- パティ・スミス Patti Smith(前編) -

<輪廻転生>
 「転生(リーインカーネーション)」という言葉があります。有名なところでは、チベットのダライ・ラマの場合、その位は「生まれ変わりの子供」が継ぐことになっています。もちろん、そんなものに科学的根拠は何もない、という方もいるでしょう。僕の個人的見解では、遺伝子という未だ完全には解明されていない存在が、記憶という過去の情報をも運んでいるのではないか?と考えているのですが・・・。
 しかし、「転生」を「過去の記憶の共有」と考え、二つの人生を同時体験する延長線上にあるものと考えることもできるのではないでしょうか?具体的に言うなら、聖書を読み、その奥底まで研究することでクリスチャンはイエス・キリストの人生を追体験し、神に近づこうとしているわけです。映画「パッション」や「最後の誘惑」などは、そのための試みだとも言えるでしょう。
 もし、その生き方を完全に自分のものにすることができたなら、その人はイエス・キリストのよみがえりとして新たな人生を歩み出せるかもしれません。(そう思いこみ、自らを神と称してしまう人が過去数多くの事件を起こしてきたのですが・・・)
 なぜこんなことを長々と書いてきたのかというと、パティ・スミスこそ、「転生」によって生まれたアーティストの一人なのではないかと思うからです。ではいったい誰の生まれ変わりなのかというと、・・・。

<女王誕生>
 後に「パンクの女王」と呼ばれることになるパティ・スミスこと、パトリシア・リー・スミスは1946年12月30日にイリノイ州シカゴのサウス・サイドで生まれました。両親はごく普通の共働きの労働者で、彼女の下には弟一人と妹二人がいました。彼女が8歳の時、家族はニュージャージー州のピットマンという田舎の町に引っ越します。
 苦しい家計の彼女の家にはテレビもなく、両親の出かけた家の中で子供たちは自分たちで楽しみを見出して行くしかありませんでした。それでも両親は子供たちを深く愛し、その記憶は後に彼女に大きな影響を与え、「パンクの女王」突然の引退劇の原因の一つになります。

<ヴォーグとモディリアニ>
 彼女は普通の家庭に育つ、普通の子供でしたが、少しずつ他の子とは違う道を歩み始めます。そのきっかけのひとつは、彼女が片方の眼の弱視を直すためにつけた眼帯。それと、彼女が誰よりも細いガリガリのスタイルだったことです。回りから好奇の目で見られるようになった彼女は、自分が他人とは違うことを少しずつ意識し始めます。普通だと、そのために自分を嫌いになってしまうところですが、ある教師が彼女にモディリアニの絵を見せてくれたことで、その気持ちが変化します。その後、ファッション雑誌「ヴォーグ」に登場に登場するスリムなモデルたちに憧れることで彼女は少しずつ自信を取り戻します。こうして彼女は回りの人々とは異なる美的センスを自信を持って磨き始めるようになったのです。

<幻覚の恐怖>
 もうひとつ彼女の人生に大きな影響を与えた事件があります。それは彼女が7歳の時に猩紅熱にかかった時のことです。彼女は絶え間なく幻覚に襲われ、その恐怖感が彼女の心を押しつぶしそうになってしまったのです。この時の幻覚の恐怖は大人になっても失われず、彼女を苦しめ続けました。しかし、ある時期から、それが彼女の作品に生かされるようになります。どうやら、この感覚が彼女独自の詩の世界を生み出す重要な鍵のひとつだったようです。

<アイドルたち、ディラン、そしてランボー>
 そんな跳んでる少女だった彼女にとって、最初のアイドルはローリング・ストーンズでした。その後、彼女はボブ・ディランの歌と出会います。ディランこそ、彼女に詩人としての道を歩ませることになるきっかけとなった人物です。(その20数年後、ディランは絶望の淵にあった彼女を救い出す救世主となります)
 すぐに彼の存在は、彼女にとって最高のアイドルとなりました。そして、そんな憧れの人とそっくりのルックスにひかれて手にした一冊の詩集が、さらに彼女の人生を大きく変えることになります。それはフランスが生んだ孤高の天才詩人、アルチュール・ランボーの詩集でした。
 熱心なクリスチャンから錬金術にのめり込む青年へと変貌をとげたランボーの波瀾万丈の人生は、50年代のビート世代や60年代のフラワーチルドレンたちの先駆的存在でもありました。詩人として成功した後、自ら作家としての生活を捨て、放浪の旅に向かった彼の生き様は、まるで「イージー・ライダー」の主人公たちを思わせるものであり、ジャック・ケルアックの「路上」をよりロマンチックにしたものでもありました。こうして、詩人に憧れる少女にとってランボーは神のごとき存在となり、その影響はその後ずっと続くことになります。

