだエイズ、同性愛者に対する差別があり、彼は最後まで自分がエイズであることを公表しないまま、この世を去りました。


「パタゴニア In Patagonia」(世界文学全集Ⅱ- 08) 1977年
(著)ブルース・チャトウィン Bruce Chatwin
(訳)芹沢真理子
(編)池澤夏樹
河出書房新社

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