<アイドルたち、ジム・モリソン>
 かつて、彼女と同じようにランボーに憧れる青年がいました。彼はランボーの放浪生活を真似るように放蕩を重ね、ついにパリのホテルでその生涯を終えています。
 彼の名はジム・モリソン。ドアーズのヴォーカリストであり、60年代に燃え上がったフラワー・ムーブメントの中心人物でした。彼は28歳の若さでこの世を去りましたが、「パンクの女王」パティ・スミスがデビューしたのは29歳の時です。世代的にも、年齢的にも彼女はジム・モリソンが受け継いだランボーの魂を再び受け継ぐ立場にあったのかもしれません。

<芸術の世界への挑戦と挫折>
 ランボーに大きな刺激を受けた彼女は、いよいよ芸術の世界にのめり込み、ついにアーティストとして生きる道を選択します。しかし、お金がなかった彼女は美術学校に行くことができず、奨学金を得て美術教師になるための学校に入りました。ところが、教師を目指す真面目な生徒たちの間で彼女は再び居場所を失って行きます。ドロップ・アウトしてしまった彼女は、卒業を前にして妊娠、父親もわからない状況で、彼女は学校を辞めざるをえなくなります。そのうえ、当時(1964年)のアメリカでは妊娠中絶は違法とされていたため、彼女は子供を産み、その子を養子に出すことになったのです。この選択は彼女にとって、長い間重荷となります。
 学校と子供、それに未来の仕事も失ってしまった彼女は、すべての望みを失いオモチャ工場で働く悲しく退屈な日々を過ごすことになります。(この時のやりきれない思いを歌ったのが、彼女のデビュー・シングルB面「ピス・ファクトリー」です)
 このどん底生活により失う者がなくなった彼女は、ついに旅立ちの決意を固めます。1967年、彼女はわずかな現金を手に、仕事も住みかのあてもないまま、一人ニューヨークへと旅立ったのでした。

<メイプルソープとの出会い>
 彼女はニューヨークに着くととりあえず泊めてもらうため、知人のアパートを訪ねました。ところが、その知人はすでにそこから引っ越しており、かわってそこに住んでいたのが、写真家志望の青年ロバート・メイプルソープでした。その後、同じ年でアーティスト志望の二人は親しくなり、彼は彼女が抱える悩み、特に子供時代の病気以来続いていた幻覚症状への対処法などについて親身に助言を与えてくれるようになります。
 彼は幻覚症状を恐れることなく、そこから自分だけの芸術表現を生み出すよう彼女を勇気づけたのです。二人はその後共同生活を始め、お互いの才能を伸ばしあうようになります。残念ながら、メイプルソープがゲイだったこともあり、二人の共同生活は長くは続きませんでしたが、その後彼がこの世を去るまで、素晴らしい関係が続くことになります。

<パリ、芸術家の魂の土地>
 1969年、彼女は憧れの街パリを訪れます。そこで出会ったのが大好きなローリングストーンズのドキュメンタリー映画「ワン・プラス・ワン」でした。彼女はこの映画の監督ジャン・リュック・ゴダールと常連の魅力的な女優アンナ・カリーナにすっかり魅せられていました。パリの街はまた、彼女の大好きなランボーやボードレールの街でもあり、そこで暮らしながら彼女は芸術家としてやって行く決意を再び固めたのでした。

<チェルシー・ホテルでの出会い>
 アメリカにもどった彼女はメイプルソープと再会。二人は当時アーティストたちにとってトレンド・スポットだったチェルシー・ホテルに住み始めます。(今や映画にもなるほどの伝説的ホテルです)
 古くはマーク・トゥエイン、ディラン・トーマス、アーサー・ミラー、ウイリアム・バロウズ、ポール・ボウルズ、ウイリアム・デ・クーニング、ロイ・リキテンシュタイン、ロバート・ラウシェンバーグなど、数多くの天才作家、画家、詩人たちがここから歴史的作品を世に送り出しました。また、ここはジミ・ヘンドリックスフランク・ザッパザ・バンドジャニス・ジョップリン、ボブ・ディランなどのミュージシャンたちが一時の住みかにしていたことでも有名な場所です。そんな多くのアーティストがチャンスをつかんだそのホテルで、彼女もまたチャンスをつかみました。
 ある日、彼女がボブ・ディランのマネをしてロビーを歩いていると、一人の男が話しかけてきました。それはボブ・ディランの取り巻きの一人として有名なボブ・ニューワースでした。(彼はディランのドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」にもしっかりと登場しています)
 彼は彼女の詩を読んで感激し、チェルシー・ホテルに住むウイリアム・バロウズやジャニス・ジョップリンらの知人たちに紹介してくれました。さらに彼女は同じホテルに住む劇作家のサム・シェパードとも知り合い、彼と戯曲を共同執筆するチャンスを得ました。二人はその後恋人同士になります。(サム・シェパードと言えば映画「天国の日々」や「ライト・スタッフ」に主演している2枚目俳優ですが、彼の本業はあくまで戯曲作家です)
 さらに、さらにメイプルソープの紹介により詩人のジェラルド・マランガが彼女を自分の朗読会の前座に抜擢してくれました。ついに彼女に詩人としての大きなチャンスが回ってきたのです。
 1971年2月12日、セントマークス教会で行われたその詩の朗読会に彼女はエレキ・ギターによる伴奏をををつけようと友人に応援を頼みます。それが当時レコード店で働きながら音楽に関する文章を書いていたギタリストのレニー・ケイでした。彼はこの後ずっと彼女のサウンドの要として重要な役割を果たして行くことになります。
 この記念すべき朗読会の出席者の中にスティーブ・ポールという人物がいました。彼は当時ジョニー・ウインターとエドガー・ウインターのマネージャーをしていました。彼女の魅力に気づいた彼は、詩人ではなくロック・ミュージシャンになるべきだと声をかけました。しかし、この時点での彼女はコマーシャルな女性ロックン・ローラーというステレオ・タイプに収まる気はまったくありませんでした。とはいえ、彼女はブルー・オイスターカルトのアラン・レニアーと恋人同士の関係にあり、バンドのために作詞を担当するなどロック界での実績を作りつつあったのも確かです。
 彼女は、いよいよ詩人とロックン・ローラーどちらの道を選ぶのか、その選択をする時期にさしかかっていたのです。

<パリ、再び>
 彼女は1972年、再びパリを訪れました。前回同様パリの有名な墓地ペール・ラシェーズを訪れますが、今回はそこに新たに加わったばかりのジム・モリソンの墓を訪れるのが最大の目的でした。そこで彼女は自分が前回同じ場所を訪れた時とは、別人であることに気づきました。時が満ちて、自分はいよいよ人生における本当のスタート地点にいることに気づいたのです。この時、彼女パティ・スミスは25歳。アーティストとしてスタートを切るには遅すぎるぐらいの年齢でした。しかし、この時点で彼女にもう迷いはなく、後は前進あるのみでした。

<デビューに向けて、再始動>
 1973年、彼女は自ら志願して、当時すでに話題となっていた元祖パンク・バンドのひとつニューヨーク・ドールズの前座として舞台に立ちました。この時、彼女はなんと伴奏無し、マイク無しで観衆の前に立ちました。もちろん、観衆のほとんどはニューヨーク・ドールズのファンであり、彼女のことなど知らない若者たちばかりです。しかし、ヤジと闘いながらしだいに彼女は観衆を引き込んで行きました。彼女のパフォーマンスは、初めて聞く観衆さえも感動させることができることを見事に証明してみせたのです。こうして、彼女はアンダーグラウンド・シーンのカリスマとして、迎えられるようになりました。マスコミもすぐに彼女に目を付け、彼女のことを「キース・リチャーズの顔をした両性具有の女流詩人」として書き始めます。
 彼女は再びレニー・ケイとコンビを組むようになり、ピアニストとしてリチャード・ソウルを採用、いよいよ自分たちで資金を集め、レコードを製作することになりました。「インディーズ・レーベル」という発想は当時ほとんどなかっただけに、このデビューは、後のパンク・シーンだけでなく音楽界全体に大きな影響を与えることになります。

<デビュー・シングル発売>
 彼女のアイドルの一人、ジミ・ヘンのスタジオ、エレクトリック・レディーランドを借りて製作された記念すべきデビュー・シングル「ヘイ・ジョー/ピス・ファクトリー」は、わずかな枚数しか世に出ませんでした。(自己資金のため、製造枚数自体少なかったのです)しかし、その衝撃は大きく、しだいに彼女の名は拡がりをみせ始めます。
 彼女は、さらに音楽的要素を強めるため、当時まだ無名に近かったブロンディーのギタリスト、アイヴァン・クラールを雇い、ドラマーとしてジェイ・ディー・ドゥーティを加えます。こうして、後のパティ・スミス・グループのメンバーがそろいました。
 すでに彼女の名はメジャー・レーベルのオーナーたちにも知られるようになっており、RCAとアリスタから契約のオファーが来ていました。中でもやり手の経営者クライブ・デイビスが設立したばかりの新鋭レーベル「アリスタ」は、パティに「創作上の口出しはいっさいしない」という条件を提示、見事契約をとりつけます。こうして、彼女がメジャー・デビューするための準備がととのいました。この時、彼女はすでに29歳。それだけに、インディーズからメジャーへの変化にのぼせ上がることもなく、じっくりとデビュー・アルバムの製作を開始します。

<中締めのお言葉>
「・・・あらゆる種類の恋愛を、苦悩を、狂気を、彼は自らの内に探求し、自らの内に一切の毒を味わい尽くして、その精華のみを保有しなければならない。深い信念と超人的努力とをもって初めて耐えうる言語に絶した苦痛を忍んで初めて彼はあらゆる人間中の偉大な病人に、偉大な罪人に、偉大な呪われ人に、−そして絶大の知者になる!−なぜなら、彼は未知に到達するからだ!・・・」
 
アルチュール・ランボー 

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